第168話 九州国分
大変遅くなりまして申し訳ありません。m(_ _)m
どうにか年度内にあげられました。
(西暦1587年) 天正十五年 四月二十六日
薩摩国 川内 医王山正智院 泰平寺
薩摩国最大の河川、川内川。天井川でもある大河が川内盆地とも呼称される平野を南北に分断している。
その平野の北側に広がる奈良の時代より続く歴史ある泰平寺の大伽藍は黄地に桐。豊臣の氏と共に帝より下賜され、後に相国桐と呼ばれることとなった五七の桐の戦旗が一帯を埋め尽くすが如くはためいている。
「金武相公様。琉球からの馳走、真に忝く。ささ、上席に」
本陣として接収した伽藍の一室、豊臣水軍の侍大将として水軍衆の取り纏め役を務める小西行長。豊臣の水軍大将となってから真っ黒に日焼け、相撲取りの如く目方を増やしまくって貫禄を増した侍大将が石高は兎も角、殿上人でもある貴人の真三郎に首座となる誕生席を進めてくる。
「いやいや。此度は琉球国よりの援軍として参っておりまする。手勢にもあきらかに不足しており皆様方の纏め役などもっての外。小勢の客将なんぞ、なにとぞ末席への参画のみで」
「なにをおっしゃる。友軍ならばなおさらの事、せめて、こちらに」
元は秀吉とも同輩、一回りは年長で信長に取り立てられた志摩の海賊大名九鬼嘉隆が真三郎に席を譲りひとつ下座に移る。なんとしても手柄が欲しい血気盛んな秀吉の子飼いの三将とは少しばかり温度差が垣間見える。
「そこまでおっしゃるのであれば」
「では、皆々様。改めての軍議とまいりましょうか」
板盾を四枚並べた机の上に川内盆地と薩摩大隅の絵地図が広げられる。
(川内は兎も角、鹿児島県の形すら適当過ぎるな。水軍だし、もう少しましな地図ぐらいもってるかと思ったが・・・)
「平佐の城代桂忠昉は防備を固めており、義久よりの開城の命にも従わぬようで」
既に島津の当主義久は日向方面軍の総大将である秀長に対し降伏を申し入れている。
真偽を確かめるが、薩摩隼人の意地を見せようと思っているのか、今のところ城を明け渡す気配はない。
「ふむぅ。平佐の城は島津一族直轄の城で前年には大きく手もいれていたと聞いたが」
加藤嘉明が泰平寺の坊主共から聞き出したという平佐城の備、手勢三百程とを記した紙を中央に並べる。
「とはいえこれだけの兵力差。一戦して踏み潰しましょうぞ」
「左様。我ら船手衆は筑前・肥後では後方に回され、やっと回ってきた戦働きの機会。降伏でもされては面倒。ここは一息に攻め込みましょうぞ」
賤ヶ岳の七本槍の一人であり、今にも突撃したいと脇差の拵えを卓に打ち付けた脇坂安治が声をあげる。
「金武様もご出陣なさりますか」
巨体を震わした行長が上目遣いに真三郎に問う。
「いやいや、我らは既に義久公の義弟。
島津家の家老の采地である種子島の制圧で十二分に軍功は得たかと。
相国様から御主加那志、主への依頼も兵と兵糧の供出のみ。ここはおとなしゅうこの泰平寺の留守居役を務めようではないか」
「おお、それは、それは。籤で何方かにとお願いしなければと思いましたが、金武様が引き受けていただけるとは」
「うむそれは真っ事心強い」
四将が頷きあう。
「もちろん、琉球からの大船は川内川の河口に置いておりますが、兵糧を運んだ小舟をこちらまで持ち込んでおります。
渡河に必要な漕ぎ手らは我らも手配しましょう。それと4人掛かりで運べる大鉄砲もいくつかございます。まぁ、船戦用で開戦の合図ぐらいにしか役に立たぬかもしれませんが打ち手と共にお使いください」
