case.75「日常こそハッピーエンド」
僕の勤める会社は、この現代社会において空気のようなものだ。いや、空気清浄機というべきだろうか。
一般的にはその実在を認知されていない、怪異と呼ばれるものの調査と討伐。
たった一日の間に東北から九州まで移動するほど長距離間移動をすることもあるし、体力仕事の上に危険も多い。
おおよそ普通じゃない仕事だ。
社名も仕事内容も、普通の人には理解されない。
けれど。
「おっはよー」
「おはようございます、ミチカケ先輩。キサちゃんも」
「おはようございます!のどか先輩!」
「おーっす。今日は久々にデカい仕事だぞ」
「…」
「え!海外出向中だったお2人が帰ってこられるんですか?!」
「なんやかんや1年ぶりくらいー?結構空いたかもー」
「わあ!私お名前しか知らないです!のどか先輩もですよね?」
「うん。すごく仕事の出来る人たちだって聞いてるから、何か緊張する…」
「はは。ま、そんな気負うことはないよ。まー、帰って早々一緒に仕事だけどな」
「…」
「ああ、たしかに。初見びっくりはするかもな」
「うんうん。ミチカケちゃんもそー思う!」
「え」
「ぷ、プレッシャーですね、先輩…」
和やかな毎日。
少しゆっくりとした朝の時間と、美味しいお茶。絶品スイーツ。
「失礼する」
「のどかーっ!兄ちゃんが来たよー!」
「げ」
「また?今日で3回目。今月入ってまだ五日だぞ」
「鬼ブラコン~」
「っていうかシグレは罰で平隊員に降格したんじゃなかったのか…?」
「あはは…」
たまに、いや、けっこう頻繁にくる騒がしい人たちとの濃い日常。
「ダーリン!お久しぶりですわ~」
「うさうさもいるよーっ!」
「…っす」
「あ、はい。どうも」
「だありん?なんじゃあ、ソレは…」
「やっべ。鬼いちゃんが出たぞー!」
「総員退避ーっ!!」
嵐のような鮮やかさ。
楽しくて、いつまでもこんな日常が続けばいいと思う。
「っはー。今日もつかれた~」
正直、死ぬ思いなんて両手の数を超えたし、汗以上に血を流しもした。
僕は恵まれた体格も素晴らしい反射神経も常軌を逸する怪力もない。そういうのはお腹の中で兄さんにすべて持っていかれたんだ、って今じゃ笑い話。
つまり、実は生まれつきの体質でよく「気づく」僕にとって、認知されることで力を増す怪異相手にバトルなんていうのは正直分が悪くはある。めちゃくちゃ相性が悪い。
でもだからこそ僕には天職なんだと思う。最近は特に。
遠回りのような先回りのような道なりのような、あまりに濃くて深い、不思議な半年。
はじまりはそう、今みたいな。
「た、たすけ、たすけてっ!たすけて、ください…ッ!」
たった半年ちょっとなのに、とても懐かしいような。
ぐるりと腰に巻いた鎖を解く。飾りのように等間隔に筒のついた、細くしなやかな鎖だ。じゃらり、足元に解いた鎖が円を描くように落ちる。
グリップを握る。
「おまたせしました」
「あ、」
「大丈夫です。僕、こう見えてプロなので」
「は、はい…」
「危ないので下がっていてくださいね」
駆けだす。
引きずられた鎖がアスファルトと擦れあってちりちり音を立てる。右手を大きく振りかぶって鎖を巻き上げれば反動で落下してきた筒同士がぶつかって硬く連結する。
鎖から槍、いや薙刀に変わったその武器をまるでバトンのように手の中でくるりと回す。
空気を裂く。
狼にも似た黒い狂犬がよだれを垂らし、異常に発達した歯をむき出しにして唸る。送り犬だろうか。道中つんのめりながらも転ばずにどうにかトンネル近くの緊急電話にたどり着いた依頼人には、ルール上襲い掛かれなかったと見える。
「だからって放置したり見逃したりなんかしないけど、なッ」
