第57話 影幽奇譚⑨
影喰いの分体との死闘は終わった。
ひよりが、極大の神性を孕む聖気をもって影喰いの分体を一気に消滅させた。
ならば、サイにはやるべき事がある。
走りながら、魔力回復ポーションを飲み干していく。
あまり回復効果は見込めないが、それでも少しは体内魔力を増やしておきたい。
そうしてサイはヘクサリアのもとへ辿り着いた。
ヘクサリアは今も中空から影喰いの本体を封印し続けている。
「貴様よ、遅いぞ!」
「すまん!」
「理由はわかっておる! 少々待て! 仕上げる!」
影喰いの魔王が、ここに来て大暴れしていた。
先ほどまでの暴れっぷりとは一線を画す暴れようだ。
「ふん。どうやら分体が全員やられて腹を立てておる」
個にして全体で思考する影喰いにとっては、もはや気が気でないだろう。
だが、所詮は封印中の身だ。
影喰いはヘクサリアと小間使いたちの活躍によって移動すらかなわない状況だ。
「だが、腹を立てておるのは我も同じゆえ、な!」
ヘクサリアは、サイが来た事を確認すると聖域を展開したまま、畳み掛けるように太陽魔法『極光』を放った。
聖域にも魔力を使用しているため、その極光は最初に比べて弱く見えるが、それでも多くの魔力を使用してヘクサリアは放ち続けた。
上物となる妖魔の塊が剥がれ落ち、少しずつ小さくなっていく。
だが、全てを削ってはいけない。
あまりに削り過ぎると、いよいよ逃げ出すための大暴れを始め、一目散に消えようとするのだ。ここで転移されたら、目もあてられない。
ゆえにサイが叩くのにちょうどいいサイズにしつつ、まだ影喰いにも機会があると思わせる。
相手の虚を突け。
暴れる分、聖域をうまく調整しろ。
こちらがギリギリだと匂わせ続けろ。
絶妙な調整をして準備が整った。
ヘクサリアは合図を叫ぶ。
「仕掛けよ!」
「おう!」
サイは魔導銃をホルスターにしまい、愛用のブレードを鞘から引き抜き駆け出す。
対魔消滅魔法『ホーリーアナイアレーション』とは、対象を立体魔法陣の座標に完全固定し、その中に存在する魔力を、魔法陣内で生成された反魔力をぶつけ、消滅させる――大気のマナに還元する――というサイが使える、とっておきのひとつだ。
この魔法は非常に強力だが、いくつもの欠点が存在する。
ひとつは対象に合わせた魔法陣を生成すること。
そして、もうひとつが空間に楔を打たねばならないことだ。
相手に近寄り、その周囲に魔法陣を展開するための楔を打っていく必要がある。
この魔法を放つため、必須の作業だ。
だが、聖域に封印中の身とはいえ影喰いが、ちょこまか動くサイを許すのかと言えば、そんなことはない。
わざわざ封印されている聖域に入ってきたのだ。
サイに目掛けて全方位から――自身を回復させるため、サイの存在力を奪おうと魔影の手が飛んでくる。
だが、サイは一秒たりとて、その魔手を気にとめることはない。
「そやつは我のものだ! 汚い手で触らせるわけがなかろう!」
最強の相棒が、その魔手を振り払うのだから。
飛び込む影の手の全てに聖属性の魔力弾を正確に撃ち抜いていく。
影喰いは、ある程度削ったとはいえ、それでも巨大な化け物だ。
そんな大型の災厄の周囲を走りまわり、楔を打っていく。
時にヘクサシールドで階段を作り、上まで丁寧にひとつひとつ。
ひとつの楔たりとて手抜かりはしない。
ひより、澪、せっちゃん、銀嶺坊の努力を無駄にするわけにはいかない。
ベテラン冒険者の経験は伊達ではないのだ。
仲間を信じ、役割を果たす。
繋がった軌跡を最後まで――
受けた依頼は、きっちり討伐まで持っていく。
◇
サイが楔を打っている時、銀嶺坊は倒れたひよりを抱え、澪と共に本体の近くまで来ていた。
サイが影喰いの周囲を走り回り、虚空に向けてブレードを振り下ろしている。
楔を打つ姿は、相手に気取られてはいけないため、何も見えない。
