病 魔
一方でオトゥール王は、病床に臥せっては回復する年月を過ごしていた。
病魔に憑りつかれるたび、老ブルック嬢は王の寝室に泊まりこんで介護にあたった。その心尽くしに満ちた手厚さは、戦争寡婦という苦悩の沼に沈まぬようにと心を砕いてくれた、トバイアスに報いる心情表現の発露であったが、王の病床に介添えすることが増えるにしたがって、彼女の胸のうちに微妙な変化をもたらしていた。
「先生はいつも同じことを言います。大丈夫ですと。ではなぜ、このように王はまた寝台に臥せることになるのですか」
ブルック嬢の真剣な声には、わずかに怒りが混じっていた。
侍医は困ったような顔をして、深い溜息をついた。
「わたしが説明できることは、余すことなくしているのです。しかし、そうですね……」
そう言ってから、侍医は彼女の耳元で囁いた。
「ここではお話できないことがあるのです。お聞きになりたいなら、廊下に出てくれませんか」
そのときはじめてブルック嬢は気づいた。王の病気が容易ならざるものであることに。そして侍医が廊下で彼女に説明したことは、それを証明したのだった。
「それは本当なのですか」
「私だけでなく、城中に控えている医師の見たては一致しています」
「それでは王はどうなるのですか」
「何とも言いようがありません。原因がわからない以上、どうなるとは言えませんし、手の施しようもないのです。わかるのは、次第に全身の筋肉が衰えてゆくということだけです」
「おお神よ! なんということでしょう」
衝撃のあまりか、ブルック嬢の声は自然と甲高くなっていた。
「それで、王はそのことを知っておられるのですか」
「実は……いまだに話せていないのです」
侍医は沈鬱な表情で俯いた。
「なぜ今まで黙っていらしたのですか」
「治癒する可能性に賭けていたのです。それに、ご病気になられた時、王の周囲は非常に騒がしく、お伝えしようと思うと、不思議と王は回復されたので、機会を失いましてね」
「諸侯の方々は、このことを知っているのですか」
「ですから、その時には王の周囲が騒がしく――」
「では知っているのは、先生たちだけだと仰るんですね」
侍医はただ黙って幽かに首を縦に振った。
「お話しなければなりません、王にも諸侯にも。王にはわたしからお話しましょう。わたしにはわたしなりの伝えようがありますが、それでよう御座いますね? 諸侯には先生のほうからお伝え願えますでしょうか」
七年に渡って隠し通してきた罪悪感と、誰よりも献身的に王に仕えてきたブルック嬢を知る侍医は、否とは言えなかった。
その夜、オトゥール王の寝室には遅くまでランプの明りが灯っていた。
寝台に横たわる王。その足下には丸くなって背中に頭を乗せているシアーシャがいた。そして寝台の傍らにはブルック嬢の姿があった。
「そうか、よく伝えてくれた。心労をかけたな」
王は動揺すら見せずにそう言ったあと「そうか、そうか」と肯きながら、長くつづく老嬢の言葉に静かに耳を傾けていた。
ブルック嬢はハンケチを握りしめ、必死に悲しみに堪えようとしたが、時折、目尻に膨らんだ涙が頬をつたうことを抑えきれなかった。
「お体が丈夫なうちに、思うようにしてください。王としての責務があるのは、この老婆にもわかっているつもりです。ですがどうかお願い致します。ご自分を粗末になされないよう、どうかお心にお留めくださいまし」
懇切に繰り返される哀訴は、息子を思う母の愛情に似ていた。そしてオトゥール王も、その親心に似たブルック嬢から注がれる愛情を感じとっていた。もしもこうした話を、侍医や諸侯の口から耳にしていたなら、王はあくまでも王たろうとしたのかもしれない。だがオトゥール王はその慈愛に動かされたのである。
「ブルック嬢、もう心配せんでよい。予にもしも妃がいたなら、そちと同じことを言っただろう。予のことを面白がって男色であると噂する者もおるようだが、案外それは当たっているのかもしれぬ。予が最も愛してきたのは、そこにおる雄の鵞鳥であるからな。あのものが思い通りに生きる姿を、予は最も尊いと思ってきたのだ。予もこれからはそれに習おうと決めた」
「こんなときに御冗談を」
ブルック嬢は笑っていいのか、叱っていいのか、泣いていいのか、喜んでいいのかわからない混沌の中で、涙を流していた。
それからというもの、オトゥール王は、病床に伏せることを繰り返しながらも、執務の合間にシアーシャを連れて狩りを楽しむようになった。かつてはいかなる強弓も引き絞れる王だったが、いまや狩りにも不十分の力しか宿っていなかったが、それを補うかのようにシアーシャは悠々と飛翔し、紅鱒を捕えては、力ない王の手元へきて喜びを分かちあおうとするかのように、その手を嘴で突つくのだった。
だが王は、いまだ安らぎに身を任せることはできなかった。
クリフォーレ王が再侵攻する危急は当面ないという報を受けてはいたが、両国の平和に繋がる決定的な要因が欠けていることが、気がかりであったのだ。




