第82話「崩界王・朱天将」
朱禍童子を打ち倒した和泉。
しかし、それは終わりではなかった。
四天王の残滓を呑み込んだ骸の奥で、朱天は新たな姿へと再世する。
第82話「崩界王・朱天将」
鬼哭餓亂城が、現の世へ爪を立てる。
第82話「崩界王・朱天将」
朱禍童子の四つの鬼面は砕けた。
アカネ、シンシャ、バーミリオン、シナバー――朱天四天王の残滓を呑み込み、形を成した異形の鬼。
その巨大な肉体は、床へ沈んでいる。
だが。
勝利の手応えは、どこにもなかった。
倒れた朱禍童子の内側から、新たな力が膨れ上がっていた。
朱天が、再びこの世に再誕しようとしている。
「させるかああああああ!!」
和泉は灰切の刀身を、再び朱禍童子の骸へ振り下ろした。
だが――。
「時は満ちた」
ガシッ!
倒れた朱禍童子の内側から声が響いたかと思うと、その腹部を突き破って一本の腕が飛び出した。
その腕が、灰切の刀身を受け止める。
「くッ!?」
加減など一切なく振り下ろした一刀。
それを、片手で止められていた。
さらに、和泉は直に感じ取っていた。
刀身を一ミリも動かすことができないほどの、脅威的な力を。
「さあ――再世の時だ」
淡々とした声とは裏腹に、灰切を受け止めた腕は、いとも簡単に巨大な刀身を放り投げた。
「ッうううう!」
和泉は灰切を床板に突き立て、どうにか体勢を立て直す。
「姿を見せやがれ、朱天!!」
その叫びに応えるように。
朱禍童子の胎内から、その者は現れた。
かつての童子のような姿ではない。
朱天の肉体は、青年のものへと変わっていた。
白く美しい長髪が、赤黒い瘴気の中で静かに靡く。
赤い肌とは対照的に、白い着物がよく映えていた。
巨大な羅刹の骸から這い出たものとは思えないほど、その姿は美しかった。
だが、美しいからこそ。
そこにある禍々しさは、いっそう際立っていた。
「百希夜君、下がるんだ!!」
現れた敵から放たれる膨大な瘴気を前に、大久保は即座に動いた。
それは、単に開現師としての使命からだけではない。
生物としての防衛本能が、目の前の存在を恐れ、逃避を促したのだ。
だが、それが逃走ではなく闘争という形で表れたのは、大久保が和泉たちの指導を任された者としての責任感ゆえだった。
「押印!!」
大久保は、朱禍童子の骸に刻んでいた印を発動させる。
巨大な象の脚が、覚醒した朱天へ向けて放たれた。
ドンッ!
「――な!?」
しかし、朱天は振り返ることすらしなかった。
背後から迫る象脚を、ただ裏拳で弾き返す。
弾き返された幻影は、使用者である大久保への反動となって返った。
大久保の身体が宙を舞い、城の壁へ叩きつけられる。
「がはッ!」
「大久保さん!? 朱天、てめえええ!!」
怒りに駆られた和泉が、灰切の刀身を力いっぱい振るう。
だが。
「!?」
そこに、すでに朱天の姿はなかった。
「我は、もはや童子の朱天ではない」
声は、頭上から聞こえた。
朱天は宙へ舞い上がり、和泉の真上にいた。
そのまま、脚を振り下ろす。
ドゴッ!!
