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第31章

月守つきもりの戦士たちとジンの一行が、終わりのない虚空を猛スピードで落下していく中、彼らのパニックに満ちた悲鳴が巨大な奈落の底に反響していた。


そびえ立つ石壁が目まぐるしい速さで背後へと流れていく。壁は無数の隠し通路へと分岐し、それらは要塞の深部へとどこまでも続いていた。


「またかよ!」ヒカルは唸り声を上げ、激しい風に衣服を煽られながら、愛用のトンファーを強く握りしめた。


一方、カズキは息を呑み、周囲を取り囲む巨大な壁を鋭い視線で見回した。仲間の姿はどこにもない。ただ、果てしない石の壁が猛スピードで過ぎ去っていくだけだった。


ここは一体どこなんだ? 隠し区画か?


彼は鎖鎌を握る手に力を込めた。いや……隠し区画なんてものじゃない。何十、何百とあるんだ……。


その事実に気づき、彼は目を見開いた。この要塞は……外から見た印象よりも遥かに巨大だったのだ。


少し離れた場所では、ミツルとメイが別の通路を落下していた。


「俺の手を掴め!」ミツルは叫び、彼女に向かって腕を伸ばした。


メイは迷わず手を伸ばした。指先同士の距離は、あとわずか数センチにまで迫っていた。


その時――


ゴゴゴゴッ!!


耳をつんざくような轟音と共に巨大な石壁が二人の間に割り込み、瞬時にその進路を分断した。


「ミツル!」


「メイ!」


二人は別々の通路へと落下し続け、その声は広大な闇の中へと消えていった。


「クソッ!」ミツルは悪態をつき、伸ばしていた手を拳へと変えた。


また別の場所では――


「うわあああ!」サヤカが叫び声を上げ、制御不能な状態で空中で回転していた。


「落ち着いて、サヤカ!」シズカが声をかけた。彼女は驚くほど冷静な様子で、サヤカの隣で回転しながら落下していた。


「わ、わかったよ、お姉ちゃん!」サヤカは態勢を立て直し、手足を無様に振り回すのをやめた。


「いいわ。離れないで」静香が手を伸ばす。


沙耶香は即座に姉の手を掴み、双子は互いにしっかりと手を握り合ったまま、並んで降下を続けた。


別の場所では――


ジンがふと上を見上げると、数メートル頭上に美空の姿があった。


「美空!」


彼女は彼を見下ろし、瞬時に状況を理解した。


身をわずかにひねり、空中で姿勢を調整して、彼の隣へと滑り込むように落下してくる。


二人は無言で頷き合い、闇に飲み込まれながら互いの速度を合わせた。


また別の場所では――


葵とライトも同じ縦穴を降下していた。風が耳元で激しく唸りを上げている。


葵の目が、ふと細められた。


底だ。ついにそれを見つけたのだ。


予兆もなく、彼女はライトの手首を掴んだ。


「えっ――!?」


彼が反応するより早く、葵は体をひねり、流れるような動作で彼を自分の隣へと引き寄せた。


ザッ!!


彼女の刀が石壁に深く突き刺さる。


刃が岩を擦り、火花を闇へと散らしながら煉瓦に長い溝を刻み、二人の降下速度を強引に落とした。


直後、ライトが先に手を離し、重い音を立てて両足でしっかりと着地した。


葵は寸前で刀を引き抜くと、そのまま身を躍らせて受け身を取り、冷たい石の床を滑るように移動した。そして片手で地面を押し、片脚を伸ばしてバランスを取りながら、低い姿勢で静止した。


「……危なかったわね」彼女は息を吐き出し、立ち上がって姿勢を正した。


「ああ」ライトは頷き、横目で彼女を見た。「さっきは助かった」


葵はライトに視線を向け、小さく頷き返す。二人が言葉を交わすよりも早く――


ゴゴゴッ!!


空間が激しく揺れ動いた。


二人は本能的に刀を握りしめ、感覚を研ぎ澄ませる。


その時――


ゴォッ!!


深紅と黒が混じり合った炎の筋が、荒れ狂う彗星のように空気を切り裂いて飛来した。


二人は即座に反応した。


アオイは左へ、ライトは右へと跳んだ。


ドォォォン!!


猛火が背後の石壁に激突し、爆発と共に燃え盛る火の粉と砕けた煉瓦片が空間に降り注いだ。


「二人とも、俺の攻撃をよくかわしたな」


面白がるような、どこか嘲笑を含んだ響きを帯びた聞き覚えのある声が、その空間に反響した。


アオイとライトは声の主の方を振り向いた。


数メートル先には、白い外套を纏った一人の人物が立っていた。フードが顔の大部分を覆っていたが、その影の下では深紅の瞳が怪しく光っていた。


アオイはゆっくりと剣を構え、その切っ先を真っ直ぐに相手へと向けた。


「……こんなに早くあんたに会うことになるとはね」


彼女は淡々と言い放った。


その隣で、ライトは腰を落とし、刀の柄を強く握りしめた。


外套の人物はクスクスと笑うと、ゆっくりとした動作でフードを下ろした。


すっきりと刈り上げられた黒髪が、鋭い深紅の瞳を際立たせ、その口元には自信ありげな笑みが浮かんでいた。


「その顔つきからすると……」ライガは呟いた。「俺がいなくて寂しかったみたいだな」


一方、別の場所では――


メイが着地した直後、前方の闇の中から新たな気配が現れた。


外套を纏った一人の人物が、彼女を待ち構えていた。無言のまま、その人物はフードを下ろした。


きれいに整えられた茶髪が額にかかり、M字型の前髪が、輝くような深紅の瞳を縁取っていた。その唇には温和な笑みが浮かんでいたが、それは歓迎というよりは、どこか不穏さを感じさせるものだった。


