第167話 神使の通力
大変遅くなりまして申し訳ありません。
前回まで
秀吉の九州征伐に琉球国として出兵、兵糧の供出を求められた。
尚永王は秀吉への返事を玉虫色とし、対外(明国)的には十年以上昔、登極直後に発生した島津の使僧 雪岑の無礼を咎め、不平等条約となっているあや舟一件を武力解決の為の派兵(使者)として王弟(真三郎)を派遣するのであった。
西暦1587年) 天正十五年 四月十五日 早朝 大隅国 種子島 赤尾木浦(西之表湾)
以後予算が増える鉄砲伝来。
倭寇の頭で老船主、徽王とも称した海賊王、王直。
そのジャンク船に同乗したポルトガル商人が西暦1543年に日本の最南端の小さな離島、種子島にもたらした僅か2丁の新兵器。齢僅か十六の十四代島主種子島 時堯がどの様な先見の明を持って四千両に相当する莫大な銀で購ったのか、島の刀鍛冶であった金兵衛尉清定の試行錯誤の末複製に成功。
伝来の島の名を冠するようになったこの新兵器はあっという間に日ノ本中に拡がり、戦国の世の戦の有り様すら変えた。
そんな曰く付き種子島の玄関口。湾奥の少し小高い丘に築かれた城塞とは呼べる程ではないが、大風対策も兼ねた石壁に囲まれ、二か所にそびえる物見台がわずかに武門の舘であることを指し示す武家屋敷。
後にアコウの城、赤尾木城とも称される種子島氏一族累代の本拠では若き島主種子島 久時が不在であることも相まって払暁とともに突如現れた十六隻の大艦隊に恐慌に陥っていた。
◇
「どうだぁ?島の様子は」
海戦とあってか軽めの胴丸に額当てのみという鬼島津相手の大戦の前でも軽装すぎる真三郎が帆柱の上に呼びかける。
「でーじ、混乱してるみたいさぁ王子様。港内の小舟も慌てて陸揚げ・・・盾代わり? んーただ武装している兵はまだみえないさーねぇ。後、湾内には交易の船もいないみたいさぁ」
最新式の遠眼鏡で浜から町中までを確認している飛漣が最上段に設けられた物見台から町中の状況を大声で説明する。
「うむ。どうやら笠利(奄美大島北部)で手に入れた情報に間違いはなかったようだな」
「ご存じの通り、種子島の島主種子島 久時公は数えで二十の若武者なれど、先代の時堯が島津の当主義久と重臣伊集院忠棟が相婿関係になるよう二人の娘を嫁に出しており、重臣で義弟の間柄。
やはり事前の情報通り、此度の九州攻めにおいてはすっかり島を空にしてまで出陣しているようで」
真三郎とは対照的に着流しに羽扇と錫杖といつもの服装。湾内とはいえゆっくりと揺れる船上をものともしない盲目の軍師宗可が種子島の状況を推察する。
「き、聞くところによると種子島勢の鉄砲隊は流石の精強揃い。かの豊後は大友の誇る重臣高橋紹運殿が籠る要害岩屋城の攻城戦でも大いに活躍したと聞くが」
紹運以下763名全員が城を枕に討ち死にしたという凄惨を極めた岩屋城の戦いがあったのは昨年の七月の頃。
一気に九州統一を目論んでいた島津の勢いを削ぐことになった壮絶な攻防戦は当時大和にいた真三郎らの耳にも入っている。
それから1年近くも士気を落とさず九州各地で戦いに明け暮れている正に修羅の如くな島津勢である。
その後、那覇に来沖していた博多商人より直接種子島の兵も参加していたとの詳細な情報を仕入れていた樽金が身震いしながら種子島兵の姿を浜影に探して身構える。
「ご安心なされ、程(樽金)殿。調べによると上は七十に近い老兵から下は十二に満たない者まで、少しでも心得の有るものは追加で徴用され九州に動員。
鉄砲鍛冶の職人は勿論、包丁の類までかき集めて兵装としたと聞き及んでおります。島に残るは女子供ばかりの筈でございますよ」
及び腰の真三郎と樽金に宗可がゆったりとした口調で楽観論を唱える。
「手傷を負ったものが帰っている可能性は?」
