五月二十二日 その2
「はふ~、お腹がいっぱいです~」
ぽんぽんと両手でお腹を叩きながら、満足そうな表情で漆巴守が言う。
ものの数十秒で、アップルパイは一欠片も残らず漆巴守の腹の中に収まってしまった。
「……なあ一色、俺にはかなり大きいアップルパイに見えていたんだが、実は目の錯覚で本当はそんなに大きくなかったとかじゃないよな?」
「はい、間違いなくあれはかなり大きかったですよ。三キロは下らないと思います」
「じゃあ、もうなくなっているのは」
「漆巴守さんが食べるのがとんでもなく早かったんでしょうね」
「まじか」
この面子では一番小柄な漆巴守。よくテレビに出ている大食いタレントと見紛うほどのスピードで、漆巴守はアップルパイを食べきってしまったのだ。
「そういえば私が前に卯美々ちゃんにパンケーキをご馳走したときも、一瞬で食べきってしまったんですよね……七不思議です……」
アップルパイを作った張本人である彩乃もまた訝しげな表情で漆巴守を見ている。いつも俺を睨みつける表情と似ているがほんの少しだけ目を細めており、これはこれでかわいい。
「それにしても……すみません、私の考えが浅かったです。皆で食べれるようにと思ったのです。てっきりもう会長さんは私の料理に耐性がついたものかと……」
……と、彩乃がそう言い終わるか言い終わらないかのうちに、パタン、と生徒会室の扉が閉まる音がした。
「……一色がいない」
「ああ、副会長さんならさっき制服の袖で目元をこすりながら出て行きましたよ~」
その時、ピロン、と俺のスマホの着信音が鳴った。ポケットから取り出しロックを解除すると、画面に一色からのメッセージ通知が表示された。
『僕には最初から食べさせないつもりだったんですね! 酷すぎます! もう帰ります!! ……一色』
「いや~、さささ~っと音もなく扉を開けて、まるで忍者みたいでしたよ~」
どうでもいいといった様子でまったりと言う漆巴守。実際、どうでもいいのだろう。そして、論点はそこじゃない。
「あいつ、あんな事言ってほんとは彩乃のアップルパイ食べたかったんじゃないか……?」
「いや~、それはどうでしょうかね~。いくら美味しいと分かっていても、命の危険を感じてまで食べる人はいないんじゃないでしょうか~」
「……そんなもんかな」
「そうですよ~。~~ふああぁ、なんだかお腹いっぱいになったら眠くなってきちゃいました~。美智子、お願いできますか?」
「はい、かしこまりましたお嬢様」
そう言って先程まで無言でアップルパイの談義を静観していた尾道は漆巴守の背後に回りこみ、
こん、と、
「ふわああぁぁぁぁ~~……きゅぅ」
昨日俺にしたのと同じように漆巴守の首元に手を当てる。するとすぐに、気持ちよさそうに眠り始めてしまった。
「え、えぇ……」
「まじかよ」
明らかに常軌を逸した眠らせ方にドン引きの俺と彩乃。が、尾道はなんでもないといった様子で夢の世界の住人となってしまった漆巴守を片手でひょいと担ぎあげると、俺達二人に笑顔を見せながら軽く会釈をすると、もう片方の手で扉を開けてすぐに去って行ってしまった。ぱたん。
「なんというか、体に悪そうな眠らせ方だな。睡眠薬とは一生無縁になれそうだが……」
「そうですね、起きた時に頭痛くなりそうです」
「あれか、あいつくらいの金持ちになるとやっぱ眠るのにも専門のスタッフが……的なやつか?」
「違うでしょう。……多分。……いやでも、もしかしたら……」
「なくはない、か」
「そうですね、計り知れないです」
「なるほどなぁ」
「そうですね」
「…………」
「…………」
「……俺達も帰るか」
「……そうですね」