「また会えて嬉しいよ、麗しき乙女よ」レンマは興奮で頬をわずかに紅潮させ、くすりと笑った。


メイの目元がぴくりと引きつる。彼女は思わず、作り物の愛想笑いを浮かべた。


「こちらこそ……」彼女は淡々と言い放つ。「……もっとも、同じ気持ちだとは言えないけれど」


レンマの笑みが深まる。彼は流れるような動作で、二本の剣を抜いた。


松明の揺れる光を反射する磨き上げられた刃。彼は剣先を下げ、力を抜いた構えをとる。


「さて……」彼の笑みは、まるで子供のような無邪気さを帯びていた。「続きを始めようか?」


メイは落ち着いた様子で構えをとった。


両足を肩幅に開き、片方の掌を相手に向け、もう片方の手は腰の横で拳を握りしめる。


「いつでもいいわよ」


別の場所では……


「やれやれ……」ミツルは鼻筋をつまみながら溜息をついた。「またお前か」


数メートル先、マントを纏った人影が、ゆっくりとフードを下ろした。


丁寧に切り揃えられた黒髪のボブヘアが顔を包み込み、顎のラインまである前髪が、鋭い深紅の瞳を際立たせている。


自信に満ちた薄い笑みを口元に浮かべ、彼女は鞘から剣を抜いた。


「また会ったわね、『よそ者』」イサムは言った。


別の場所では……


「嘘でしょ……」サヤカは息を漏らすように笑い、こめかみを一筋の汗が伝い落ちた。


彼女とシズカは、数メートル先に立つ一人の人影を見つめていた。


マントの女の背後には、黒い炎を纏った刃が完璧な円を描いて浮遊していた。不気味な唸りを上げて空中に留まる刃の鋭利な切っ先は、双子へと真っ直ぐに向けられている。


女はゆっくりとフードを下ろした。


肩まで届く銀髪がその顔を縁取り、何筋かの髪が深紅の瞳にかかっていた。彼女の表情は冷ややかで、どこか退屈しているかのようだった。


やがて、その唇の端がわずかに歪み、薄い笑みを浮かべる。


「あら? 面倒なよそ者の双子ね」


シズカは表情一つ変えず、彼女を見つめ返した。


「あら? 村一番の『期待外れ』ね」


沈黙が流れる。


シグレの額に、苛立ちを物語る青筋が浮かんだ。


その隣で、サヤカが素早く顔を背け、口元を押さえて鼻で笑う声を漏らした。


「ぷっ……」彼女は笑いをこらえようと、肩を小さく震わせる。「お姉ちゃん、本当に容赦ないね」


シグレの目元がピクリと引きつる。「……癪に障るわね」


彼女は手を突き出した。「殺しなさい」


――ゴウッ!!


黒い炎を纏った刃の輪が一斉に放たれ、死の嵐のごとく空を切り裂き、双子めがけて殺到した。


場所は変わって――


――ガキンッ!


鎖付きの刃が空を走る。


カズキは身をひねってそれをかわした。刃が肩のすぐ横をかすめ去る。鎖は鋭く軌道を変え、狭い通路を縫うように彼を追尾してきた。


執拗な攻撃を巧みにかわし続け、彼は巨大な岩の陰へと飛び込んだ。


鎖が金属的な音を立てながら、岩に巻き付く。


カズキが岩陰からそっと顔を覗かせると、広間の反対側に立つ、外套を纏った人物に視線が定まった。


「また……刃を交えることになったな」その人物は低く笑った。


動きを止めると、鎖は手際よく彼の手首に巻き付いていく。


彼は余裕たっぷりの動作でフードを下ろした。灰銀色の髪が顔の周りにさらりと流れ、横に流した前髪の隙間から、冷ややかな深紅の瞳が覗く。


「何も知らなきゃ」カイトは冷ややかな笑みを浮かべて言った。「お前の方が俺を追いかけてきたのかと勘違いするところだ」


カズキの口元に、小さく笑みが広がった。彼は鎖鎌を流れるような動作で体の周りに回すと、熟練の技でその柄を正確に掴み取った。


片足を後ろに引き、戦闘の構えをとる。


「俺がお前を追う?」彼は鼻で小さく笑った。「お前なんかに、思考を割く価値すらない」


空いた方の手を首にかけたヘッドホンに伸ばし、軽く叩く。


「こいつらには価値がある」彼の表情が、より柔らかな笑みに変わる。「……それに、もっと大切な誰かにもな」


カイトの笑みが消えた。眉間がわずかにピクリと動き、その表情は露骨な苛立ちを帯びて険しくなった。


一方、別の場所では……


ヒュッ!!


強烈な拳が空気を切り裂いた。


「外れだ!」ヒカルは体を後ろに反らせ、人間業とは思えないほど深く背中を曲げる「スコーピオン・ベンド」の体勢で攻撃をかわした。顔のすぐ上を拳が通り過ぎていく。


その勢いを利用して地面を蹴り、素早く後方へ二回転すると、数メートル先へ軽やかに着地した。その手には、すでに回転するトンファーが握られていた。


彼は不敵な笑みを浮かべ、首を傾げながら呟いた。「気のせいかな……」


「……前より随分と動きが鈍くなってないか?」


低い唸り声が、その空間に響き渡った。


マントを纏った巨躯の戦士は、一瞬静止した後、ゆっくりとフードを下ろした。


無骨な短髪がその険しい顔立ちを際立たせ、深紅の瞳には抑え込まれた怒りが宿っていた。


「どうやら」ゲンシロウは歯ぎしりするように言った。「その不遜な口は、前回の戦いでも無事だったようだな」


ヒカルの笑みはさらに深まった。「へっ。相変わらず不機嫌そうで何よりだ」


彼は両手のトンファーをくるりと回してから戦闘の構えをとった。その顔から、ふざけたような笑みが消えることはなかった。


「さあ」彼の瞳が鋭さを増す。「お前が少しは速くなったのか、見せてもらおうか」


一方その頃……


「うわっ!」


アヤネ、イズミ、リクヤの三人がようやく底へと到達し、砕けた木材やねじ曲がった金属、古代の石の破片が散乱する広大な空間へと着地した。


周囲には土煙が舞い上がる。


イズミは頭の横をさすりながら呻き、ゆっくりと意識をはっきりさせていった。


彼女は目を見開く。「アヤネ! リクヤ!」


すぐ近くに二人の姿を見つけ、安堵の念が胸に広がる。


迷うことなく、彼女は二人のもとへ駆け出した。死角から忍び寄る影には、全く気づかずに。


ドスッ!!


強烈な拳が、彼女の脇腹を直撃した。


時間が緩やかに流れるような感覚の中、イズミは苦痛に目を見開く。


凄まじい衝撃で体が宙に浮き上がり、彼女の唇から血飛沫が漏れた。


彼女の体は空間を飛び、石壁の窪みへと激しく叩きつけられた。


ドォン!!


その衝撃で岩肌に亀裂が走り、石の破片が床へと降り注ぐ。


「イズミ!!」リクヤの戦慄に満ちた叫びが、空間に響き渡った。


土煙がゆっくりと晴れていく。石壁の砕けた窪みの中に、イズミの姿が露わになった。


彼女は散乱した瓦礫の下で動かなくなっていた。口元からは血が伝い落ち、伸ばした指先のすぐ先には小石が転がっている。


「……」


アヤネは凍りついた。震える瞳が、意識を失った友人の姿を捉える。


一瞬、世界から音が消えた。


やがて、彼女の瞳に宿っていた悲しみは、純粋な怒りへと変わった。彼女はゆっくりと、その元凶である者たちの方へと振り返る。


一人ではない。二人だ。


静寂を破り、陰鬱な笑い声が響いた。


二人のうち背の高い男が、フードに手をかけた。


流れるような動作でフードを脱ぎ捨てると、うなじまで届く黒髪と、肩にかかる長さの前髪が現れ、その隙間から燃えるような深紅の瞳が覗いた。男の口元には、歪んだ笑みが浮かぶ。


その隣で、哲也も無言のままフードを下ろした。肩にかかる黒髪がその無表情な顔を縁取り、M字型に分かれた前髪が深紅の瞳にかかっている。その表情は、まるで石のように微動だにしない。


「ようやく捕まえたぜ、小僧の刀鍛冶」影男カゲオは、意識を失って倒れているイズミを気だるげに指さしながら、嘲るように言った。「俺たちを愚弄した報いってやつだ」


彼は大げさに両腕を広げると、高笑いを上げた。「まさか、相手が誰だか忘れたわけじゃあるまいな!?」


その深紅の瞳には、狂気が宿っていた。「俺たちは『黒月クロツキ』だ!」


笑い声が、広間に反響する。


アヤネの全身が震えた。背後で縛られた拳が、ロープが軋むほど強く握りしめられる。


「お前ら……」彼女の声が震える。「……このクズどもが!!」


激しい叫びと共に、彼女は両手を縛られたまま、影男に向かって一直線に突進した。


「アヤネ、やめろ!」リクヤが切迫した声で叫ぶ。「殺されるぞ!」


彼女は決して足を緩めなかった。


影男の笑みがさらに深まる。「そうこなくちゃな」


金属的な音を立てて、彼が刀を抜く。アヤネが間合いを詰めたその瞬間――


――シュィンッ!!