「ほほう、琉球国の誇る船戦用のでござるか?」
「それはもしや、かの雑賀衆の水軍を打ち払った?」
秀吉が家康との覇を争った小牧長久手の戦い。長期間に及んだ戦役の一方面戦ではあるが、紀伊の根来・雑賀宗や四国の長曾我部から秀吉の本拠である大坂城を守り抜いた岸和田沖海戦での一幕。
功を譲られた形となった小西行長があの時の最新兵器かと飛び出さんばかりに目を見張る。
「あれは陸に上げるのは難しく。これは水陸両用、戦場に持ち運べるほど小型のものでございますよ。ご使用いただき気に入りますれば金子しだいで融通いたしますぞ」
船軍での大砲の威力を学んだ行長は紀州攻めに置いて実践投入済みである。
もっともポルトガル製とはいえ旧型、50年以上も前に製造された臼砲でそれ程の成果を出せていない。
小型とはいえ、琉球産の最新式大鉄砲と聞いて食指を伸ばす。
「なるほど。流石は商売上手の卯屋さんやぁ。ごっちゃんです」
「何をおっしゃる常珍屋さん。同じ薬種問屋(死の商人)仲間ではありませんか」
「ふふふ」
「あはは」
「ぐひひ」
「ゴホン!では明朝総懸かりとする。皆々様宜しいか。
陣立は某と淡路殿(脇坂安治)が4千の兵で西より大手口。大隅殿(九鬼嘉隆)と佐馬殿(加藤嘉明)が北より3千の兵で搦手口。敵が崩れやすいよう南西方面をわざと開けましょう。
では、申し合わせた通り、金武様には御手勢に加え残る1千の兵でこの本陣の守りをお願いしたい」
「うむ、任されよ」
どうやら攻城戦に駆り出されることもなく、平佐城攻めの一軍に参加したとの実績だけを確保出来そうになった真三郎であった。
◇◇◇
「ふぅいー 如何にか留守居役をもぎとれたな。そうそう、五七の桐旗を貰ってきたぞ。うちの陣の四方に目立つように掲げておけ」
泰平寺から少し離れた農家を接収した琉球軍の陣地。
青空に黄金色にはためく秀吉の旗を見上げて堺の卯屋の蔵がすっからかんになり、伽哩屋の営業にも支障が出る程の鬱金の売り上げ金を推し量り笑みがついぞ溢れる。
「しかし、留守居でなく形だけでも参陣なさった方が相国様の覚えもよかったのでは」
熱気に当てられたのか軍装のままの真牛が真三郎に不平をもらす。
「城代は桂忠詮といったかな、わずか三百とはいえ八千の大軍相手に未だに籠城するなど鬼島津の中でも死兵であろう。無駄に被害は出したくない」
「で、この後は?」
「まもなく秀吉様の本軍が薩摩出水を出立との報があった。明後日にはもう阿久根からここ川内に入っているだろう。ここで出迎えの宴の準備と、諸将の宿泊場所の手配だな。
河口に待機している馬艦船も何隻か阿久根沖に廻そうか」
「それはよき考えかと。海沿いの道はかなりの隘路だとの話ですし、大軍での行軍は難儀しましょう」
盲目の軍師宗可が羽扇で卓に広げた地図を眺める真三郎をそっと扇ぐ。
「新田神社は四将が連名で禁制を出してどうにか焼失を免れたようだが、国府天満宮、国分寺は惜しかったなぁ」
屋根壁があるだけましな本陣である。寺か神社を自軍の本陣に接収できなかったことについ不満がこぼれる。
「抵抗があったといいますが・・・」
「そうかな。秀吉様の本陣には|一向(IKKO)、本願寺の顕如様に島津荘の荘園で縁のある近衛の左大臣様、藤氏の春日神社系。
それに薩摩では信徒が多く和睦の仲介で高野山から木食応其上人も薩摩に下向しているという真言の寺には手が出せずとも、天満宮系なら・・・」