真牛が従軍経験のある療養者の存在にすら気に掛ける。従軍できなくとも鉄砲の腕に影響は少ない筈である。
「相国様の九州渡海で島津は戦線を下げ、一旦薩摩や大隅の本貫地に戻った国人衆もいるようですが、最南端の種子島衆までは下がっていないようで。島主久時公は身内衆の一人として最前線となった日向の都於郡城に入り、今は高城を包囲した秀長様の軍と対陣中かと」
「鬼のような島津勢の中でも鉄砲の数に練度は随一と・・・まぁ島主が不在でなにより、とだな」
主力不在、空き巣のような進軍となったが武人の面目とかは考えない慎重居士な真三郎である。
「まぁ、取り合えず降伏を促す使者は送ったが・・・」
「ただ、留守居の奥方は確か島津の分家より嫁いでいるとか。そう、たやすく応じましょうか」
「島津の鬼嫁…」
三良がぼそっと呟く。
「駄賃を弾んで組屋さん達にも協力を願ったんだ。上手く脅しが効けばいいが」
湾内奥にまで進んだのはジャンク船を雛形とした馬艦船の告天号改二十四号が一隻のみ。
かつて尚円王の時代には明朝より下賜されていたという千五百石積のサイズにまで琉球の造船所にて大型化に成功、更に青銅製の大砲で武装した最新鋭艦で今回は戦用の旗艦として運用している。
湾外にはガレオン船を雛形とした外洋に強い大型の信天号型が4隻に同じく馬艦船の告天号改が5隻。それと大和に帰る途中の交易船が6隻。
ここ種子島沖で別れ、博多経由で若狭国小浜に向かう組屋の船が二隻にその同行船が1隻。大和才府の本来の交易路である四国沖を経由して堺に向かう茜屋と油屋、相乗りの船が1艘。計六隻が港の沖合を後詰めよろしくゆるりと遊弋している。遠目には後詰の軍船に見えるはずである。
舟の操船に必要な水師を別にすると真三郎の元々の動員可能な金武御殿の留守番組を限界ギリギリまで減らして厳選した手勢二百五十に首里王府の付けた保栄茂親雲上の率いる百の兵。
金武で新たに雇用したばかりの新兵が五十。
それと従弟でもある羽地親方池城安頼が真三郎付けてくれた羽地殿内の兵が五十。
まぁ新たに奄美の笠利でかき集めた三十の男衆は田畑を継げないあぶれた次男三男がほとんどで旗持ち程度にしか数えられない。
陸戦では総勢五百にも満たない兵力が真三郎艦隊の実態である。
左右に合計二十門の王威縫砲に日銀砲、文愁砲とそれぞれ飛距離の異なる大砲を積んだ今年就航したばかりの最新艦が臨戦態勢ながら帆を降ろし停泊するが、琉球国の大使、大和才府が乗船している事を示す日章旗に左巴御紋の琉球王族旗、帆柱高く龍神を鎮める為の百足旗等の飾り旗も掲げず、もちろん卯屋の金鴉玉兎の帆も隠したままである。
陸から見ると正に正体不明の中国船の来襲である。秀吉の軍に見せる為に五三の桐の旌旗を掲げるか迷った真三郎だが、宗可の指示で傍目にはわざと倭寇の船にも見える様に掲げられた「八幡大菩薩」の旗だけが艦首に南風を受けてふわりと翻る。
「サバニは六隻。熟練の漕ぎ手を満載していつでも湾外に退避できる態勢を!」
「「「ははっ!!」」」
「浜の監視を怠るな」
「はっ」
旗船からも荷揚げ用の小型船が慎重に海面に降ろされ、艦首に太いとも綱を結ぶ。櫓付きでガレオン船より小回りが利きやすいとは言え何時でも湾外に出航出来る体制を整えてから大砲が並べられた右舷を赤尾木館のある町中に向ける。
◇
「間もなく午の刻、返答の期限を半刻は過ぎたが、動きは?」
「未だ」
「殿。どうやら風が止まりました。もう間もなく浜風が吹いて参りましょう。
真牛殿、甲板に水を。飛漣殿は北の対岸を注視なさってください。あぁ、畳んだ帆にも打ち水をお忘れなく」
「宗可殿は火計があると?城や浜にも動きは見られないが・・・」
突然の指図に樽金が不審がる。