彼の刃が空を切り裂いた。


アヤネは跳躍した。その一撃は、彼女の足の下を空しく通り過ぎていく。


「なっ……!?」影男が態勢を立て直すより早く、アヤネは空中で身を翻し、ありったけの力を込めてかかとを振り下ろした。


「はぁぁぁっ!!」


ドォォォン!!


影尾カゲオはギリギリのタイミングで地面を蹴った。アヤネの斧のような蹴りは石の床に叩きつけられ、衝撃で亀裂が蜘蛛の巣状に走り、岩の破片が激しく舞い上がった。


数メートル先へ着地した影尾は、笑った。


「運がいいね!」口元がさらに大きく歪む。「気に入ったよ!」


彼は刃先をアヤネに向けた。「相変わらず無鉄砲な気質だ」


その笑みが残酷なものに変わる。「あの『月森ツキモリ』の時と同じだ……」彼は踏み込んだ。「……危険に真っ向から飛び込んでいくなんてな!」


彼の剣が空を切り裂き、矢継ぎ早に斬撃が繰り出される。


アヤネは身を捻り、身を屈め、横へと身をかわして斬撃をやり過ごす。素手での戦いにもかかわらず、一歩も引くことなく、執拗に彼へと肉薄していく。


その近くでは……


「……愚かな」テツヤは静かに息を吐いた。視線を向けることさえせず、彼は一歩横へと身をずらす。


彼がほんの一瞬前まで立っていた空間を、横薙ぎの蹴りが切り裂いた。


「イズミにしたこと、償ってもらうぞ!」リクヤが咆哮し、黒月クロツキの戦士へと飛びかかった。


テツヤはようやく彼の方を向いた。その表情は変わらない。


彼は手にした槍をゆっくりと回す。穂先が空中に滑らかな円を描き、武器が低い唸りを上げた。


「……よかろう」深紅の瞳が細められる。次の瞬間、彼はリクヤに向かって疾走した。


場所は変わり、別の広大な空間――ジンとミソラが迷宮を全速力で駆け抜けていた。


崩れた足場やそびえ立つ岩の突起を縫うように走り、慣れた身のこなしで裂け目を飛び越えていく。時には一方が一歩先んじ、次の瞬間にはもう一方が追い抜く。


二人の呼吸が重なり合い、通路に響き渡る。


「ハァ……ハァ……」


ミソラが突然、進路を変えた。壁を蹴って横方向に疾走し、そのまま空へと身を躍らせて、次の足場へと舞い上がる。


着地したその瞬間、闇の中から人影が現れた。


一人。三人。五人。


白い外套をまとった黒月の戦士たちが周囲の影から飛び出し、四方八方から彼女へと殺到する。


ミソラの瞳が鋭く光った。彼女は素早い動作で刀を抜き放ち、戦闘の構えをとった。


襲撃者たちが距離を詰めるより早く、一筋の残像が彼らの脇を駆け抜けた。


ジンだ。


彼は突進してくる戦士たちの間を縫うように走り抜け、鞘から刀を抜き放った。


その声は低く穏やかでありながら、紛れもない怒りを帯びていた。


月白炎刃流つきしろえんじんりゅう……」


ミソラの数歩先へと着地した際、ブーツが石の床を擦る音が響く。彼は迷うことなく前へと踏み出した。


「第六の型……」


その体は、深紅の残像と化した。


息を呑むほどの速さで敵の隊列をジグザグに駆け抜け、紙一重で刃をかわしながら、無駄のない正確な動きで敵の剣を弾き飛ばしていく。


「……炎糸えんし!」


――ゴォォォッ!!


彼の刀から、燃え盛る深紅の弧が放たれた。


糸のように細く鋭い炎の奔流が敵の陣形を切り裂き、戦士たちを飲み込んで、広間の彼方へと激しく吹き飛ばした。


巨体に打ち付けられる肉体。ひび割れる石柱。衝撃のあまり砕け散る岩塊。


広間が揺れた。ジンは刀を下ろした。


刀身から細い煙が立ち上る中、彼の深紅の瞳は倒れ伏した戦士たちを射抜くように見据えていた。


「……ミソラにその汚い手を触れさせるな」


その声は、かろうじて聞き取れるほどの囁きだった。だが、その一言一句には、周囲の空気を凍りつかせるほどの怒りが込められていた。


「……このクズどもが」


ミソラは瞬きをした。一瞬、ただ彼の背中を見つめることしかできなかった。


……彼が、私を守ってくれたの?


ジンはゆっくりと息を吐き出し、振り返った。先ほどまで瞳に宿っていた怒りは、瞬く間に消え失せていた。


「大丈夫か?」彼はそう尋ねながら、急いで彼女のもとへ歩み寄った。


「あ、うん……」ミソラは言葉を濁した。「……うん」小さく頷く。


自分で何とかできたんだけどな、とは思いつつ……。


ジンは安堵の息を小さく漏らした。「よかった」その顔に、優しい笑みが広がった。


ミソラは顔を上げた。


二人の視線が交差する。深紅と、青みがかった灰色。


ほんの一瞬――それ以外のすべてが消え失せたかのように思えた。


ほのかな熱が、彼女の頬を伝って広がっていく。


……待って。この距離感……。彼女の瞳が、わずかに見開かれる。まるで……。


彼女の意識は、星華の儀式の前、夜空の下で交わしたあの口づけへと遡った。


……あの時の!


その記憶が、再び熱を呼び起こす。


頬の赤みが増していく。そして、どうしようもなく――心臓の鼓動が早鐘を打ち始めた。


ジンは、彼女の頬が赤らんでいくのに気づいた。


彼の表情が和らぐ。「……ミソラ?」彼は慎重に一歩、距離を詰めた。


ミソラは目を見開く。


「あ、あのっ!」彼女は慌てて二歩後ずさり、彼から完全に顔を背けた。


「い、行かなきゃ!」彼女は早口で言った。「みんな、私たちを探してるかもしれないし!」


「え?」ジンは不思議そうに首を傾げたが、すぐに何かに気づいた様子を見せた。


「……待てよ」彼は彼女の紅潮した顔をじっと見つめる。「なんでそんなに顔が赤いんだ?」


彼女が反応するより早く、彼は優しく彼女の手首を掴んだ。


ミソラは反射的に振り返る。ジンの深紅の瞳が、静かな気遣いを湛えて彼女を見つめていた。


「ミソラ……」彼の声が低くなる。「……もしかして、あの時のことを……」


「ち、違う!」彼女は即座に言葉を遮った。「何も考えてないよ!」


そう言うと、彼女は彼の手を振りほどき、廊下を駆け出した。


「ミソラ!」ジンは瞬きをすると、すぐに彼女を追いかけた。「待って!」


広い空間に足音が響く中、彼は急いで彼女を追う。その前を走るミソラは、ほんの一瞬だけ、ぎゅっと目を閉じた。


落ち着いて……落ち着くのよ、ミソラ……!


