幼児体型の好きな変態から逃げようと思います
「よし!わたし決めたわ!やっぱり修道女になる!」
ぐっと握ったこぶしを高々と上げてミナは決意を固める。
誰かに聞かせるわけではないけれど、決意表明は大事とばかりに寝台の上で仁王立ち。
そして、この台詞である。
最初が肝心って言葉もあることだしね。
ついでに言ってしまえば、握られたこぶしの中には婚約証明書。
しわしわぐちゃぐゃの見るも無惨な姿になっているけれど火にくべられなかっただけありがたいと思ってほしい。
まぁ、そんな紙切れは寝台へぽいっと放って、自由への第一歩となる準備を始める。
変態婚約者こと、カイルが何時来るとも限らないので方針が決まったのであれば、ぼやぼやしている暇はないのだ。
婚約者だとは認めてるんですね?との声が聞こえるけれど、勿論、認めてなんていないわ!
ただ、書類上はそうなってしまったから言ってみただけなんだから!
そんなことは兎も角、逃亡準備は迅速且つ的確に行わなければならない。
クローゼットへ頭から突っ込んであれこれ物食する。
数日分の下着に寝間着。
普段着になるような質素な服は一応伯爵令嬢であるミナは残念ながら持っていないので道中で買うことにする。
後は当面の資金だけど……金銭の持ち合わせは僅かなので、それほど華美ではない宝石の類いを幾つか鞄に放り込んだ。
華美では無いがそれなりの金額にはなるはずだ。
他には……特に思い付かないから、もうこれでいい!
公爵家の後継から逃げるんですもの、何を仕掛けてくるか分からない。
荷物は軽いほうがフットワークも軽くなって逃げ切りやすいってものだ。
そんな大して物が入っていない鞄を片手に慌ただしく部屋を出ると、階下で呼び鈴の音が聞こえて眉を潜める。
まさか!もう来たの!?
ミナの行動を予期していたかのタイミング。
違う方の可能性もあるけれど、こんな早朝と言ってもよい時間に客人が訪れるとも思えない。
だとすれば、この客人は十中八九カイルで間違いない。
知らず溜め息が溢れる。
玄関から堂々と出掛けようと思っていたのにこれでは出るに出られない。
ならば、裏口から出るまで!
急いで階段を駆け下りて裏口まで全力疾走。
途中ですれ違うで家人が、何をやっているんですかお嬢様、と言いたげな視線を送ってくるけれど、そんなことは気にしない。
変に足を止めてカイルに見つかってしまったら一巻の終わりですもの。
漸くたどり着いた裏口前で膝に手をあて息を整える。
年頃の娘がする格好ではないが、これでも深窓の伯爵令嬢。
体力はそれほどない。
それに体格も小さいから普通の人よりも余計と体力が必要なんだと思う。
リーチが短い分せかせか動かさないといけないわけだから。
そして、息が整うのを待つとドアノブを両手で握りしめた。
古ぼけた裏口の扉を決意新たに睨み付けて、気合いを入れる。
よし!いくわよ!そんなかけ声と共に勢いよく裏口の扉を開けた。
あぁ、これでわたしは自由を手にすることができるんだわ!
頭に浮かぶ妄想に心踊らせるも、そんな喜びは急激に萎んだ。
それは何故って?
裏口を囲むように黒づくめの屈強な男達が待機してるんですもの!
だから何も見なかった振りをして扉はゆっくり慎重に閉めたわ。
本当に誰の仕業だ!