「恐らく。多勢に無勢、なれど降伏するにしても一戦せねば武士の面子が立たぬと考えるでしょうな・・・それに種子島には確か奥の手が・・・」
四国征伐を掲げる秀吉の大軍勢。三好から一度は長宗我部に降伏、その傘下にはいった手前、武士の意地として自らも無謀な籠城戦に挑んだ宗可である。讃岐の名門氏族、香西佳清の名を捨てたかつての戦場のことを思い出したのか、苦いものを噛み締めるように見えぬ筈の町に眼を向ける。
ぴぃゅゆゆゆー ぴゅゆゆゆゆー
突如 北岸、鬱蒼とした溶樹やアダンの生い茂る南国の杜から甲高い鳶の鳴き声の様な異音と共に二筋の閃光が飛び立ち、大量の火の粉を海面に巻き散らしながら停泊中の旗艦目掛けて飛んでくる。
「なんじゃ!」
「ひ、火の鳥?」
「おぉー綺麗な花火か?」
「馬鹿者!何を呆けておる。島からの攻撃じゃ!備えよ」
「み、水を、帆を燃やすでないぞ!」
「海水もくみ上げろ!」
「う、撃ち落とせ!」
「「「・・・・・」」」
「・・・こ、これは?」
「鳩?鳶?」
「鳩ですな」
「鳩・・・?」
「えーと花火の類では?」
真牛が鳥の模型に大型のロケット花火が四本固定されたような物体を鞘で突く。
「話に伝え聞く大明国の攻城兵器。その名も『神火飛鴉』かと」
水に濡れた未確認飛行物体の残骸をもの珍し気に撫でまわしていた宗可が断言する。
「鴉?」
「いや、いや。どう見ても鳩だろ?」
「ゔぅ、まん丸の。生気がない眼が実に不気味な・・・」
航空力学上絶対必要ではない鳩の模型。その視線が定まらぬ虚ろな目に三良もたじろぐ。
「お気を付けください。手桶の水に十分付けましたが、まだ火薬の類が残っておるやも」
手を伸ばしかけた真三郎を宗可が制止する。
「うむーぅ、しかし、実に面白い。翼の角度が・・・これが揚力を・・・一見かざりの鳩模型が舵の役目・・・まぁ勿論、某には見えませんが。あははは」
宗可の指示で世話役の植松往正が謎の飛翔体の寸法を正確に測り、帳面に記載し始める。
「「「そ、宗可殿」」」
「あぁ、陸に動きは?」
「そうだな、しかし浜に兵の姿は確認出来たが、恐れいた様な動きはないな。これ二発のみか」
「帆に火でも付け混乱した所で、乗じる気だったのでしょうか」
押し寄せてくるかと危惧した程の種子島勢の姿は見えてこない。樽金が安堵の声を漏らす。
「しかしまぁ、降伏勧告の使者に返事もよこさず奇襲攻撃を企てるとは、でーじワジワジするさー」
三良も戦の作法に劣る先制攻撃に怒りの溜息を漏らす。
「殿。聞くところによりますと天文年間のこと。異国船に乗った倭寇の海賊がこの赤尾木浦に来襲したそうです」
飛翔体を十分堪能したのか、居住まいを正した宗可が語りだす。
「その折、種子島氏の祈念寺である慈恩寺の住職・日尊上人が深紅の専用法衣を身に纏い、社壇において撃攘の祈祷を行うと、二羽の白鳩が神前の線香を咥えて飛び立ち、湾内に攻め入った賊船の帆柱に止まったとか」
「「鳩?」」
「このため賊船は瞬く間に船火事を起こして島を襲った十六隻もの倭寇船は悉く焼失したとの逸話がございます」
「線香なんぞから火災が起きるか?」
「話の流れを読め三良」
「ん?ん?ん?まさかその線香を咥えた鳩とは」
手桶の水に浸かった二羽の鳩模型に皆の視線が集まる。
「まぁ、同じくこの『神火飛鴉』と同じ物でしょうな。
この島は鉄砲の伝来より昔から大和と明、琉球交易の要所。様々な兵器、花火の類も伝わっておりましょう。
先ほど見たとおり、火花を散らすだけのこの仕様では城攻めなら兎も角、人相手の野戦では左程役に立たちませぬ。
なれど火に弱い船、こと停泊中の船ならば絶大な効果を見込めます。念の為幾つか島に残していたのか、交易で財を成した寺が秘蔵でもしていたのでしょうな」
フフフと笑みをこぼす宗可。
