第11話 かつての仲間
昼下がりの庭に、静かな陽が降り注いでいた。
小さな風が洗濯物を揺らし、木陰ではミィナがぺたりと座って、草むらの石を並べて遊んでいる。
カイは、庭先の薪を割っていた。乾いた音が、一定のリズムで響く。
こうした時間が、今では当たり前のものになっていた。
かつて剣を握り、命を背負っていた日々よりも、ずっと重みがあり、そして静かだった。
「おじちゃん、きょうも『かれー』ってやつ?」
「……いや、たまごやき、だそうだ」
「ん……!」
ミィナの笑顔に、カイは小さくうなずいて斧を置く。
その時、門の方から音が聞こえた。
――コン、コン
金属の指輪で叩くような音がした。
普通なら、誰も来るはずのない時間帯だ。
リゼルとティノは買い物に出ている。客の予定もない。
カイは無言で立ち上がり、玄関へ向かった。
扉を開けると、そこには忘れがたい、見覚えのある男の顔があった。
銀の髪に、年季の入った旅装、口元に張りついたような笑みと、片目に刻まれた傷。
「よう。随分静かなとこに、こもってるじゃねぇか」
「……ゼルド」
「元気そうだな。いや……元気って顔でもないか」
ゼルドは、懐かしさも遠慮もない目で、カイをじろりと見た。
数年ぶりの再会だが、互いの間に言葉はそう多くなかった。
「……なぜここに」
「偶然だよ。町で、『子どもと一緒に暮らしてる無口な元冒険者がいる』って噂を聞いてな。まさか、とは思ったが……当たりだったみたいだ」
「……帰れ、ここに用はないはずだ」
「いや、あるよ」
ゼルドはにやりと笑って、門の柱に背を預けた。
「ライナのことで、話があるんだ」
カイの目が、わずかに動いた。
ゼルドは話を続ける。
「死んだって聞いた……病だったってな」
「……そうだ」
「……で、子どもたちを『お前に』託して逝ったって、あれも本当か?」
カイはゼルドの問いに答えなかった。
代わりに、ただ視線をそらさず、ゼルドの顔を見つめ返す。
「まさかお前が、誰かの面倒を見るようになるとはなぁ……ライナの子どもを、なに?『父親代わり』でもしてんのか?」
「……他に、誰が引き受ける?」
「へえ。まだそんな顔、できるんだな」
ゼルドは少しだけ、皮肉っぽく笑った。
けれどその目の奥には、どこか確かめるような色が浮かんでいた。
「なぁカイ……『あの時』の事、全部自分が背負ってるつもりか?」
「……」
「お前だけが責任を感じて、ひとりで姿を消して……あれは、あいつだけのせいじゃなかったはずだ。なのに、なにもかも引き取って、今度は子どもか?」
静かに、ゆっくりと風が吹く。
ふたりの間に、枯れ葉がさらりと落ちる。
「……俺の選んだことだ」
「そうかよ」
ゼルドは肩をすくめると、ふと扉の向こう――カイの背後に目をやった。
その視線の先に、カイは気づいた。
廊下の影、柱の陰に、誰かの気配――リゼルがこちらを見ていた。
▽
【リゼル視点】
私は、影からふたりの会話を見ていた。
聞こえる声は断片的で、内容までははっきりとはわからなかったけれど、それでも空気が違っていることは感じ取れた。
おじちゃんは、いつも通りの顔をしていたけど――違ったんだ、目が。
何かを押し込めるように、まっすぐにその人を見ていた。
あんなふうな目、おじちゃんが私たちに向けるときには、絶対に見せない目だった。
(この人……おじちゃんとママにとって、『過去』の人……)
私は息をひそめながら、小さくノートを広げる。
ペンを持つ手が、少しだけ汗ばんでいた。
――今日、知らない男の人が来た。
――おじちゃんと知り合いみたいだった。
――おじちゃんの目が、少しだけ怖かった。
ページの隅に、小さな丸をつけて書き加えた。
『おじちゃんの昔』に、何かある。
▽
【カイ視点】
「……帰れ、ゼルド」
「言われなくても行くさ……でもな、カイ」
ゼルドは、最後にふっと表情を引き締めた。
「お前が『過去』にしたつもりでも、終わったとは限らねぇ……ライナが、お前を選んだのは、ちゃんとした理由があるんだ。あいつが最後に賭けた相手が、本当に『変わった』のか――それを俺は、見に来たんだよ」
「……何も変わっちゃいない」
「そうか?」
ゼルドはそれきり振り向き、背中を見せた。
そして、門の先に歩き出していく。
「……また来るぜ、カイ……今度はもう少し、踏み込んだ話をしに」
その声は軽かったけれど、どこかに重みがあった。
扉を閉めるとき、カイは一度だけ、振り返って廊下の陰を見やった。
リゼルの姿は、もうない。
けれど、足音を殺して走り去った小さな気配は、はっきりと残っていた。