ゆえに周囲から見ても、何をしているのか読み取れない。
「あれは……」
「わからぬ……だがサイ殿やヘクサリア様が任せろと言うたのだ。弟子であるお主らは見る必要がある」
澪から見ても銀嶺坊が見ても、何をしているのかわからない。
だが、師であるサイがやっているのだ。
ならば弟子である澪やひよりは、その動きを見る必要がある。
「ひより、見えますか?」
「うん……。見えてるよ、澪ちゃん……」
神霊の力を借りた奥義はひよりから、魔力や体力といった全てを吸い上げた。
極度の肉体疲労もあるせいで、もはや朦朧とした状態だ。
だが、銀嶺坊の仙術のおかげで、なんとかギリギリ意識は保たれている。
休んでいいならすぐにも休みたい。
そんな状態だった。
そんな中、ひよりの瞳を映すのはサイが走り回る姿だ。
「すごいなぁ。せんせ……」
四十代の中年だというのに、ひよりよりも澪よりも誰よりも軽やかに走り回る。
サイの後ろを追いかける影喰いの魔手が、まるで動きに合わせた軌跡を作る。
その姿はまるで……。
「流星みたい……」
どれほどの積み重ねの上に、あの動きがあるのだろう。
あれぐらい動けるようになりたい。
いつかなれるだろうか、あの流星に。
そんな呟きに大声で反応するのは天狗だった。
「カカカ! 一条ひより! 詩人だな!」
「……声うるさいよ、銀嶺坊……」
師の格好いいところが、台無しだ。
大声のせいで意識が飛びそうになる。
そう言いつつ、ひよりの視線はサイを映し続けた。
◇
サイはひたすらに走り回り、ブレードを振り回し、空間に楔を打っていく。
相手が大きければ大きいほど、楔の量も多くなる。
ヘクサリアの攻撃によって影喰いは小さくなったが、それでもかなりの巨体だ。
「貴様よ! 急げ!!」
ヘクサリアの叫びが届く。
聖域を作り、封印を保持し続けるにも限界がある。
影喰いが聖域から出ないように、多くの小間使いたちが対処している。
この小間使いたちの活動にもヘクサリアの魔力が必要である。
更に、サイを影の手から守るために大量の魔力弾を放ち続けている。
彼女は何も言わないが、ハイエルフの魔力にだって限界はある。
だが、ようやくその時がきた。
「待たせた!」
サイはヘクサリアに向けて、手を掲げて合図を出す。
その姿を見て、ヘクサリアも反応する。
「応! ぶちかませ!」
「いくぞ! 対魔消滅魔法『ホーリーアナイアレーション』!!」
掲げた手を振り下ろし、とっておきの魔法を放つ。
サイの叫びに呼応して、影喰いを中心に立体型の魔法陣が生まれた。
長大な影喰いの全てを飲み込むように大量の魔法陣が立体的に形成されていく。
影喰いの『影』本体が地上から中空に上がっていく。
これは魔法陣の中心に影喰いを縛るためだ。
もはや影喰いがどれだけ暴れようとも、この魔法陣から抜け出すことは叶わない。
最早転移する事も叶わない。
続けて、対魔消滅魔法の光が影喰いを襲い始める。
影喰いの核を消滅させんと光が闇に反応し、消滅させていく。
だが巨大な分、消滅にも時間がかかる。
この時間が長いと、影喰いの本体がなんらか悪さを企む可能性がある。
特に目の前の影喰いは、過去に戦った影喰いと違い、わずかながら知性がある。
新宿タワーの影を少し食べたがゆえに。
異世界で戦った時以上に危険な存在に成長する可能性があるのだ。
ならば――。
「とどめの一撃、いくぞ!」
それは、この『ホーリーアナイアレーション』のトドメとなる攻撃。
空間に完全固定し、逃げ出せないようにする第一段階。
次に、多少時間がかかるが、対象の魂ごと消滅させる第二段階。
最後、それでも相手が仕掛けてくる可能性を完全に潰すための第三段階。
異世界で敵対する悪魔を殲滅するために生まれた魔法は、影喰いにも有効だ。
この時、サイは少しだけ過去を思い出していた。
異世界で影喰いにトドメを刺した英雄を。
意思を引き継げ!
あの日見た輝きを引き継げ!