「実は某も塩飽水軍よりこの話を聞いていたのですが、朝鮮との交易では入手の手段がなく」
残念そうに『神火飛鴉』の残骸をつつく。
「知っていたのか。で、どうする?」
「そうですな。まぁ取り合えず報復を。『神火飛鴉』を放った杜の辺りと寺を砲撃。それぞれ四、五発程でも砲弾を打ち込みましょうか」
「て、寺に?」
「ふふふ。慈恩寺は信長公が討たれたかの本能寺 法華宗の末寺ですが、本山の力はとうに衰えております。それに今の住持の月困和尚は久時公の出陣の儀式を執り行い、昼夜軍行祈祷行っているとか。
少しぐらい寺に被害が出ぬことには仏ば・・・ゲフンゲフン」
仏罰との言葉を飲み込んで何も掛けてないがキラリと目の光った宗可が腹黒く笑う。
「そ、そうだな」
「距離は?飛蓮」
「そうさねぇ、飛鴉を放った杜までは三町、伽藍は五町程に海抜は二十丈程と」
最新の遠眼鏡と測量機器で距離と海抜を求める。
正確な射撃に測量技術は必須科目である。
「よーし、日銀砲四機は手前の杜。王威縫砲二機はちと遠いが慈恩寺の伽藍。まぁ一応本堂らしき瓦屋根の建物は避けて斉射せよ!」
「「「はっ!」」」
「残りの砲も反撃に備えて装填準備を怠るな!」
「「はっ!」」
「薙ぎ払えー!!」
ヘッドホン型の耳栓を付けた真三郎が、蟲の群れに立ち向かう女将軍の如く豪快に手を振る。
ドガーン!ドカーン!ドッカーン!ドッカーン!
グァガゴォーーーーーーーー-----------ン!
「ん?」
「「「ん?」」」
「んんん?」
真白の弾幕に包まれた船上のみならず、種子島中に突然耳を劈く不協和音が鳴り響いた。
◇◇
夕刻 華蔵山慈遠寺。 境内
種子島最古の大伽藍を擁する寺院。
琉球や南蛮に向かう交易船の寄港地、種子島において京の町衆の信仰の篤い法華宗かの本能寺の末寺として建立された由緒正しい古刹である。
薩摩の島津のみ成らず直接京の都や堺の町にも通じる日ノ本の最南端ではなく、まさに時代の最先端を走る島の象徴。
鉄砲の製法が瞬く間に堺や紀伊根来寺を通じて広まったのもこの島が黒潮流れる大隅海峡を押さえる海の道の要衝であったことに由来するだろう。
その大伽藍の境内。金堂に真三郎以下琉球北伐軍の首脳陣と種子島の留守居衆が向かい合っていた。
「壊れたのは鐘楼のみか、まぁ鐘が割れたは此方も想定外であったが・・・残念であったな和尚殿」
境内の外れの鐘楼は見るも無残に崩れ落ち、青銅製の鐘は艦砲の直撃を喰らったのか、真っ二つに割れたまま境内の端に転がっている。
「使者のことを知らず、神火飛鴉を独断で放ったは当寺の者。御方様、種子島の民百姓に罪はございませぬ。どうか、この皴首一つで琉球国王子殿下の御慈悲を賜りたく」
深紅の法衣に怪我でもしたのか所々赤く染まった包帯と頭巾で顔半分を覆っている和尚が金堂の床に三倍速で額を叩きつけながら謝罪する。
「華蔵山慈遠寺住持月因和尚。そちらは島主久時殿の室。鹿屋の方でよろしいか?」
「・・・はい」
島津の分家、島津豊州家の出で二十代前半。未だ子はいない筈の妙齢の女性である。
「後、そちらの御坊は?」
「愚僧は種子島久時が叔父。先々代時堯の末弟で日典寺の住持 日式と申す者にございます」
「ほほぅ出家した叔父殿か。うむうむ。よろしい」
「こちらにおわすは、恐れ多くも京の帝より正三位参議の御位を授かり、さらに源氏の氏長者。金武朝公殿下にあらされる」
島津宗家は何時頃からか初代島津忠久を源頼朝の御落胤と称し、江戸時代には鎌倉に頼朝公の墓を建立するなど源氏の直系を標榜している。
まぁ大河で描かれた大泉頼朝の女癖の悪さや、北条に滅ぼされた比企氏に連なりながら後に薩摩大隅日向に越前の四ヵ国の守護を兼ねる程出世する等、鎌倉時代初期にかなり厚遇されたことから八丈島に流罪となった筈の源為朝の子孫を自称する真三郎よりはよっぽど信憑性が高い話とはいえるが・・・兎に角、琉球国の王子と和尚に呼ばれながら、大和での官位を盛大に名乗る。