「まさか切支丹が?」
「さてな、小西殿の兵には多いと聞くが・・・まぁ疑っても燃えたものはしょうがない」
先年にはアウグスティヌスという洗礼名をも公けに名乗りだした筋金入りの切支丹、確かにはち切れんばかりに膨らんだ胸元には肉に埋もかかったロザリオがキラリと光っていた。
行長の軍勢を言葉とは裏腹に疑いの目を向ける。
「まぁ、兎も角、八幡社でなくてようございましたな真三郎様、いえ、源氏の氏長者様」
「そ、そうだな。再建費用をせがまれては困ってしまうところだった。
まぁ、それより留守居として泰平寺に入る準備、それと、急ぎ周辺の家の接収と煮炊き、できるだけの小屋作りを急がせよ」
「はっ」
◇◇
(西暦1587年) 天正十五年 四月三十一日
薩摩国 川内 医王山正智院 泰平寺
ガチャガチャと小札が奏でる金属音の鳴り響く本堂の大書院。現れた綺羅びやかな軍装姿の秀吉が上座に設けられた金泥の床几に腰掛ける。
「島津家当主 島津義久殿 にございます」
外廊の板間には墨染の袈裟。頭を綺麗に丸めた後一歩で九州の覇者になりかけた男が平伏して大相国を出迎える。
「ほぅ、剃髪して出家したのか、義久」
「相国様にはご機嫌うるわしゅうございます。 今は龍伯と名乗っております、俗名島津義久めにございます」
「うむ、くるしゅない。面をあげよ」
「はっ」
「先だって秀長の軍に降伏を申し入れたは承知しておる。また、剃髪しての出頭。不届きであったが島津の降伏の申し入れを受け入れようぞ」
「ありがき次第にございます。日ノ本の果ての田舎者ゆえ相国様の威を知らず、命に背き九州の端で暴れたことを伏してお詫びいたします」
「うむ。殊勝な申出じゃな。じゃが、そなたと忠棟の降伏の申出はわかるが、弟御の義弘、歳久。それに薩摩北部では新納、日向では北郷とやらが未だ抵抗しているというが」
「す、既に降伏する使者を送っているでごわす」
痛いところをつかれた義久からお国言葉が漏れる。
「まぁ、応じぬなら踏みつぶすのみじゃ。肥後、日向は全て取り上げるが薩摩大隅もこれからの働きしだいじゃ。畿内から引き連れてきた兵やそれこそ大友、龍造寺に旗下にいた国人衆も手柄を欲しているでのぅ」
尻に火がついてるぞ、身内の不始末は自分で処理しろと脅しをかける。
「は、ははぁ。い、急ぎ城を明け渡すよう厳命いたしまする」
「一命を賭して謝罪に駆け付けたことを受けて身柄は赦免するが、家の存続はこの後の首尾次第じゃ。急がれよ」
「はっ」
◇
「さてと、弥九郎(小西行長)、甚内(脇坂安治)、孫六(加藤嘉明)。大隅(九鬼嘉隆)もじゃ」
降伏した義久が自らの代わりに質とした甥で養子の島津久保に家老衆の子等の接見に引き渡しを終え、一息ついたところで名を呼ばれた四将が秀吉の前に並ぶ。
「「はっ」」
「川内、平佐城の攻略、お手柄じゃ。義久も薩摩、いや九州の国衆らも畿内の兵の戦ぶりにさぞや肝を冷やしたであろう」
「「ははっ」」
「恩賞は仕置きが済んでからじゃが、まずは感状と太刀じゃ。戦だけでのうて、畿内から九州までの船働きも大儀であったぞ」
「金武殿」
「はっ」
次いで呼ばれた真三郎。琉球国からの援軍という体裁を示すために異国情緒溢れるというか、古式ゆかしいというか、護法の天将像の如き唐風の鎧を身に纏った真三郎が進みでる。
「ふむ。貴殿に命じた琉球国からの馳走、大儀である。義久めにはああ申したが大隅のうち種子島、屋久島の両島はそのままそなたに任せる積りじゃ」
