Ⅲ
「色が、変わっただと?」
ルートさんは私たちの話を聞いて、正直のところ信用してくれなかった。そんなバカなことがあるものか、というような表情をしていた。
ルートさん、そしてレンドくんとカノンちゃんが来たのは化け物の動きを止めて、数分経った後だった。化け物が動き出そうとした瞬間に、紗那が物体を生成する。
「つっても、変わったもんは変わったんだ。仕方ないだろ」
「仕方ない、と言われても、今までなかったことが急にあったなんて言われてもな」
釈然としない、と言えるような表情だ。ちなみに化け物はもう倒している。ルートさんのインサイドアウトで倒すことはできた。
そう。ルートさんなら……。
「ジャックと私しか戦えなかったのは、赤に対してはきついんじゃないかな?」
というのは紗那の発言。
「私自身、化け物にとどめをさせるような能力じゃないから、正直二人ともいてくれないと、これからの戦いは厳しいかもしれない……だって、化け物の色が変わるんだったら、むこうが相手に合わせてやり方を変えてくるかもしれないじゃん」
「ふん……しかし色が変わる様子がいまいちわからんな」
「だからこう……徐々に変わっていく様子だよ、わかんねえか!?」
ジャックがよくわからない手ぶりを使って、ルートさんにあの情景を伝えようとする。いや無理だろ。ジェスチャーで色を伝えるって。普通に考えて不可能だから。
「色を手で表すなんてできませんよ。えーと、かなめー」
「え、えっ、なんでここで私」
いつものとおりびくっとするカノンちゃん。単に薄暗いからびくついているのかもしれないが、焼肉にも一緒に行って、それがカノンちゃんの性格であることはもう分かった。
「ほら、いまこそかなめの出番じゃないか。情景移植。ジャックさんの見た情景を、ルートさんに伝えてあげるんですよ」
「なるほど! そういう使い方があるのか!」
紗那がテンションを上げる。というか、紗那は気づいていなかったのか……まあ、気付いて切り出せなかった私にも原因はあるんだけど。
カノンの情景移植で、ジャックとカノンちゃんの情景を共有する。化け物がグラデーション的に色を変えていく様子を共有。その情景をカノンちゃんが覚えて、次にルートさんと情景移植で情景を共有する。そうすることで、情報が共有される。
「えっと、じゃあ……ジャックお兄ちゃん」
「ああ、たのむ。あのわからずやに分からせてやってくれ」
分からずやって。シンプルにルートさんのことをバカにするよなぁジャックって。遠回しにどうとかいうこともなく。陰口も……いや、陰口は言っていたか。でもバカにはするけど悪くは言わないというか。そういう微妙な友情関係を保っているというのか。
私には分からないけど。
ルートさんはそんなジャックの売り言葉を買うようなことはしなかった。
「えーと……」
カノンちゃんはジャックの言葉にどう反応してよいかわからない様子ではあるが、とにかくしゃがんだジャックの手を握る。そして目をつむる。二人の間で、今情景の共有が行われているのだろう。外側からではさっぱりわからない。紗那を横目で見る。紗那もまたわかんないよね、と肩をすくめていた。
「うん、だいたい分かった……」
カノンちゃんが目を開けて、手を放した。ジャックは満足したように立ち上がる。
「えっと……じゃあ、次はルートお兄ちゃん?」
「ああ、頼む。」
ルートさんはカノンちゃんに目線を合わせるようなことはせず、手をただ差し出すだけだった。ジャックと比べれば、不愛想な行動だった。まあ、カノンちゃんはもともとびくびくした性格なのでどう感じたのかはよくわからないが、ルートさんの手を握った。
「ほう……なるほど、なかなかに便利だな。言葉で聞いた以上だ」
ルートさんも目を瞑りながらそう言う。
「よし、もういいぞカノン。もう分かった」
「は、はい。すみません」
ぱっと手を放すカノンちゃん。そこは謝らなくていいと思うんだけど。まあ、ルートさんの言い方が少々つっけんどんな気はしていたけれど。