彼女の鼓動は、言うことを聞こうとしなかった。


「おい!」ジンが彼女の背中に声をかける。「なかったことになんて、できないだろ!」


「そ、そんなことしてない!」彼女は振り返ろうとはしなかった。「ただ、今はそれを話すタイミングじゃないって言ってるの!」


その言葉が口をついて出た瞬間――


シュィンッ!!


壁の狭い隙間から剣が飛び出し、彼女の首めがけて一直線に迫った。


ミソラの身体が、本能的に反応した。


点火イグニッション・スタイル』……


彼女が身を低くかわすと、刃は空を切り、彼女の頭上を無害に通り過ぎていった。


『第四のフォース・ライト』……


流れるような動作で身体を翻す。刀身に沿って炎が噴き上がった。


『深紅の光斬スカーレット・ライト・スラッシュ』!


ゴォォォッ!!


燃え盛る深紅の弧が、回廊を切り裂いた。


「ぐあっ!」白い外套をまとった襲撃者は後方へと吹き飛ばされ、石壁に激しく叩きつけられると、そのまま意識を失って崩れ落ちた。


「ミソラ!」ジンが瞬時に彼女の隣へ駆けつけ、すでに刀を抜いていた。彼は彼女の横に並び、構えをとる。


ミソラもまた、自身の刀を強く握りしめた。言葉を交わすこともなく、二人は並んで前方を見据える。


やがて、影が蠢き始めた。白い外套をまとった者たちが、次々と姿を現す。


闇の中から歩み出る者。頭上の崩れた岩棚から飛び降りてくる者。周囲の壁に隠された開口部から滑り出てくる者。


数秒のうちに……彼らは包囲されていた。黒月クロツキの戦士たちが一斉に襲いかかる。


鋼と鋼が激しくぶつかり合う。


ジンとミソラは、まるで鼓動を共有しているかのように動いた。一撃一撃が、淀みなく次の一手へとつながっていく。


一人が踏み込めば、もう一人が本能的に、その背後に生じた隙間をカバーする。


一人が敵を押し返せば、別の敵が介入する前に、もう一人がその攻防に決着をつける。


黒月の戦士たちが、次々と広間へと弾き飛ばされていく。


意識を失い石壁に叩きつけられる者もいれば、鋭く正確な斬撃を浴びてよろめきながら退く者もいた。


やがて……残った敵たちが躊躇いを見せ始めた。


ジンとミソラは、同時に一歩後ずさった。


無意識のうちに……二人は背中合わせの体勢をとっていた。肩が触れ合うほどの近さで。


生き残った戦士たちが、ゆっくりと二人を取り囲むように円陣を組む。広間に静寂が訪れた。


二人は互いに刀を握り直した。呼吸が、静かに整えられていく。


月代つきしろ炎刃流……


ジンの目が細められた。


第八の型……


その傍らで――


点火の型……


ミソラが構えを整える。


第二の炎……


完璧な呼吸で、二人は身を翻した。その刃から、深紅の炎の弧が二筋、噴き上がる。


烈華舞れっかぶ』!


『灼熱の舞』!


轟ッ!!


