解放
22 救出
生き残った修道女達は、かなりの重傷を負っていて、仮にもし、怪我が回復したとしても、後遺症や、心が戻るかはわからないということになった。
一旦宿屋に戻った三人は、状況を整理して、結果また教会を探そうということに落ちついた。
ああなった修道女達からは、もう何も聞けないだろうし、一応洞窟のことは町の常駐警備兵に伝えておいた。
また、時刻はちょうど夕暮れ前、暗くなり始めた空を背に、三人は森に入った。
今度こそ迷わないように、カンテラに明かりを灯し、注意深く辺りを探す。
森の奥まで入ったところで、不意に、先頭を歩いていたティティスが歩を止める。
「誰かいるな」
異変を感じたのはサイトネスも同様だったようだ。
「そこにいるのは誰だ?」
昼間の事もあり、神経が多少ささくれ立っているティティスは、押し殺した低い声で、暗い、木の陰に言い放つ。そしてそこから現れたのは、暗い色のマントを着た女性―シャロットだった。
「あら、残念。 あの聖地からよく生き延びたわね」
女性は歌うように、楽しげにそう呟いた。
聖地……というからには、そこで何が起こったのか知っているのだろう。
「君か? 君があんなことをしたのか?」
ティティスは怒気と憎しみの篭った眼差しで、睨みつけた。
「おぉ、怖っ。 だいたいの予想はね。そもそもそれを狙ってやったんだから」
ティティスは今にも剣の柄を握り締め、女性に向って踏み出しそうになるのを自戒するため、深呼吸をする。
それに気付いて、代わりにサイトネスが会話に割って入った。
「ということは、貴女が事件を引き起こしたと言うわけだ。つまりココットの妹、偽者のココットだね?」
サイトネスの問いに、薄ら笑いを浮かべたまま、シャロットは頷く。
「正直まさか、あそこまでうまく行くとは、思っていなかったけれど……。 結果はまぁ良かったわ。
でも人生って何もかもが、それほどうまくいくわけじゃないわね。
姉のことはあまりうまくいかなかった」
その言葉に、三人に緊張と焦り、そして殺気が宿る。
しかし、そんな三人の態度を可笑しそうに笑いながら、シャロットは片手で制止した。
「あぁ、早とちりはしないでね。
あの人まだ生きてるから。 でもあの子は、最初から死んでいるようなものかしら?
せっかく私が助けてあげようとしても、もう動く事さえままならないような状態だったから……。
あのままだとどれくらい保つかしら?」
シャロットの小首を傾げる動作は小動物に似ている。しかしその言葉に含まれる毒は、毒蛇の如しだ。
「あのお馬鹿さんを助けてあげてくれない?
あの人との間には色々あったけど、私自身あの人の不幸を心のそこから願ったわけではないわ。
それに……」
意味ありげな微笑を浮かべ、少し可笑しそうに間を空けてから「姉妹ですもの」と呟いた。
「じゃあ、そういうことだから。
後よろしくね?」
そう言ってシャロットは木の陰にまた身を隠した。
「待ちやがれ!」
粗野な掛け声とともに、クロイスが後を追ったが、馬の嘶きと駆け去る足音が聞こえた。
そして手ぶらで帰ってきたクロイスは、忌々しそうに舌打ちをしながら、「取り逃がした」と吐き捨てた。
少し時間を食ってしまったが、三人は森のさらに奥へと入って行く。そしてとうとう目的の場所に到着した。
古く、色褪せた煉瓦の色、空からに干からびても壁にまとわりついている蔓草。
教会というよりも、魔女の屋敷と言われた方がよほどしっくりきそうな建物は、柵が僅かに開いていた。
重たい両開きの樫戸を開け、中に入ると、何か一箇所だけ殺伐とした雰囲気が漂っている。
そこはシャロットが、ココットを助けようとした長いすを動かした部分だった。
「……地下室か」
ティティスはそのむきだしの鉄の取ってを掴み、上に引き上げた。
軋んだ音と共に中の光景があらわになる。薄っぺらい白衣を纏い、倒れ付す霧の森で見た色の髪の少女。
「ココット……?」
恐る恐る呼びかけても、何も反応がない。
ティティスは後ろの二人の顔を振り返った。二人の顔は、まだ何ともいえない、という複雑な表情を浮かべていた。
今度は大きな声で呼んでみる。室内の閉ざされた空間の中に、ティティスの声が反響した。
それ以外には何の音もない静寂だ。
地下の人物は、何度目かの声でやっと微かに動いた。本人からすれば、ただ身動ぎしただけかもしれないが、三人にとっては、それが生きているという何よりの証であることに変わりない。
ティティスは縄梯子を下ろして降りていく。
最初から降りていかなかったのは、室内と入り口がそれほど広そうではないということからである。
ティティスは床に足をつけてほっとした。かすかに背中が上下している。
「ココット、ココット・トイトだね?」
そう言って触ろうとすると、ココットの身体がびくりと震えた。
ようやく頭を持ち上げ、かすかにココットの表情を見た時、ティティスは一瞬固まった。
その目は恐怖と憎しみに満ちていた。 顔は窶れ、凄惨な表情を浮かべていた。
「だれ……? いやぁ……来ないで」
虚ろに、魂の抜けるような拒絶の声は、ティティスの姿をはっきり認めた途端、明らかに恐怖に支配され、怯えがあらわになる。
ココットはどんどん隅へ、隅へと後退りしていく。
ティティスはそれを痛ましく思いながら見ていた。
(これではまるで出会った頃に逆戻りだ。)
怯えて、逃げて、何も語ろうとしない。ただ殻に閉じこもり、自分を守ろうとするだけ。
「大丈夫、大丈夫だよココットさん。 僕は君に何もしないよ」
そう言って両手を軽く上げ、ゆっくりと近寄る。
一歩、二歩……。
「いやぁっっ、来ないで、殺さないで。 殺される、殺される」
自分でも言っていることが分かっているのか、ココットは吐き出すように、言い聞かせるように叫んだ。
「僕を見るんだ。 思い出して、誰も君を殺したりしないよ? 君はあの城で家族と一緒に暮らしていた。そうだろう?」
安心させるように、子供に言い聞かせるようにティティスはココットとの距離を目算する。
ココットとの距離はあと三歩ほど。十分に近づける距離だが、不用意な接近はココットを過度に刺激する。
今のティティスには、最も近い三歩だが、あまりに難しい三歩だった。
「違う……。 殺した、殺された、お母さん殺した!
