施 策
オトゥール王の居城にある尖塔の巓で、三葉のシャムロクが染められた白い旗が翻っていた。さながらそれは、梢の先でそよ風に煽られて、ひかえめに存在を誇示している、小さな若葉のようだった。雲一つない晴れた冬の空を臥所として、太陽は午睡にまどろむように穏やかな温もりを、あらゆるものに投げかけ、城壁のうえの桟敷の奥に設けられた、王の居室に置かれた品々は、時折、陽光を反射してきらきらと輝いた。
若きオトゥール王は、その光が燦々と降りそそぐ部屋で、執務に忙しかった。長きにわたる戦争が終わったからといって、贅をこらした饗宴を催すほど王は凡愚ではなかった。裳裾を引きずる寡婦や、親を失った孤児たちが、残された遺産を一つ残らず売り払い、貧困の底で暮らしながら俯いていることを、王は熟知していたのだ。
だから、まずはじめに行ったのは、国中のあらゆる資材をかき集めて、トバイアス指揮のもと作った、各種の武器防具を解体して、それらを家財道具や生活の資材として開放し、分配することだった。
「遺恨を残して去ったクリフォーレ王がこのまま引き下がるとは思えません。今すぐというのは国の守りを放棄することになりませんか?」
という声もあったが、王は、
「このたびの戦勝は民人の全面的な協力があったからではないのか。また、その民人という地盤があってこそ、国を守る意味があるのではないのか」
と問い返して、その進言をかるく一蹴した。
そうして解体されたのは、あの黒衣の親衛隊についても同じだった。トバイアスの見たてによれば、親衛隊の者たちは、王亡きあと、新しい時代を牽引してゆく後継者として、はじめから王が考えて育てたのであるから、当然の措置だ、とのことだった。事実、彼らは軍装を解くと、つぎつぎに重要な政務官の位置についたのだった。
そのなかで、頻繁に人々の口にのぼったのは、戦場で片腕を亡くした男、隻腕の族長とあだ名されたデクスターだった。彼は、王の指導のもと、金融や資産や物流、またそれらの適切な管理にと、王を補佐し、文字どおり休む暇なく片腕を振った。
多くが杞憂する国防と外交方面に起用されたのも、かつての親衛隊の一員で、寛大なる巨漢と呼ばれるネッドだった。
丸顔でもともと愛嬌のあった彼は親衛隊時代とはうってかわって、表情も豊かに豪快な大声で、
「おい、そこの痩せっぽちの坊主、それをどうする気だ」
と街中で年若い者たちに声をかけ、力仕事に精を出していた少年の手伝いをしてみたり、
「お嬢ちゃん、綺麗な花だね。小生に一輪譲ってはくれまいか」
などと微笑みかけて、寡黙な少女を驚かせ、時々は頬まだ赤い娘が照れてしまうような科白を、役者そこのけの身振り手振りつきで投げて、少女たちをもじもじさせたりした。
だが、一転、隣国に不穏な動きありと聞けば、ネッドはかつての無表情を取りもどし、巨漢に似合わない敏捷さをもって事に当たったのだ。
そしてまた、長くつづいた惨禍に挫けず、希望を持ちつづけようとして国中に起こった民人たちの祈る心、それから発展しはじめた信仰や礼拝施設を保護し、奨励する者として、金剛の心もつ者クリスティンもよく民人たちの集まりに姿を見せていた。
「それで、諸君らの信じている神はいかなるものぞ」
と謹直な顔をしならが、各派、各宗教の教義を学んだりして、信教の自由を保障し、宗派間の爭いを未然に抑止する守護者として、民人の耳目を集めることが多かった。彼自身、ある宗派の熱心な信徒であったから、時に熱が入り過ぎた議論をすることもあったが、それは真剣な態度で職務に望むゆえと、多くの民人たちから、好意の目で見られたのである。
また、そうした新進のものたちと変わらず、亡き老卿ニーアドを筆頭とする旧臣下たちも、それぞれ重要な施策に携わる政務官に補されて、戦禍からの復興に邁進した。
「しかし、我が君の人事の妙には舌を巻かざるを得ないな」
「炯眼の主に恵まれたことの幸せよ。ニアード卿亡きあと、人事を巡って紛糾し、あるいは内戦にでもと心配したのだが、どうやら下衆の勘繰りだったようだ」
「なんというか、我が君は、チェスの名手といったところではないか?」
「どういう意味だ?」
「大意はないが、チェスにしろ何にしろ、徹底的に負けがこむと、かえって清々しい気持ちで、次の対局に移れるというのがあるじゃないか。大事なのは勝敗ではなく、その対戦から、己が分やら相手の器の大きさなんかが見えてくるといったことさ」