二つの技が絡み合い、戦場を駆け抜けていく。


広間に巨大な炎の花が咲き乱れ、その合間を縫うように燃え盛る三日月状の斬撃が舞い、残っていた黒月くろつきの戦士たちを飲み込んでいった。


敵は激しく後方へと吹き飛ばされ、石の床に叩きつけられると、そのまま意識を失った。


ミソラはゆっくりと息を吐き、一瞬だけ目を閉じると、刃に残った血を振り払い、刀を腰の鞘へと収めた。


再び目を開けたとき――ジンはすでに彼女を見つめていた。


「……何?」彼女は片方の眉を上げた。


ジンは一瞬沈黙してから、口を開いた。


「……あの技」彼の唇に、かすかな笑みが浮かぶ。「本当に使ったんだな」


ミソラは片手を腰に当て、肩をすくめた。「だから? 大したことじゃないでしょ」


ジンは瞬きをした。「大したことじゃない?」


彼は小さく笑うと、彼女の方へ歩み寄った。「凄かったよ」


すぐ近くで足を止め、その深紅の瞳には感嘆の色が浮かんでいた。「俺が教えた技の一つを、本当にものにしたんだな」


突然の近さに、ミソラは反射的にわずか身を引いた。


「言ったでしょ……」彼女は無関心を装うように呟いた。「……騒ぎ立てるほどのことじゃないって」


彼女は小さく一歩後ずさった。「それに……アヤカ相手に、もうその技の一つは使ったし」


ジンの表情が変わった。「……アヤカと戦ったのか? いつ?」


ミソラの視線がふと逸れた。「……昨日。彼女が挑んできたの」


彼女はため息をついた。「勝った方が……本当にあんたの妻になる、って」


ジンは動きを止めた。「……俺の妻に?」その声は、かろうじて聞き取れるほどの囁きだった。


ミソラは首筋をさすった。「……なんでもない」


彼女は背を向けようとした。「今はもっと他に、気にしなきゃいけないことがあるから」


歩き出そうとしたその時、優しく彼女の手首が掴まれた。


ミソラは足を止める。


ジンが回り込み、彼女と向き合った。その手つきに強引さはなかった。ただ、彼女が立ち去るのを引き留めるだけの力加減だ。


「話はまだ終わってない」彼は静かな声で言った。「わかってるだろ……ミソラ」


「チッ……」彼女は彼の手を軽く振り払おうとした。「離して」


もう一度試みる。彼の握る力は強まることも、緩むこともなかった。


その代わり……彼はただ彼女を見つめていた。その深紅の瞳には、これまで見たことのない温かさが宿っていた。


ミソラは息を呑んだ。じわりと頬が熱を帯びていく。


「……やめて」囁くような声だった。「今は戦いの最中なんだから」


彼女は、鋼がぶつかり合う音が今も響き渡る、遠くの回廊の方へ視線を向けた。


「みんな命懸けで戦ってる。私たちだって同じよ」


ジンは頷いた。「……わかってる」


彼の親指が、無意識のうちに彼女の手の甲をなぞった。


「でも……」彼は彼女から視線を外さなかった。「今夜の出来事を、なかったことにはできない」


ミソラの心臓が跳ねた。


「……あのキスを」ジンが付け加える。


二人の間に沈黙が降りた。


部屋の外で繰り広げられる激しい戦いの音が、途端にひどく遠いもののように感じられた。


彼女は彼の瞳を覗き込んだ。


「……どうして?」声が震えた。「どうして私にキスしたの?」


一瞬の沈黙。


「……私が立ち去るのを止めるためだけだったの?」


ジンの表情が和らぎ、彼は首を横に振った。


「違う」迷いのない答えだった。「キスしたのは……」


彼が優しく微笑む。


「……君のことが好きだからだ」


ミソラの目が見開かれた。


「ずっと隠そうとしてたんだ」彼は静かに笑った。「君を彼女のふりにしておけば、それで十分だと思ってた」


彼の眼差しが、さらに優しくなった。「でも、いつの間にか……ふりをするのをやめていたんだ」


ミソラは立ち尽くした。心臓が激しく高鳴る。


……やっぱり。彼女は視線を落とした。気づいていた。些細な仕草のすべてに……。


記憶が次々と蘇る。


初めて乗った電車。月森への旅。祖父の前で、とっさに彼女の手を握ろうとしたあの瞬間。


いつもからかってくる態度。その視線に込められた温もり。


そして最後に……月明かりの下でのキス。


……全部、気づいていた。彼女の指先がわずかに丸まる。でも、気のせいだと言い聞かせていた。だって……


唇が震える。怖かった。自分の気持ちを認めてしまったら……長い時間をかけて築いてきた友情を失ってしまうんじゃないかって。


ゆっくりと……彼女は顔を上げた。


遠くで金属がぶつかり合う音が再び響き、彼女を現実へと引き戻した。


「……みんな、まだ戦ってる」彼女の声は穏やかだった。「私たちが必要なの」


彼女は彼の瞳を見つめた。「この話は……」唇に薄い笑みが浮かぶ。「……全部終わってからにしよう。ね?」


ジンは一瞬、黙り込んだ。そして……彼女の笑みに応えるように、小さく微笑んだ。


「……わかった」彼はゆっくりと彼女の手首を離した。


それから、何も言わずに二人は曲がりくねった廊下を走り出した。


しばらくの間……二人は何も話さなかった。ただ、足音がリズミカルに響く音だけが静寂を満たしていた。


ジンは横目でミソラを見た。告白した時の記憶が、鮮明に脳裏をよぎる。


……本当に言っちゃったんだ。耳が熱くなる。彼女に告白したんだ……。


思わず緊張の混じった笑みがこぼれそうになる。その時、あることに気づいた。


……待てよ。彼の目がわずかに見開かれる。告白したけど……彼女からは、まだ返事をもらっていない。


彼はもう一度、彼女を盗み見た。ミソラは前を見つめたままだが、頬に残る淡い赤みは少しも消えていなかった。


ジンは静かに息を吐いた。「……なあ」


ミソラは、視線の端で彼を見た。 「……え?」


「返事、まだもらってないから」


彼女は瞬きをした。


「俺の告白だよ」彼は少し照れくさそうに口元を緩めた。「君、なんとなく……先延ばしにしてたから」


美空の顔は、瞬く間にさらに赤く染まった。


「だ、だから言ったでしょ!」走り続けながら、彼女は片手を慌ただしく振った。「この件が終わったら話すって!」


無意識のうちに彼女は歩調を速め、彼より少し先を歩き出した。


ジンは瞬きをした。「……ミソラ」


その声には、微かな愉悦の色が混じっていた。


「そんなふうに、俺を置き去りにするようなことはできないだろ」


「お、置き去りになんてしてないわよ!」彼女は振り返ろうとはしなかった。「ただ……」


彼女の声は小さくなった。「……もう少し、時間がほしいだけ」


ジンは小さく微笑んだ。「……わかった」


彼は歩調を速め、再び彼女の隣へと追いついた。


「待ってるよ」


ミソラの心臓が跳ねた。彼の言葉を理解する間もなく、柔らかな声が廊下に響き渡った……。


「……炎刃流奥義……」


ジンとミソラは動きを止めた。二人の視線が、声の主へと向けられる。


「……第十四の型……」


闇の中で、深紅と黒が混じり合う光が灯った。


「……『炎の抱擁フレイムズ・エンブレイス』」


――ゴォォォォッ!!


深紅と黒の巨大な炎の奔流が彼らに向かって噴き出し、瞬く間に廊下を飲み込んだ。


「ミソラ!」


とっさに、ジンは彼女をかばうように身を投げ出した。猛火がすぐ脇を通り過ぎるのと同時に、二人は横へと転がり込んだ。


――ドォォォォン!!


炎は背後の通路を飲み込み、石を溶岩の破片へと変えながら、爆発の衝撃で広間全体を揺るがした。


「ぐっ……!」二人は地面を転がり、やがて滑るようにして止まった。


ジンは即座に身を起こした。ミソラも同じように立ち上がる。


二人は顔を上げた。


戦場を見下ろす巨大な岩の上に、白いマントを纏った一人の人影が佇んでいた。


フードが彼女の顔の大部分を覆っていた。ただ、深紅の瞳だけが彼らを見下ろしていた。


影の下で、冷ややかな笑みがゆっくりと浮かび上がる。


「……」ジンは目を細めた。「……その笑みは」


彼の中に、相手を思い出す兆しが走る。


「……お前か」彼は刀を握る手に力を込めた。


女は静かに笑い、ゆっくりとフードを下ろした。


高い位置でポニーテールに結われた艶やかな黒髪が背中の半ばまで流れ落ち、横に流した前髪が、鋭い深紅の瞳を縁取っていた。


「また会ったわね……」クレナイの笑みが深まる。「……逃亡中の殿下」


彼女の視線がミソラへと移る。「そして、あなたも」


それ以上言葉を交わすことなく、ジンとミソラは同時に立ち上がった。


鞘から刀が滑り出る。


シャキィン。


「こっちはそう思ってないけどね」ミソラが冷ややかに言い放つ。


クレナイはくすりと笑った。「でしょうね」


彼女は優雅な身のこなしで刀を抜いた。その刃は、深紅と黒が混じり合う炎を纏い、揺らめいている。


「もう話すことはないわ」彼女の笑みは、ゆっくりと冷酷なものへと歪んでいく。「あるのは、あなたたちの死だけよ」


空気が張り詰める。ジンとミソラは構えをとった。


その時、隣の通路から三つの人影が部屋へと飛び込んできた。彼らはジンたちとクレナイの間に着地する。


「ジン!」ヒロが安堵の息を漏らす。


「ヒロ?」ジンは目を見開き、続いて他の者たちへと視線を移す。「……祖父さん……アヤカ」


シンジは鞘に収まった刀の柄に手をかけていた。「間に合ったようだな」


鋭い眼差しが二人を捉える。「お前たち、無事か?」


ミソラは短く頷く。「大丈夫」彼女の意識はすぐにクレナイへと戻った。


クロツキの女は舌打ちをする。「……チッ。鬱陶しい展開ね」


新参者たちを見やりながら、彼女の刀身で深紅と黒の炎が明滅する。


「一か所に虫けらが集まったものね」彼女は大げさにため息をつく。「全員、私が始末するしかなさそうね」


彼女の深紅の瞳がシンジに留まり、続いてジンへと移る。そして、その唇に不敵な笑みが広がった。 「月城つきしろ家の跡取り……そして、あの老いた獅子そのもの。なんと素晴らしい獲物でしょう」


彼女はくすりと笑った。「雷禅らいぜん様もお喜びになるはずです」


「……ライゼン?」シンジの表情がわずかに変わる。眉間に皺が寄った。


誰も言葉を返すより早く、アヤカが前に出た。


迷いのない足取りで巨岩の方へ歩み寄る彼女の靴音が、広間に響く。


「みんな」彼女は振り返ることなく言った。「ここは私に任せて」


「……え?」他の者たちが、ほぼ同時に声を上げた。


「あなたたちは先へ進んで」彼女の視線はクレナイから外れない。「彼女なんかのために、任務を遅らせる必要はないわ」


クレナイの額に青筋が浮かぶ。「……なんですって?」


素早い身のこなしで――


シャキッ!


