第37話 雪上の戦い
雪が静かに降り続け、盾の縁には白い雪がうっすらと積もっている。
悠翔は飛びかかって来るグラシエルバロウズに視線を向けたまま
「そういえばお前、名前あるのか?」
その一言に、盾がピクリと震えた。
「あ? お前俺様の名前も知らねーのか?」
憤慨したような声が雪山に響く。
「だから名前あんのかって。」
悠翔が呆れたように聞き返す。
「よーく聞いとけよ! 俺様はかの竜王様が作りし至高の盾イグリス様だ! 俺様の素晴らしい性能としては──」
得意げに語り始めたイグリスを遮るように、悠翔は軽く頷いた。
「OK、イグリスだな。」
そう言うと、おもむろに右手でイグリスを掴み、大きく振りかぶる。
「だから俺様にかかれば……ん? おいおい何するんだ!」
イグリスの声が一気に裏返る。
悠翔は口角をわずかに上げた。
「サポート頼むって言ったろ? くらえ、ゴリラ必殺イグリスブーメラン!」
その言葉と同時に、全身の力を乗せてイグリスを投げ放つ。
「俺様はブーメランじゃねぇぇぇぇ!!」
絶叫を上げながらイグリスは高速で回転し、空気を切り裂き一直線に飛ぶ。
ちょうど飛びかかってきたグラシエルバロウズの顔面へ──
**ガァァンッ!!**
鈍く重い金属音が辺り一帯へ響き渡る。
まともに顔面へ直撃を受けたグラシエルバロウズの頭が大きくのけ反り、巨体は勢いそのままに雪原へ叩きつけられた。
イグリスも衝撃を殺し切れず、雪を巻き上げながら何度も転がっていく。
「よし。」
悠翔は短く呟くと、すぐに右へ視線を向けた。
雪煙を割るように、もう一体のグラシエルバロウズが飛び込んでくる。
巨体が着地した瞬間、雪が沈み込み、地面がわずかに揺れた。
グラシエルバロウズは咆哮を上げると、そのまま巨大な両腕を頭上まで振り上げ、一気に悠翔へ叩きつける。
悠翔はその軌道を見切り、二歩だけ後ろへ下がった。
ドォォンッ!!
両腕が雪原へ叩きつけられる。
衝撃で大量の雪が爆ぜ、白い雪煙が壁のように舞い上がった。
「これでもくらっとけ。」
舞い上がる雪煙を突き抜け、一気に踏み込む。
狙いは腹部。
拳を叩き込もうとした、その瞬間。
ズボッ。
「……っ。」
踏み込んだ左足が深雪へ飲み込まれた。
力が逃げる。
体勢が前へ崩れ、両手が雪へ着く。
「やべ。」
顔を上げる。
目の前では、グラシエルバロウズが再び両腕を振り上げていた。
躊躇する暇はない。
悠翔は雪の上を横へ転がる。
ズドォンッ!!
さっきまでいた場所が大きく陥没し、砕けた雪が吹雪のように舞い散る。
頬を冷たい雪がかすめた。
悠翔は素早く立ち上がり、肩についた雪を払う。
「雪がうざいな……。」
深く積もった雪を見下ろえ、小さく息を吐く。
「あれなら使えるか。」
静かに呟く。
「風歩。」
足元へ風が渦を巻く。
次の一歩。
踏み込んだ瞬間、圧縮された風が小さく爆ぜた。
雪が足元から弾け飛び、身体が浮き上がる。
今度は雪に足を取られない。
風が足場となり、悠翔の身体は一気にグラシエルバロウズの顔の高さまで跳ね上がった。
舞い散る雪の中から、突然現れた人影。
グラシエルバロウズの反応は一瞬遅れる。
その隙を逃さず、悠翔は全身を捻り、思い切り蹴りを叩き込んだ。
鈍い衝撃音と共に巨体が吹き飛び、雪原を何度も転がっていく。
悠翔は着地と同時に雪を蹴り、間髪入れずに駆け出した。
吹き飛ばされたグラシエルバロウズは、雪原を大きく転がったあと、低く唸りながら立ち上がる。何度か首を左右へ振り、衝撃を振り払おうとしていた。
「まず1匹!」
悠翔は一気に間合いを詰める。
グラシエルバロウズが顔を上げた時には、すでに懐へ潜り込まれていた。
「雷穿。」
低く呟くと同時に、右拳へ青白い雷光が迸る。
拳は寸分違わず腹部へ突き刺さった。
バチィッ!!
