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最後通告

その夜、博之は呼ばれた。

奥の座敷。昼の喧騒が嘘のように静まり返っている。

灯りは一つだけで、主人の顔は半分、影に沈んでいた。

「座れ」博之は黙って座る。正座をするのも、もう慣れている。


「昼間の件だ」

 来ると思っていた。だから、驚きはない。

「裏口に町人を入れたな」

「はい」

「まかないを出したそうじゃないか」

「はい」

 主人は鼻で笑った。

「慈善事業じゃねえんだぞ、ここは」

 博之は何も言わない。

 言い返す言葉がないわけではない。

 ただ、言っても通らないと知っている。

「安く仕上げろと言ったはずだ」

「はい」

「なのに、味噌も具も、勝手に手を入れた」

 博之は一拍、間を置いた。

「……安くは、仕上げました」

 主人の眉が動く。

「だが、味は落としていません」

 沈黙が落ちた。

 灯りの芯が、かすかに揺れる。

「お前な」

 主人は低い声で言った。

「俺が何を嫌っているか、分かっているか」

 博之は、少し考えた。

「……俺の顔ですか」

 一瞬、主人の表情が固まった。

「その面だ。 不細工で、何を考えてるか分からん。

 しかも、人の言うことを聞いているようで、聞いていない」


 博之は否定しない。

「言われた通りにやればいいんだ。余計な工夫はいらねえ」

「味が落ちます」

 思わず、口に出ていた。

 しまった、と思った時には遅い。

「だから何だ」

 主人は吐き捨てるように言った。

「客は安けりゃ来る。味なんぞ、二の次だ」

 博之は、その言葉を聞いて、はっきりと分かった。

 この人とは、もう同じところを見ていない。

「……分かりました」

 博之は頭を下げた。

 主人は満足そうに息を吐いた。

「明日からだ。お前は朝の炊き出しから外れろ」


 博之の胸が、わずかに動いた。

「裏方だけやれ。包丁も鍋も触るな」

 それは、料理人ではないという意味だった。

「嫌なら――」

 主人は言葉を切り、しばらく博之を見た。

「出ていけ」

 博之は顔を上げた。感情が、どうしても顔に出る。

 だが、言葉は出なかった。


「返事は今じゃなくていい」

 主人はそう言って、手を振った。

「明日の朝までに決めろ」

 博之は立ち上がり、深く頭を下げた。

 座敷を出ると、夜風が肌に冷たい。

 料理場の裏で、鍋の蓋が一つ、伏せられたままになっている。

 あの豚汁の鍋だ。

 博之は、そっと蓋に手を置いた。

「……まずいとは、言わせない」

 小さく呟いて、手を離す。

 明日の朝、ここに立っているかどうかは、まだ分からない。

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