アヤカは二振りの短刀を抜いた。双刃が指の間で軽やかに回転し、やがて逆手で構えられる。


「私が相手をする」彼女の瞳が鋭さを帯びる。「彼女には、これまでのことの落とし前をつけてもらわないと」


仲間たちが不安げに顔を見合わせる。やがてミソラが前に出て、アヤカの隣に立った。


「私も残るわ」


アヤカは瞬きをした。「……あなたが?」


シンジは二人の少女を交互に見る。「本当にいいのか?」


ミソラは頷いた。「……うん」


ヒロが躊躇いがちに言う。「……アヤカ……」


彼女は彼を横目で見やった。「大丈夫よ」


自信に満ちた笑みを浮かべる。「行って。ツキシロ長老を守ってきて」


しばしの沈黙が流れる。やがて……ヒロ、ジン、シンジが頷いた。


それ以上何も言わず、彼らは入り組んだ回廊の奥へと消えていった。足音が次第に遠ざかっていく。


アヤカは彼らを見送ると、クレナイから視線を外さずに口を開いた。


「……残る必要なんて、なかったのに」


ミソラは不敵な笑みを浮かべた。「はっ、この役立たずのクソ女を叩きのめすチャンスを逃せって?」


彼女は肩に担いだ刀を落ち着かせた。「私にも、決着をつけるべき因縁があるのよ」


その灰青色の瞳が、クレナイを射抜くように見据える。「あいつがしでかしたこと……ただじゃおかないから」


アヤカは一瞬、驚いたようにミソラに視線を向けたが……すぐに口元に、すべてを理解したような笑みを浮かべた。


それ以上言葉を交わすことなく、二人は息を合わせて前を向いた。


その前方で、紅が優雅に巨岩から飛び降りた。音もなく着地すると、彼女は気だるげに刀を肩に担いだ。


「……期待外れね」彼女は大げさにため息をついた。「もっと歯ごたえのある相手を望んでいたのに」


紅の深紅の瞳が二人を値踏みするように流し見る。「それなのに……」彼女の顔に嘲笑が浮かぶ。「……残ったのは、取るに足らない小娘二人だけ」


アヤカの不敵な笑みは崩れない。「……取るに足らない、だって?」


彼女は小首をかしげた。「面白いわね。私も同じことを考えていたところよ」


紅の眉がピクリと動いた。


ミソラは鼻で小さく笑った。「それなのに……」彼女は刀を肩に預けたまま言った。「他人の命令を盲目的に実行しているのは、あんたの方じゃない」


彼女は目を細めた。「教えてよ……その『首輪』、窮屈じゃないの?」


紅の額に青筋が浮かんだ。「……何だと……」


アヤカの笑みが深まる。「私たちを哀れむなんて言っておきながら……あんたは一生、リーダーのために尻尾を振って生きてきただけじゃない」


静寂。空気が凍りつくような沈黙が流れた。


紅の指が刀の柄を強く握りしめ、拳の関節が白く浮き上がる。


「……このクソガキどもが……!」


刀身に沿って、深紅と漆黒が混ざり合う炎が噴き上がった。


「その生意気な面、切り刻んでやる!」


ドォォォン!!


激昂の叫びが空間に響き渡る中、彼女は弾丸のような速さで前方へと飛び出した。


その頃――


雷牙の炎を纏った剣が二人の間を切り裂き、葵とライトは左右に分かれた。


――ゴォォォッ!!


深紅と漆黒が混ざり合う炎が広間を駆け抜け、行く手にあるものすべてを焼き尽くしていく。


雷牙は仰け反るようにして高笑いを上げた。「その程度かよ!?」


その声が戦場に轟く。「お前ら、話にならねえな!」


余韻が消えるより早く、彼は姿を消した。


凄まじい加速で、一直線にライトへと肉薄する。


――ドォン!!


強烈な蹴りがライトの脇腹を捉えた。


「ぐっ……!」ライトは横へと吹き飛ばされ、石の床を激しく滑りながら、崩れた柱に叩きつけられた。


雷牙は止まらない。即座に標的を変える。


炎の刃が、処刑人の斧のごとく葵めがけて振り下ろされた。


――ガィィィン!!


葵は瞬時に反応した。間一髪、頭上に掲げた刀でその一撃を受け止める。


鋼と鋼が悲鳴を上げ、衝撃波が広間を揺るがした。


踏みとどまろうとする葵のブーツが、石の床を削りながら後退する。


刀身にのしかかる圧倒的な重みに、彼女の腕は震えた。


雷牙は身を乗り出し、不敵な笑みを深めながら、彼女の意志の宿る瞳を真っ直ぐに見つめた。


「……情けねえな」


雷牙が不意に手首を捻る。金属が擦れ合う甲高い音と共に葵の刀を弾き飛ばすと、即座に無防備となった彼女の脇腹へと刃を向けた。


葵は迷わず反応した。


――ガィィン!


間一髪、身体を捻るようにして刀を動かし、その一撃を防ぐ。


腕に凄まじい衝撃が走った。


「……っ!」


防ぎはしたものの、雷牙の振るう一撃の圧倒的な威力に、彼女の体は後方へと弾き飛ばされた。


――ドォォン!!


背中がひび割れた石柱に激突する。


岩の破片が飛び散り、もうもうと立ち上る土煙が彼女の姿を飲み込んだ。


…………….


シュッ、シュッ!