「「「ははぁ」」」
「さてと。申した通り、殿下は源氏の氏長者。
先の除目において大宰府天満宮の別当に任ぜられた、北野長者の東坊城殿。
厳島並びに宗像大社の別当を兼ねられることとなった平氏長者の大宮殿下」
如何に真三郎が京の都における高貴な貴人かと源平藤橘に北野長者と照れまくる本人を置いて樽金が名前を並べまくる。
「大和のみならず筑前春日大社の別当、藤氏長者の二条昭実様の名代として五摂家の一、薩摩に荘園を持つ近衛家から内大臣近衛信輔殿」
「そして共に豊後、宇佐八幡宮の別当に任ぜられ、九州の鎮護。高貴な方々と並び相国様の征討軍に随行せんが為、九州渡海の途上であったのが殿下であらせられる」
「「「ははぁー」」」
朝廷としても九州各地で影響力を持つ寺社を通してその権威を高めることが出来ると、現任の在地別当を権別当にスライド、氏長者を名目上のトップに挿げて秀吉の九州征伐軍に協力している。
さらに仏教界でも薩摩大隅で多くの信者を得ている准三宮の宣下を受けたばかりの一向宗、浄土真宗の顕如こと本願寺光佐も秀吉側で従軍、薩摩の門徒に停戦を指示しているのだ。
「その宇佐八幡宮、八幡大菩薩の神旗を掲げ、別当でもある殿下に対し、まさか八幡神の御使い。神使である鳩を怪しげな呪にて送るとは・・・」
「ま、まさに神罰。当寺の鐘楼が砕けたのも尤もで・・・わ、倭寇崩れの来襲かと見誤り、独断で折破摧伏の儀を執り行った故。罰は愚僧にのみと」
再度月因和尚が三倍速で叩頭する。
「折破摧伏。・・・『法華経』の五時八教説に依って四箇格言を唱えなさったか」
境内に設けられたままの護摩壇の様子をみて真牛が呟く。
「お恥ずかしき仕儀にございます」
「此度は行き違い。八幡旗を倭寇船見誤ったとな・・・
ふむぅ。確かに、かつて九州北部の松浦党等が八幡旗を掲げて明や朝鮮の沿岸を襲った事ともあったと聞く。
やむなき仕儀と相成ったが種子島としては琉球、引いては金武殿下に戦を仕掛けるつもりは毛頭なかったのだな」
さり気なく真三郎自ら言質をとる。
「はっ。なれば・・・」
「されど、豊相国様より琉球国に対しても参陣の要請があり、某も大和では従三位下参議、摂津は兵庫津に7千石もの所領を頂いている身。
当面種子島及び屋久島の仕置きは某が預かるものとする。よいな?」
「・・・・」
「心配いらん。既に薩摩には高野山に、摂家に大樹やらと和議の為の使者が行きかっていると聞く。もうひと戦はあるだろうが、時間の問題。
また、その方らに種子島の宰領としての面目もあれば、我らも又、豊相国様より参陣の要請があったと述べたばかり、島津殿には激しい戦の後、止む無く下ったと。
そうじゃな我らも島の鎮撫に大勢の兵を充てておることにする」
「・・・」
「よいな?」
「・・・はっ」
「畏まりました」
一族の長老である日式が鹿屋の方に恭順を促す。
「鹿屋の方はこれまで通り、赤尾木の舘に。但し、軟禁として館外での出入りを禁じ、余り残っていないようだが、武具の類は押収させてもらう」
「殿下。かの『神火飛鴉』の残りやそれに関する何んらかの資料。あぁ、玉薬の類もあればこれも念のため押収させてもらいましょう」
日ノ本の南の玄関口、堺と南方諸国の接点にして根来や法華宗の拠点でもあった島である。数ヵ月の琉球滞在で十分に知識欲を満たしていた筈の宗可が種子島でも書籍の類を求める。
「まずは、当面の本陣としてこの慈遠寺を接収。
坊のいくつかを宿として兵を休ませてもらうが・・・見たところ島の農地はかなり荒れておるようだな」
