2-5
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「ほんとに、何もしてないでしょうね?」
「その質問何回めだよ。あー、きっとこういうのを理不尽って言うんだぜ。あーあ」
宿を出て、わたしたちは賢者さまに教えられた村へと向かっていた。灰色の風景が時々遠くに見える。
夜の浸食は日増しに広がっているようだった。
それは、サンクチュアリさまの容体が決していいものではないことを暗に示しているように思えた。
――サンクチュアリさまは、今、一体どうされていらっしゃるんだろう。
アレスみたいに情報がやりとりできれば、不安も解消されるのに。
そのときだった。
「アカシア!」
ひどく懐かしい声を、耳にしたのは。
見上げると、ひとりの有翼人が空に浮かんでいた。
「ディテ!」
ディテはゆっくりと地上に足をつけて、わたしを抱きしめた。
「会いたかった! アカシア!」
「どうしてここに。っていうか、ちょっと待ってね」
こっそり耳打ちする。
「……ここではカーシャって名乗ってるから」
ちらっとアレスを見遣ると、少し離れたところから、いきなり現れた有翼人に驚いて固まっていた。
「あら。そうなの? ごめんごめん」
「それでディテ。どうして、地上に?」
ディテは無駄にくるりと一回転してみせて、はにかんだ。
「天空と地上の間に伝達役がいないでしょう? って、侍女長さまに進言してみせたの」
「そのやり方がディテらしいわ」
侍女長さまとのやりとりが目に浮かぶ。きっとうまくやりこめたに違いない。
アレスがまだ驚いているので、紹介をしてあげる。
「あ、そうだ。アレス、この子はディテ。サンクチュアリさまの侍女仲間なの」
「ど、どうも、はじめまして」
アレスが挙動不審になっている。
「空から人間が降りてきたのを見たのは初めてです」
「わたしだってそうじゃない」
「カーシャは降りてきた、じゃなくて落ちてきたから」
「失礼な!」
「ねぇねぇ、ア、――カーシャ」
ディテがわたしに耳打ちを返してくる。
「この人、貴女の恋人?」
「それはない絶対ない断じてありえないたまたま出会っただけだから!」
全力で否定。誤解されたら困る!
「ふーん。はじめまして、ディテと申します」
侍女たちのなかでも顔立ちの整っている方に入るディテが笑うと、彼女の周りに花が咲くみたいだ。アレスがあからさまに緊張しているのが判る。
「少し、この子をお借りしてもよろしいかしら?」
「あ、はい、どうぞ」
ディテはわたしの手をとると、走り出した。
「あっちで話しましょう」
楽しそうなディテ。地上なのに、天空にいるみたいな気分だ。
アレスが見えるか見えないかの距離まで来て。木陰の下に立つと、ディテが大きく息を吐いた。
「大地って、楽しいわね! で、本当はどうなの?」
「は?」
ディテがアレスを一瞥する。恋人ネタはまだ続いているらしい。
「ば、馬鹿! そもそも、あいつは――大臣の息子、なんだから。仇なんだから」
「かつての、王国の?」
頷くと。ディテは残念そうに背伸びをした。わたしはさらに付け加える。
「それに婚約者がいるんだってさ」
付け加えた割になんだか嫌な気持ちになる。
「ほー。え、じゃあ、どうして一緒に旅を?」
まずい。段々本筋から逸れていく。
「サンクチュアリさまのご容体は?」
さっとディテの表情が曇る。くるくると調子が変わるのは相変わらずだ。
「……というか、天空全体が。とても最悪よ。皆次々と倒れて、事実上天空は殆ど機能していないもの。宮廷医師長さまが頑張ってくださっているおかげで、なんとかサンクチュアリさまはおしごとをされていらっしゃるから安心して。でも、皆、貴女が帰ってくるのを待っているわ。賢者さまにはもう会えたの?」
「会えた、けど。今度は、大地の精の指輪を見つけろって言われて。それをすり潰して薬にすればいいって」
ディテが眉をひそめる。
「指輪を? おかしな話ね」
「うん。だから、今、大地の精が現れる可能性が高い村に向かっているところなのよ。地上も、サンクチュアリさまが舞われなくなってから、時間がどんどん喪われていってる。このままだと、天空も地上も、滅亡してしまう」
「そんな……! 全然、知らなかったわ」
ディテがわたしの肩を掴み、見据えてくる。
「ほんとに大変なことだと思うの。貴女ひとりに全部任せるなんて、ひどいと正直思ったわ。だからあたしも貴女の為に何かしたかったの。もし、あたしにできることなら何でも言ってちょうだい。アカシアの力になりたいの」
わたしはディテの手にそっと触れた。
「ありがとう。ディテがここまで来てくれたことが、まず嬉しい」
心強くて、力が湧いてくるように思えた。
だけど、ばさり、と音がして。
次の瞬間、わたしは信じられないものを見た。
「まさか――ディテ、貴女も」
地面に、ディテの羽根がごっそりと抜け落ちたのだ。羽根が水溜りのように白く地面を染める。きれいだ、なんて一瞬でも思ってしまった自分を激しく後悔した。
ディテも、病に罹っている。
「だから、来たのよ」
そんなディテに。
馬鹿、どうして来たの。
なんて、言えなかった。