言わずもがなのカイルの仕業だとは思うけれど両親の策略とも考えられる。
娘をおめおめ逃がしてしまったらカイルから何を言われるか分からない。
そんな思いが透けてみえて嘆息する。
まぁ、両親が企んだとしても原因はやはりカイルにある。
だから、中々用意周到な変態婚約者にここまでするか!と悪態を付いた。
でも、まだ諦めたわけではない。
今度は裏口から元来た道を戻る。
途中ですれ違う侍女をついでとばかりに取っ捕まえて必死の形相で言い募った。
「貴女のお着せをわたしに譲って!」
驚きで声が出せない彼女の返事を待つ時間的余裕もない。
だから、がしりと手首を掴んでそのまま一緒に連れていく。
引きずる勢いで侍女を引っ張り、自室まであと少しの所でタイミング良く執事を見付けて呼び止めた。
「お客様がカイル様であるならば、なるべく時間稼ぎをして頂戴!」
いきなりの願いに執事は若干狼狽える。
「そ、そんな公爵家の方を待たせるわけには参りません」
最も答えではある。
けれど、ミナも言葉を取り下げることはできない。
執事にニヤリと笑ってとっておきの言葉を告げる。
「では、あの事言ってもいいのね?」
こんな時の為に弱味を握っておいて正解だった。
途端に顔色を変える執事によろしくとだけ言いおいて侍女と共に自室に入った。
入って早々侍女のお着せをひっぺがす。
きゃーきゃー侍女は悲鳴をあげているけれど女同士なんだから、そこまで騒がなくてもいいと思うのだけど。
我ながら鮮やかな手捌きで侍女のお着せを脱がし終え、次は自分のドレスもちゃっちゃと脱ぐ。
そして、ひっぺがしたお着せをさくさく着る。
だけど………鏡で確認する必要も無いぐらい胸だけ大きい。
目測で同じぐらいの侍女を選んだつもりだったけど、予想に反して我が胸は相当小さかったらしい。
でも、まぁいいわ。
こんな時の為に手作りした極厚胸パットを入れれば問題もない。
AAAカップをBよりのAカップに変えてくれる素敵なアイテム。
そういえば荷物に入れるのを忘れていたけれど今忍ばせてしまいましょう。
押し上げる胸もなく胸の部分はパカパカのコルセットにせっせっとパットを詰めて、自分の姿を再度鏡で確認する。
まぁ、見られるようにはなったとは思う。
よし!今度こそ戦闘準備完了。
服をひっぺがされてしくしくと泣いている侍女には悪いけれど慰めてる暇もないのでクローゼット内のどれでも好きな服を勝手に持っていってと言いおいて、また部屋を出る。
折角、使用人に化けたのだから何処から出ようと問題は無いが正面突破はカイルがいる可能性もあって難しい。
だからと言って、またあの屈強な男共が待ち構える裏口に行くのも憚られる。
ならば、家族のサロンから出てしまおう。
あそこであれば庭に続くテラスもあるので外に出やすい。
仮にカイルが家の中に通されていたとしても行き先は応接室。
かち合うこともないだろう。
そんな余裕からサロンまではスキップと鼻歌で移動してしまったほど。
でも、サロンにいざ入れば何故か両親が揃ってソファで寛いでいた。
まぁ別に家族の憩いの場であるからして、寛ごうが何しようが勝手ではあるけれど………変態の相手はどうした!
こんな場所でまったりしていないで変態の足止めがあんた達の役目でしょーが!
心でそんなことを喚いているミナに母が不快感も露に眉をひそめる。
そんな顔をされる謂れもないけれど、言いたいことがあるなら言って見なさいよとばかりにねめつければ母は重たい息を吐いた。
「……ミナ。貴女なんて格好をしているの?……それにその荷物。一体何処に行こうというの?」
「わたし、これから修道院へ身を寄せます。長らくお世話になりました。お二人がわたしを売ったことは生涯忘れません」
ミナがこんなことを言えば後ろめたいことが満載の両親は顔を引き吊らせる。
そんな顔に多少溜飲は下がるものの本当はもっと色々言いたい。
でも、そんな悠長なことをしていれば逃げることもできなくなってしまうだろう。
視界の隅っこで母がちょっと待ちなさいとこちらに手を伸ばしているが、そんなのに構わず荷物を持ち直しテラスへと進んだ。
後は庭を通って門を越えてしまえば晴れて自由の身。
けれど、そう簡単に物事は進まない。
一歩テラスへ出てみれば美しい立ち姿の男性が一人庭を眺めるようにして立っている。
我が家自慢の庭の片隅に立つ彼はとても絵になっていて、一枚の絵画がのようだ。
けれど、そんなことを考えている場合ではない。
ミナには背を向けているので彼は気がついてはいないはず。
何!?この展開!わたし聞いてない!
大体、執事はどうした!時間稼ぎしろって言ったのに!
