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オトゥール王の氷像  作者: イプシロン
全面戦争
10/22

無言歌

 楯に乗せられて砦に戻ってきたオルトンと、半ば木乃伊になった二つの遺体を、砦の中庭で出迎えたトバイアスは、茫然自失してただ立ち尽くしていた。城壁の上でたわいなく互いの思いをぶつけあった日々、はじめてオルトンと出会ったあの日、馬上試合で槍を突き合わせた汗まみれの日々、卓を挟んで口角泡を飛ばして激しく議論したしたあの日、オルトンと過ごした種々(くさぐさ)が混沌として、よもやまに果てることなく走馬灯のようにトバイアスの脳裏を駆け巡った。

 悲しみの表現は人それぞれだった。もはや聞くこと能わずと知りながら、ニアードはオルトンの為した献身を頌歌(オード)にして讃え、味わった辛苦を慰めんとして鎮魂歌(レクイエム)を聞かせるように長々と語りかけ、立ち尽くしているトバイアスの落胆に応えようとするかのように、ひしがれた男の肩を何度も叩きながら、「卿は死ぬな。淋しくなる。死ぬでないぞ。オルトンの分まで生きるのじゃ」と言って、砦の内に去っていった。

 城壁のうえで誠実なるオルトンの帰還を見つめていた若きオトゥール王の顔からは、表情が消え失せていた。一片の感懐を零すこともなく、一滴の血も流さず、呼吸すら忘れてしまった塑像のように、ただじっと全身を蒼白にして遺骸を見据えつづけ、しばらくのあいだ目頭を押さえ、やがて口元をひらめかせたあと、居室へと姿を消していった。

 トバイアスの耳は王の言葉を捉えなかったし、王の頬に涙の跡も見いだせなかったが、不思議と主君への憤りに震えることなく、無慈悲さを嘆くこともなかった。ひらめいた口元が語ったであろうことが心の片隅から流れ込んできた気がしただけだった。

 それからというもの、トバイアスはその聞こえない声に弾かれたかのように、砦の地下にある土蔵に閉じ籠るようになった。無数に灯された蝋燭の薄明りのなかで、トバイアスは持ち込んだ羊皮紙にあれこれと図面や数式を書きなぐり、何枚もの石板に蝋石で思考の痕跡を記していった。あまりの悲痛に正気を逸したのではないかと訝しむ者もあったが、智謀の将はそうした外聞など意にも介さなかった。三日がたち七日がたち十四日がたち、やがて一月を過ぎたころ、トバイアスは煤けて、無精髯に覆われ、汚れきり悪臭を放ちながら、両手で無数の石板と羊皮紙が詰められた箱を抱えて土蔵から姿を現した。

 身なりを整えた智謀の将は、すぐさま王に謁見を求め、箱に詰められた羊皮紙や石板を示し、様々に説明を加えていった。そのトバイアスの素行には水を得た魚のごとき感があった。

「それで卿は、なぜこのようなものを設計しようと思ったのだ?」

「それが小生にも理由がはっきりとはわかりかねるのです。それでもあえて申せと仰るなら、オルトンの志がそうさせたとしか申せません」

 オトゥール王の表情が少し和らいだ。

「それだけでは無かろう。卿はそれを感じているのではないのか?」

「と申されますと?」

「うむ」王は言うべきか、言わぬべきかと熟慮する表情で、「ウィルフレッドという名を耳にしたとき、卿は何かを感じるか?」と言った。

「予もあまり言葉にしたくはないのだがな。わかるか? わからぬか? 卿は予と同じように感じるのではあるまいか?」

 トバイアスは己が考え、記した設計図とは違うところに王の興味や知りたがっていることがあるように思えた。だが、彼にはそれがわからなかった。ただわからないままに深く息を吸って目を閉じたその時、この一月の出来事が一瞬であったように思えた。そしてそれこそがオトゥール王の求めていることであるような気がした。

「小生、わが君の思いがどこにあるのか、察しかねますが、感じるということで申しますなら、ウィルフレッド、遠い昔に湿原で見たあの木乃伊、また半身が墨のようになったあの兵、そしてオルトン。それだけでなく敵手のクリフォーレ王、みなに同じものを感じるのです。しかしそれは名であるとか顔だちであるとか為人(ひととなり)といったものではございません。」

「……」

「畏れながら申させて頂ければ、それは王のお作りになった親衛隊の兵たちにも感じられると思うのです。小生もはじめは、彼らに瘴気のようなものを感じていたのですが、そうではないのです。人は理性で解せぬものを恐れる。ただそれだけだったように思えるのです」

「もうよい、充分だ。智謀の将トバイアス卿、そのことを忘れんでほしい。そしてまたそのことを軽々しく口外せぬようにしてもらいたい。それこそが我らの強みだと心得てくれれば、それでよいのだ」

 若きオトゥ-ル王は誡告の言葉を呟き、目頭をおさえたあと、口元をひらめかせた。

 トバイアスの眼前から王の気配が忽然と消え失せた。王が蒼白で無機質な塑像になったように感じた。耳には主君の声さえ聞こえなかったが、その口元は間違いなくひらめいていた。その瞬間、彼は己の感じたことと、王が感じ続けてきたことが近しいものだと確信した。

 二人の間にはわずかな刹那とも、はかりしれないほど長い時間ともいえない時空が横たわっていただけだった。その時空に包まれていただけだった。

「残念なことだが、老卿にはそれがわからぬのだ。古き時代の人であるのだろう」

 王は深々と溜息をついた。

「トバイアス、彼を守ってやってほしい。それが無理であると知ってもな」

「御意のままに」

 それから、夢から覚めたような体で、トバイアスは己が構想した種々の設計の認可を受けたあと、居室をあとにしたのだった。

 その翌日、ひらひらと降る牡丹雪に覆われ、大地は白一色に染められた。

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