最終話 エピローグ:願いの答え
結婚式から、数年の月日が流れた。
グリューンヴァルト侯爵の失脚と、契約婚約から始まった俺たちの顛末は、貴族社会では知らぬ者のいない大事件として語り継がれ、いつしか市井の人々の間にまで広まっていった。噂とは、腹立たしいほどよく回るものだと、俺は改めて思い知らされた。
ある日、王都で名の知れた劇作家だという女性が、屋敷を訪ねてきた。
「このたびの一連の出来事を、ぜひとも戯曲にさせていただきたく、参上いたしました。氷の薔薇と呼ばれた令嬢が、頑なな殿方の心を溶かしていく物語として」
差し出された企画書には、既に仮の題まで記されていた。『氷の薔薇と、化け物と呼ばれなかった男』。あまりに直截な題に、俺は思わず眉をひそめた。
「お断りします。俺たちの過去を、興行の道具にされるいわれはない」
俺は、にべもなくそう答えた。だが、隣に座っていたローザリンデは、興味深そうに身を乗り出した。
「わたくしは、構いませんわ。むしろ、多くの方に知っていただけるのなら、光栄なことです」
「ローゼ、あなたはそう言うが――」
「これまで、顔だけで判断され、苦しんできた方々が、この物語を読んで、少しでも救われるのなら。それは、意味のあることだと思いませんか」
その言葉に、俺は結局、言い返す術を持たなかった。渋々ながらも頷いた俺に、ローザリンデは満足げに微笑んだ。
半年後に発表されたその戯曲は、たちまち評判を呼んだ。「氷の薔薇が、化け物と呼ばれた男の凍りついた心を溶かす物語」として、王都のみならず、地方の劇場にまで演目が広がっていったという。あまりの反響に、俺自身、いささか居心地の悪さを覚えたものだ。
だが、思いがけない変化も生まれた。この物語の流行と前後して、「伴侶を顔で選ばぬことこそ美徳である」という風潮が、貴族社会の一部に芽生え始めたのだ。無論、長年染みついた価値観がそう簡単に変わるはずもなく、旧来の考えに固執する者は、今もなお少なくない。俺自身、社交の場では相変わらず、値踏みするような視線を向けられることがある。
それでも、これから育っていく次の世代の中には、顔よりも人となりを重んじる感性が、少しずつ根付き始めているようだった。ある知人の令嬢などは、家柄も外見も申し分ない求婚者を退け、地味だが誠実な下級官吏の男を、自らの意志で選んだという。「あの戯曲に憧れて」と、当人は照れくさそうに語っていたらしい。世の中を丸ごと変えるには、まだ長い時間がかかるだろう。それでも、確かな萌芽は、そこかしこに芽生え始めていた。
*
その頃、俺たちの間には、二人の子供が生まれていた。長男は俺に似た繊細な顔立ちで、長女は母親譲りの華やかな美貌を受け継いでいた。
長男を初めて腕に抱いた夜、俺は正直、恐れを覚えた。この子もまた、俺と同じ顔立ちを理由に、いつか誰かから化け物と呼ばれる日が来るのではないか――そんな考えが、拭いきれずに頭をよぎったのだ。だが、ローザリンデは、そんな俺の内心をすぐに見抜いたように、隣で静かに言った。
「案じずとも、大丈夫でございます。この子には、ヴォルフ様という何よりの手本がいるのですから」
その一言に、俺は詰まっていた息を、ようやく吐き出すことができた。
「この子たちが、どんな顔に生まれついたとしても」
夜、眠る子供たちの寝顔を見下ろしながら、ローザリンデが呟いた。
「顔がどうであれ、その子自身を見てくれる相手と、いつか出会えますように」
「ああ。俺たちのように、な」
俺は、そう答えながら、子供たちの寝顔を、いつまでも見つめ続けていた。かつて、自分がこの顔に生まれついたことを、あれほど呪わしく思っていたはずなのに。今は、この顔があったからこそ、この二人の子供と、この人に出会えたのだと、心の底からそう思えるようになっていた。
*
ある日、領地の外れに住む貧しい農夫が、壊れた井戸のポンプを抱えて、藁にもすがる思いで屋敷を訪ねてきたことがあった。当時のヴォルフガングの立場からすれば、取り次ぎの一つも通さず追い返してもおかしくない、些細な頼み事だったはずだ。だが、俺は自ら工房に迎え入れ、半日をかけてポンプを直してやった。
「お代は、結構です。困ったときは、お互い様ですから」
そう言った瞬間、隣で作業を見ていた幼い長男が、不思議そうに顔を上げた。
「父上、いつもそう仰いますね」
指摘されて初めて、俺は自分の口癖に気づいた。困ったときはお互い様だ――それは、前世の父が、修理を終えるたびに口にしていた、あの言葉そのものだった。いつの間にか、俺は意識もせぬまま、あの人の口癖を、そっくりそのまま受け継いでいたらしい。
電器屋の店先で、常連客に深々と頭を下げられていた、あの背中。損得勘定を抜きに、困っている者へ手を差し伸べていた、あの生き方。ただ漠然と、遠い憧れとして胸にしまい込んでいたはずのその姿に、今の俺は、いつの間にか、自分自身の手で近づけていたのかもしれない。
