第2話 討伐推奨人数六人
腕章はギルドに届けた。受付の人が奥から古い記録を持ってきて、番号を確かめ、それから、受け取りましたと言った。
持ち主がどんなひとなのかは聞かなかった。配信石へそう報告すると、よかったといくつか流れた。よかったのかな、というコメントも流れた。
「届いたので、よかったです」
わたしにできることした。それだけのことだった。放置されていたものをしかるべきところに返すことができた。
ギルドの人は腕章を布の上へ置いて、なくさないように小さな札をつけた。明るい場所で見て、札の留め金がすこし曲がっていることにやっと気づいた。でも、あれはたぶん、わたしが直すものではないとも思った。
別の日、わたしは灰鐘の迷宮にいた。前のダンジョンよりふたつ難易度が上とされているところの十二層。
天井から細い石の柱がたくさん垂れていて、風が通るたびどこかで低い音が鳴る。鐘に似ているけれどあまりきれいではない。
大きな生き物が歩くと音が順番に近づいてくるので、目で見るより先に何かが来るのがわかる。
配信石には、今日は深い。ひとりで行く階層じゃない。帰ろう。などといろいろ流れていた。
帰ろうという意見は大切なので、わたしはいつも読む。でもその日は採取依頼の鉱石があとひとつだけ足りなかった。
あとひとつというのはたいていよくない。帰る理由にもなるし、進む理由にもなる。わたし次第。
「次の広間まで見ます。いなかったら帰ります」
たぶん。
そう続けたせいで、コメントの流れがすこし速くなった。
広間にいたのは鉱石ではなかった。鉱石も壁際にあったけれど、その前に大きな獣が寝ていた。
黒い皮膚の上に、灰色の岩が重なっている。頭は平たく、前脚だけが異様に長い。岩甲熊と呼ばれている魔物。
熊なのかどうかはよくわからない。前にギルドの図鑑で見たとき、討伐推奨人数は六人と書いてあった。
岩甲熊はこちらを見ていなかった。わたしの灯りは広間の外で止め、探知だけを細く伸ばす。
呼吸はゆっくりしている。怪我はない。空腹でもないみたい。こちらから触らなければ、たぶん眠り続ける。
壁際の鉱石までは二十歩くらいだった。ふむ。引き返そうと思った。ちゃんとそう思った。そう思ってすこし後ずさったとき、靴の下で石が割れた。
おおぅ、と反射的に漏れる嘆きの声。やらかした。
岩甲熊が目を開けた。黄色い目。寝起きの目はどんな生き物でもすこしぼんやりしている。わたしは走った。広間から出るのではなく、奥の細い通路へ入る。入口が狭かったから、熊は通れないと思った。
通れなかった。でもそのまま熊は体当たりをするように突っ込んだ。
最初の一撃で、通路の片側がなくなった。石が砕け、風と灰が押し寄せる。配信石の文字がほとんど見えなくなる。わたしは灯りを四つに増やし、二つを熊の目の前へ、残りを左右へ飛ばした。
光りが魔獣の気を散らすかどうかはわからない。
熊の前脚が振るわれる。横からの蹴撃を盾で受ける。というより盾といっしょに吹っ飛ばされた。
背中が壁にぶつかり、息が出なくなる。盾は三つに割れていた。腕は動いた。足も動いた。人の体は壊れたかどうかがわかりにくい。物よりずっと困る。
わたしは割れた盾をそのまま捨て、走りながら短剣を二本、床へ刺した。
柱と柱のあいだに結界を張る。足を置く場所をほんのすこしずらすことはできる程度の防壁。岩甲熊が踏み込む。前脚が結界に触れ、爪の向きが逸れた。爪はわたしではなく、天井から垂れた石柱へ当たる。石柱が折れ、熊の背中へ落ちた。
効いてはいない。怒っただけだった。
大きな敵は、そこで暴れるだけで地形を変える。通れた道がなくなり、なかった穴ができる。
わたしはそれを待つ。まず、相手にたくさん壊してもらう。
通路を曲がり、古い鉄柵の前へ出る。柵は錆びていて、下半分が曲がっている。わたしは走りながら修復を始めた。
鉄が軋み、昔のまっすぐな形へ戻っていく。完璧な修理を目指しているわけではない。右側の留め具だけを固くし、左側は錆びたままにする。その向こうに罠糸を張り、床の石を三枚だけ補強した。
