~ ⅶ,それでいいの ~
翌朝、効果音をつけてフナに餌をやっていると、乱暴に鍵を回してお母さんが入って来た。まさか目の前に私がいるとは思わなかったんだろう当然だけども、引きつった顔をして仰け反るとは酷いものだ。
「……おかえり」
まばたきを繰り返すお母さんの後ろで、久しぶりに見たお父さんが力なく「ただいま」と返事をした。お母さんは、なんとか復活し、中へ入ろうとするお父さんを阻止して一昨日履いて行ったパンプスを脱ぎ捨てた。
「アスカに話があるの」
絶対に、スターの真似なんて出来ないだろう足音をさせ、お母さんは無言のお父さんを引き連れてリビングへ向かった。
お父さんはちらりともフナを見なかった。勿論、フナの前にいた私も。彼の中でどちらも同じ位置に落ちてしまったんだろう。
食べ終わって沈んで行くフナに、私は敬礼した。
「見事に戦いきってみせましょう!」
……だけれど、意気込みは十分でもリビングの冷えた雰囲気に勇気が怖気づく。もしスターだったら、もしリンリだったら、そればかりを頭の中で捏ねくり回し、並んで座ることも向かい合うこともやめた二人に近づいた。
お母さん、そこは私の席だったはず…
そんな文句を言えるわけもなく、何がめでたくてお誕生日席に座らねばならないのか――その答えは二人が知っている。
「ねえ、アスカ」
お母さんが私の尻が浮いたままでも構わずに真剣な目をさせた。
「昨日、大ちゃんから聞いたかもしれないけど、お母さんとお父さんね、離婚することにしたの」
「うん」
「それでね、アスカはお母さんとお父さん、どっちと一緒に来る?」
吉成さん家の自慢の息子を昔と同じ呼び方で持ち出すお母さんは、狡くて、傲慢で、我が儘で、綺麗だった。記憶の中より随分くたびれてしまったお父さんは、まるで自分には関係ないという態度。二人はすでに別々を歩いていた。
「お母さんに着いて行ったら、あの顎ひげも一緒なの?」
ちょっとムカついたから撃ってみた――さすが私、スターが憑依して見事にお母さんを直撃だ。間抜けと怒りと驚きと…あとはなんだろうか、目まぐるしく、そしてあっという間にお母さんは口を一文字にして黙った。
それを見ていたお父さんが、おずおずと「私と来るのか?」と言った。
来るか――じゃなくて来るのか……
私の存在なんてそんなものかもしれない。折れそうになる心を叱咤して、どんな困難にも諦めないスターとリンリの姿を思い描き、テーブルの上で組んだ手に力を入れた。この冷静さはもしかしたらリンリだろうか。
「お父さんに着いて行ってもフナのようになるの? フナとずっと待っているの?」
お父さんは項垂れた。
愛情は貰えるかもしれない。でも、あのフナさえ忘れられてしまうのだ。異常事態に弱い人間に、人の世話も、フナの世話も出来ない。お父さんだけじゃなく、お母さんもだ。二人にとって私は娘じゃない。なくなってしまったんだ。
自分の道はきっと諦めること。それ依然に選択肢が少なすぎる気もするが、久しぶりに三人でテーブルを囲んでもあの日の温かさはない。
お父さんの落ち込みようを見て、少しだけ元気を取り戻したお母さんが「それじゃあ、どうするの?」と荒い口調で聞いてきた。
二人が離婚することは譲れないから、二人を責める私をせっつく。駄々をこねるなと言わんばかりの目つきに私は笑った。
「お祖母ちゃんのところに行きたい、お祖父ちゃんが死んでからひとりになっちゃったし」
どうせ私が邪魔でしょ――を呑み込んで「それでいいの?」とほんのり表情が明るくなったお母さんの問い掛けに、「お祖母ちゃんが大好きだし」と答えた。
私は、スターだ。
唯一の友を撃った。
けれど、誰にも責める資格なんてない。原因は彼女じゃない。最善を選んだだけでまだ生きている。リンリのための墓標を立てるんだ。私は忘れない、って。
それから一週間後、お祖母ちゃんのいる地方へと出発した。
:イラスト:
長岡更紗さん主催の企画にて、[知さん]よりいただきました。ありがとうございます!