帰沖前に秀吉に命ぜられた琉球国王への二千の兵と二千石の兵糧の供出、どちらも半分程度しか準備していないことから言い訳を用意していた真三郎にことの外上機嫌な秀吉が居並ぶ諸将の前で恩賞の沙汰を漏らす。
「「おお!」」
いきなりの領地の恩賞に居並ぶ諸将からどよめきが走る。
「そ、それは」
「あわてるでにゃーて、琉球国にではないぞ。日ノ本の国土を相国である儂が勝手に国土を切り渡すわけにはいかぬ。琉球国の王弟ではなく、金武朝公、そなたに与える。
ただし、屋久島は儂の蔵入地じゃ。天王山に作っておる大仏様のお入りになる大仏殿。その作事奉行の一人に任ずる。屋久島は銘木の産地と聞く。よって大船をもって柱となる材を大山崎に運ばれよ」
「は、ははぁ」
(ふ、負担付きぃー?それもかなり重そううだが・・・大船持ちが裏目にでたか)
「さてと。戦話はしまいじゃ。
亡き上様は甲斐の武田を滅ぼした後、天下の大名物富士の霊峰を見物しておる。儂も九州薩摩の誇る至宝、桜島から立ち上る噴煙を肴に眺めながらかの砂蒸し温泉にでものんびりと浸かりたいと思うが・・・」
「恐れながら」
「佐吉か」
無類の温泉好きで名高い秀吉。今では讃岐一国の大名となった仙石秀久を有馬温泉とそこへ続く街道整備の名目で湯山奉行に任じた程の湯狂い。折角来たのでとばかりに薩摩での湯治を希望する。
「桜島は薩摩ではなく、大隅国にございます。
また、砂蒸し温泉は薩摩国の最南端、指宿の地にございますれば桜島の噴煙は望めぬかと。さらに申せば湯に浸かるではなく、熱い砂に埋もれるものにございます」
かのザビエルによる日本報告にも記載されてた指宿の砂蒸し温泉。三成の事前調査に漏れはない。
(((いや、そこはそーゆー話じゃないだろう三成)))
「ゴホン。それと、島津の当主義久、いえ龍伯殿は殿下に降伏したとは申せ、薩摩大隅の各地に残る親族衆や、国人衆が未だ殿下に心から恭順したとは言えませぬ。雪崩を打って武田から離れた甲州征伐はいささか事情が異なりまする」
「申し上げます」
「紀之介、よいぞ」
文武二刀流。今のところ病魔の忍び寄る気配は微塵もない。若き英傑が諌言を呈した盟友に助け舟を出す。
「持参の兵糧に、金武相公様が琉球より運んだ1千石足らずの兵糧を加えても些か不安がございます。これから薩摩大隅の各地に動かす兵数を考えても半数程は早めに兵糧を集積している博多の地まで戻すべきかと」
「ふむぅ」
「恐れながら申し上げます」
「おお、朝公か。聞こう」
「琉球国に課せられた兵糧のうち船の手配で遅れた残る1千石は種子島より島津の本拠地である内城、錦江湾沖に運んでおりますが」
実際は塩飽水軍によって豊前に集められた兵糧を急ぎ種子島残留組の三良に手配させた物であるが、見事な琉球産米への産地偽装成功である。
「ふむぅ。儂の手勢は3万もあればよいか。薩摩に入った兵のうち2万は各地の城の接収に向かわせよ。佐吉、差配は任せる」
「はっ」
「2万は秀勝」
「はっ」
「豊前の戦で手柄は十分であろう。そなたが率いて先に博多に戻れ。肥後にいる毛利殿の軍勢も早う領国に戻らせてよいぞ」
秀勝といっても夭折した石松丸秀勝でも、信長の四男で秀吉の養子となり、真三郎の義父の一人である於次秀勝でもはなく、秀吉の姉の次男。
秀次の弟で羽柴秀勝の名と旧領。丹波亀山城主を引き継いだ通称三代目(小吉)秀勝である。
