第六十六話 面影
バティスをどうするか。
砦を出る前に、できることは少し試してみることにした。
「本当にやるの?」
「ああ」
本人の希望で、まずは聖水を使う。
ミリアが小瓶を取り出し、バティスの腕へ少量かけた。
「……」
「どう?」
「何もない」
黒い鎧が出てくることもなければ、苦しむ様子もない。念のため少し量を増やしてみたけれど、結果は同じだった。
「少なくとも、アンデッドの類ではなさそうですね」
ミリアがバティスの腕を見ながら言う。
「呪いでもない?」
「おそらくは。呪いであれば、私にも何か感じ取れると思います」
「じゃあ、ミリアでも無理か」
「今の私には、です」
ミリアは少し考えてから続けた。
「大神殿に戻れば、過去に似た事例がなかったか調べられます。寄生する魔物や、身体に取りつく術について記録が残っているかもしれません」
「お願い」
「はい」
前回、僕がセヴランと戦った時には、こんなものは使ってこなかった。だから、僕にも対処法は分からない。
他にも当たった方がいい。
魔物を祓う結界。封印術。それからエド。
あいつなら魔術として、どういう仕組みになっているのか何か気づくかもしれない。
ヴィルマの店も見てみるか。
表では扱えない品や情報も多い。寄生型の魔物や変わった呪具について、何か掴める可能性はある。
ただ。
バティスを王国に連れていくなら、最悪の場合、王都の中であれが暴れる危険もある。
僕だけで決める話じゃない。
カシウスさんに報告して、どう扱うか判断を仰いだ方がいい。
「今すぐ鎖を外すのはやめよう」
「異論はない」
バティスは素直に頷いた。
「戻ったら、いくつか当たってみる。それまではここにいて」
「ああ」
「また来るよ」
「……分かった」
ひとまず、今できるのはそこまでだった。
僕たちはバティスを砦に残し、ガルドとともに森の民の集落へ戻った。
その途中から。
ガルドの様子が少しおかしかった。
「……」
ちらちらとミリアを見る。
何か言いたそうにしては、やめる。
また見る。
そして黙る。
何だろう。
集落へ戻り、しばらく歩いたところで、ようやくガルドが口を開いた。
「ええと……お前は……いや、君はミリアといったか」
「はい?」
「その……頼みがある」
「何でしょう?」
ガルドが珍しく言い淀む。
「家族に、挨拶してほしい」
「……!」
隣でリナリアの肩が跳ねた。
「家族に……」
顔がみるみる赤くなっていく。
ミリアは特に気にした様子もなく頷いた。
「もちろん構いませんよ」
「助かる」
「えっ」
リナリアがミリアを見る。
「ミ、ミリア様?」
「どうしました?」
「いえ、その……何でもありません」
何なんだろう。
「こっちだ」
ガルドに案内され、集落の中を進む。
森の民の家々は、木をそのまま使った簡素な造りというわけではなかった。大きな木材を組み、ところどころに石も使われている。狩りで得た皮や角、木工品などが家の軒先に並び、生活の跡がはっきり見える。
ガルドの家は、集落の奥の方にあった。
「ただいま」
扉を開ける。
中から声が返ってきた。
「おかえり」
最初に出てきたのは、中年の女性だった。
ガルドによく似た目元。
母親だろう。
「今日は客が――」
ガルドがそこまで言ったところで。
女性の動きが止まった。
「……」
僕たちを見る。
いや。
違う。
ミリアだけを見ていた。
「……ティスラ?」
「え?」
ミリアが目を瞬く。
奥から別の足音が聞こえた。
「どうした?」
今度は体格のいい男が出てくる。
父親だろう。
その人も、ミリアを見た瞬間に固まった。
「……」
「父さん」
ガルドが小さく声をかける。
「ああ……いや」
男が目を伏せる。
「すまない」
母親も、ようやく我に返ったようだった。
「ごめんなさいね。驚かせてしまって」
「いえ」
ミリアは首を振る。
「ティスラさん、という方ですか?」
「妹だ」
ガルドが答えた。
「俺の」
「妹さん……」
「ああ」
そこで、ようやく分かった。
ガルドがミリアを見ていた理由。
家族に会わせたかった理由。
「よく似ているんだ」
ガルドが言う。
「顔も。雰囲気も」
母親が、少し寂しそうに笑った。
「笑った時なんか、本当にそっくりで」
「……」
リナリアが固まっていた。
さっきまで真っ赤だった顔が、今度は別の意味で居心地悪そうになっている。
僕も少しだけ気まずかった。
そういうことだったのか。
「ティスラは、病気で死んだ」
ガルドの声は静かだった。
「まだ、小さかった」
「……そうでしたか」
ミリアの声が柔らかくなる。
「俺がもっと早く、いい薬師を見つけていればとか。もっと金があればとか。色々考えた」
「ガルド」
母親がたしなめるように名前を呼ぶ。
「分かってる」
ガルドは目を伏せた。
「俺のせいじゃないってことくらい」
でも。
そう思い切れないのだろう。
戦場でバティスを止められなかったこと。
妹を助けられなかったこと。
ガルドは、自分ではどうにもできなかったことまで背負い込む。
そういう人間なのかもしれない。
ミリアは少し黙ってから、ガルドの両親を見る。
「あの」
「はい?」
「もしよろしければ」
ミリアが胸の前で手を重ねる。
「ティスラさんのために、祈らせていただけませんか」
母親が目を見開いた。
「……いいんですか?」
「もちろんです」
少しだけ笑う。
「私にできることですから」
しばらくして。
母親が、小さく頷いた。
「お願いします」
案内されたのは、家の奥だった。
小さな棚に、一輪の花と、古びた髪飾りが置かれている。
きっと。
ティスラのものだ。
ミリアはその前に膝をついた。
目を閉じ。
静かに祈り始める。
僕たちは何も言わなかった。
ガルドも。
ただ、じっとミリアの背中を見ている。
しばらくして、祈りが終わった。
「ありがとうございました」
母親が深く頭を下げる。
「いえ」
ミリアは立ち上がった。
「少しでも、安らかでありますように」
ガルドは何も言わなかった。
でも。
家を出る時。
「ミリア」
「はい?」
「……ありがとう」
それだけ言った。
ミリアは少し笑う。
「どういたしまして」
なるほど。
そういうことだったのか。
横を見る。
リナリアは、まだ少しだけ気まずそうな顔をしていた。