ルートさんから離れて、直接レンドくんの後ろに移動するカノンちゃん。その様子を見て紗那がまた「かわいい……」と呟いたのは気にしないでおこう。
「なるほど、化け物の色が変わったというのは本当のようだな」
「分かってくれたようでなにより」
ジャックはやれやれ、とでも言うように肩をすくめる。はじめからこうすれば良かった、という疲れの気持ちもあったのかもしれない。しかし本当に、カノンちゃんの能力はとても便利だ……。
「それで、どうするんだ? こりゃあまた、新しい対策が必要だと思うが?」
「確かに、な……化け物が戦闘中に特性を変えられたら、こちらも戦術を変えなければいけないからな……」
ルートさんは考え込む。
戦い方、か……確かに、地形を考えればそうなのか。だいたいの化け物はここに出現する。この薄暗い建物どうしの隙間。化け物は一体でその幅を埋めるし、人間だってそんなに横に並べるほどの広さはない。
つまり化け物に直接対峙できるのは一人か、多くて二人。化け物をうまいこと誘導で来たらいいが、その途中で一般人に危害が加わるようなことがあってはならない。私の能力を有効活用すれば、できるかもしれないが……具体的にどうすればいいのかということは思いつかない。空を飛ぶにしても化け物が近づかなかったら終わりだし、また以前のようにオカルト誌に掲載されるなんて御免だ。やはりこの場所で倒さなければならないだろう。
「戦術……というと、やはり誰を起用するのかってことになるのか。ふん、俺に全部任せれば……っつーのは、さすがに意地の張りすぎなのか」
「ああ、ジャックも自分の苦手分野が分かってきたじゃないか。自分の苦手分野を知ってからが人間、成長の始まりだぞ」
「うっせえ。年上面してんじゃねえよ」
ジャックがあからさまに悪態づく。いや、ルートさんが小馬鹿にしすぎているのか。さっきのお返しだというのだろうか。
……というか、関係ないけれどやっぱりこの二人は仲がいいんだな。人間関係にほとんど興味のない私にも分かる。気兼ねなく悪口を言い合える仲。あまり尊敬できた関係ではないんだろうけど。クラスにもよくいる。どう考えても錯覚している関係もあるのだけれど、どうなのだろうか。信頼関係が構築されているようだから、錯覚ではなくただの気の置けなさなのだろうけれど。
もしくはこれが男の友情とかそういうものだろうか。だとすれば私にはさっぱりわからないことだった。だって、他人の悪口なんて言うものじゃないじゃん。いくら心の中ではそう思っていたとしても。
「化け物を倒すうえで大事なのは、どれほどダメージを与えるかではなく、誰が倒すかが大事なんですよね?」
「ああ、そうだ」
「……というのも、やはり化け物の奇妙さですよね。誰が倒すか……つまり化け物は倒される人物を判別しているということですし」
確かにそれは化け物に関して奇妙なことの一つだ。色によって、苦手とする人がいる……それは何を示しているのか。
「化け物にも、意志はあるのかもしれないな。いや……むしろ思念体という考え方はできないだろうか」
「ああ? しねんたい?」
思念体、という漢字が脳内で変換できなかったようで、ジャックは復唱する。漢字の変換と言えばもちろんカノンちゃんもできていないようで、きょとんとした顔をしている。もう二人はちゃんと理解したようだ。
「人の思念——誰かの誰かに対する思いが具現化したもの。例えば愛だったり、もしくは呪いだったり……そういう強い感情が、ああいう化け物として顕現している、ってこと?」
紗那がジャックにも分かるような言葉に言い換えて、ルートさんに確認の問いをする。紗那も結構テクニシャンだ。器用なことをする。周囲の理解を促す問いを自らするなんて。よくできている。
「ああ、そういうものなんじゃないかと思っている」
「ふむ……まあ確かに、漫画ではよくある設定だよね。そういえば、化け物は人の絶望から出てくるんだったよね……その絶望そのものが化け物だったりするのかな」