齢僅か十八。愛と夢と幸福感溢れる系の若き連枝衆に武功の機会を与えた秀吉がさらに毛利との外交の経験をふませようとする。
「大隅国の接収は秀長に一任するとして。儂はやはり帖佐で兵糧を補給しつつ桜島見物・・・薩摩に上方の威を示す機会であろう。。
ついでに霧島の湯に浸かりかの地の神宮を参詣。天孫降臨の地を拝もうかのぅ。京で待つお寧や公家衆への良い土産話じゃ。
よいか、儂は高千穂の峰を麓から見物してから博多に戻るとする」
「「ははぁー」」
三成の進言で指宿の砂蒸し温泉は諦めたものの、何が何でも薩摩の地で名湯に浸かることを宣する温泉大好き秀吉であった。
◇◇
(西暦1587年) 天正十五年 五月八日
大隅国 大隅正八幡宮(鹿児島神宮) 神宮寺
八幡神の根本社とも伝わる大隅正八幡宮。
欽明天皇の御代に八幡神がまずこの大隅の地に垂迹し、次に宇佐に遷り、ついに石清水に跡を垂れたとかの『今昔物語集』にも記載されている由緒正しい社である。
源氏の氏神である八幡神を祀る上で有名な両社に劣らぬ歴史ある寺社であり、当然の如くこの社に付随する神宮寺の別当にも真三郎は任ぜられていた。
「相国様。霧島神宮への参詣お疲れでございましょう。今宵はこの寺にてお休みくだされ」
「ふふ。磯兵・・・ではなかった、真三郎もご苦労なことじゃて。
妙見、和気の川湯も実によかったぞ。しかし大隅でもそなたが別当職を兼ねるか、ふふ、朝廷にも困ったものじゃのう」
「いえ、これも源氏の氏長者が務め。実質の別当職は権別当が変わらず果たしておりますし、この大隅正八幡では桑幡・留守・沢・最勝寺の四社家が社の総括を長年執り行っております。某の役は今のところ今宵の相国様の接待のみかと」
「言うではないか。ははは」
「茶頭不在で申し訳ございませんが、趣向を変え、こちらは唐より琉球に伝わり、かの地では好まれる香片茶にございます。花の香で戦火の匂いを御鎮めいただければと」
書院に設けた茶席で琉球から持ち込んだ茶菓子とともに振る舞う。
尤も、鉢のように大ぶりな茶器で炒った玄米と共にワッシャワッシャと泡立て、泡ごと楽しむ琉球独自のお茶。ブクブク茶を準備していたのだが、シラス台地からなる薩摩大隅の水質が合わず断念していたのだった。
「そうか、そうか。それは重畳、重畳。ほほぅ これは大和の茶と香りがだいぶ異なるのうぅ」
小ぶりな磁器の茶碗に注がれた茶の香りを楽しむ秀吉
「所でこの神宮寺。実は、某の生まれる前の話にございますが、琉球の我が采地である金武に観音堂を建立した補陀落渡海の日秀上人が琉球を辞した後。この薩摩の地に渡り再建したお堂であるとか。更に言えばこの寺の資材は拝領した屋久島より調達したとの事にございます」
「ほう。それは実に奇縁じゃのう」
茶飲み話から屋久島の建材と聞いて大仏殿に用いるよう指示したばかりの秀吉も壁や柱の緻密な年輪に目を向ける。
「はっ。更にこの寺。先日川内でご逗留されました泰平寺のご本尊、さらには建立中の大仏様は共に薬師如来様にございます」
「・・・何が言いたい」
茶菓子として持ち込んだ琉球では王室御用達の超高級菓子「橘餅」ではなく、ほんの少しの黒砂糖を使いようやく庶民も祭事に口に出来るようになった素朴な小麦の焼き菓子「タンナファークル」二つ目に手を伸ばしかけた秀吉の動きがピタリと止まる。
「こちらを」
背後からずっしりとした三方を押し出し、架けられた絹布をそっと剥がす。
「これは?」