絶対、秘密はバラしてやるんだから!
そんな物騒なことを考えつつも、くるりと方向転換して戻った先は両親の元。
「お父様、お母様。なぜテラスにカイル様がいるのですか!?普通、応接室へお通しするでしょ!?」
鬼の形相で伝える娘に母はたじろぎながら言う。
「だ、だって!これから家族になるんですもの。サロンに通したっておかしなことは無いでしょう!?貴女が来るまでお庭を眺めているっておっしゃるからテラスにいるのよ!」
チッとはしたなく舌打ちまでする娘に今度は父が言い募った。
「お、お前もこの縁談は断れないとわかっている筈だ!テイラー公爵家だぞ!逆らおうものなら、この家は潰されてしまう」
ミナはそんな父に無情に言い放つ。
「こんな家、潰れてしまえばいい」
我ながら低い声が出たものだと関心するが、一方、言われた方の父は滝のように涙を流し母に取り縋っている。
はいはい!仲が良いのは結構ですが、立派な中年男性があまり大きな声で泣かないでほしい。
みっともないし、カイルに気づかれてしまうではないか。
ぎゅむっと父のピカピカに研かれた靴を踏みつけ、口元に手を押し付ける。
「お静かに」
こくこくと頷くことで肯定した父に一言も声を出すんじゃないよと目で語りミナはゆっくりと父の口元から手を離す。
けれど、赤子のように父があーあーと何かを訴えてきて「あぁ!?」と返せば「あ、足………」とか細い声で返された。
ああ、踏んづけた足ね。
漸く気づいて足を退かせば父は安堵の息を吐く。
さて、それはそうと両親とじゃれあっている場合でもない。
すぐそこにカイルがいるのだからサロンからは出たほうが良いだろう。
その前に、決してここからカイルを出さないようにと両親に伝えなければいけない。
それだけで逃亡計画の成功率はぐっと上がる。
けれど………そんなことを両親に伝える前にカツンカツンと床を踏み鳴らす音がして、思わずといった具合に振り返る。
そして―――――振り返れば奴がいた。
カイルは目を見開いて振り返ったミナを凝視している。
それもそのはず、今日のミナは逃亡の為とはいえ侍女のお着せ姿。
変態に餌をやるような行為だ。
自分の首を自分で絞めたといっても過言ではない。
どうして振り返ったりしたのよ!わたしの馬鹿!
そのまま背中を向けて出ていけば気づかれなかったかもしれないのに!
まぁ、そんなことを言っても後の祭りである。
出会ってしまったのだから仕方がない。
どう乗り切る?
別人で押し通す?
却下。
では、双子の妹とでも言ってみる?
二人共々引き受けるとか言いそうだから却下。
だったら実は男ですとかはどうだろう?
あー、身ぐるみ剥がさせて確認されそうだから却下。
じゃあ、どうするのよ!
よし!このまま逃げる!
採用!!
脳内会議が終わったと同時にぐっと足に力を入れて一目散に走る!
……………………はずだった。
惚けていたはずのカイルが手首をがっちりと握って、走り出そうとしたミナを自らの懐に入るように引き寄せたのである。
そして、ぎゅっと背後から抱きしめられる。
その際に何故か片方の手がお腹回りを擦っているが、変態のすることなので意味は分からない。
けれど、ぼそりと溢した「お腹ぽっこり」という言葉を聞いた瞬間ミナは力一杯暴れた。
やっぱり変態!
変態だとは分かっていたけど、正真正銘の変態!
いや!無理!本当に無理だから!
こんな人に嫁いだら何をされるか解ったものではないわ!
そんな事を考えながら力一杯暴れるミナではあるが、女性が男性に勝てる訳もなく藻掻いても藻掻いてもカイルの腕の中から逃れられない。
それにミナは体格が一般的な女性よりも子供に近い。
力だってそれに比例する。
だから、この結果はこうなるべくしてこうなった、とはやはり認められないので更に暴れてみたら、すんなりと離された。
あまりに簡単に離されたので、暴れる勢いのまま転びそうになってしまったほどだ。
そんなミナがおっとっと、と体勢を立て直してカイルの方へ向き直れば蝋燭であればもう無くなる寸前だね、というほどドロドロに蕩けた顔をしてミナを見詰めていた。
「昨夜ぶりですね。ミナ」
「ソウデスネ……………」
棒読みの返事にも気分を害した風でもなく、カイルは柔らかい笑みを浮かべている。
というか何気に名前呼び。いつ許した!