それぞれがそれぞれの立場にたち、復興の道を歩く者、走る者、道端で少し休憩する者と、様々な人間模様があったが、そうした人々の有機的な結合は、間違いなく荒れ果てた国を豊かにしていったのだ。
しかし、そうした恩恵から見放されてゆく者たちもいた。それに対する施策、傷痍や傷病に対する補償という政務を仰せつかったのは、智謀の将トバイアスだった。
彼は、戦場で受けた傷が悪化し、朽ちかかった家屋の奥、日差しも届かぬ湿った寝台に終日身を横たえる者を、訪なって励まし、そうした者の声を聞き、重臣たちの従僕として戦場に赴き、眼底に固着した凄惨な光景から、精神的裂傷を負った、年端もゆかない少年を見舞って、心安まる物語を聞かせたり、すべてを戦争に捧げ、たった一人になった老婆の元へ足を運び、身の回りの世話をすることもあった。時には、
「あたいをこんな風にして、今頃になって頭を下げに来たからって、それが一体何になるというんだい。ほっといておくれ、出てっておくれ!」と半狂乱になって花瓶やら水甕とともに叫声を投げつられることもあった。
だが、トバイアスはめげることなく過酷な政務、――むろん彼がそれを官僚的に考えていたはずはなく、己が惹き起こした罪過の一部だと心得ていたのだろうが――に忠実であろうとした。だから彼は、彼の親切に礼を言うような人々よりも、眉間に皺をよせ、眦をあげて憤怒をぶつけてくる人々のもとを頻繁に訪れ、生きているがために味あわざるを得ない、苦悶の嘆きとともに流れ落ちる涙の雫の中に、その人が大切に思っていた人を見ようとし、その死者の声を聞きとり、号泣する悲嘆の底に住む人に伝えようとするのだが、
「お前に何がわかる。あの人の声を聞いただなんていい加減なことを言うんじゃないよ。お前なんかにあの人の何がわかるっていうんだい! 出ていけ!」
と、かえって相手を逆上させてしまうことも数知れなかった。それは、かつてオトゥール王の口から「死者の声を軽々しく口外するな」と聞かされた意味を噛みしめることでもあった。だがトバイアスは投げつけられた鍋釜が当たって口や鼻から血が流れようと、
「今日もまた名誉の負傷だ」
と、外で待っている同僚に笑顔を見せるのだった。
それは、戦場で受け、ようやく治りはじめた傷に塩を擦りこむような日々に見えたが、
「戦場で味わった辛苦も決して楽ではなかったが、俺は彼らほどは苦しまなかった。戦場は戦うことで忘れさせてもくれたが、日常は、むしろ辛苦を思い出させるものだと知った」
と言うのだった。
しかし、そうした彼の真心と誠意を受け入れる者も少数いた。トバイアスは、身寄りもなく先行きの見通しさえつかず、あばら屋で暮らす老人や、孤児となった年若い者たちを引き取り、城内に彼らが起居する場所を設け、何かしらの仕事を与えて、生気を取り戻させたりもしていたのだ。その一人に、エイダンという少年がいた。
城壁のうえから彼方に見える霞む山並は、まだ雪をかぶっていたが、その風景を眺めながら、夕陽に頬を染めている少年に降り積もった悲しみの雪解けは、そう遠くないようだった。
「ただいま、悪戯坊主のエイダン。今日は何をして過ごしたんだい?」
「ああ、トヴィーおじさん、おかえりなさい」
少年の顔ははじけるように明るくなった。
「ぼく今日ね、鵞鳥を掴まえたんだ。それでね、連れて帰ってきたんだけど、その時、ちょうど王様に会って、『飼ってもいいですか?』って聞いたんだ」
「それで?」
「王様、『いいよ』って。でもね『ちゃんと面倒を見るって約束するならだ』って」
「それであそこに鵞鳥がいるんだな」
トバイアスは首に縄を繋がれ、のんびりと座って、薄茶色の貝殻を並べたような模様の翼を休めている、一羽の鵞鳥に目を向けた。
「うんそうなんだ。だけど、王様が言うには、『ちゃんと面倒を見るっていうのは、縄に繋いでおいて飼うってことじゃないけど、君はそれがちゃんと出来るのかい?』って」
「……」
「ぼく、あんまり自信がないんだ。だって鵞鳥がぼくに懐いてくれなければだからね」
「それはやってみないとわからないな。だけどきっと大丈夫さ。お前なら出来るよ」
大きな掌で頭髪をくすぐるように撫でられ、少年は嬉しそうに微笑んだ。
「さあもう日が暮れる、中へ入ろう」
「ねえ、おじさん、鵞鳥も部屋に入れていい?」
「ああ、いいとも」
皮肉なことだったが、戦禍が生んだ孤児のエイダンこそが、トバイアスの心にぱっくりと開いた生傷への、唯一の慰めになっていたのだ。




