正義は鋭利な刃物のように
河合と羽月は並んで警視庁の廊下を歩いていく。
「手続きが遅くなり申し訳ありませんでした。かなり待たせてしまったと思うのですが?」
羽月の顔を確認しながら、謝罪する。大人の男性が子供に丁寧に謝罪をするのは一見不思議な光景だが、意外にもしっくりときている。それはやはり、彼女の風格故だろうか。
羽月は河合の目を見て少し微笑んで言った。
「気にしないで。私も楽しんだし。あの堅物刑事さんのアイデンティティー壊すの面白かった。かなり骨がある。愚直で真っ直ぐもここまでいくと褒められるべきなのかね?まぁ、その価値観を押し付けられる方は溜まったもんじゃないけど。」
羽月は少々怒ったように口を膨らませて腕を組み目を逸らす。
(実際のところ、私は簡単に人を殺すようなポリシー掲げてないわ。死んだところで何も思わないのは事実だけど。私の仕事に戦闘がほとんど含まれないから、実際に殺すかどうかなんて判断求められることは少ないからね。)
それを見て河合は眉をハの字にして少し笑った。
その顔が微笑ましく、年相応だったことに我が子を思い出し可愛さを見出したのかもしれない。
(私の仕事も...生命活動を止めていないだけで、人を殺しているのと同じね。私はこれまで無自覚だったとしても何人もの人を......)
一瞬、羽月の目から光が消えていたが、河合は気づかなかった。
「私も以前はそうでしたし、少々恥ずかしい気持ちになります。手加減はしてあげてください。」
河合は頭を掻きながら、自分の経験を思い出し、刑事を少し哀れに思っていた。実体験があるだけに、刑事に同情するのはきっと河合だけではないと彼は確信を持っていた。
「手加減はしてるよ。本気だったら、あの程度じゃすまないね。私の話術が上手いわけじゃないけど、隠していることが多すぎで、事実知るだけで動けなくなるんじゃないかな?あと、貴方は元からかなり捻くれてたと聞いているよ。哲学が好きらしいと。」
当然!と言わんばかりに胸を張って自慢気に手加減したことを自慢する。彼女は話術が上手くないという謙遜を挟みつつ、上司からの河合の紹介を思い出していた。当人は真っ直ぐで頭が堅く、恥ずかしいと言っているが、平均的な大人より頭は柔らかく、捻くれていた。だからこそ、こちらの世界に引き込まれることが秘密裏に決定されたのだから。受け入れられない可能性の高い人に秘密を話すなんて危険を冒しはしない。
今回はある種の実験だ。その実験のせいで壊されてしまったあの刑事は運が悪かったとしか言いようがない。
「確かに哲学は好きですよ。ところで、珍しく苛立っていたようですが?」
笑いながら哲学が好きなことを認めた。本も沢山読むんだと照れながら言うが、本来は照れるところではない。そして、彼は気になっていたことを質問した。彼の人間観察には定評がある。彼から見て、羽月は仕事中に演技で多彩な表情を演じるが、今回のは少し違った気がしている。本当に苛立っていたように見えたのだ。
「あー気づいちゃった?私もまだまだだね。正義や幸福の押し売りをする人は意外と多いんだけどあそこまで来るとは。私の過去もあいまって、少し。まぁ、悩みを半分なんとかしてここにいるわけなんだけど。」
笑って頭を掻きながら答える。
ちょっと恥ずかしいなと呟くが、河合じゃなければ気づかなかったかもしれないし、そもそもそれ以外に感情が表立ったところもない。だから本来反省するようなことでもないのだが、羽月は気に食わなかったようだ。そして困ったように理由を述べる。本人はそう言うが、実際、苛立ったと言うのは良い傾向と言えるだろう。乗り越えてなければ、心が抉られて苛立つ前に心が折れていたに違いない。
「羽月さんの過去はあまり聞いたことがありませんが、特殊な方が多いですよね。」
河合が言う通り、実際、羽月をはじめとして夜の世界は特殊な人が多い。能力を秘めている人は特に、能力を持つが故の悩みを持っていたり、能力をもった反動や引き換えに何かを失うことがあったりする。
実際、能力というが良いものではなく、良いものに転換しようと制御に努力した結果が能力なのだ。その力自体に善悪も害益も存在しないが、普通という枠には当然当てはまらないし、同じ力を持つ人に出会える可能性は限りなくゼロに近い。だから悩みも共有できず、理解もされない。
「そうだね。確かに入ったのは貴方より遅いけど、私は入ってから自己紹介しただけだし…。まぁ、過去に関しては私は言いたくないね。思い出したくもない。これを話すのは仕事で必要な時と、誰か新人の悩みにのる時だけ。」