「恐らくは黄金。黄金が大量に含まれている鉱石にございます」
「き、金じゃと」
何よりも金が大好きな秀吉。金鉱石と聞いて眼の色が変わる。
「はっ。伊予の山中で銅山を発見した山水河原者の件をお覚えでおいででしょうか」
「おおう、もちろんじゃ。もちろんじゃとも。早速、市松(福島正則)より大量の銅の精錬に成功したとの報があったぞ、大仏様の御体だけでなく、屋根も銅瓦で葺こうか迷うたほどじゃ」
「あれは四国の名石、銘木、薬種を探すために山中に派遣した者でしたが、此度薩摩で生薬となる樟の調査を内々に命じた者が偶然黄金の、鉱石の山を見つけたとの報がございました」
「うむむむ。そ、そなた・・」
秀吉の眼の色が暗く、鋭く変わる。
「薩摩に人を入れたは、武力でもって琉球に対し、通商や、綾舟の派遣を要請していた島津に対してなにか手立て、商いの種を求めてであり、他意はございませぬ」
「で」
「薩摩・大隅は地質的に水持ちが悪く、小ささ島国である琉球よりはましでございますが、米の出来が悪ぅようにございます」
「ふむふむ」
「それで不作になると頻繁に他国に戦を仕掛けるのではないかと。そこで琉球で栽培しております甘藷などの作物や薩摩で豊富にとれる物との交易を広げることで両国の関係は安定するのではと」
「甘い、甘いぞ。実に楽天家じゃのぅ其方は。それより何が望みじゃ。このような物を差し出すとは。種子島や屋久島ではやはり不満か、足らんか」
「領地は望んでおりませぬ。頂けるなら肥前の伊万里、有田あたりが・・・ゴホン!いえ、」
「なんじゃ、早う申せ」
「で、では、申し上げます。某、此度の戦。名目上ではございますが、薩摩の無礼を咎める聴聞使として兄王より兵を預かりましてございます」
秀吉の逆鱗に触れるよう表現をかなり弱めに改め(改竄)た尚永王から島津への通告書をそっと秀吉に差し出す。
「ふむ。印判の件はもっとじゃ。九州の諸大名が勝手に船を仕立てぬよう佐吉あたりに手配させよう。
細々とした津料について口は出せぬが、琉球王、いや其方の顔を立て、義久や坊主の何某とやらを謝罪の使者は送るよう申し付けようぞ」
一読した秀吉がさっと断を下す。
吐噶喇の割譲の文面をそっと消していた真三郎である。尤も、より北にある種子島、屋久島を拝領したのであったから、当然吐噶喇列島も含まれていると解釈している。
「では、その金山についても早速手の者を差し向けようか。
そうじゃな、金山の利の七は儂が、二は島津。一割はそなたに進ぜようぞ。真に金が出るならなら目出度いことじゃ」
◇◇
翌朝
「昨晩、この寺のご本尊でもある薬師如来が儂の枕元に現れた。
儂の背後、西に山中を指さすと東方より飛んできた二羽の鳩、八幡神の神使である鳩が山中の大岩に止まったのじゃ。
ほう、まるで牛の双角の様じゃと思うたらそのまま黄金に変じたのじゃ。
これはまさしく、その黄金にて大仏のお顔を化粧せよとの夢告じゃにゃーて、のう皆の衆!」
秀吉の指図により薩摩の山中に分けいった兵が祁答院と霧島の間の山中、山ヶ野の地において夢告通り、赤牛の寝姿の形をした金鉱石を発見。
総生産量28トン日本歴代7位となる産出量を誇る山ヶ野金山の発見であり、山中の捜索中に秀吉暗殺をもくろんでいた島津四兄弟の三男祁答院領主 島津歳久の伏兵を義久が発見。内々に制したことで事なきを得たのは島津家の歴史の裏に隠されたという。
◇◇
(西暦1587年) 天正十五年 六月二十日
