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「良かった。一度お会いしたかったんです」
「お、俺に?」
「はい。……今年の武術大会は、絶対に自分が勝ちます」
そう言うとレオンは、すっと右手を差し出した。
つられるように俺はその手を取って握り返す。レオンの指の付け根は硬くなっていた。剣士の手、というものか。
しっかりと掴まれる感触を味わいながら、俺は恐る恐る結論を出す。
(これってもしかして……宣戦布告?)
どうしよう、と目を泳がせていた俺だったが、耳に入って来たある音を聞いた瞬間、かっと目を見開いた。
まずい。――アリスたんがこっちに来る。
(足音が止まった。ほんのわずかにだが、砂を噛む靴の音がする)
ここで疑問があるかもしれない。
この位置からアリスたんの姿は見えない。それなのにどうして俺は、アリスたんの行動が分かったのか。
実は俺はレオンと話しつつも、聴力だけは常にアリスたんの行動音を拾うことに終始していたのだ。
こうすることで、彼女が走るリズム、速度を常に把握し続けることが出来る。万が一にも転倒、病気、ケガなどがあっては困るからな。
『オレの体を気持ち悪ぃことに使ってんじゃねえよ……』
あからさまな嫌悪を滲ませるヴィルヘルムを無視し、俺は急いでこの場を離れんと立ち上がった。
だが両手に抱えていた大量の『健康野菜ジュース』を前に、しまったと動揺する。
(ど、どうしたら……このままここに置いていっても悪いし、といってアリスたんに直接渡すなんてことは……!)
そこで俺は、驚いているレオンに向けて『健康野菜ジュース』を差し出した。
「わ、悪い! これ、貰ってくれないか⁉」
「え、でもこれ、必要なものなんじゃ……」
「いいから! あと俺がここにいたこと、誰にも言わないでくれ!」
半ば押し付けるような形でレオンにジュースを渡し、俺には逃げるようにその場を立ち去った。
「あ、危なかった……こいつの聴力が無かったら詰んでたな……」
『だからオレの体をなんだと思ってんだよ』
ヴィルヘルムの声を再度無視し、俺はひとまず少し離れた東屋に逃げ込んだ。すると先ほどまで俺がいた木陰に、予想通りアリスたんが現れる。
今日の目標分が終わったのか、額にはキラキラとした汗がにじんでおり、疲労と達成感に満たされた和やかな笑顔を浮かべていた。
(ッ……可愛ッ……!)
出来ることならば、出来ることならば、俺だってあの天使を間近で拝みたい。だが俺が出ていくことで、アリスたんはたちまち怯えてしまう。
寄せては返す波。ああ無情のパラドックス。
俺が悲しみの涙をこらえているとは露知らず、突然ジュースを押し付けられたレオンは茫然としているようだった。それを見たアリスたんは、恐る恐るといった体でレオンに話しかけている。
かすかに聞こえる二人の会話を、俺は一つとして漏らさぬよう、ヴィルヘルムの『超聴力』を起動させた。体の奥で『変な名前つけるのやめろよ……』と聞こえる。
「――あの、大丈夫ですか?」
「あー……はい。多分」
「すごい荷物ですね。ジュース、ですか?」
「そうみたいです……けど」
しばらく逡巡していたレオンだったが、ふと何かを思いついたように顔を上げた。
「あの」
「はい?」
「良かったら、半分貰ってくれませんか」
「えっ、良いんですか?」
「はい。これ『健康野菜ジュース』なんですけど、運動する前か後に飲むと、いつもより筋肉に効く気がするんで」
「は、はあ……」
「……見てたんですけど。君、放課後からずっと走ってましたよね」
「! お、お、お恥ずかしいところを……」
「どうして? 素敵だなあって思って」
「へ……?」
「努力するのに、恥ずかしいなんてことはありません。自分は、そういう人から目が離せなくなるというか……きっと、好きなんだと思います。頑張る貴女が」
はい、とレオンが差し出したジュースを、真っ赤になったアリスティアは「ありがとうございます……」と消え入りそうな声で呟いた。
「良かったら一緒に飲みませんか? 確か、同じ一年でしたよね」
「は、はい。アリスティアと申します!」
「自分はレオンといいます。……これからも、よろしくお願いします」
そこまで聞いた俺は、聴力に捧げていた集中をそっと解いた。そのまま東屋の白い柱に、巻き付くように額を寄せ、滝のような涙を流す。
(ああああーッ! しまったー!)
間違いない。
前後の入りこそ違うが、あれはレオンのイベント『精が出ますね』だ。武芸コマンドを実行した際、非常に低い確率で発生するレアイベントで、運動が終わったアリスたんにレオンが差し入れを渡す、という内容だ。
本来であれば前述の通り、レオンと出会うのは武術大会以降であるため、今このタイミングで発生するイベントではない。
(もしかして、俺がジュースをあげたから、それで……?)
おそらく俺がイレギュラーな行動を起こしたことで、出会うはずのなかった二人が遭遇してしまったのだ。
(しかもなんだあいつ、恥ずかしいセリフをいとも簡単に……!)
レオンの恐ろしさを忘れていた俺にも非はあるが、奴は俗にいう『天然タラシ』というやつだった。
普通の男であれば照れて言えなくなるような、歯の浮くようなセリフであっても、彼は何の臆面もなく言い放つことが出来る。
また好感度の上昇率が他よりも高く、登場さえさせてしまえば、あとは勝手にパラ萌え(注釈:デートやプレゼントをしなくとも、パラメーターだけで勝手に好感度を上げてくれること)してくれる、とまで言われている。
おそらく他のキャラよりも、攻略できる時間が短いための救済措置なのだろう。
だがそのおかげで、出会ってすぐに親しくなり、気づけば惚れられ、甘い言葉をふんだんに浴びせかけられたのち、最終的には『貴女の騎士になります』と熱く見つめられる。
挙句、想定外の美形を晒してくるのだから、当のアリスたんはたまったものではなかった。
実際、『ディートリヒを攻略していたはずが、気づくとレオンエンドになっていた……自分でも何が起きているか分からなかった……』というプレイヤーや、『どうしてもレオンの誘いだけは断れず、結果二股包丁エンドになってしまった』というプレイヤーも多数存在する。
俺自身も、剣に身を捧げるストイックな性格が好きで、三日に一度はエンディングを見ていた時期があった。
その一方で他のキャラを狙っている時は、放置していても勝手に上がる好感度がわずらわしくもあり、嫌いな室内プールに誘いまくった思い出もある。
(それ……俺が作ったジュースなんです……)
まんまと手柄を取られてしまった俺は、柱の影から顔を半分だけのぞかせ、楽しそうにジュースを飲む二人の姿を恨みがましく眺めていた。
そのあと、どうやら剣を習いたいとアリスたんがお願いしたようで、木剣を握ったレオンがあれそれと解説まで始めている。
もう立ち入る隙はどこにもない、と俺はふらつく足取りで二年生の寮へと戻っていった。