羽月もかなり重い過去を持つ人物で、失礼なことを構わずいうならば、悲劇度ランキングで一位二位を争えるレベルとも言えるだろう。羽月は眉を額に寄せ涙を堪えるようにも見えなくもないが、ただ話すときは淡々としている。
「当然、無理には聞きませんよ。特殊な方が多いとそういう気遣いは上手くなるものですね。」
気遣いが上手いと自覚しているのか河合が笑顔でそう言った。
「うん。私もそう思うよ。」
彼のそういう態度に好感を覚えている羽月も笑顔でそう言った。
気を使えない刑事の後だと彼の気遣いは涙が溢れるほどに嬉しい。
何も分かっていない正義は尖っていて何かを傷つける。
「ところで彼女の記憶は宜しいので?」
思い出したように河合が問うた。
あの刑事にバラしてしまったがそれは大丈夫なのか、と。
「そのままにしておこうと思って。警察と正義を心の拠り所、謂わば宗教みたくしてるから、汚す真似はできないと思うよ。彼女すごく正義感強いから、今、混乱しているんじゃないかな?それで周りに相談しようにも相談できるような捻くれた人はいないだろうし、きっと誰にも話せずに考え込んで鬱々とするだけだよ。」
爽やかに笑顔で羽月は言い放った。
鬱々とするだけという言葉を笑顔で爽やかに言えるだけ、羽月もかなり夜の世界に染まっていると言える。
河合は羽月の根拠について考えをめぐらせた。
彼女はきっとそれを目の当たりにしたことがあるのだろう。
「そういう人が周りにいないから、そのように育ったと考えているのですか?」
性格などは育った環境に大きく影響される。
だから刑事の育った環境も正義や善悪を重んじる人ばかりなのか、と問う。
「それもあるけど、一辺倒な人は近しい価値観の人しか寄ってこないと思うからさ。類は友を呼ぶと言うのは正しいね。何より、捻くれた人は変態的な考え方をする多様的な人と話すと思う。違う考えでも特に何も思わないけど、相手の意見を真っ向から否定するだけとか考えが凝り固まっている人と話しても面白くないでしょ?捻くれた河合さん?」
彼女は思考を続けているのか右手の人差し指を立ててクルクル回しながら話す。
名前の上に捻くれたをつけられた河合はちょっと不本意な雰囲気を出しながらも、右上を見て記憶を辿る。
「自分が捻くれたと言われると否定したくなりますが、考え方としては後者ですね。それにしても鬱々とするだけ、とは少々、同情すると言いますか…」
そして最初の発言に戻り、刑事に同情し始めた。
羽月は同情をする必要はないと思っているのか首を傾げていたけど、吹っ切れたように笑ってスキップした。河合よりスピードを上げて一定距離離れてから、笑顔で振り返り口角をあげて言った。
「ふふっ。ただの意趣返しだよ。」
爽やかな笑顔に河合は刑事への同情を深め苦笑いをした。
そして追いつくように急いで歩いて、二人は静かに建物の外を目指す。
羽月は容疑者、河合は刑事に扮して護送のフリをする。
向かう拘置所はほとんどが架空犯人という不思議なところで、ここに降りれば、拘置所に入ったと偽装できる恐ろしく便利な施設なのだ。
車に乗って運転席に河合、後方の席に羽月が座る。
車を走らせ始めたところで、静かに河合が話し始めた。
「私が気にしても仕方がないのは分かっているのですが、邪霊の方はどのようになっているので?」
安全運転に気を使っているのか、あまり羽月の方は見ないでミラーから羽月と目を合わせた。
「仕方なくても、気にしていいと思うよ?私もそれに関しては何もできないし。ちゃんと破邪師に行ってもらってる。あの刑事には言わなかったけど、破邪師かなり命懸けなんだよね。まだ意思も希薄な軽い奴ならいいのだけど…」
羽月は真面目に低めの声で静かに話す。
(それに、今日の担当って......)
頭の中で、今日の資料を手繰った。
人の命はどうでもいいといったが、やはり死にたくない知り合いには死んでほしくないものである。
命の価値が不平等というのもここに由来するのだがこれはまた別の話。
「そうなったらどうするのですか?」
向かった破邪師を心配するように彼は言った。
「その時は一旦退却。更に実力のある人に来てもらう。とはいえ、逃げ切れるかどうかもまた難しい問題なんだが。」
眉間に皺を寄せ、溜め息をつく。
何もできない自分を心のどこかで恥じているのだろう。
「祈るしか、ないということでしょうか?」
河合は少し考えてそう結論付けた。
「そうだね。私たちにできるのはそれだけだ。」
羽月は目を閉じ、黙祷をする。それ以降車内で会話は起きなかった。
ただ、静かな時が流れていく。
<次回>「破邪師」 8月11日投稿予定