山城国 洛北 和使多館
「殿下。堺より文が届いております」
「博多よりか・・・九州の仕置きが終わったとの報せ。相国様も二,三日中には博多を出立するとあるな」
別当として宇佐の八幡宮に顔を出して、駆け足で都に上って半月足らず。
樽金率いる信天改型の大型艦船で生物や単価の高い商品は先に堺に運んだものの、多くの品で商機を逃したり、納品遅れによる後始末に京と堺を奔走してきた真三郎。
元凶とも言える九州征伐の完了を告げる九州からの便りである。
「では、我らも大坂に」
「いやそれより仕置きの結果を」
兵庫津の代官である御牧景則改め、牧志景則を除き、たまたま京の役宅に滞在中の家臣らが真三郎に詰め寄る。
「待て待て、九州の地図、は勿体ないな、代わりに何か描くものを持て!」
「えーまずは先陣となった四国勢・・・仙石様は十河殿の三万石分を加増して讃岐一国を正式に拝領」
未だに草書での読み書きが苦手な真三郎に代わり樽金が読み上げる。
「ほほう。では借財も順調に返済できそうですな」
「兵糧に鉄砲、玉薬。旧式といえ大筒もありましたな」
若狭から蝦夷の乾物に塩等を運んできていた北陸交易担当の伊那忠次と京駐在の東實勝こと東江實勝が支援した不死身の仙石秀久の活躍振りに感嘆する。
「十河殿は日向諸県に五万石で転封」
「そ、それは・・・二万石の加増とはいえ累代の本領であった四国から離されるとは」
「九州とはいえほとんど海に面してないとはな」
「いやいや、それだけではこざいません。代わりに三好の名乗りを許され、摂津芥川に2千石の扶持をとあります」
「畿内に二千石。それも畿内に覇を唱えていた栄光の地でもある芥川と、それは中々。
三好の名跡は一族の笑岩様が秀次様を養子となされて家督があいまいなままでございましたから」
かつては讃岐の国人衆の一人として塩飽水軍と共に三好を支えていた宗可が盲いた目の奥に在りし日の聚光院こと三好長慶との栄華日々を映し出す。
「京、堺では未だに三好の名は十二分に価値がありましょう。十河様も相国様に幾度となく三好の家督についてお願いしておりましたようで」
「で、かつて畿内で天下を制していた三好の名を継ぐにあたり、畿内、本貫地である四国からは離されたと」
(仙石殿の与力の様な立場からは解放されたと)
「長宗我部様は旧領の土佐に加え伊予に二万石」
史実では、武功を焦り、禁じられた野戦に挑んだ戸次川の戦いで見事なまでに島津の釣り野伏に引っ掛かったのか四国勢。
仙石秀久は単身小倉城にまで逃げ出した事で所領|没収(ボッシュ―)となる素浪人追放処分。
長宗我部元親は長子信親が、十河存保、存之の両名に至っては戦場の露と消えるという憂き目にあっている。
真三郎の支援により十分な防衛線を築けたことによる顕著な歴史改変が起きていた。
「薩摩。島津は義久公、龍伯殿に薩摩、実弟の義弘殿に大隅。これは種子島屋久島を除き、さらに肝付一郡五万石は家老である伊集院忠棟に与えると」
「そ、それは何とも」
真三郎と共に薩摩の戦振りを見てきた真牛が懸念を示す。
「確かに危ういな。殿下は島津に火種を残されたか」
「確か龍伯殿には男子の実子がなく、義弘公の子息を養子としていると聞いておりますが」
流石に九州の事情に詳しくない忠次が聞き返す。
「いやいや、当家の所領となった種子島一万石を始め、日向、肥後に配置していた国人の多くが所領を削られておる。殿下の命で所領を増やされた者が居っては面白くあるまい」