床板が砕ける。
朱天の足が、和泉の顔面を踏みつけていた。
「ぐ、あ……ッ」
和泉は灰切を握りしめる。
だが、動けない。
顔面を踏みつけるその足から、圧倒的な力が流れ込んでくる。
冷たい瞳が、和泉を見下ろした。
「我が名は、朱天将」
朱天は、淡々と告げる。
「《崩界王・朱天将》」
その名乗りと同時に、鬼哭餓亂城が大きく軋んだ。
その時だった。
崩れかけた東方の間の入口から、複数の気配が流れ込む。
紫紺の気配。
淡い泡の光。
そして、空を裂くような眩い輝き。
「その足を退かしなさい!!」
紫紺の双刀が舞う。
東方の間へ辿り着いた理恵が、朱天将へと斬りかかっていた。
「遅い――」
しかし、朱天将はわずかに身体を逸らすだけで、その一閃を躱す。
そして――。
がら空きになった理恵の胴へ、その足を振り上げようとした。
だが。
「可憐な女子に手を上げるなんて、サイテーだかんね!」
放たれた泡弾が、朱天将の動きを止める。
「こっちもいるんだけど!!」
杏樹の攻撃に合わせて飛び出した亜子の回し蹴りが、朱天将の顔面へ叩き込まれた。
ガンッ!!
宙を裂くように放たれた蹴り。
そのあまりの凄まじさに、周囲へ衝撃波が広がる。
しかし――。
「――!?」
朱天将は、人差し指一本でその一撃を受け止めていた。
だが、この一瞬の攻防の隙に、すでに和泉は朱天将の足元から逃れていた。
「紡げ――」
朱天将から脱した和泉は、即座に灰切を点火針の姿へ戻す。
同時に、その刀身を赤く染め上げた。
「《赤い一線》!!」
和泉が必殺の一閃を放つ。
それに呼応するように、理恵と亜子が朱天将の両腕を押さえ込んだ。
「これで――」
「終わりです!!」
だが、朱天将は顔色一つ変えなかった。
理恵と亜子に両腕を掴まれたまま、身体ごと両腕を振るう。
「きゃああああっ!!」
「くッ!!」
弾き飛ばされた二人の身体が、迫る和泉へ向かって飛ばされる。
「くそっ!!」
和泉は即座に点火針を投げ捨て、二人を受け止めた。
だが、さすがに二人分の勢いまでは殺しきれない。
和泉たちはそのまま、大きく後方へ吹き飛ばされた。
「郷泡夢!!」
すんでのところで、杏樹が巨大なシャボン玉を形成する。
柔らかな泡が、和泉たちの身体を優しく受け止め、跳ね上げた。
「悪い、助かったぜ、杏樹」
「ううん。でも、敵さん……さっきから一歩も動いてないよ」
杏樹の指摘通り、朱天将の身体は、最初に立っていた場所からほとんど動いていなかった。
「それに、わざと追撃をしていないようですね」
理恵が苦々しく朱天将を睨む。
「あいつ……あたしたちのことを馬鹿にしてる」
亜子が体勢を整えながら、吐き捨てるように言う。
「否――」
亜子の言葉に、それまで黙っていた朱天将が口を開いた。
「貴様たちのおかげで、我はこの姿へと辿り着けた」
朱天将は、声色を一切変えずに淡々と語る。
「感謝こそすれ、馬鹿になどしていない」
そして、朱天将はすっと手を横へ上げた。
「故に――」
冷たい瞳が、四人を見据える。
「この場から去れ」
その言葉に、四人の怒りが一気に沸騰した。
去れ。
それは、見逃すという意味ではない。
和泉たちが命を削って戦ってきたことも。
理恵たちがそれぞれの戦場で背負ってきたものも。
倒れた仲間も、守ろうとしたものも。
そのすべてが、朱天将にとっては、この姿へ至るための過程にすぎなかった。
そう告げられたのだ。
「ふざけるな……」
和泉の声が、低く震える。
「誰が、ここで退くかよ!!」
四人は、同時に動いた。
だが――。
朱天将が、静かに手を掲げる。
次の瞬間、膨大な瘴気が東方の間を呑み込んだ。
これまでのものとは、質が違う。
濃い。
重い。
ただ触れるだけで、魂の奥を腐らせるような瘴気だった。
『お嬢様たちを、傷つけさせはしません!!』