種子島から1500もの兵を引き連れたまま一年近く出陣している。常備兵の織田流れを汲む秀吉の軍と異なり、兵の殆は農民兵である。島の田畑の手入れが不十分なのはやむを得ない。
「はっ。先年からの派兵で男手の多くが薩摩に。田畑の多くが荒れ果てておりまするぅ。徴発だけは・・・」
島に残った女子供だけでは喰うにもやっとの状態である。兵糧の徴用だけは避けようと月因和尚が哀れみを誘う声ですがりつく。
「うむむ。そうか、我らが連れて来た兵の半数は農民上がり、琉球から兵糧の足しにと唐より琉球に伝わりし芋の苗を持参しておる。島に残す兵の兵糧は此方で持ち込むが、寺周辺で手のはいっておらん畑をいくつか借り受けたいが」
「そ、それは勿論」
ほっとした声で日式和尚が代表して要請に応じる。
「あぁ。それと、日式殿には申し訳ないが、種子島氏の血を引く男子として薩摩までわが軍に同行願いたい」
「禿僧が御方様の身替わりの質としてお役立ちするとあらば否応はありませぬ」
◇◇
(西暦1587年) 天正十五年 四月二十日
大隅国 種子島 慈恩寺
「して、薩摩の動きは?」
「種子島が落ちた事は未だ伝わっておらぬかと。島津の眼も北にしか向いておらぬようで。漁業用の小舟も押さえ屋久島を含め、湊の監視は万事怠りなく」
薩摩坊津に潜入した飛漣が集めた情報を樽金に代わり、真牛が読み上げる。
種子島を落とした翌日には卯屋の大番頭の顔を持つ樽金に虎の子の信天型の船四隻を率いて堺に向かわせている。
真三郎らの本業とも言えるのが卯屋である、換金性の高い交易品に秀吉にはあまり見せたくないガレオン船型の外洋船に大型の大砲を積んでいるのだ。
それに元々大和への派兵準備やらなにやらで琉球からの出航が大幅に遅れているのである。南方産の商品の納期もある。取引相手との信頼関係を保つ為にもこれ以上の遅延は許されない。
「相国様の本軍は間もなく薩摩の国境、肥後八代に。先陣も間もなく薩摩川内に入る模様と・・・種子島勢がいるという日向方面は?」
「日向は高城を包囲している秀長様率いる八万の大軍に対し、都於郡城に島津勢三万が集結、援軍に向う構えですが、秀長様も城外に幾つも迎撃用の砦を築いており、最早島津勢に打つ手はないかと」
備中高松城でも用いた敵の援軍を想定した包囲陣である。
「最後のひと当て、起死回生の大博打となるか・・・島津の降伏、和議なんぞが叶う前に相国様の陣に合力、急がねばならんか。薩摩に入ったという先陣は誰だ?」
「小西行長、脇坂安治、加藤嘉明、九鬼嘉隆ら兵八千余と」
「・・・泉州水軍を預かる小西殿に淡路水軍の脇坂に加藤、志摩海賊の九鬼?水軍を率いる将ばかりではないか」
「それに確か淡路と志摩の水軍衆は兵糧奉行の石田殿や長束殿の差配で豊後への兵糧の輸送を任されていたのでは?」
真牛が想定外の面子に飛蓮の報告に疑念を示す。
「水軍としての御役目を果たしたものの、九州北部、秋月との戦には参加できず、今更高城の包囲にも加われなかった為、戦働きでの手柄を欲したのでしょうな」
「先鋒で豊後入りした仙石勢も豊後の留守居として留め置かれたの報もありますな」
報告の束をめくっていた三良が真三郎に手渡す。
「秀長様の日向方面軍だけでも八万を越えるといいますし」
「しかし、淡路、志摩の水軍衆は南周りではないな。まさか豊後から北回り、玄海灘を越えて薩摩に?」
広げられた地図上で行程を検討する。南周りであれば要衝の種子島を放置している筈もない。
「船を打ち捨て、阿蘇を越えての陸路でないならな」
「それはまた・・・」
「脇坂殿、加藤殿は兎も角、小西殿と九鬼殿には面識がある。名乗れば合力は叶うな」
床に大きく広げた九州南部の地図に真三郎自ら模型を並べて各地の状況を整理する。
