ニアピン
「確保! 確保おぉぉぉ!」
俺に向かってヘッドスライディングをかまして来る警備隊のお姉さん。
ズシャーッという音と共に、確保された俺はお姉さんともんどり返りながら石畳を転げまわる。
「いでっ! いででででで! は、離して!」
「かくほおおおぉぉぉっ!!」
痛い!
警備隊の金属の胸当てと石畳に顔が挟まれて顔面が縦に伸びちゃう!
骨格が変わっちゃうから! 痩せるならまだしも顔だけ細長くなっちゃうから!
俺と警備隊のお姉さんは、そのままの勢いで壁に突っ込みようやく止まった。
天地が逆転したまま、俺はうっすらと目を明け、自分で突っ込んできたにも関わらずキューっという可愛らしい声を出しながら目を回している警備隊のお姉さんを見た。
いつぞや俺の捜索願いが出されたときにもお世話になった警備隊のお姉さんである。
また捜索願いが出されたのか……。
そうこうしている内に、お姉さんが目を覚ます。
「んばっ! も、目標は……星はどこだ!」
「ここですよ、ここにいます。安心してください」
ガバリと身を起こしたお姉さんはキョロキョロと辺りを見渡し、俺を見つけるなりホッと胸を撫で下ろした。
この人の名前は確か……。
「自分は商業区第二警備隊所属のペリム・ゴーンでありますっ! お怪我はございませんかピョンケル殿!」
そうそう、熱血のぺリム・ゴーンさんだ。
胸に手を当て、足を揃えて敬礼するぺリムさん。
「な、なんとか、大丈夫です」
「それはなによりでありますっ! 実は庁舎の方から貴殿の捜索願いが出されておりまして発見次第可及的速やかに庁舎へお連れしろとの命が出ておりますっ!」
「はい、なんとなくわかります。よっこらっしょ……」
倒れたままでもあれなので起き上がる。
「では庁舎の方へお連れします!」
「いえすいません。ちょっと今取り込み中でして……」
裏路地の入り口の方を見れば、呆気に取られているミルキとモゴサルの姿が目に入った。モゴサルに至っては懐に手を入れたままだ。
さすがに警備隊であるぺリムさんの前なら、モゴサルだって危ない言動はしないだろう。
「取り込み中でしたか! して、どのような用事でしょう! この不肖ぺリム! お手伝いさせて頂きますがっ!」
「ちょ……、ぺリムさん顔! 顔近いから!」
「失礼!」
どうやらこのぺリムさん、興奮すると周りが見えなくなるタイプの人のようだ。エスナンを掛けたらすごく効きそうなタイプである。
正直なところ、負ける気はなくても大の大人に勝てる確証もなかった俺は、これ幸いとばかりにぺリムさんを巻き込むことにした。
「実はちょっと悪者に絡まれてまして……」
「わぁ~るぅ~もぉ~のぉ~? 悪者ですとぉ! このぺリム・ゴーンの前で悪事を働く女がいるですとぉ!」
「女じゃなくて男なんですけどね、ほら、あそこにいる」
そう言って俺は未だ呆然と立ち竦んでいるモゴサルの方を指差した。
「お、男でありますか!?」
「男ですよ」
なんだろう。相手が男だと何かあるのだろうか。
とは言え、ここでこうして突っ立っていても仕方ないのでぺリムさんの手を取ってミルキ達の方へと歩き出す。
ミルキもハッとしたようで、こちらへと駆けて来てくれた。
「だ、大丈夫ピョンケル……。怪我はない?」
「大丈夫ですよミルキ。こう見えて俺は頑丈なんです」
この期に及んでまだ俺の心配をしてくれているミルキ。なんていい子なんだ。
「それより……、ぺリムさん。あの人です。あの人が俺達を虐めるんです」
ぺリムさんの手をクイクイと引っ張り、子供さながらの声でモゴサルを指差す。
モゴサルは俺とペリエさんを交互に見つめ、ようやく状況を把握したようだ。ものすごい形相で俺を睨み付け、懐の中に入れていた手を下ろした。その手には何も握られてはいない。
睨み付ける視線は「この卑怯な糞ガキが」とでも言わんばかり。
今の俺は子供なんだ。使えるものは何でも使わせてもらうさ。
「あ、ああ。ちょっとそこの男性の方? 事情を聞かせて貰えないだろうか。自分は商業区第二警備隊のぺリム・ゴーンという者! 決して怪しい者ではありませんっ!」
ぺリムさんがモゴサルに近寄って行く。流石のモゴサルも警備隊には手が出せないのか、俺を睨み付けていた視線を外し、ぺリムさんへと向き直った。
先程の形相とは全く違う穏和な笑みで……。
「警備隊の方でしたか。いつもお仕事お疲れ様です。事情ですか? はてさて」
「は、はいっ! 何やらこの子達があなたに虐められたと申告してきて来ましてですね!」
モゴサルが指を顎に当て、思案する表情をし、こういい放った。
「いえいえ、虐めなんてとんでもない! 我々はただ、そこのミルキ。ああ、職場の同僚なんですが。彼とたまたま会ったので一緒に戻ろうとしていただけですよ。そこに倒れている同僚が急に具合が悪くなったようでしたので、ミルキに運ぶのを手伝って貰おうとしてたところなんです」
なんて白々しいデブだ!
