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2-4


 わたしが動けず固まっているのを見て、アレスは情報を得てくると告げて去ってしまった。なんだか、不機嫌そうだった。そうだよね。これくらいのことでびっくりして動けなくなるなんて。

 ……情けないと思われたかな。

 ちくり、と胸が痛んだ。

 やがて足音がこちらに近づいてくる。


「お、おかえり」


 平静を装う。


「調子はどうだ?」


 アレスに穏やかな微笑みが戻っている。内心、ほっとした。


「う、うん。もう大丈夫。ごめんなさい」

「いや、いいよ。それよりも――」


 表情に影が差す。よくない情報を得てしまったのだろうか。


「国の半数近い箇所が、夜に飲み込まれてしまったらしい。原因も対処法も未だ不明で、神官や巫女たちが祈祷を続けているそうだ」


 時間の喪失は留まるところを知らない、ということだろうか。

 だったらここでぐずぐずしている訳にはいかない。わたしは立ち上がる。


「早く行かないと。って、え……?」


 足を前に出そうとして。

 ぐらり、と。地面が揺れた。違う。揺れたのは、わたしだ。視界が段々白くなる、ちょっと待って。どういうこと?


「カーシャ!」


 アレスの叫び声が聞こえた、気が、した。



 ああ、また、夢だ。

 意識がふわふわと漂うような感覚は、記憶を再現するときのもの。


「どうしてそんなこわいおかおをしているの?」


 わたしがアレスに訊いている。


「カーシャがわるいこと、した?」


 必死に。嫌われたくないから、間違ったことをしたのなら謝ろうと思って。

 だけどアレスは表情を硬くしたままだった。


「……父さんたちのはなしを、聞いてしまったんです」


 がっと、アレスがわたしの肩を掴む。諭すように呟く。


「いいですか姫さま。近いうちに、大きな花火が上がります。そうしたら、僕とふたりで鬼ごっこをしましょう。僕が鬼、姫さまは隠れて、絶対に、誰にも見つからないようにしてください。わかりましたね?」

「みつからなかったら、ほめてくれる?」

「ええ、勿論です」

「じゃあ、カーシャがかったら、アレスはカーシャのおむこさんになってね」


 アレスが困ったように微笑んだ。

 当然だ。だって、姫と大臣の息子じゃ立場が違いすぎるもの。というか、この頃のわたしってば何をのたまっているの! 信じられない。

 ……あ。

 そこでひとつの可能性に気づいてしまった。

 これって、もしかして、夢に見る灰色の日のちょっと前の出来事じゃない?

このアレスの様子になんだか違和感があるのは、もしかして、アレスが大臣たちの謀反計画を知ってしまったということ?


「カーシャさまが幸せに生きていけるように、天空の神に祈っておきますよ」


 それはアレスがルナに対して語った言葉に似ていた。


『俺だって、大事なひとがいて、そのひとが死んでしまうかもしれないなら。そのひとだけでも助かってほしいって、そう思うから』


 アレスにとって、このとき、わたしは大事なひとだったということ?

 もし、そうであるなら。

 アレスは幼いなりにわたしを守ろうとしていた……?



「目が覚めたか」


 慌てて体を起こすと、頭が殴られたように痛かった。


「熱があるぞ。頑張りすぎて体にきちゃったんだな」


 宿の寝台に寝かされているようだった。最近は夢を見てもまったく思い出せない。わたしの混乱を読み取ったアレスは、座っていた椅子から立ち上がり、窓を開けた。

 陽が沈みかけている。


「覚えてるか? 急に倒れて。そしたらすごい熱なんだよ、慌てて近くの宿を探したんだ」

「な、なんとなく……」


 頭がいたい。ぼーっとする。


「疲れがたまっていたんだろうな。そうだよな。普通の女子が、野宿とか歩き詰めとか。慣れてないもんな。とりあえずひと晩はゆっくり寝て、体力を回復するんだ」

「で……でも」


 時間がない。急がないと。急がないと駄目なのに。

 早くしないと、サンクチュアリさまを助けられないのに!

 アレスは再び椅子に座りなおして、わたしの頭を撫でてきた。


「寝てるとき、すっごくうなされてたんだぞ」

「えっ」

「父さまとか母さまとか、なんかそんなうわ言も言ってた」

「えぇえ」


 い、いたたまれない……。というか、頭が上手く働かない。体もなんとなく痺れてだるい感じだし。最悪だ。すっごく最低だ。


「流石にひとりにしておくのは心配だから、俺は、ここで寝ることにするよ」


 アレスの示したのは、部屋の隅、寝台からいちばん離れた場所だった。

 で、でも。また寝言を聞かれたら、それはそれで困るのだけど。も。


「え、あ、う」

「ほら、寝ておきな。明日は、ちゃんと進めばいいんだから」

「……うー」


 無理やり布団を被らされる。

 アレスは濡れた布をわたしの額にそっと置いてくれた。気持ちがいい。

 そうだよね。考え方とか、大臣の息子だって事実は気に喰わないんだけど。アレスは、基本的にはすごく優しいんだ。時々、いらっとするくらいに。わざわざ倒れたわたしを宿まで運んでくれたりして。頭のなかがぐるぐると回る。

 ぐるぐると。

 アレスが立ち上がる。ちょっと、待って。


「行かないで」


 腕が、反射的に伸びて。

 アレスの服の裾を掴んでいた。


「ここにいて」


 アレスの瞳がびっくりしてわたしを見ていた。そして、ふっと口元に笑みを浮かべると、椅子に座り直し――わたしの手をとった。アレスの手は額の布みたいに冷たかった。


「ひゃあ……つめらぁい」

「分かったから、寝てな。早く元気になって、サンクチュアリさまを助けるんだろう?」

「うん……たすける……たすけるんだから……」


 どうしてか、その冷たさに安心して。

 わたしはもう一度、眠りに落ちた。




 そして、起きて驚いた。


「!」


 う、嘘でしょう? 何これ。どうしてこんなことになっているの? わたしの手を握ったまま、椅子に座って寝ているアレス。

 大失態を演じたような気がしてきた。よく覚えてないけど、たぶん大失態だ。


「お、起きたか」


 わたしの視線に気づいたのか、アレスが瞳を開ける。


「な、なななななな、なんで」

「いや、なんで、って。カーシャが離してくれなかったんだぞ」

「えっ」


 絶句だ。絶句とは、まさに、このことだ。慌てて手を離す。


「覚えてないのか。あんなにしおらしくて可愛かったのに。まぁ、いいか。熱も下がったみたいだからな。今日は村に辿り着けそうだ」


 アレスはいきなりわたしの額に、自分の額を当ててきた。一気に距離が近まる。


「あれ? まだ、高いか?」


 まばたきされる距離が近い。近いってば!


「馬鹿っ!」


 べし。

 反射的に、アレスの右頬をひっぱたいていた。

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