レンマの双剣が、目にも留まらぬ速さで空を舞う。だが、その一撃一撃は、メイの開いたてのひらによってことごとく受け流されていく。


彼女は驚くべき正確さで、手首をわずかに動かすだけで斬撃の軌道を変え、刃を無害な方向へと逸らしてみせた。


レンマの笑みが引きつる。「さあ、来い!」彼は再び剣を振るう。「お前の力は、その程度か?」


メイは冷静に、またしてもその一撃を払いのける。彼の剣が彼女の体に触れることは一度としてなかった。


「まさか、素手で私を倒せるとでも思っているのか?」


不敵な笑みは消えていないが、その声には苛立ちが滲んでいた。「お前のことは、すべて聞いている」


また一撃。それも、たやすく受け流される。


「『シュエ』の一族……ツキモリ建国に関わった名家の末裔だ」


松明の明かりの下で、双剣が鋭く煌めく。「聖なる武具を所持していながら……それを使おうとはしない」


レンマは後方へ跳び退くと、片方の剣を彼女に向けた。「俺を侮っているのか?」


怒りの叫びと共に、彼は再び踏み込み、剣を振り下ろした。


メイが動く。退くのではなく、彼女は彼の剣を持つ腕の手首を掴み取った。


空いた方の手で、もう一方の腕が攻撃を繰り出すのを即座に阻む。


二人は互いに組み合い、一歩も引かぬまま対峙した。


レンマの笑みが揺らぐ。「何……だと?」


メイの紫色の瞳は、あくまで静かだった。「あなたに、それを使う価値などない」


彼女の声は穏やかだった。まるで、すまないと思っているかのように。


「私の武器は神聖なもの。あなたのような人間に……見せるためのものではないわ」


静寂。


その言葉は、どんな刃よりも深く彼に突き刺さった。レンマの顔から笑みが消える。


彼は奥歯を噛み締めた。


「……てめぇ……」指が剣を強く握りしめる。「……この役立たずのメス犬が!」


二振りの剣から、深紅と黒が混じり合う炎が爆発的に噴き出した。


「手加減してやってたんだよ!」彼は猛烈な勢いで、炎を纏った斬撃を次々と繰り出した。


幾重もの炎の波が広間を駆け巡る。だが、メイに触れることはできない。


彼女は優雅な足さばきで一撃一撃の間をすり抜け、紙一重の差で攻撃をかわし続けた。


反撃は一度もしない。その余裕ある振る舞いが、レンマの怒りをさらに煽った。


…………..


ガキンッ!!


ミツルの二振りの小太刀が頭上で交差し、イサムが振り下ろした刃を受け止める。


鋼と鋼が擦れ合い、火花が散る中、深紅と黒の炎が揺らめいた。


イサムは冷ややかな視線を彼に向けた。「前にも言ったはずよ……あなたは弱いって」


ミツルは舌打ちをした。「へえ?」


不意に力を込め、彼は相手を上へと押し返した。


イサムは後方へ三度宙返りし、数メートル先へと軽やかに着地する。


「前回会った時から、何の進歩もないわね」


ミツルは気だるげに片方の肩を回した。


「いやぁ……」彼の顔に笑みが広がる。「前回は剣さえ使ってなかったからな」


彼は片方の小太刀をくるりと回すと、肩に担ぐようにして構えた。


「それに……手加減してやってるんだよ」彼は気怠げに彼女を指差した。「か弱いお姫様を傷つけちゃ悪いからな」


静寂。


イサムの額に青筋が浮かんだ。


「……か弱い……」彼女の肩が震える。「……お姫様、だと?」


彼女の剣に黒い炎が噴き上がり、足元の石床に亀裂が走った。


「私は二十四歳だ……」彼女は弾丸のような速さで彼に肉薄した。「……この役立たずのよそ者が!」


ガキンッ!


再び刃が激突する。ミツルは辛うじて追撃を受け流し、後方へと跳び退いた。


「待てよ!」彼は目を見開いた。「……二十四歳だって!?」


信じられないものを見る目で彼女を見つめる。「そんなに年上なのか!?」


イサムの目元が激しく引きつり、その表情が険しく歪んだ。


彼女が再び彼を追って踏み込むと、剣を包む炎がさらに高く燃え上がった。


……………


シュッ! シュッ! シュッ!


黒い炎を纏った刃が、闇の筋となって広間を切り裂いていく。


ある刃は周囲の壁に深く突き刺さり、またある刃はそびえ立つ巨岩を真っ二つに断ち割った。


その一撃一撃が、双子を紙一重の差でかすめていく。


サヤカは薙刀を両手でしっかりと握りしめ、垂直の壁を駆け抜けた。そして力強い蹴りで、シグレに向かって身を躍らせる。


「はぁっ!」彼女は槍を振り下ろした。


刃が標的に届くよりも早く――


シュンッ! シュンッ! シュンッ!


黒い炎を纏った三本の剣が、上方へと放たれた。


「っ!」 さやかは空中で身を翻し、次々と迫る刃を弾き飛ばすと、そのまま後方宙返りをして石の床へと着地した。


着地したその瞬間、さらなる刃が襲いかかる。


彼女は横へと駆け出し、絶え間なく続く猛攻の間を紙一重で縫うようにかわした。


「くそっ!」 彼女は舌打ちをする。「この女、本当に隙がない!」


その傍らでは、静が落ち着いた様子で薙刀を大きく、流れるような円を描くように回していた。


カキン! カキン! カキン!


飛来する刃はすべて、正確なタイミングで弾き返されていく。最後の剣も、彼女の背後の石壁へと無害に弾き飛ばされた。


さやかは姉の隣へと滑り込むようにして止まった。


「……厄介ね」 静の表情は変わらない。「私たちだけが体力を消耗させられている」


彼女の視線は敵から外れない。「それに、あの女は一歩も動いていない」


数メートル先――時雨は、最初からいたその場所に立ち尽くしていた。


足の位置は微塵も動いていない。姿勢すら崩していない。


深紅の瞳が、冷ややかな無関心さで双子を見つめている。


静が眉をひそめる。「……なるほど」


彼女は薙刀を握る手に力を込めた。「あの刃は勝手に動いているわけじゃない。私たちの動き一つひとつに反応しているのよ」


彼女は目を細めた。「動く必要もなく、あのすべてを操っている……」


さやかは顔をしかめる。「……私たちを、見下しているのね」


「その通りよ」 時雨の静かな声が、広間に響き渡った。


彼女はゆっくりと片手を上げた。指先をわずかに動かしただけだ。


「あなたたち二人に、わざわざ動くほどの価値はないわ」 彼女の唇に、かすかな笑みが浮かぶ。「だから……このままの姿で、あなたたちを始末してあげる」


彼女が指先を軽く弾くと、戦場を取り巻く黒い炎を纏った刃が一斉に震えた。


そして、それらすべてが双子めがけて一斉に放たれた。


サヤカとシズカは同時に身構えた。


薙刀を握る手に力がこもる。二人は一歩も引かなかった。


…………。


カキン! カキン!


カズキの鎖鎌とカイトの鎖付きの刃が激突し、鋼の悲鳴が響く。


火花が広間に飛び散る。鎖が空中で激しくうねり、互いに隙をうかがっていた。


カイトは不敵な笑みを浮かべた。「……諦めろ」彼は余裕たっぷりに、鎖を腕に巻き付けながら回す。「俺の武器の方が……上だ」


鎖の全長に沿って、深紅の黒炎が噴き上がった。その業火は鎖の輪を伝い、鉤状の刃へと至る。


鋭く引き絞り、彼はそれを前方に放った。炎を纏った鎖が空気を切り裂き、唸りを上げる。


カズキは即座に鎖鎌を振るい、その軌道上に割り込ませた。


ドォォォン!!