「肥後の相良と、佐々は先月の国分のとおり」
「亡き上様の下では殿下の同輩であったとは言え佐々殿に大国である肥後の大半を与えるとは」
家康と組んで小牧長久手を戦いきった反秀吉の急先鋒佐々成政。
厳冬のアルプスを越えるさらさら越えを決行して家康に挙兵を促した程の秀吉嫌いの豪傑である。
長年の不遇を吹き飛ばすかのような大出世ぶりに京雀の間でもかなりの話題になっていた。
「大友殿は此度の役の責や、殿下の軍の到着まで島津を抑えきれなかった不首尾もあり、豊後一国の安堵から国東一郡を除くと」
(国持大名からの転落か、宗麟の下で九州全土に覇を唱えんとした大友がなぁ)
「国東半島は仏教・隣の宇佐神宮の影響が強い土地。切支丹の義統公では抑えきれぬとみたのでしょうか」
「かもしれぬな。代わりに重臣であった立花。
亡き雷神(カミナリ様)こと戸次殿の娘婿であったの立花宗茂殿を「忠義も武勇も九州随一である」と評して筑後柳川八万石で大名にお取り立てと」
「おぉ、かの御仁は相国様に大層気に入られたようですな」
「筑後の戦では大功をあげたらしい」
「父親の功績も含まれておるのでしょう」
筑前岩屋城の籠城戦。城兵700余が総玉砕する奮戦ぶりで島津の九州制覇をあわやの所で食い止めた稀代の名将高橋紹運の息子でもある。
「黒田様が豊前。要所の小倉城は城主として森吉成殿に一郡。代わりに豊後から国東の一郡を加えることで、国持ち待遇と」
「うむ。仙石殿らと同時期に九州に入られ得意の調略を進めていたらしい。目立つ軍功はなくても流石殿下の懐刀、軍師官兵衛殿だな」
「小早川様が伊予から博多を除く筑前一国に転封か。博多は奉行を置いて直轄になさるとあります」
「固辞していたと伺いましたが」
「押し切られたのであろうな」
「龍造寺も島津や大友と同じく家老職であった鍋島直茂殿に安堵した肥前30万石のうち一郡5万石を割いて大名待遇とさなったようですが」
「日向は四国から移る十河殿がほぼ内陸の諸県郡で5万石を筆頭に。三万からの小領に分割。
で、筑前からの、秋月、高橋に旧主の伊東が戻ると。小領ばかりだな」
「筑前で刃向かい一蹴されたと聞く秋月兄弟に対してはかなりの厚遇ですな」
「天下三肩衝、最後の一つである「楢柴」を献上して殿下の下に揃わせた功でしょうか」
博多では三茶頭の筆頭となっている利休が屋外で大規模な茶会を開き博多の商人に九州の諸将に秀吉こそが日の本の文化の守護者であることを披露したことも伝わっている。
「えー肥前は波多と松浦が旧領安堵。大村と有馬も同様だが・・・」
「大村と有馬については長崎の伴天連関係でかなりきな臭いとの噂が・・・」
「長崎、博多では殿下と伴天連とで一悶着あったらしいが・・・」
「九州に移る諸将の旧領と空く伊予は殿下が大坂に戻ってから改めての沙汰とあるな」
「しかし、これはもう一戦ありましょうな」
「その備でしょうか、九州各地に合わせて二十万石を越える蔵入地を設けておりますが」
(これはやはり朝鮮、唐入りの目的?)
「うむ、大友・島津・龍造寺の筆頭家老達の取り扱いに伴天連大名をとりあえず追認しておりますが・・・」
「まぁ、此度は兵糧不足もありましたし、先入りした黒田様の調略が殊の外効きすぎたと言うこともあるかと」
「我らとしては頂いた種、屋久の両島に琉球との交易に支障がないよう注視いたしましょう」
画して秀吉による九州征伐がほぼ完了するのであった。




