五月二十二日 その1
「つまり、どういうことだってばよ」
「会長さんが見たそのままですよ~」
「それがいまいちよく分からないから聞いているんだ。彩乃も分からないだろ? な?」
「馬鹿なんですか? 私はもう理解しています」
「ほほーそうなのかー。彩乃は賢いなー」
よしよしと彩乃の頭を撫でてやると、不快そうな顔でこちらを睨みつけてきた。かわいい。
翌日。生徒会室。
結局彩乃のパンケーキを食べた衿川は病院送りどころか失神することもなく、彩乃の姿を見るなりお代わりを要求し、断ると教室中に札束を撒いて踊りながらどこかへ走り去ってしまった。その日は戻ってこなかったので早退扱いになったが、漆巴守によると今朝は何事もなかったかのように笑顔を見せながらリムジンに乗って登校してきたそうなので大丈夫だろう。
「薬にも毒にも、人間の体には耐性が備わっているんですよ」
と、これまた何事もなかったかのように生徒会に復帰している一色がそう言った。悪びれる様子もなく、付き合いの長い俺から見れば普段より少し生き生きしているようにも見える。
「はあ。それで?」
「つまりですね、会長や家庭科の先生には天之川さんのパンケーキに対する耐性がなく、一方の漆巴守さん、それから衿川さんには耐性があったというだけの話です」
「その耐性というのは……漆巴守と衿川が金持ちなのと何か関係あるのか?」
「まだ分かりませんか? 天之川さんの料理は、『あまりに美味しすぎる』から失神するんですよね? ということは、『あまりに美味しすぎる』物に耐性があればいいわけです。つまり、」
「つまり?」「馬鹿なんですか?」「つまり~」
「僕達が思っている以上に、漆巴守さんや衿川さんは普段から美味しいものを口にしているということです」
ドヤ顔でさらりと口にする一色。またしてもいつの間にか取り出した伊達メガネがイケメンボイスを引き立てる。うざい。
「……そうなのか? 漆巴守」
「はい~。でも、昨日の夕食は庶民派だったんですよ~? 丼ものです~」
「ほう、庶民派の丼と言うと、カツ丼か親子丼か? それともやっぱり贅沢に鰻丼か?」
「いえ~、たまたま安かったみたいで、フォアグラ丼でした~」
「ハッ! それでも彩乃のパンケーキ程美味いというわけでもないんだろ!? 勝ったな!!」
「会長、目が真っ赤です」
「馬鹿なんですか?」
可哀想なものを見る目でこちらを見る一色と、じっとりとした目でこちらを見る彩乃。
「……話を戻そう、結局、どうしてそこまで美味くなるのかとかは分からないのか?例えば、彩乃の体から食べ物が美味しくなる粒子が出ていて、触れたもの全てが美味しくなるとか。ああ、それなら調査するまでもないな。彩乃、ちょっと手を舐めさせてくれないか?」
「嫌です。気持ち悪いです」
一歩俺から遠ざかりながらこちらを睨みつける彩乃。この反応は予想していた。たまらない。語彙力が低下していく。かわいい。
「残念ですけど会長さん、その目はないですね~。実はうちにあるスーパー昆布歌? で一月ほど染み霊所? してもらったんですけど、どうやら食材に触れる段階ではなんとも無いんですけど、煮炊きなどの加熱処理、例えばカレーだったら野菜や肉を切る段階では問題なく、ルーを入れて鍋をかき混ぜる、といった操作をしたら飛躍的に旨味成分が増したそうなんですよ~」
「漆巴守さん、スーパーコンピュータでシミュレーションですよ」
「あれ、私と卯美々ちゃんが仲良くなったのって、二週間前くらいじゃなかったっけ……?」
「まあまあ、細かいことはいいじゃないですか~。もうこれで彩乃ちゃんも心配なくクラスに復帰できますよ~」
「そうだな、詳しいことは結局わからなかったにしても結果オーライじゃないか。あまり深入りするつもりはないが、自分の料理について疑問や不安に思ったことだって一度や二度じゃないだろ? そのわだかまりも解消されて、良かったじゃないか」
「……そうですね、会長さんの言うとおりです」
雨降って地固まる、とはこのことを言うのだろう。最初のうちこそどうなることかと思いはしたが、結果的にここでまた皆で集まることができたのだ。
「それでですね、皆さん」
ふう、と俺が一息ついたところで、彩乃は少しもじもじしながら話し出した。
「ん? なんだ?」
「実は……お礼のつもりで、これ、作ってきたんです。見てもらえますか?」
彩乃が自分の鞄の中から可愛らしい水玉模様でラッピングされた弁当箱を取り出した。
「私の料理がそんなに美味しいなら、その、喜んでもらえるといいな、なんて……」
彩乃がラッピングを取り去り弁当箱の蓋をあける。果たして、中に入っていたのは、
「……アップルパイ」
スーパーで菓子パンと並べて売られているようなごたごたした物ではなく、ちゃんとした洋菓子店で作られるような立派なアップルパイだった。死ぬほど美味いかどうかは置いておくとしても、彩乃自身の料理の技術が非常に高いのは疑いようのないことだろう。
「どうでしょう、皆さんアップルパイお好きですか……?」
彩乃は相変わらずのジト目だが、その瞳の奥からは多少不安の色が伺える。先程からやたらと「馬鹿なんですか?」を連呼していたのも、その感情の裏返しなのだろうか。
「ああ、勿論大丈夫だ。けど……」
俺はそっと漆巴守の方に視線を送る。が、漆巴守は俺の視線に気がつくと首を横に振った。
「残念ですけど、やめておいた方が無難ですよ~。会長さんが持っているのは、パンケーキに対する耐性だけですから~」
「でも……それでも……」
「会長さん?」
「会長?」
「ジト目の女の子が作ったアップルパイを見逃せるわけないだろ! 無難? 絶対に危険だというわけじゃないんだな! 上等! 虎穴に入らずんば虎児を得ず! 一欠片も残さず食ってやる!!!」
俺は漆巴守と一色の静止も知ったことかとアップルパイに飛びかか――ろうとするが、すんでのところで何者かに後ろ襟を掴まれる。
「会長さん? あまりお嬢様の手を煩わせないで下さいね?」
……漆巴守家のメイド兼運転手、尾道だった。
今日は昨日のようにぱつぱつの制服ではなく、彼女の普段着というべきメイド服を着ている。
「ど、どうしてここに……」
「お嬢様が必要とすべき時に私はいつでもそばにおります。さあ会長さん、少し黙っていてくださいね?」
「いーやー! たーべーたーいー!!!」
俺は必死に抵抗する。が、やはり尾道の力は強く、振りほどけない。
アップルパイは、この中で唯一彩乃の料理に耐性がある漆巴守が消化することになった。
もうちょっとで終わります。