二つの武器が激突する。ほんの一瞬……互いに一歩も譲らなかった。


だが次の瞬間、カイトの一撃に込められた圧倒的な力がカズキの防御を打ち砕いた。


「……っ!」彼は後方へと吹き飛ばされる。その体は石壁に激しく叩きつけられた。


岩の破片が飛び散り、土煙が彼を包み込む。


静寂。


煙の中から、弱々しい咳の音が響いた。


カズキはゆっくりと身を起こした。その呼吸は荒くなっていた。


晴れゆく土煙の向こうに……彼は視線を向けた。


カイトがゆったりとした足取りで近づいてくる。炎を纏った鎖が、金属的な不気味な唸りを上げながら、彼の傍らで気だるげに旋回していた。


距離を詰めるその顔には、冷ややかな笑みが浮かんでいた。


……………..


――ゴォッ!!


ゲンシロウの拳が、目にも留まらぬ速さで乱舞する。その一撃一撃が、ヒカルの構えたトンファーを打ち据え、部屋全体を揺るがすほどの衝撃を叩きつける。


ガキンッ!


ドォンッ!


ドスッ!


金髪の男は何度も後方へと滑らされ、そのブーツが石の床に深い溝を刻んでいく。


「ハッ!」ゲンシロウが笑う。「どうした?」


さらに強烈なフックを放つ。「その生意気な口はもう閉じたのか?」


ヒカルは辛うじてその一撃を受け止める。衝撃が腕を駆け抜けた。


左の手首に、鋭い激痛が走る。


「……ッ!」苦痛に顔が歪む。


「本気で思っていたのか……」ゲンシロウの筋肉が隆起する。「……その細い棒切れで、俺の力に対抗できると?」


左の拳が爆発的な勢いで繰り出される。


ドォンッ!!


その拳が、ヒカルの脇腹にめり込んだ。


「……ぐっ!!」宙に吹き飛ばされながら、ヒカルの口から血と唾液が飛び散る。


巨岩に激突し、周囲の岩が砕け散った。


土煙が辺りを覆う。ヒカルは激しく咳き込みながら、無理やり片膝をついて立ち上がろうとする。


重々しい足音が響く。


一つ、また一つ。土煙がゆっくりと割れていく。


ゲンシロウが、動かぬ山のように彼の前に立ちはだかっていた。その深紅の瞳は、容赦ない満足感を湛えて輝いている。


「お前は無力だ」低い声が響く。「価値なきよそ者……絶対的な力を超えられるなどと信じ込んでいる、ただの愚か者だ」


彼が片足を振り上げる。


ドォンッ!!


その足が、ヒカルの胸板を強打した。


金髪の男が息を呑む。態勢を立て直す間もなく――


ゲンシロウはヒカルの体を足先で掬い上げ、空中に蹴り飛ばした。


落下する前に、追撃の拳が彼を捉える。


ドォンッ!!


その一撃がヒカルの首筋を捉えた。彼の体はなす術もなく回転し、部屋の向こうへと吹き飛ぶ。


ゲンシロウの姿が消えた。次の瞬間――


ドォン!!


蹴り上げられたヒカルは横向きにレンガの壁へと叩きつけられた。石壁に亀裂が走る。


「……ぐっ!」弾き飛ばされた彼が重力に引かれて落下するより早く、巨大な手がその足首を掴み取った。


勢いを緩めることなく、ゲンシロウは彼をまるで布人形のように振り回す。


ドォン!!


ヒカルは部屋を横切って激しく転がり、やがて別の壁に顔面から激突した。


彼はその場に崩れ落ち、虫の息となる。


ゲンシロウが再びその上に立ちはだかった。


振り上げられた足が、容赦なく振り下ろされる。


一度、二度、三度と。


その衝撃音が、冷酷な響きとなって部屋中にこだました。


……………


「このクソガキが!」紅蓮クレナイの怒号が響き渡り、彼女の深紅と漆黒が混じり合う刀身が、アヤカの交差させた短刀へと叩きつけられた。


ガィィィン!!


激突した刃の間から炎が爆ぜる。


アヤカが歯を食いしばる。紅蓮が手首を捻ると、圧倒的な力がアヤカの防御をこじ開けた。


ドォン!!


アヤカは部屋の彼方へと吹き飛ばされた。石の床を転がり、ようやくその身を止める。


すでにミソラが動いていた。彼女は紅蓮の死角から素早く踏み込み、その刀で相手の脇腹を狙って斬りかかる。


カィィン!


紅蓮は難なくその一撃を受け止めた。


鋼鉄が悲鳴を上げる。


「情けないね」彼女は圧倒的な力でミソラを押し戻す。


「無価値だ」


追撃の一閃。


「本気で信じていたのか……」


再び刃がぶつかり合う。


「……私を倒せると?」


ミソラは必死に踏みとどまり、ブーツの底を床に擦らせながら耐える。


紅蓮が顔を近づけ、額が触れ合うほどの距離になる。その口元に、残酷な笑みが浮かんだ。


「あのツキミとかいう小娘の方が、まだマシな戦いぶりだったよ」彼女は嘲笑う。「それで、これが『挑戦』のつもりか?」


美空が反応するより早く、くれないの膝蹴りが彼女の脇腹に叩き込まれた。


「……っ!」その衝撃で美空はくの字に折れ曲がり、床へと叩きつけられた。


「美空!」彩花は痛みを無視して、再び戦いの中へと飛び込んだ。


彼女の二振りの短刀が紅に向かって閃く。だが、黒月くろつきの戦士はただ微笑むだけだった。


――ガキンッ!!


一撃で、彩花の刃は弾き飛ばされた。


続く一撃で、彼女は再び部屋の向こうへと吹き飛ばされた。


………………


一方、その頃――


ジン、ヒロ、シンジの三人は、剣を構えたまま入り組んだ回廊を駆けていた。


予兆もなく、ヒロの直感が警鐘を鳴らした。


彼は目を見開く。「……退け!」


ヒロは他の二人を追い越すように前へと飛び出した。


――シャキィンッ!


彼が刀を抜いたのと同時に、横から黒い炎の奔流が押し寄せてきた。


――ドォォォン!!


その攻撃は彼の刀に阻まれ、無害な爆発となって散った。


「ヒロ……!?」ジンとシンジは急ブレーキをかけて立ち止まった。


二人が言葉を発するより早く、巨大な岩の上から一人の人影が舞い降りた。


着地と同時に白いマントが翻り、フードの下で深紅の瞳が怪しく光る。


「さて……」暗い笑い声が部屋に響く。「また会ったな」


ヒロは刀を握りしめる。「……やっぱりな」その声は険しさを帯びていた。「あの炎を間違えるはずがない。特に、あの技は」


マントの男は再び低く笑った。「覚えていてくれて光栄だよ」


ゆっくりと……彼はフードに手をかけた。


布地が外れ落ちる。低い位置でポニーテールにまとめられた銀色がかったラベンダー色の髪が、肩へとこぼれ落ちた。長い前髪が、その顔を縁取っている。


静寂。


誰も言葉を発しない。


シンジの瞳孔が収縮する。「……ありえない……」


ヒロの息が乱れる。「……まさか……」


ジンは信じられないといった様子で凝視していた。あの聞き覚えのある声の記憶が、突如として一つに繋がったのだ。


「……ダイゴ」その名が、無意識のうちに彼の唇から漏れた。


男の笑みが深まる。「……久しぶりだな」


深紅の瞳で月森の戦士たち三人を見渡しながら、彼は静かに笑みをこぼした。

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