汚いぞデブ! 卑怯なデブめ!
……あ、人のことは言えないですねすいません。
一瞬だけ怪訝な顔をしたぺリムさんが問いかける。
「な、なるほど。そういうことでしたかっ! ちなみに、そ、その職場というのはもしかして?」
「ええ、『香る栗の花亭』ですよ。どうですか警備隊のお姉さん、アナタも? お姉さんいい女なのでサービスさせてもらいますよぉ」
ふふふ、と笑いながら、……あれは流し目のつもりか? 何やらとてもムカつく表情で、しゃなりしゃなりとぺリムさんに近づくモゴサル。
「じ、自分はぁっ! しょ、しょ、職務中ですのでぇ!! 自分は! 自分はぁ! あぁん!」
モゴサルがぺリムさんにすり寄るように身を寄せ、人差し指で金属の胸当てをグリグリと押す。
おい、あれセクハラなんじゃないのかおい。
「そうなんですか、残念です……。ですが、いつでもお待ちしていますよぉ。サービスしちゃいますからねぇ」
だからその目はなんだモゴサル。ウィンクのつもりか。ぶん殴るぞ!
しかしまずい。ぺリムさんに対応させたのが完全に裏目に出ている。俺がデルドンを殴って気絶させたなんてことを言えば攻められるのは俺になる。
しかもこいつはデルドンが倒れたのでミルキに手伝って欲しいと言った。同僚としてごく自然な言い訳だ。俺を追い返し、尚且つ自分達のしたことは棚に上げ、ミルキを職場へ戻すのにはこれ以上ないくらいの弁解。
このままミルキを連れて帰られると、彼に待っているのはキツい折檻だろう。それは分かりきっている。
俺と一緒に庁舎へ連れて帰り、一時的に保護出来るのならそれが一番望ましい。
ただのエゴなのはわかっている、ミルキの意志すら聞いていないのだから。俺がしたいからこうするという子供染みた願望。
だが、少なくともデルドンを殴り、モゴサルを挑発して間接的にミルキの立場を追い込んでしまった責任は例え自己満足だとしても取りたいものだ。
「すいません、モゴサルさん」
「……なんですか少年?」
イライラが顔に出ているぞモゴサル。
「実は、ある人にミルキを紹介してくれと頼まれていまして。道の案内を頼むがてら、二人で庁舎に行くところだったんですよ。時刻も遅いですし急いでいたので説明できませんでしたけどね」
「……ある人とは? ミルキにどういった要件でしょうか?」
「フェーリスさんです。ご存知ですか? フェーリス・モルと言うんですが。見ての通り俺達は子供なので、暗くなる前に用事を済ませなくてはなりませんから」
もちろん嘘である。
しかし意外な名前が出てきたせいか、モゴサルの目が大きく見開かれた。この街のナンバー2であるフェーリスさんの名前を知らない人間はほぼいない。実質この街の行政をたった一人で取り仕切っているのがフェーリス・モルその人だ。
用事の内容まで突っ込まれると厳しいものの、何かと理由をつけてミルキを庁舎まで連れていってしまえばあとは何とでもなる。
「もしかして……、庁舎に住んでいる兄妹という噂は……少年のことですか?」
「ええ、そうなります」
隠しても仕方ないので正直に答えた。というか噂になってるんだ、始めて知った。
「は、ははは、そうですかそうですか! 少年が噂の!」
そんなに噂になっているんだろうか。少しばかり気になる。
人外魔境であるニプリス山から降りてきた二人の兄妹。確かに噂になっても仕方のないことだとは思うが。
「そうなんですよ。ところで俺とミルキは急いでフェーリスさんのところに行かなくてはなりません。そろそろ御暇させて貰えませんか? 倒れてる男性はこのぺリムさんが手伝ってくれるそうなので……、ぺリムさん! ……ぺリムさん?」
「自分は……職務中なのにそんな如何わしい場所になど……! 自分は! 自分は! ハァハァ……」
ぺリムさんを見ると未だブツブツと独り言を言っていた。
これはもう放って置こう。
「と言うわけで、ミルキ。俺達は行こうか」
後ろで俺とモゴサルのやり取りを不安そうに見ていたミルキに手を伸ばす。
「えっ……、でも……」
「いいのいいの、さあ行こう。では、モゴサルさん。すみませんがこれで」
やり込められてさぞや悔しがっているだろうと思われたモゴサルは、思いの外ニコニコと俺達を見送ってくれた。帰りには手まで振ってご機嫌である。気持ち悪いなあいつ。
その場を後にする時に、聞き取れなかったが「……ーナル様に報……」という僅かな言葉が、少しだけ俺を不穏な予感にさせた。
あと凄くどうでもいいけど、かなり距離が離れたところから「自分はあああああぁ!」というぺリムさんの声も聞こえた。
『香る栗の花亭』=マッチョとデブが女豹のポーズの看板=娼館