深紅の慧珠が、四人の前へ飛び出す。
梓が、残された力を振り絞って結界を張った。
透明な膜が四人を包み込み、迫る瘴気を受け止める。
だが。
『くっ……う、うぅ……!』
瘴気が結界へ触れた瞬間、梓の苦痛に満ちた声が響いた。
朱天将の瘴気は、ただ防ぐだけでも観測師の精神を削る。
慧珠の光が大きく揺らいだ。
ひびが走る。
赤い輝きが、明滅する。
「梓!?」
理恵が叫ぶ。
その直後。
パリン――。
深紅の慧珠が、砕けた。
同時に、東方の間との接続が途切れる。
「梓!!」
理恵の瞳に、怒りが宿った。
紫紺の双刀が、激しく唸る。
「はあああああっ!!」
理恵は一気に踏み込み、朱天将へ斬りかかった。
斬撃が、幾重にも重なる。
速い。
鋭い。
怒りに任せた乱撃ではない。
それは、怒りを刃へ変えた、理恵の本気だった。
しかし。
「――届かぬ」
朱天将は、指一本でそのすべてを弾いた。
「まさかっ!?」
驚愕する理恵へ、朱天将は静かに掌を向ける。
次の瞬間、見えない衝撃が放たれた。
「きゃあっ……!」
理恵の身体が、後方へ弾き飛ばされる。
だが、その隙を逃さず、和泉はすでに朱天将の懐へ踏み込んでいた。
「飛火手裏剣!!」
至近距離から、炎の火輪が放たれる。
だが、朱天将はわずかに息を吐いただけだった。
ふっ――。
その吐息に含まれていた高濃度の酒気が、火輪に触れる。
次の瞬間、炎は和泉の制御を離れ、一気に膨れ上がった。
「なっ……!?」
爆ぜた火炎が、和泉自身を呑み込む。
「りえっち! とっきー!」
杏樹が叫ぶ。
だが、その瞬間。
朱天将の視線が、杏樹へ向いた。
「っ……!」
ただ見られただけ。
それだけで、杏樹の背筋が凍った。
身体が、動かない。
喉が、震える。
それでも、杏樹は奥歯を噛み締めた。
「む、むむむ……夢無々霧里!!」
仲間を守るため、杏樹は咄嗟に霧を発生させる。
白い霧が広がり、朱天将の視界を覆った。
だが――。
霧の向こうで、白い影が揺れた。
次の瞬間、朱天将の蹴りが霧を切り裂く。
「きゃああああっ!!」
杏樹の身体が、軽々と弾き飛ばされた。
その瞬間。
光弾が、朱天将へ直撃した。
亜子だった。
主砲を顕現させ、一瞬の隙を突いて放った一撃。
光が炸裂し、東方の間に轟音が響く。
だが。
「――!」
爆煙の中から現れた朱天将は、片手を前に出していた。
亜子の光弾は、その掌の前でかき消されている。
「やはり、退かぬか」
朱天将は、ゆっくりと構えを取った。
「ならば、よい」
その冷たい視線が、亜子へ向けられる。
「貴様たちも――」
亜子は、すでに第二波を発射していた。
ドゴオオオオッ!!
激しい閃光が走り、瓦礫が舞う。
だが、朱天将は宙へ舞い上がり、その砲撃を避けていた。
「この城に迷い込んだ者も――」
亜子は即座に形態を変える。
主砲から、機銃形態へ。
無数の光弾が、雨のように朱天将へ撃ち込まれた。
しかし、朱天将はその弾幕の中を、舞うようにすり抜ける。
まるで、弾道が最初から見えているかのように。
「皆、等しく」
気づいた時には、朱天将は亜子の背後にいた。
「我らが《黒き母神》の供物となるがいい」
そして、亜子の背へ向けて、静かに手を伸ばした。
その瞬間。
銀の閃光が、朱天将の腕を弾いた。
ガンッ!!
「……!」
朱天将の手が、わずかに止まる。
亜子の背後に割って入っていたのは、來瀬川真理だった。
「亜子さん、下がりなさい!」
真理は銀の刀身を構えながら、朱天将を睨みつける。
だが、その指先はわずかに震えていた。
目の前の敵を前に、一瞬、身体が動かなくなった。
自分が。
聖斂隊であり、來瀬川の名を背負う自分が。
恐怖で、動けなくなった。
(私は……目の前の敵に恐怖して、動けなくなったというの……!?)