――父さん。俺が憧れていた、あなたのその生き方を、こうしてこの世界で受け継ぐことができています。
姿も、声も、もう二度と思い出せないその人に、俺は心の中だけで、そっと語りかけた。
*
さらに数年が過ぎた。
俺は、その後も水車の改良や新たな灌漑技術など、いくつもの発明を世に送り出し、国の発展に貢献し続けた。その功績が認められ、先ごろ、爵位を一段階引き上げるとの沙汰を、王より直々に賜った。かつて「気味の悪い顔の男」と陰口を叩かれていた頃からは、想像もできない栄誉だった。
前世の記憶は、もはや遠い夢のように、少しずつ輪郭を失いつつあった。それでも、ふとした瞬間に、あの日々のことを思い出すことがある。
子供たちが生まれてまもない頃、俺はようやく、前世の全てをローザリンデに打ち明けた。電気も車も写真機もない、この世界とはまるで違う理で動いていた場所で生き、そこで一度、命を落としたのだということ。手記の断片からしか窺い知れずにいたはずの話を、俺自身の言葉で、包み隠さず語った。彼女は最後まで口を挟まず、静かに耳を傾け続け、聞き終えると、ただこう言った。
「そのように大切なお話を、わたくしにまで明かしてくださって、ありがとうございます」
あの夜以来、前世という言葉は、二人の間で隠すべき秘密ではなくなっていた。
ある夜、書斎で古い水時計の試作品を眺めていると、ローザリンデがそっと隣に腰を下ろした。
「珍しく、物思いに耽っていらっしゃいますね」
「――前世では、勇ましい顔に憧れていた。今の俺とは、似ても似つかない顔にな」
脳裏には、かつて憧れた英雄や武将たちの勇壮な顔立ちが、いくつも浮かんでは消えていった。だが、それを言葉にしたところで、この世界を生きる彼女には伝わりようもない。俺は、その名までは口にしなかった。
「まあ。ヴォルフ様にも、そんな時代がおありだったのですね」
「だが、今はもう、そんな顔に生まれ変わりたいとは思わない。もし、来世というものがあるのなら、俺はまた、この顔で生まれたいと思う」
ローザリンデが、不思議そうに小首を傾げた。
「それは、また、どうしてでございますか」
「勇ましい顔になれば、また前世のように、望みもしない女たちに囲まれるだけだろう。だが、この顔なら――誰にも見向きもされず、ただ一人、あなたにだけ見つけてもらえる。それだけで、俺には十分だ」
その言葉に、ローザリンデは、しばらくの間、目を丸くしていた。だが、やがて、これまで見た中で一番柔らかな笑みを浮かべ、俺の手にそっと自分の手を重ねた。
「でしたら、わたくしも同じ願いを持つといたしましょう。たとえどんな時代の、どんな姿に生まれ変わろうとも、必ずあなたを見つけ出してみせます」
窓の外には、あの日と同じように、静かな夜空が広がっていた。
顔で判断されない世界を、俺は手に入れたわけではなかった。この世界も、前世と同じように、人はいまだに顔で人を測り、判じ続けている。それでも俺は、顔がどうであれ、この俺自身を選んでくれる相手を、確かに手に入れた。
前世の死の間際に願った、あの拙い祈りへの答えは、きっとこれだったのだろう。
ローザリンデが、そっと俺の肩に頭を預けてきた。かつて「氷の薔薇」と呼ばれた人の温もりを腕に感じながら、俺は――かつて「化け物」と呼ばれたこの顔のまま、誰にも見せたことのない、心の底からの笑みを浮かべた。
窓辺に降り注ぐ星明かりの下、俺たちはいつまでも、そうして寄り添い続けていた。
〈了〉
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
この話は、「顔で嫌われる主人公」と「顔でしか見てもらえないヒロイン」が出会ったら、という思いつきから生まれました。見た目で苦しむのは、嫌われる側だけではありません。好かれすぎる側にも、同じ深さの孤独があります。正反対の場所で同じ虚しさを抱えた二人が、契約という建前を挟んで少しずつ歩み寄る様子を書いてみたくなったのです。
主人公であるヴォルフガングを思いっきり拗らせた男にしてみました。顔で判断されない世界を、ヴォルフガングは手に入れたわけではありません。それでも、顔がどうであれ、自分自身を選んでくれる人に出会えました。そこにたどり着くまでの全31話、少しでも楽しんでいただけていたら嬉しいです。
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なお、明日からまた別の美醜逆転ものの作品を投稿していきます。
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タイトル:
元カリスマ美容師、美醜逆転の異世界で閑古鳥 ~唯一の常連は、顔を隠した最強の美女3人~