「ああ、可能性が高いのはその線だろう」
紗那とルートさんでだいたいのやり取りがなされている会話。ジャックは言葉の端々を理解しているのかは怪しくて、カノンちゃんはいつものとおりおろおろ。レンドくんはおとなしく聞き、そして私は半ば傍観しているようだった。
「絶望にも、いろいろあるもんね……種類に表せば、7色にはなりそうな気はするよ。そして、その絶望を、複数種類味わったから……ああいう風に混合した化け物が出てきているのかも」
絶望。
あのとき紗那が味わった絶望は、漫画を描くことをやめさせられるそれだったか。確かに、純粋に一つだけの絶望を味わっているといえるだろう。複数の種類の絶望……例えば、不幸が立て続けに起こったりした場合だろうか。不運が重なり、その重なった絶望が、混色の化け物を生む。
そういう仮説か。
たしかに、これ以上ないくらい納得できる。
……真実はどうなのかは分からないけれど。
「なるほど」
「紗那さんって、なかなか聡明ですね」
「えっ……いやいや! 私なんか全然! ただ漫画の知識をひけらかしただけだから!」
レンドくんの何気ない褒め言葉に、紗那はうろたえることになる。なぜ頬が赤くなっているのか。単に褒められて嬉しかっただけなのか。それ以上のものがあるのか。
私にはまったく興味のないことだけれど。
「とにかく、戦術をまた考え直さないとな……今日はこの辺で解散しよう」
「え、もう?」
「ああ、お前も疲れただろう」
「あははー。一応初めての戦闘だったしね。気は使ったよ」
ルートが紗那をねぎらう。紗那はなんでもないかのような平気な顔で、しかし言動は気遣いに甘える。
そうか。紗那が戦ったところを見るのは初めてか。紗那の能力が関わっていたのはルートさんが操っていたときだけか。紗那自身が、狙ったところに発動させて、化け物に攻撃したのは今回が初めてだ。
「ということは、僕たちは骨折り損、というわけですか。まあ、次回は役に立てるように頑張ろうと思います」
「ここの見張りの方法を変えるのが一番いいかもしれないな。事務所もここにまあまあ近いと言っても、すぐに対応できる位置にないしな」
「じゃあ、このアパートの一室でも借りて、そこに僕が……僕とかなめが、住みましょうか?」
「ああ、それがいいかもしれない。お前の時間亡失で化け物の足止めをしてくれれば、その後の戦闘がかなり楽になる」
「じゃあ、そうしましょう、かなめ、いいね?」
「う、うん……ここの近くに住むの?」
カノンちゃんはあたりを見回す。薄暗く、ひょっとすればお化けでも出そうな雰囲気を有している。いや、まあ化け物は出ているのだけれど。
「こ、こわい……」
その反応はごく普通なものだった。
「じゃあ、俺は手続きをしてくる。各々、帰るように」
ルートさんはここへ来たであろうリムジンに乗りこむ。リムジンというには乗用車並みの長さしかなく、いやそれが普通なんだろうけれど、違和感を覚えてしまう。
黒塗りの乗用車? ……その表現はどうなのだろう。
そしてその車は発進する。
「じゃあ、俺らも帰るか」
「そうですね、行こう、かなめ」
「え? え? あの車は……」
「ああ、あの車は部屋を借りに行ったんだよ。僕たちとは行く方向が違うよ」
「あ、そうなんだ……」
レンドくんもカノンちゃんも、ルートさんと同じ車で来た。いる場所が同じなのだから一緒に来るのは当然だ。
「帰りにどこか寄ろっか」
「うん!」
「あーたしーもまーぜてっ!」
紗那が変なリズムで二人の肩をつかむ。二人は笑って紗那を見る。
「おい、リリ」
「ん? 何?」
ジャックが話しかけてきた。
「俺も帰るわ」
「うん、そう……」
「気を付けてな」
「ジャックもね」
「ああ」
そんな、なあなあな会話をして、ジャックは私から背を向けていった。
「さとりぃー! じゃあねーっ!」
紗那もまた、レンドくんとカノンちゃんを連れて町のほうへと消えていった。
そうして、私は一人になって、大して遠くもない家へ帰った。