まぁでも名前ぐらい好きに呼んでもらって構わない。
大して実害はないし、何となくぞぞーっとして背中が寒くなるだけだ。
そして、カイルは何の気なしにミナの全身を眺める。
それも相当目を細めて。
え?何?
目をぱちくりさせるミナだが、何か悪い予感しか感じない。
「…………お似合いですね?その格好。侍女の真似事ですか?」
それはそうよね!
変態の目には優しい格好ではあるけれど、疑問には思うのは当然。
「そ、そうなんです。花嫁修行の一環で侍女達と一緒に家事の手伝いをしてるんです」
「そうですか。それは良いことですね。貴女が嫁いでこられるのが楽しみで仕方ありません」
にっこりそう言ったカイルに愛想笑いを浮かべるミナはだらだらと背に流れる汗が止まらない。
逃げようとしていたなんてバレてはいけない。
そんな雰囲気をひしひしと感じる。
必死に隠そうとするけれどカイルがミナの傍らに落ちる鞄に目を止めて、そして問うような眼差しを寄越した。
「こ、これは!家事に必要な道具を入れてあるのです!」
そうなんですね、と抑揚に頷くカイルだけど、絶対気が付いている。
ミナが逃げようとしていることなんて。
ミナをからかって遊んでるに違いない。
その証拠に何かを悟ったような顔をして鞄をずっと見ている。
ミナが逃げようとした、という決定的な証拠になると確信しての行動に違いない。
「中身を見せて頂いても?」
見せられるはずがない。
家事の道具では無いということも理由ではあるけれど、中身は下着類も入っているのだ。
そんな物見せられるはずがない。
だから首を振って拒否をする。
そんなミナにカイルは一歩近づいて耳元で囁くように告げる。
「正直に言ったら許してあげますよ」
何をだ!と憤慨したいけれど、いつまでも不毛な問答を続けていたいわけではない。
だから、すーっと大きく息を吸い込んで一息に思いの丈を吐き出した。
「わたし、貴方の元へは嫁ぎません!修道院へ行きます。ですので、鞄の中身は私の身の回りの物です」
そんな宣言に両親が悲鳴を上げる。
ミナの声を掻き消さんばかりの音量に少々耳が痛い。
けれど、そんな両親の努力は少しも実っていないだろう。
だって、カイルがドス黒い物を背負ってミナを嗜めるように凝視しているから。
そんな顔をされたって絶対取り下げませんよ!という気持ちを込めてミナも逆に睨み付ける。
無言の応酬とは、こういうことを言うのだろう。
だけど、カイルが先に目を反らし両親の方へと身を傾けた。
お、わたしが勝ったの!?
少し喜んだミナの耳にとんでもない言葉が飛び込んでくる。
「ミナの部屋への入室許可を頂けますか?」
勿論ミナに問うた訳ではない。
両親に問うたのだ。
ミナが駄目だと叫ぶ前に両親は娘の行動を取り繕うように勿論です、と返事をしてしまっていた。
この人達は何回娘を売れば気が済むのだろう。
怒りに満ちた視線を両親に送るも明後日の方向を見て逸らされてしまう。
逸らされるなら逸らされない位置まで行ってやろうじゃないかと一歩踏み出せば、ミナの腰に何かが巻き付く。
何だと確認すれば、それは腕。
誰の腕かって?
分かりきったことを聞かないでほしい。
勿論カイルの腕に決まっている。
壊れかけの機械のようにぎぎぎ、とカイルを見上げれば恐ろしいほど綺麗に笑っていた。
「さあ、両親の許可も得ました。ミナの部屋に案内してくれますね?」
首をこれでもかというほど振って拒否をするミナにカイルが身を屈めて耳元へ唇を寄せる。
ぼそりと、でもハッキリと告げられた言葉は。
「お仕置きの時間です」
い、いや…………――――――!!