1話 気がつくと
気持ちよい風に頬を撫でられながら彼は目を覚ました。ゆっくりと目を開けると、彼の目の前にはねずみの死骸が転がっている。周りは見渡す限り木が生い茂っており、明らかに彼の知っている場所ではなかった。
「なぜねずみ? それにここは……」
目を覚ましてたら知らない場所。そして目の前にはねずみの死骸。驚くのも無理は無いだろう。
「とりあえず、状況を把握しよう……」
普通なら取り乱すところなのだろうが、彼は前にも同じ体験をしていた。なので比較的落ち着いて考える事ができたのだ。色々疑問もあるが、前回の経験を生かしまずは状況の確認を優先させたのだ。
彼――――時任要――――は日本人だった。が、異世界へと召喚され勇者として魔王と戦うことになる。しかしそれ自体狂った神が創ったシナリオであったのだが、それでも要は最後に魔王と協力してなんとか打ち倒すことに成功したのだ。自分の命と引き換えに……。
「そうだ、俺は死んだはずだ……」
それを思い出した要はますます今の状況が分からなくなった。周りを見渡しても木が生い茂るばかりでなにもない、まさに森の中で到底死後の世界とは思えない。そこでようやく要は自分の目線が低いことに気が付く。
「なんでこんなに目線が低いんだ?」
そうつぶやきながら、体を動かそうとする要。しかし思うように動かない。なぜだ? と思いつつ視線を下げると自分の手が見えた。見えたのだが…………それはどこからどう見ても猫の手であった。
「なっ!」
それに驚き慌てて他の所も確認してみたが、どこをどう見ても猫の体である。なんとか手を動かし自分の顔を触ってみても予想通り耳があり、ひげもあった。確認できるところをすべて確認した要はようやく認めることにした。自分が猫であると……。
「っ!」
自分が猫と認めた瞬間、大量の情報が要の頭に流れ込んできた。それは猫として生きていた間の記憶だった。猫の親の元で大事に育てられ、この森で生きていた。しかし、魔物に襲われ要を逃がすために勇敢に立ち向かった猫の夫婦。それを思い出した要は静かに目を瞑り、第二の両親と呼べる二匹に黙祷をささげる。
黙祷が終わると新たに出てきた疑問について考える。そう、なぜ急に自分という人格が戻ったのか、だ。少なくともさっきまではただの猫として生きてきたはずなのだ。そこで目の前にあるネズミの存在を思い出す。
「ネズミの死骸……ということは……」
要は一つの仮説を立てる。それはレベルである。
猫時代の記憶から魔物の存在は確認している。という事はここは異世界だろう。そして以前召喚された異世界にもレベルがあった。だからきっと目の前のネズミを倒したことでレベルが上がったのではないか、と考える要。
最初こそ混乱していた要だが、冷静になれば頭の回転は悪くない方だ。もともと日本にいた頃は病弱で本ばかり読んでいた。なので自然と知識が付き、考える力が備わっていた。
「もしレベルがあるなら……きっとステータスもあるはずだ」
ひとまず以前の世界と同じやり方をしようと思い、頭の中でステータスと念じてみる。すると考えた通り頭の中にステータスが出てくる。うまくいったことに自然と笑みを浮かべる要はさっそくそれに目を通す。
名前:時任要
種族:猫
職業:猫
スキル:猫の覚醒Lv1
「職業まで猫って……」
さすがに突っ込みを入れる。
それは置いておいて、表示されているのは名前・種族・職業・スキル。予想していたレベルの欄はなかったが、変わりにスキルの欄に『覚醒Lv1』というのを発見した。
「レベルはなかったが……これが原因か?」
そう考えた要はさっそく覚醒の詳細を見てみる。
『猫の覚醒:前世の能力を引き継ぐことが出来る。さらにボーナスがスキルレベルにより徐々に開放されていく。Lv1では人格を。Lv2で¥&-?_#――――』
「Lv2以降は文字化けして読めないか……」
予想通りこのスキルの効果で要の人格が戻ってきたようだ。しかしまだLvが1でそれ以降の内容が分からなくなっていた。残念ではあるが、ひとまずの疑問が解決したのでほっとする。と、そこで急に眠気が要を襲った。目覚めていきなり頭をフル回転させたので、さすがに疲れてしまったのだろう。
「さすがにここで寝るのはまずい。どこか良い場所は……」
辺りを見渡した要は、大きな大木の根元に丁度いい穴を発見する。猫時代の記憶を思い出したお陰で体はうまく動かせる。慌ててそこへ向かい穴の中へと入った瞬間、安心したのかそのまま眠りに落ちていった。
「もう、限界、だ」
そうつぶやいた後、気持ちの良い眠りに付いた要であった。
そして次の日の朝。
目が覚めた要は、体をぐっと伸ばしたあと、舌でなめた手でくしくしと顔を綺麗にしていく。そして体の隅々まで綺麗にし終わり満足すると、はっと我に返る。
「もうこれ、完全に猫だな……」
無意識のうちに猫時代の行動をとってしまった要は、元人間として複雑な心境になってしまう。今の体は猫なのだから割り切ってしまえば良いのだが…………まあそれが出来れば苦労はしないだろう。