その事実を振り払うように、真理は刀身を握り直す。
「はああああっ!!」
真理が斬り込む。
同時に、和泉、理恵、杏樹、亜子も一斉に飛び出した。
炎。
紫紺の斬撃。
泡と霧。
光弾。
五つの攻撃が、朱天将へ殺到する。
「判断、勢い、共に悪くない」
朱天将は、静かに呟いた。
そして、次の瞬間。
ぶん、と脚を振るった。
たった、それだけだった。
「ぐあっ!?」
「きゃあああっ!」
「ううっ!」
和泉たちの身体が、まとめて吹き飛ばされる。
だが、四人はすぐに体勢を戻した。
ここで討たなければならない。
今の自分たちでは、朱天将の猛攻を受け続けることはできない。
それを、全員が直感していた。
「畳みかけるぞ!!」
和泉が叫ぶ。
四人は再び朱天将へ向かって踏み込んだ。
しかし。
朱天将は、その手に真っ赤な酒杯を持っていた。
いつの間に取り出したのか。
朱く濡れた杯には、なみなみと酒が満ちている。
朱天将はそれを口に含んだ。
「ふうううう――」
そして、その酒を霧のように吐き出した。
強烈な酒の匂いが、東方の間を満たす。
「こんなもので止められると思うな!!」
和泉は一歩も退かない。
だが、次の瞬間。
和泉たちの視界が、大きく揺らいだ。
「な……っ」
視界だけではない。
猛烈な吐き気。
割れるような頭痛。
足元が崩れ、天井と床が反転するような感覚。
身体が、立つことを拒絶していた。
「く、そ……!」
和泉が膝をつく。
理恵も、杏樹も、亜子も、同じように体勢を崩していた。
後方から援護しようとしていた真理でさえ、刀を支えにしながら膝をつく。
「戦いは、たった一手で終わることもある」
悶える和泉たちを前に、《崩界王・朱天将》は一切表情を崩さずに語る。
「覚えておくがいい」
朱天将は、和泉たちへ背を向けた。
「もっとも――貴様らに次があれば、だが」
「待て……!」
和泉は震える腕で、点火針へ手を伸ばす。
だが、指先に力が入らない。
朱天将は振り返らない。
「では、こちらも己が役目を果たそう」
そう告げると、朱天将は東方の間を離れ、天守閣へ向けて飛んだ。
* * *
天守閣へ降り立った朱天将は、静かに上空を見上げた。
崩れた空の裂け目の向こう。
そこには、現実世界の大江山が見えていた。
夜の山。
現実の空。
そして、その向こう側で揺れる、まだ眠り続ける世界。
「夢と現の境は、すでに緩んでいる」
朱天将は、白い長髪を揺らしながら、淡々と呟いた。
「鬼哭餓亂城は盃。現の世は酒。そして境界は、満ちた夢を留める縁」
彼は、天へ向けて手を掲げる。
「満ちた夢は、やがて溢れる」
鬼哭餓亂城が、大きく揺れ始めた。
城の壁が軋む。
瓦が震える。
床下から、赤黒い血のような光が滲み出す。
「そして、溢れた夢は、母神の喉を潤す」
朱天将の瞳が、冷たく細められた。
「目醒めよ」
その声に応じるように、鬼哭餓亂城全体が咆哮する。
「鬼哭餓亂城――現の世へ顕現せよ」
夢の城が、ついに現実世界へ爪を立てた。
次回予告
鬼哭餓亂城が、現の世へ爪を立てる。
だが、その異変は大江山だけで起きていたわけではなかった。
時は少し遡り、夢檻三道の終盤。
菩提府上層部の会議場に、内なる裏切りの影が差す。
次回、
第83話「内なる泡影」
夢の檻に囚われるのは、果たして誰か。




