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*
わたしが動けず固まっているのを見て、アレスは情報を得てくると告げて去ってしまった。なんだか、不機嫌そうだった。そうだよね。これくらいのことでびっくりして動けなくなるなんて。
……情けないと思われたかな。
ちくり、と胸が痛んだ。
やがて足音がこちらに近づいてくる。
「お、おかえり」
平静を装う。
「調子はどうだ?」
アレスに穏やかな微笑みが戻っている。内心、ほっとした。
「う、うん。もう大丈夫。ごめんなさい」
「いや、いいよ。それよりも――」
表情に影が差す。よくない情報を得てしまったのだろうか。
「国の半数近い箇所が、夜に飲み込まれてしまったらしい。原因も対処法も未だ不明で、神官や巫女たちが祈祷を続けているそうだ」
時間の喪失は留まるところを知らない、ということだろうか。
だったらここでぐずぐずしている訳にはいかない。わたしは立ち上がる。
「早く行かないと。って、え……?」
足を前に出そうとして。
ぐらり、と。地面が揺れた。違う。揺れたのは、わたしだ。視界が段々白くなる、ちょっと待って。どういうこと?
「カーシャ!」
アレスの叫び声が聞こえた、気が、した。
*
ああ、また、夢だ。
意識がふわふわと漂うような感覚は、記憶を再現するときのもの。
「どうしてそんなこわいおかおをしているの?」
わたしがアレスに訊いている。
「カーシャがわるいこと、した?」
必死に。嫌われたくないから、間違ったことをしたのなら謝ろうと思って。
だけどアレスは表情を硬くしたままだった。
「……父さんたちのはなしを、聞いてしまったんです」
がっと、アレスがわたしの肩を掴む。諭すように呟く。
「いいですか姫さま。近いうちに、大きな花火が上がります。そうしたら、僕とふたりで鬼ごっこをしましょう。僕が鬼、姫さまは隠れて、絶対に、誰にも見つからないようにしてください。わかりましたね?」
「みつからなかったら、ほめてくれる?」
「ええ、勿論です」
「じゃあ、カーシャがかったら、アレスはカーシャのおむこさんになってね」
アレスが困ったように微笑んだ。
当然だ。だって、姫と大臣の息子じゃ立場が違いすぎるもの。というか、この頃のわたしってば何をのたまっているの! 信じられない。
……あ。
そこでひとつの可能性に気づいてしまった。
これって、もしかして、夢に見る灰色の日のちょっと前の出来事じゃない?
このアレスの様子になんだか違和感があるのは、もしかして、アレスが大臣たちの謀反計画を知ってしまったということ?
「カーシャさまが幸せに生きていけるように、天空の神に祈っておきますよ」
それはアレスがルナに対して語った言葉に似ていた。
『俺だって、大事なひとがいて、そのひとが死んでしまうかもしれないなら。そのひとだけでも助かってほしいって、そう思うから』
アレスにとって、このとき、わたしは大事なひとだったということ?
もし、そうであるなら。
アレスは幼いなりにわたしを守ろうとしていた……?
*
「目が覚めたか」
慌てて体を起こすと、頭が殴られたように痛かった。
「熱があるぞ。頑張りすぎて体にきちゃったんだな」
宿の寝台に寝かされているようだった。最近は夢を見てもまったく思い出せない。わたしの混乱を読み取ったアレスは、座っていた椅子から立ち上がり、窓を開けた。
陽が沈みかけている。
「覚えてるか? 急に倒れて。そしたらすごい熱なんだよ、慌てて近くの宿を探したんだ」
「な、なんとなく……」
頭がいたい。ぼーっとする。
「疲れがたまっていたんだろうな。そうだよな。普通の女子が、野宿とか歩き詰めとか。慣れてないもんな。とりあえずひと晩はゆっくり寝て、体力を回復するんだ」
「で……でも」
時間がない。急がないと。急がないと駄目なのに。
早くしないと、サンクチュアリさまを助けられないのに!
アレスは再び椅子に座りなおして、わたしの頭を撫でてきた。
「寝てるとき、すっごくうなされてたんだぞ」
「えっ」
「父さまとか母さまとか、なんかそんなうわ言も言ってた」
「えぇえ」
い、いたたまれない……。というか、頭が上手く働かない。体もなんとなく痺れてだるい感じだし。最悪だ。すっごく最低だ。
「流石にひとりにしておくのは心配だから、俺は、ここで寝ることにするよ」
アレスの示したのは、部屋の隅、寝台からいちばん離れた場所だった。
で、でも。また寝言を聞かれたら、それはそれで困るのだけど。も。
「え、あ、う」
「ほら、寝ておきな。明日は、ちゃんと進めばいいんだから」
「……うー」
無理やり布団を被らされる。
アレスは濡れた布をわたしの額にそっと置いてくれた。気持ちがいい。
そうだよね。考え方とか、大臣の息子だって事実は気に喰わないんだけど。アレスは、基本的にはすごく優しいんだ。時々、いらっとするくらいに。わざわざ倒れたわたしを宿まで運んでくれたりして。頭のなかがぐるぐると回る。
ぐるぐると。
アレスが立ち上がる。ちょっと、待って。
「行かないで」
腕が、反射的に伸びて。
アレスの服の裾を掴んでいた。
「ここにいて」
アレスの瞳がびっくりしてわたしを見ていた。そして、ふっと口元に笑みを浮かべると、椅子に座り直し――わたしの手をとった。アレスの手は額の布みたいに冷たかった。
「ひゃあ……つめらぁい」
「分かったから、寝てな。早く元気になって、サンクチュアリさまを助けるんだろう?」
「うん……たすける……たすけるんだから……」
どうしてか、その冷たさに安心して。
わたしはもう一度、眠りに落ちた。
*
そして、起きて驚いた。
「!」
う、嘘でしょう? 何これ。どうしてこんなことになっているの? わたしの手を握ったまま、椅子に座って寝ているアレス。
大失態を演じたような気がしてきた。よく覚えてないけど、たぶん大失態だ。
「お、起きたか」
わたしの視線に気づいたのか、アレスが瞳を開ける。
「な、なななななな、なんで」
「いや、なんで、って。カーシャが離してくれなかったんだぞ」
「えっ」
絶句だ。絶句とは、まさに、このことだ。慌てて手を離す。
「覚えてないのか。あんなにしおらしくて可愛かったのに。まぁ、いいか。熱も下がったみたいだからな。今日は村に辿り着けそうだ」
アレスはいきなりわたしの額に、自分の額を当ててきた。一気に距離が近まる。
「あれ? まだ、高いか?」
まばたきされる距離が近い。近いってば!
「馬鹿っ!」
べし。
反射的に、アレスの右頬をひっぱたいていた。