サイが全身に纏っている魔導紋と呼ばれる魔力ブースターを起動する。
魔導紋とは肉体に直接付与する紋章型の魔術補助装備だ。
この紋章を描くことで魔術の起動や制御、増幅させる事ができる。
ただし、その存在は言ってしまえば車におけるニトロのようなもの。
酷使すれば、エンジンを壊す劇薬だ。
だが、それでもやるのだ。
ここで殲滅するために。
サイは残りの全魔力を一点に集中する。
大気の魔力――マナを大量に取り込み、一撃必殺の準備を始める。
禁雅を倒した時よりも多く、今回は自身の後先も考えず、多くのマナを取り込む。
大丈夫、暴発しない。伊達に長年、魔力制御のトレーニングはしてない。
こういう時のために今も鍛え続けているのだ。
影喰いの上物が、対魔消滅の光により、全て消えた。
集めた魔力を全て拳に纏い、影喰いの本体――その影に向けて、構える。
悪を撃ち貫くは、この拳。
「おおおおおおおおおおっ!」
サイの全てを振り絞った魔力は、彗星となり影を撃ち貫く。
影喰いを中心に対魔消滅のエネルギーが爆発し、マナとなり拡散していく。
影喰いの魔王が、完全消滅した。
影喰いの歪んだ影が圧縮され、魔石が出てきた。
その消滅と魔石を見た、サイは一言だけ残すと倒れた。
「サリア、あと頼んだぞぉ!」
仕事は繋いだ。
あとの作業は頼れる相棒に任せればいい。
◇
サイという流星が彗星を放ち、影喰いの本体たる影を撃ち貫いた。
その姿を澪が、ひよりが、銀嶺坊が刮目した。
サイの『とっておき』は、直前に見たひよりの光の奔流にも似ていた。
否、それ以上の光を放っていた。
「よもやだ……。サイ殿があれほどの術を持っておったとは……」
もともと影喰いを倒してもらうことをサイに頼んだ銀嶺坊であるが、まさかあれほどの強さを持っているとは考えていなかった。
仙道を極めた銀嶺坊すら瞠目させる力を見せたのだ。
澪は「さすが先生」と憧れの目で見ていたが、何か叫んだ直後、倒れた。
「先生っ!?」
澪が慌てて、サイのもとへ駆け出す。
だが、その動きはすぐに止まった。
倒れたサイの元へ、すぐさまヘクサリアが中空から降りてきたのだ。
人嫌い。邪魔するものを嫌うハイエルフの女性。
サイの弟子であるせいか、澪やひよりにはフランクに接してくれるが、周囲の人が寄ってくる事すら嫌う。
極めつけは全世界に向けての「私の邪魔をするな」宣言だ。
恐ろしく苛烈と、全世界に見せつけた女性。
そして、サイの偽装結婚の相手。
あくまで相棒であり、結婚は諸般の事情によるもの。
そう嘯く女性が、今サイを膝枕して休ませている。
……何が人嫌いだ。
彼女の顔を見ろ。慈しむような目でサイを見ているではないか。
あんな顔をしておいて、何が……。何が……。
……ああ、敵わないな。
先生の隣、いるじゃないか……。
澪はそう感じてしまった。
多分、この時。
彼女は自身の中にあるはじめての、憧憬とも恋心ともわからぬ、その気持ちに幕が下りた。
◇
ヘクサリアは、倒れたサイを膝枕にのせ休ませる。
「サイ、よく頑張ったな」
対魔消滅魔法を放ったのだ。三段階目のトドメ付きで。
相手によって使用する魔力量に多少違いがあれど、あれほどの相手だ。
サイは体力も気力も何もかも失い、倒れている。
「おい、小間使いども。周囲を警戒せよ。影喰いは散ったはずだが、万が一の可能性がある」
周囲の小間使いたる精霊たちに、ヘクサリアは顔も向けず、そう指示を出す。
影喰いの本体を倒したから問題ないはずだが、それでも万が一がある。
万が一、影喰いの残りがいた場合は、この身を懸けて戦わねばならない。
サイの努力を無駄にするような女ではない。
伊達に何年も冒険者の相棒をやっていない。
そんな彼女の覚悟を受け、精霊たちも動き出す。
精霊からしたら、ヘクサリアの伴侶がぶっ倒れているのだ。
大慌てで周囲を飛び回り警戒を始めた。
そうして、ヘクサリアがサイの容態を確認していると、澪と銀嶺坊に抱えられたひよりが来た。
サイの無事を確認すると安堵していた。
その間に、小間使いたちは次元の隙間まで影喰いがいないか確認し、影喰いの完全消滅を確認。
こうして幽世に潜む影喰いの魔王が、ついに撃破されたのだった。
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