なんとか気持ちの折り合いをつけた要は、ひとまず昨日の考えをまとめをすることにした。
一つ、要は一度死に、今は猫である
二つ、ここは異世界であり、魔物もいる
三つ、勇者時代の能力を一部引き継いでいる
「問題はどこまで能力を引き継いでいるかだな」
前は勇者であったが今の要は猫だ。魔物のいるこの世界では弱者になるだろう。そうなると覚醒スキルの効果が重要になってくる。説明にも徐々に開放とあるからすべては無理だとしても、せめて魔物と戦えるぐらいの能力はあって欲しいと願う要。
「まずは魔法から……」
猫の体で戦闘をしたことがない要にとって、魔法が使えるとかなり助かるだろう。そう思って真っ先に魔法が使えるか試すことにした要は、精神を集中させる。
『燃え盛る炎よ、焼き尽くせ、業炎』
以前よく使っていた火魔法を唱える。がその詠唱むなしく、何も発動せずしんとした時間が流れる。
「やっぱり無理か。世界が違うと魔法の形式も異なるんだろうな」
初めから無理だろうと思っていたのでそこまでショックは受けなかったが、それでも少しがっかりしてしまう。他の魔法も試してみるが結局どれも成功はしなかった。
気を取り直して次は身体能力を試すことにした要は、実戦を想定した動きを色々としてみることにした。直進からの急な方向転換、ジャンプ、木をすばやく飛び移り、最後は爪で大木を引っかく。
身体能力は問題ないどころか予想よりかなり良い動きが出来ている。最後の引っかきも大木を抉って深い爪痕を残しており、攻撃力も十分だ。正直本当に猫なのかと疑いたくなる身体性能だ。これなら多少の魔物なら相手が出来そうだとほっと一安心する要。
身軽な動きが出来る猫の体が楽しく、昔の反動で動く事が好きな要は時間を忘れて動き回っていた。数十分、あるいは数時間とたったその場には、大量の爪痕が残った木々と抉れた地面が散乱している状態。いったいどんなまものが暴れたんだ、というぐらいの惨状になっていた。
猫の体を十分楽しんだ要は朝と同じように汚れた体を綺麗にしていく。その姿はもうただの可愛らしい猫にしか見えないが、この惨状を作り出した元凶だと考えると、見ただけで凶悪だと分からない分その辺の魔物よりもたちが悪いかもしれない。
ここで要は空腹に襲われ、昨日から何も食べていないことに気付く。そもそも目が覚めたときにあったあのネズミが昨日のご飯だったはずなのだが、そんな状況ではく、さらに記憶が戻った今ネズミを食べることに抵抗があるので要はどうしようかと迷う。
葛藤の末、生きるためにはしょうがないという結論を出したその時、茂みの中からがさっという音がした。その音を拾った要は身を屈めて静かに息を潜め、その音がした場所を注視する。
すると要の倍以上ある狼がグルグルと唸りながら歩いてきた。どうやら要を食べるつもりのようだ。本来この狼は獲物を見つけるとすぐに飛び掛るのだが、目の前にいるのがただの猫だと思い余裕の様子で要の方へ歩いてくる。
肉が来た……!
それがその狼を見た要が最初に思ったことである。そして可愛らしい猫にあるまじき凶悪が笑みを浮かべながら、ギラギラとした目で歩いてくる狼を見つめている。まさか狼も、目の前の可愛らしい猫がそんな事を考えているなんて思っても見ないだろう。
狼さん、早く逃げて。
この様子を誰かが見ていたらきっとそう思う。
そして要の射程範囲に入った瞬間、先に要が飛び出した。爪を出し、狼の目を狙い引っかく。狼の方は予想外の出来事に成すすべなく右目をやられてしまう。しかし、これでも野生の狼。すぐに要から距離をとり体勢を立て直す。じりじりとお互い隙をうかがいながら攻撃のタイミングを狙う。
そして今度は狼の方が先に飛び出した。なかなか早い、が要相手には不十分で難なく避けられてしまう。要は狼の死角である右側へ回り込み今度は腹を思いっきり引っかく。あの大木を抉るぐらいの威力だ。たかが狼が耐えられるはずもなくそのまま吹き飛ばされて、動かなくなった。
こうして、要は猫になって初めての食事にありつく事が出来るのだった。
「満足だ……」
幸せそうな顔をしてつぶやく。そう、狼の肉は生でも十分美味しかったのだ。どうやら味覚も猫基準になっているようで問題なく食べられた。これで食べ物には困らないと安心する。
「そういえばスキルとか覚えてないだろうか……」
狼の肉を思う存分堪能した要はスキルの確認をすることにした。ネズミを倒したときにスキルを覚えたので、今回ももしかしたらと思ったからだろう。
さっそくステータスを見てみると、やはりスキルの欄に変化があった。
名前:時任 要
種族:猫
職業:猫
スキル:猫の覚醒Lv1
猫体強化
「ねこたいきょうか……? いや違う……これは……」
最初見たままの呼び方をした要だったが、ご丁寧にちゃんとルビが振ってあった。そこには――――
猫体強化
――――と書かれてあった。
「に、にゃんたいきょうかって……無理やりすぎだろ!」
さすっがに突っ込みを入れてしまう。猫の覚醒に続き、猫体強化だ。このままだとスキルすべてに猫がつくんじゃないだろうかと不安になってしまう要であった。