雷が体内を駆け巡り、分厚い筋肉を貫く。
グラシエルバロウズは苦悶の声を上げる間もなく目を見開き、その巨体から一気に力が抜けた。
膝をつき、そのまま雪へ倒れ込む。
舞い上がった雪が静かにその身体を覆った。
その瞬間だった。
ヒュンッ——。
背後から鋭く空気を裂く音が耳をかすめる。
悠翔は反射的に横へ飛んだ。
直後、
ズサンッ! ズサンッ! ズサンッ!!
三本の巨大な氷槍が雪原へ突き刺さる。
突き刺さった場所を中心に、パキパキと音を立てながら氷が一気に広がり、白い雪原を青白く凍らせていく。
「遠距離も行けるのか。」
そう呟きながら、悠翔は氷槍が飛んできた方向へ一気に駆け出した。
その先では、先ほどイグリスを顔面へぶつけられたグラシエルバロウズが、再び両手の間へ冷気を集めている。
空気中の水分が集まり、瞬く間に一本の氷槍が形を成した。
唸りを上げながら投げ放たれる。
しかし悠翔は、その軌道を見切っていた。
身体をわずかに傾けるだけで氷槍を躱すと、そのまま速度を落とさず前へ出る。
「そんなノロマな攻撃当たるかよ。」
足元で風が弾ける。
さらに、
「雷迅脚。」
雷が脚へと迸った。
風と雷が重なり、悠翔の身体は弾丸のように加速する。
雪煙だけを後方へ残し、一瞬でグラシエルバロウズとの距離を詰めた。
目にも留まらぬ速さで交差する。
すれ違いざま、
「雷刃。」
青白い閃光が横一文字に走る。
遅れて、グラシエルバロウズの胸元から赤い線が浮かび上がる。
次の瞬間、深々と刻まれた斬撃から鮮血が舞い、巨体は力なく膝をついた。
そのまま前のめりに雪原へ倒れ込み、動かなくなる。
「これで2匹か。」
悠翔は周囲を見回しながら竜王眼を発動した。
瞳の奥で魔力が揺らぎ、吹雪の向こうに浮かぶ魔力反応を映し出す。
「どこだー。」
視線を巡らせると、不自然に盛り上がった雪山が目に入る。
「あ、あったあった。」
近づいて雪を払うと、半分ほど埋もれたイグリスが姿を現した。
悠翔が持ち上げると、イグリスはまだ雪まみれのまま怒鳴り散らす。
「@#/&#/&@の野郎! 次会ったらただじゃおかねえ!」
勢いよく叫んでいたイグリスだったが、悠翔の顔を見るなり標的を変えた。
「てめーこの野郎! よくもこの至高の盾である俺様をブーメランみたいな雑魚と同じ扱いしやがったな!」
「はいはい、悪かったって。次はちゃんと盾として使うからさ。」
悠翔は苦笑しながら雪を軽く払う。
「至高の盾様なら許してくれるだろ? なんたって器がでかいはずだもんな。」
その一言に、イグリスは「ふん」と鼻を鳴らす。
「ま、まぁ……そこまで許してくださいと頭を垂れるのなら、許してやらんこともない。なんたって俺様は至高の盾であるからな〜。」
さっきまで怒り狂っていたとは思えないほど上機嫌だった。
(……なんて扱いやすいやつなんだ。)
悠翔は心の中で小さく笑う。
イグリスを持ち直すと、吹雪の向こうへ視線を向けた。
「とりあえずあと4匹待ってるし、協力してやろうや。」
「なに? もう2匹倒したのか?」
イグリスは驚いたように目を丸くする。
「あんな雑魚どもは楽勝だよ。」
悠翔は静かに笑うと、残る四つの魔力反応へ目を向けた。
4つのうち1つは明らかに格の違う、巨大で重い魔力が吹雪の中に静かに佇んでいる。
「それより面白そうなやつもいるじゃん。」
そう呟き、悠翔はゆっくりと口角を上げた。
悠翔は残る四つの魔力反応を捉えながら、ゆっくりと歩を進めた。
反応があるのは、この雪原へ入ってきた場所から西側。
歩みを進めるにつれ、静かに舞っていた雪は次第に勢いを増し、頬へ叩きつけるようになる。
冷たい風が唸りを上げ、視界を白く塗り潰していく。
足元の雪も深くなり、一歩踏み出すたびに靴が沈み込んだ。