低く唸る体勢から爆発的に飛びかかってきた怪異を払うように刃を振るい、バックステップからの奇襲を突き立てた柄で滑るように回避。
「グルルルル…」
「…ふっ」
溜まっていた息を吐きだす。
睨み合い、動くのは同時。
「ッラァ!」
飛びかかり交差する最中、あらかじめ上空に投げておいたボトルが落下するのをずんばらりと切り伏せる。ちょうど大きく開いたその口に濃縮されたその液体がたっぷりと入って。
「ギャウッ?!」
身を焼く痛みと困惑に身もだえる所を予断なくざっくりと断ち切る。
「ふう…」
消えゆく様を最後まで見届けて、一息。
「大丈夫ですか?」
振り返れば、ぺったりと尻餅をついた状態で大きく目を見開いた姿。
まあ、無理もないか。
「お疲れのところ申し訳ありません。とりあえずこの書類を確認頂いてサインを…」
「す、すごい…!」
「へ」
「本当にいたんだ!ゴーストバスター…!」
「え、いや、」
「ううん、むしろアレは妖怪退治?ってことは祓い屋とか陰陽師!?」
「あの」
「うわーっ!最高だッ!まさかこの世界にそんなファンタジーが実在してたなんてッ!!」
「えーっと」
「握手して下さい!いや、サイン!サイン欲しい!」
「ええー…」
サインが欲しいのはこっちなんだけどな…。
興奮状態の男性。走ったせいでよれたスーツ、まるで昔の僕みたいだ。いや、僕はこんないいスーツを着たりはしていなかったけれど。
「と、とりあえずまずこっちの話を…」
「わかった。サインするから是非私をそちらの拠点に連れて行ってもらえないだろうか!」
差し出していたバインダーをひったくるような勢いで捕まれる。
目にも留まらぬ勢いで書面に目を通した男性がスーツの胸ポケットから取り出した高そうな万年筆で流れるようなサイン。
「い、いやそれは」
「もちろんタダでとは言わない。えーと、ああこの金額の5倍。いや10倍は即金で出そう!それになんならスポンサーとして今後の支援も惜しまない!!どうだろうか!!!」
「ど、どうだろうかと言われても…」
勢いに押されたじたじの僕、興奮した男性は目を爛々と輝かせていてどう見ても引く気はなさそうだ。
仕方ない。
「じゃ、じゃあ…」
「ありがとう!!君は私の命の恩人だよ!!!」
「はあ…」
で。
事務所に帰還した僕と男性だったけれど、ここで意外にも、というか、出会うべくして出会った運命だったというべきか。
「え?!カヒチお兄様?!」
「おや、真愛ちゃん。この間のレセプションパーティー以来だね」
彼はうちのメンバーにしてスポンサーのお嬢様。キサちゃんこと木佐木真愛の親族、桜治嘉七。彼女の従兄にあたる人だった。
…世間って、狭いな。
「そうなれば話は早い。叔父様も存じているということだね」
「え、ええ。もちろん。お父様やお母さまにはちゃんと説明と承諾を…」
「この私もスポンサーに加わろう!なァに、うちは流通の要、プリンスホールディングス!きっとお役に立てるはずだとも!」
「ええ~!?」
「お。さっすがヒナタくん。やるな~」
「…」
「ぷぷ。本当にのどかちゃんって台風の目だよねー」
「は、はは…」
まあいろいろ、本当にいろいろありつつも僕の毎日はおおむね充実している。
1年前には自分の価値すら見失って会社の奴隷になっていた僕が、こんなにも生きることを楽しんでいる。
それって本当にすごいことだ。
「ああ、そういえば中東の方で妙な事件が相次いでいるらしい。…まるで、複数の怪異の特徴を持った新種の怪異だってな」
「それって…」
「鬼いちゃんも言ってただろう?ソウワーズはほぼ百で逃してしまったって」
「どういうわけだか日本を出て潜伏、挽回を狙って動き出してるって訳だ」
「…」
まだまだ問題はあるけれど、頼れる仲間たちと一生懸命に頑張っていこう。
それが、今の僕。
日向のどかの生き方だ。




