非日常は突然に(後編)
「紅蜀葵さんでしたか?」
鋼征が勇気を出して話しかけると、狐耳の美女はにこりとして返事をする。
「はい、何でしょう?」
「このあたりにはあなたのような方が他にもいるのですか?」
彼の直接的な表現に、彼女は気分を害することもなく笑顔で対応した。
「ええ、いますよ。このあたりにかぎらず、あちらこちらにと申し上げるとより正確でしょうか」
紅蜀葵がうそをついていると鋼征は思わなかったが、無条件でうなずく気にもなれない。
「その割には今まで遭遇しませんでしたが……」
「ええ、そうでしょうね」
彼女は当然だという反応をとり、彼を困惑させる。
彼女は水色の瞳を彼の首をかざる緑色のペンダントへ向けた。
「その護石の力でしょう。力の弱い妖怪の姿は見えない、近づけないほど強い力を感じます」
「ええっ? この石にそんな力がっ?」
鋼征は仰天してペンダントについた石を手に取り、まじまじと見つめる。
彼が見たかぎりでは彼女が言うほどすごい効果があるとは感じられない。
「その石、どなたからの贈り物でしょうか?」
という紅蜀葵の問いに、彼はハッとしておじに目を向ける。
「圧延おじさんです」
甥っ子と紅蜀葵からの視線を浴びた圧延は、なつかしそうな表情になって口を開く。
「こいつは小さい頃、とにかくいろんなものが見えるとうるさかったよ。兄貴たちが困惑していたな。俺がいつもそばにいられたらよかったんだが、そういうわけにもいかないからな。だからその石をプレゼントしたのさ」
「そんなことが……」
鋼征はもう覚えていない。
思いもよらぬところでおじの情愛を感じ、彼は胸が熱くなる。
「このタイミングで呼んだのは、そろそろ打ち明けておいたほうがいいと思ったからなんだ。その石も決して万能じゃない」
おじの言葉で彼は「そう言えば」と紅蜀葵に目をやった。
「石の力があっても認識ができるってことは、紅蜀葵さんはケタ違いに強い妖怪だってことですか」
「ああ。伝説の九尾の妖狐。玉藻の前という呼び方が有名だ」
圧延はまるで花の名前を教えるような口調で、とてつもない名を告げる。
「きゅ、九尾の狐……漫画やゲームでボスキャラの?」
鋼征の現代っ子らしい反応に紅蜀葵はクスクスと笑う。
「ええ」
たおやかで上品なしぐさに彼は思わずぼーっと見とれてしまった。
圧延はニヤニヤとしながら声をかける。
「どうだ? とても伝説やゲームに出てくるような悪の親玉には見えないだろう?」
「えっ? あ、はい」
おじの問いに鋼征は間が抜けた顔で、気の抜けた答えを返す。
それからようやく彼は口を動かした。
「……どういうことなのでしょう? 伝説がでたらめなのですか?」
そもそも尻尾だって五本しかないとは言えない。
「妖怪たちは本来悪じゃないんだが、いろんな事情で変ぼうして周囲に災厄をまき散らす。それを事前に防ぐため、俺はこの店を作ったのさ」
圧延の説明を聞いた鋼征は分かったような、分からないような気分になる。
「この店があるだけで悪くなるのを防げるんですか……?」
とてもそのような効果があるとは思えない。
彼の心情は顔に出ていたのだろう。
圧延は苦笑し、紅蜀葵は上品に笑った。
「店じたいにそんな力はないさ。俺だよ、俺が解決するんだよ」
おじはそう言うと特に立派でもない自分の胸板を軽く叩く。
「おじさんが……?」
ついつい鋼征は信じがたいという表情を作ってしまう。
正直な甥っ子の反応に対して、圧延はやや傷ついたように肩を落とす。
「そんなに俺は頼りなさそうか?」
「圧延さんは頼りになる方ですけど、そうは見えないのは否定できないかしら」
紅蜀葵は優しい口調で割と遠慮も容赦もない発言をする。
「おい、紅蜀葵……?」
圧延は裏切られたと言わんばかりに愕然とした声を出す。
「ふふふ。殿方の器量というものは見た目などではなくってよ」
先ほどのフォローのつもりか、彼女は一転して好意的なことを言う。
しらじらしく聞こえなかったのは、彼女の魅力によるものだろうか。
「なにはともあれ、鋼征さえよければ時々この店で働いてみたらどうだ」
おじは咳ばらいをして表情をとりつくろい、鋼征にすすめてくる。
彼のことを想っての提案だとよくわかった。
「俺のためなのですね」
「そうだ」
圧延がうなずくと、紅蜀葵も口を出す。
「私や他の方と触れ合っていれば、いずれその石は外しても大丈夫になると思うわ。今はまだおやめになったほうがいいけど」
鋼征を気遣うような彼女に、本人は若干不安になる。
「今これを外したらどうなるのですか?」
彼は石を触りながら尋ねた。
「今すぐは大丈夫よ。店内には私しかいませんので、私が調整すればいいだけだから」
紅蜀葵の口調はあくまでも優しい。
「それはそれで申し訳ないので止めておきます」
鋼征は興味本位での発言を軽く後悔する。
「お前はまだ何も知らないんだから仕方ない。気にするな」
圧延はそう言って甥っ子をなぐさめた。
「むしろ理解が早いほうですよね。私の正体が見えても素直に受け入られない方はたくさんいるのに……」
紅蜀葵は唇に手を当て、考えるように言う。
「ガキの頃は見えていたこと、頭は思い出せないだけで本能は覚えているってことかな」
「それはありえますね」
圧延の言葉を彼女は肯定する。