やがて地面は緩やかな上り坂へと変わる。
吹雪の向こう、傾斜の頂上付近。
そこに四つの魔力反応は静かに佇んでいた。
悠翔は目を細める。
「イグリス、あれはさっきのやつらと同じか?」
「そんなわけないだろ。」
即答だった。
悠翔は苦笑する。
「……だよな。」
イグリスは得意げに鼻を鳴らした。
「あれはグラシエルバロウズと、それを束ねるロードだろうな。」
「ロード?」
悠翔が聞き返すと、イグリスは大げさにため息をつく。
「はぁ……お前はなんにも知らないな。仕方ない、俺様が直々に教えてやるよ。」
待ってましたと言わんばかりに語り始める。
「グラシエル・ロード。グラシエルバロウズを束ねる王ってやつだ。さっきまでの雑魚どもとはひと味もふた味も違うぞ。」
イグリスの声色が少しだけ真剣になる。
「やつは分厚い氷の鎧を身にまとい、《氷王戦斧・グレイシャル》を振るう。それだけじゃない。王の威厳で周りの雑魚どもを強化する厄介な能力まで持ってる。」
悠翔は吹雪の奥を見つめながら耳を傾ける。
「それに一番注意が必要なのが。」
イグリスは短く区切った。
「冷気によるダメージだ。やつは近づくだけで体温を奪う。下手すりゃ戦う前に体が凍る。」
「え、じゃあ攻撃できないじゃん。どうやんだよ。」
悠翔が思わず聞き返す。
しかしイグリスは胸を張って言い放った。
「知らん! それはお前が考えろ!」
「……まぁ、それもそうか。」
悠翔は肩を竦める。
「今までも何とかなったし、今回も何とかなるだろ。」
そう呟きながら口元に笑みを浮かべる。
「そろそろ見えてきそうだな。」
二人はさらに坂を登る。
吹雪は相変わらず激しい。
だが、その白い帳の向こうに、何かが立っていることだけは分かった。
巨大な影だった。
吹き荒れる雪煙がゆっくりと晴れていく。
そして、その奥から一際大きな影が姿を現した。
通常個体より一回り大きな体躯。
しかし、その差以上に目を奪われるのは全身から放たれる圧倒的な威圧感だった。
白銀の毛並みは胸元や関節の隙間からわずかに覗くだけ。
屈強な肉体のほとんどは、幾重にも重なった分厚い氷の鎧に覆われている。
肩には人間の重装騎士を思わせる巨大な肩当て。
胸部は岩盤のように厚い氷の胸甲が隙間なく覆い、腹部まで幾層もの氷板が折り重なっていた。
両腕には肘まで覆う巨大な氷の籠手。
拳を握るたび、ギシ……ギシッ、と氷同士が擦れ合う鈍い音が吹雪の中へ響く。
腰から下も例外ではない。
腿を包む氷甲。
脛を覆う重厚な装甲。
一歩踏み出すたび鎧同士が低く擦れ合い、雪が深く沈み込む。
その重量だけで地面が軋んでいるようだった。
背には白銀の長い毛皮が外套のように垂れ下がり、吹雪を受けてゆっくりと揺れる。
頭上には通常個体とは比べものにならないほど巨大な氷冠。
幾本もの氷柱が天へ向かって伸び、まるで王の威厳を示す王冠のように輝いていた。
その下から覗く双眸は淡く蒼く光り、感情というものを一切感じさせない冷たい眼差しで悠翔を見据えている。
長い年月を戦い続けてきた証なのか、氷鎧にも黒い皮膚にも無数の傷跡が深く刻まれていた。
そして、その両腕に握られているのは巨大な戦斧――《氷王戦斧・グレイシャル》。
柄は黒鉄にも古木にも見える漆黒の質感を持ち、太く長い柄には幾度となく握られた跡が深く刻み込まれている。
対照的に、左右へ広がる巨大な刃だけは透き通る氷。
青白い光を宿した刃先からは絶え間なく冷気が溢れ、周囲の空気を白く染め上げていた。
吹雪すら、その戦斧へ吸い寄せられているように見える。
それは武器ではない。
雪山そのものを切り出し、王だけに与えられた処刑具。
その姿を前にした瞬間、悠翔は自然と笑みを浮かべていた。
「……なるほど。」
「確かに、あいつは面白そうだ。」