岩甲熊は柵に突っ込んでくる。左側の留め具が外れ、柵が回る。扉みたいになった鉄柵が熊の横腹へ当たり、進路を曲げる。熊の前脚が補強していない床を踏んだ。
床が抜ける。穴は浅い。片脚が落ちただけ。すぐに這い上がろうとする熊。わたしは槍を伸ばす。穴の縁へ突き立てる。穂先を深く、柄の継ぎ目まで石の隙間へ差し込む。魔力で槍を補強し、てこのようにして床石を持ち上げる。持ち上がった石が熊の脚へ挟まった。
槍が折れた。補強しても、折れるものは折れる。折れるまで保てばそれでいい。
熊が吠えた。鐘みたいな石柱がいっせいに震え、広間の奥まで低い音が走っていく。コメントが視界に入る。逃げて。もういい。助けを呼ばないと。
もういいのはその通り。逃げよう。
まっすぐ逃げると追いつかれる。岩甲熊は大きいけれど速い。わたしはあらかじめ探知していた横穴へ入り、入口の石を補強した。
熊がぶつかる。石が揺れる。ひびが入る。そのひびをすぐに直す。もう一度ぶつかる。ひびが広がる。わたしはまた直す。
わたしは強い一撃を撃つことも、止めることもできない。
だから、壊されたそばからほんのすこし戻し続ける戦いをする。壁が壊れる。直す。また壊れる。わたしの魔力はまだまだ続く。熊の力は、たぶん減る。
十分くらいそれを続けた。横穴の奥は行き止まりだった。背後からの襲撃はない。だから入口だけに集中できた。熊の呼吸が荒くなっていく。ぶつかる間隔が長くなる。石の向こうで、爪が床を掻く音がした。
わたしは小さな隙間から灯りを飛ばした。熊は灯りへ爪を伸ばす。わたしは灯りを少しずつ上へ移動させる。爪が壁を削る。二度、三度。
狙った場所に縦長の傷ができる。その傷へ魔力を流し、周りだけを補強した。傷そのものは残して。
何度目か判らない熊の体当たりで、壁は傷に沿って割れた。大きな石板になって、熊の前へ倒れる。熊はそれを避けようと斜め後ろに後ずさる。でもそこには、さっき自分で壊した床の穴がある。
片脚、ではなく、今度は体の半分が落ちた。
わたしは横穴から出て、折れた槍の柄を拾った。直す。継ぎ目を戻し、穂先をつけ、熊の目の届かない後ろ脚へ近づく。
岩の鎧が重なっていない場所を探し、槍を深く突く。岩の鎧を避けてもその体躯は硬い。熊が暴れる。迷わず槍を手放して転がった。
それでも避けきれなかった。肩を爪がかすった。熱い、と思った。血が流れるぬめりの感触が続く。
わたしは距離をとり、槍だけを修復する。曲がった柄が熊の体の中でまっすぐに戻る。熊がさらに暴れ、穴の縁が崩れる。熊の体重で、穴がすこしずつ広がっていく。
それから長かった。灯りで目をそらし、罠糸で爪の向きを変え、熊が壊した床を必要なところだけ戻す。槍を折られたら直し、盾の破片を拾って足場にし、使えなくなった短剣を扉の蝶番へ変えた。もはや戦いではなく、暴れる猛獣を横目に部屋を何度も作り替える作業が続く。
最後には、岩甲熊は穴の底で動かなくなった。槍がとどめになったのか、落ちた石が重かったのか、疲れたのか、わたしには判別できない。
「やったか……?」
フラグやめて。とコメントが反応する。これは勝ったでしょ。という人も居る。しばらくそのまま警戒して、何も起こらなかった。
肩の傷は、まだ血が出ていた。薬をかけ、布を巻く。布の留め具が壊れていたので、そこだけ直した。傷のほうは直らない。いつもこういう順番になる。
道具はすぐ元に戻るのに、体には時間の経過が必要だ。
壁際の鉱石は無事だった。採取用のつるはしは戦いの途中で柄が折れていた。でも直せば使える。わたしは必要な分だけ掘って袋に入れる。
ふう。と息をついて、わたしは言う。
「帰ります」
そらそうよ。とコメントが流れた。休んで。と。
わたしも頷く。肩も痛かったし、盾はまだ三つに割れたままだった。
盾を直す。木目がつながり、鉄の縁が元の丸い形へ戻る。傷もへこみも残る。でも、また次に壊れるくらいにはちゃんと盾になる。
「道具のメンテも終わったので、それでは、配信を終わります。おつかれさまでした」
ほんとうにおつかれさまだった。帰り路気をつけて。とコメントの名残を背に、わたしは帰路を辿る。




