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オトゥール王の氷像  作者: イプシロン
全面戦争
9/22

犠 牲

 湿原からたちのぼる朝靄のなかを、森のあいまを縫う小路を、なだらかな起伏が重畳する原野を、オトゥール王の臣下たちは、騎乗の人となり、クリフォーレ王の本陣を探した。馬沓で氷柱を崩し、轍を掘りまし、草ぐさを踏みしだく日々は果てることなくつづくかと思われた。だが、クリフォーレ王はこうした敵手の動きに敏感に反応してすぐに居城を出立した。長引く戦争からもたらされた精神の緊張に堪えかねていた彼もまた、暗々裏に平穏を望んでいたのだ。しかし悪鬼じみた性質を心中深くに刻みつけたクリフォーレからすれば、その目的はあくまでも敵国の完全な殲滅にあった。

 オトゥール王の遊撃とけん制策は、しだいに芽を吹き、やがて蕾をつけていった。最前線の砦に座する臣下たちが交わす囁きから、近く大規模な衝突が起こることは誰の目にも明らかだった。しかし、オトゥール王の側から決戦を挑むには、いまだ懸念すべき障碍が立ちはだかっていた。

「これで何人目になる?」

 城壁の上に立ったトバイアスが、広々とした原野を見わたしながら不機嫌そうに言った。

「もはや両手、両足では足りないことだけは確かだろう」

 傍らにいたオルトンが渋々と答えた。

「なにか良策は思いつかぬのか? 智謀の将と言われる卿ではないか」

「こればかりはな。気をつける以外にどうにもならぬだろう。大軍で地ならしして、そこを決戦場にするという手もあるが、そうなると戦場を選べんから、初戦で味わった苦杯をふたたび仰ぐことになりかねまい。いまだ不賛成だが、やはり王の考えどおり、クリフォーレ王を討って戦いを終わらせるのが早道かもしれんな」

 戦場各所に仕掛けられた罠が、軍勢の移動を妨げ、遊撃隊の兵たちの命を数々奪っていたのだ。

「いずれ、彼の王も姿を見せるだろう。本陣に天幕が並べば、彼奴の居所も見つけやすくなろう。今は忍耐ではなかろうか」

「卿らしくもない策だな。罠を一掃する手は思いつかんのか? ほれ、あの幽鬼のような親衛隊を育ててあげたわが君のような魔術とでもいうような策はないのか?」

「魔法か。そんなものがあれば、我らのここまでの苦労もなかったであろうよ。今は耐えることさ。芸がないと言われようとそれが小生の頭に響いている声だ。智謀などというものは、危急のときにあっては案外に役立たぬものかもしれんな。彼の王のような悪智恵となれば、話は違ってくるのかもしれんがな」

 トバイアスは悪戯っ子のような笑顔を友にむけた。

「それでは、小生は卿が丁寧にかつ真剣にお考えになったご鞭撻にしたがって、今日も実直に彼の男を探しに出かけるとしよう」

 破顔一笑したオルトンは、足どり爽やかに歩み去っていった。

「冗談が言いあえるのは良い兆しだ」

 トバイアスは遠ざかってゆく背中を見つめながら、そう呟いた。

 六騎の駒が原野を疾駆していた。その行く先の空を見上げれば、渡り鳥とおぼしき群れが輪を描いて舞い踊っていた。

「あの鳥たちは渡りか?」

「さあ、小生にはわかりかねますが、季節がらそうと思われます」

「あの向こうには湖があったな。森に囲まれた湖があったはずだ。本陣とはいえぬまでも偵察隊くらいはおるのではないか?」

「調べてみますか?」

「行ってみよう」

 オルトンと彼の率いる兵たちを乗せた駒は、湖へとつづく小路へと馬首を翻した。

 小路は狭い森を貫き、そこを抜けた場所には戦火に焼かれて朽ちた家が数軒あった。渡り鳥と思われた群れが引き寄せられていたのは、その先に横たわっていた。湿原のなか、半身を泥に埋めて。

「止まれ!」

 危険を察したオルトンは、すぐさまそう叫んだ。

 兵たちは機敏な手綱さばきで命令に従った。

「これは……」

「動くな、動くでないぞ。あれらは罠にやられたのだ。きっとまだこの辺りに仕掛けてあるぞ。足下をよく見て、馬を繋げ。死体を確認するぞ」

 兵たちがゆるゆると動きながら木立へ馬を繋いだ。

「渡り鳥ではなく、死肉を啄む輩だったとは腹立たしい」

 オルトンは苦虫を噛むように吐き捨てて、ゆっくりと死体へと近寄っていった。遠い昔に見た木乃伊の記憶が蘇り、彼のなかに怒りを沸き起こさせた。

 ――この泥炭は、いったいいつまでこのような惨禍を見せつづける気だ。平穏であればあったで拷問しろと叫び、処刑にしてしまえとうそぶく人間ども。戦になればなったで変わりはせん。手段を選ぶことなく、倫理などまるでない。いったい人間はなんのためにこの世界に生みだされた存在だというのだ。そうしてこの泥炭はその惨禍を永遠に留める。だからこそ彼を連れ帰ってやらねばならぬのだ。ここにおってこの男が訴えたいことが伝わるものか。永遠に人間の愚かさを正さんとしてなった木乃伊としての運命を、俺は感じるのだ……。

 深い思いに浸りながら死体まであと一歩とオルトンが近づいたとき、彼は蔓草が断ち切れるような音を聞いた。瞬間、胸を鉄槌で打ち据えられるような熱を感じて、膝をついて仰向けに倒れた。

「来るな! 来るでない!」

 オルトンは血と声を同時に吐きだした。

「来るでない……」

「しかし……。おい盾だ! 誰か馬からあるだけ盾を持て」

 側近の兵は集められた盾をかざすと、剣を鞘ばしらせて切先で周囲を薙ぎはらいながら、主君のもとへ急いだ。蔓草の切れる音がするたびに、仕掛けられた矢が雨あられと盾にあたって跳ねかえされた。

 霞ゆく目にうつるその兵を見つめながら、オルトンは叫んだ。

「でかしたぞ! 卿のその所作こそ罠を無効にするものだ。なぜ今まで気づかなかったのだろう。俺は愚かだった。いいか卿ら、このことをトバイアスに必ず伝えるのだぞ」

 オルトンは呵々大笑した。

「それと智謀の将にもう一つ伝えてくれ。知恵を得るにはどうやら痛い目に遭わぬとならぬらしい、とな。してその役割はどうやら小生が仰せつかったらしい、悪く思うな、と。……冗談の言いあえる友があるということは幸せなことだな……卿らはそうは思わぬか?」

「おやめください。もう喋らないでください。我らが砦まで必ずお連れしますので、ご自身の口からお伝えください」

「無益だ、間に合わぬわい。……よいか……あの男も連れ帰れ。男に永遠に語らせてやるのだ、人間の愚かさをな……俺の屍が朽ち果てようが、俺の思いはあの男とともにある。それを忘れるな……」

 それが誠実なるオルトンの最期の言葉であり遺言だった。

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