騎士達が殺した!
あなたも殺しに来た、母さんみたいに殺しにきた」
記憶が混濁しているのか、あまりの錯乱のために幼児の時に記憶が戻っているのか、ココットはうわ言のように呟く。
無論、ティティスはココットの母親が串刺しにされた挙句、火をかけられたことなど知らない。
だから余計に意地になって、楽しかった昔の頃の記憶を引き出そうとした。
「君は七歳の時、お城にきた。 王妃様と、王女様と一緒にきたんだ。 そしてお城で働いていた、覚える?」
「知らない……っ」
弾けるような拒絶の言葉。
ティティスが尚も口を開こうとすると、ココットは駄々ッ子のように耳を塞ぎ、いやいやをするように首を振る。そして何度も「聞きたくない、思い出したくない、逃げない」と繰り返した。
そこでティティスは軽くため息をついて、片膝をつくようにしてしゃがむ。
「ココット、じゃあこれだけ聞いて。
僕は君に何もしない、十歳の時、夏の霧の深い肌寒い朝。霧の中に溶けるような木々と一緒に、君は公園にいたよね?
毎日毎日、そこで君は空を見ていた。
そしてある日、君はその公園で声をかけてくれた。
最初は普通の挨拶、そして君は『痛い?』って聞いた。
僕の右頬に手を当てて君はそういった」
ココットは怯えながらも、相手の顔を始めてまじまじと見た。
「『痛くない』って言ってた。
なのにとっても悲しそうで、見てるのがとっても痛かった。だから私は声をかけた、同じだと思ったから。
でも違った。 それでも私は嬉しかった。
私のように人から強制されて、泣くのを我慢するのではなく。自分の意思で、涙を押さえ様としているあなたが、強く見えたから」
ココットは感情を押し出すように、呟き口元を押さえた。そして、自分から少しずつ、近寄り、おずおずと手を伸ばすと、十年前にしたようにティティスの右頬に触れた。
「『痛い?』」
「いいや、痛くないよ」
ティティスが穏やかに答えると、ココットは手を引くまるでその言葉が鍵のように、ココットから錯乱を取り払った。
「順番が違うけれど、もう僕が誰だかわかるよね?
迎えに来たよ、みんなの所に戻ろうココット」
「あなたの名前は〈優しい人〉」
張り詰めていた緊張の糸が、一気に解れたのか、ココットはティティスの方に倒れ込んだ。
倒れ込んだココットの体を、抱きかかえたティティスは、縄梯子に足をかける。するとクロイスとサイトネスの二人が、引っ張って引き上げた。
教会の外はすでにもう暗くなり始めていた。教会を出ると、何かしら張り詰めていた緊張も解け、沈黙に耐えられなくなったクロイスが大きく伸びをした。
「はぁ~、ようやく一息つけたって所か。それにしても一時はどうなるかと思ったぜ。
『近寄ったら死ぬ』っていう気迫があったからさ、本当にびっくりだよな~」
クロイスはココットの憔悴しきった寝顔を、覗き込むようにして言う。
「それほど辛かったんだろう。 何せ七年前、ナストさんがここから連れ出すまで、あの場所で生活していたらしいから」
語尾を濁す様に言ったティティスは、ココットを抱えなおした。
「無駄話は歩きながらでも出きる。 寒いし、宿に戻るぞ、また何か厄介な事に巻き込まれたくはないからな」
サイトネスが辺りを見まわすように言う。確かにこんな暗い森で迷いたくはない。
自分達の歩いてきた足跡や、獣にでも出くわせば動けない者がいる分厄介だろう。
ティティスは二人の少し後を歩き、二人のいつも通りの言い合いに耳を傾けた。