「しかし、相国様より命ぜられた動員数や兵糧には遠く及びませんが」
真三郎、いや琉球国が秀吉より命ぜられた二千の兵と二千石の兵糧の供出。兵糧は兎も角兵は圧倒時に不足している。
「なぁに、どうせ琉球の弱兵等を当てにはしておらんよ。
琉球の、異国の兵すら相国様の下知に従ったという事実が必要なだけ、まぁ聞かれたら七、八百は占拠した種子島と屋久島に置いていることにしよう」
「そ、それは」
兵数を盛り過ぎと三良も半ばあきれ顔である。
「よろしいかと存じます」
盲目の軍師が真三郎の言を強く肯定する。
「よし、三良は種子島に百の兵と一旦置いていく」
「え!そんな」
「まてまて、留守居ではないぞ。今早船を豊後の府内に送っておる」
「豊後?」
「相国様が尼崎城に此度の九州攻めの為の兵糧を集めていたのを覚えておるか」
「確か兵庫津の城内納に納まり切れない分を卯屋の納屋でも預かっておりましたな」
「殆どは九州博多と豊後に分けてに運び入れる予定だったそうだが、鞆の浦までは順調だが、どうやら瀬戸内から赤間関を越えるに難儀しておるらしい」
既に秀吉の傘下にある水軍衆は要領よく荷を運ぶが、独立意識の高い毛利水軍。更に水軍衆の多くを小早川隆景が譜代衆として九州に引き連れて行った為、周防灘から赤間関で渋滞が発生。折からの大雨もあって兵糧が腐るなど想定外の事態が発生していたのであった。
「それに先ほど飛漣からの報告によると相国様の本軍にいた小西、九鬼らの水軍衆が先鋒として薩摩に入ったとあったな。
豊後から淡路、志摩の水軍が動くだけで九州北部湊は封鎖されよう。恐らく肥後から薩摩方面でも船手不足で兵糧の輸送に難儀してくるに違いない」
「左様にございますな。それと摂津留守居役の牧志殿が塩飽水軍を使って兵庫津で預かっていた兵糧を豊後府内、先遣隊の仙石様あてとして大量に運んでおりますが、うち半分の千二百石ばかりは我らが手配した余剰米にございます。米に産地の区分はございません、この畿内の米を薩摩に」
宗可の羽扇の動きに併せて米俵を模した茶色い石が豊後から種子島にまで移動する。
「手元の兵糧と合わせて千四百石か。三良、お前は塩飽水軍と合流し次第先陣に」
「肥後方面軍は12万を超える大軍と聞きます。これでは僅か五日か六日分にしかなりませんが」
樽金代わりに三良が算盤を弾く。
「本軍十万余のうち、肥後に入ったは八万、龍造寺やら松浦らが降ったとしても肥後各地に派遣し、薩摩本国には五万も入りませんでしょう。これならば僅かな米でも喜ばれましょう」
「うむ。では合流を急ごう。真牛、宗可は告天改型五隻に兵を分散。射程が長い大型の王威縫砲は信天号に移して既に手元にないが、小型の文愁砲ならば徒の兵でも運べて陸でも使えるな」
「それはもちろん」
「鉄砲も三良に五十は残すとして、二百丁はあるか」
「はっ」
真牛がニヤリと笑う。
「種子島から薩摩川内までは坊津沖か、そうだな、甑島の沖で夜を明かせば翌朝には川内川の河口に入れる。うむぅ。流石に告天での遡上は困難だろうな」
波風を避けるには錦江湾に入るのが一番だが、流石に島津の懐すぎる。
「それは流石に難しいかと」
「だな、では軍を陸と川に分けて薩摩川内で秀吉様の先鋒と合流だ」
「流石に上陸用のサバニだけでは兵糧と兵を運ぶのは困難かと」
「運べるだけで良い。上手くいけば、河口で相国様の軍に合流できる。
三良。後は頼むぞ。塩飽水軍が合流するまで旬日とはかからんだろう。その頃には島津も音を上げ和議に応じているだろうから錦江湾をゆるりと薩摩に、飛漣からの連絡をみて豊臣の旗を高々と掲げればよい」
画して島津(種子島)との戦を無血開城して終結させた琉球北伐軍(仮称)。
針路を北に、いよいよ薩摩本国に上陸作戦を決行するのであった。




