救出
二日経ってもアディの消息は掴めなかった。それだけでなく、ドジャーによればシビルもこの数日、行方がわからなくなっていた。
アディのいぬ間とばかりにお前にまとわりついて邪魔してくると思ってたが、と辛辣に言うドジャーに、ローディスは目を眇めた。
「邪魔がなくても、アドリアナの行方はわからないままだ」
焦燥に駆られて一時もじっとしていられない気持ちのまま吐き捨てた、その時だった。
近寄って来たメイドが紙切れを差し出してくる。令嬢達の使いから、逢引を求める手紙を渡されるのはよくあることだ。だが、その送り主が今話していたシビルだったことに、ローディスは眉をひそめた。
ドジャーも首を傾げる。
「とりあえず会ってくる」
「俺も行く。アディと同時に雲隠れしてたんだ。何か関係あるかもしれない」
「俺は、今まで思わせぶりな態度を取ってしまったことを詫びに行くだけだ」
初恋の人だけに疑いたくはないが。そう言いつつ、ローディスの足は自然と速まる。
呼び出された部屋に行くと、酷い顔色のシビルが座っていた。
彼女は、ローディス一人でないことに不快げな表情を見せると、いつも仲がよろしいこと、と言い捨てた。
皮肉めいた口調にムッとするが、それ以上に彼女の尋常ではない顔色の方が気になる。
「具合が悪かったのか。知らなかった。まだ休んでいた方が良さそうだが」
「ご心配なく。それより、私はある人の情報を持ってますの。もし入用なら教えますけど?」
いつもの甘い声音とは違う切り口上に、ローディスよりもドジャーの方が目を瞠る。
シビルはそれを無視して、そうだ、と僅かに首を傾げた。
「その前にまず、これを聞くべきでしたわ、ローディ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
母を亡くして嘆いていたアディが、寂しいという意味を本当に理解したのは、エリカが現れてからだった。四六時中傍にいる彼女のおかげで、それまでの自分が孤独だったと初めて知ったのだ。
とはいえ、エリカが最初から好きでアディの傍にいたわけではない。彼女はメソメソしているアディに苛立ち、怒ってばかりいた。ぷいと消えて、姿を見せない日が続いたこともある。
だが、エリカと関わることが出来るのはアディだけ。他は誰一人いない彼女は、アディのところに戻るしかなかったのだろう。
二人が少しずつ互いの存在に慣れてきた頃、アディが酷い風邪を引き込んだことがある。高熱にうなされながら、心細さを紛らすために母の形見を取りに起き出したアディを、エリカはこっぴどく叱りつけた。
「このバカ娘。そんなフラフラしながらベッドを抜け出すなんて、それでなくとも愚かなのに高熱で脳が茹で上がっているんじゃなくて? いいこと、三つ数える間にベッドに戻りなさい」
そのあまりの怒りっぷりに、仕方なく従ったアディは、深夜ふと目覚めた時に、手持無沙汰なのかぼんやりと座って小声で歌を口ずさむエリカに気付いた。低い歌声は、何故か苦しさを和らげてくれる。それを聞きながら再びうとうとし始めた時、ふいに幼い頃の微かな記憶が甦り、アディは無意識に微笑んでいた。
(そうだ。思い出した。私が小さい頃、今みたいに熱を出していると、お母さまが来て、子守唄を歌ってくれたんだわ……)
幸せな気分で眠りにつき、翌朝目覚めた時には熱は引いていた。
エリカはいつものようにツンケンしていたが、アディの幸福感は曇らなかった。母の優しい記憶を取り戻したのだから。
歓びに胸を膨らませていたアディは、後で古くからいるメイドにその話をしてみた。母を覚えているだろう彼女に、甘えるような、自慢するような気持ちだったのだ。だが、メイドは不思議そうな顔をしてこう言った。
「そんな筈はありませんよ。お嬢様が熱を出したことは何度もありますが、いつも奥様はお留守でしたから」
そんな筈はないと言い張るアディを不憫に思ったのか、彼女はそういえば、と口を開いた。
「お嬢様が四才の頃、肺炎になったんですけどその時のことでしょうか。一時は命も危ういところだったんですよ。でも、そんな時も奥様はパーティーだのなんだのでいらっしゃらなくて……その時、何故か先代の伯爵夫人がふらりと顔をお出しになったんですよ。病気の子供の扱いなどご存知ないから、椅子におかけになるとまあ、困った顔をされて」
え? 先代の伯爵夫人って―――。
「仕方ないから、子守唄でも歌ってあげて下さいまし、と言ったら、一晩中歌っておいででしたよ。余計なことを言ってしまったと申し訳ないくらいでした。でも、それがお嬢様の思い出になっていたなら、先代の伯爵夫人も喜んでいらっしゃるでしょうね」
じゃあ、あれはエリカだったの? あ、だから風邪を引いた私に歌を歌ってくれた……? それがエリカの知っている看病のやり方だから―――というか、じゃあ今歌っているのもエリカなの? 私は別に病気じゃ―――
「病気じゃないけど、あたしは死ぬほど心配したんだよ?」
(あれ、エリカはいつから自分のこと、あたしって―――)
「アディ、目が覚めたんじゃないの?」
肩をそっと揺すられて目を開けると、至近距離に泣きそうなマチルダ王女の顔があった。周りは見慣れた寝室の景色だ。
「マティ……? 私、は―――」
「起きちゃダメっ! まだ寝てなくちゃ」
どうしてここに、と言いかけたところで、一気に記憶が甦り、アディは顔色を変えた。
「こうしてる場合じゃないわ。ユージン殿下を狙っていた犯人が―――早く黒幕を捕らえないと……っ」
身体中がだるく、ひしゃげたような声しか出ないが、必死にそう言い募ると、マチルダ王女は泣き笑いの顔になった。
「大丈夫。グラウ伯とその一味はちゃんと捕まったから」
どうして彼が犯人とつきとめられたか解らないが、アディはとりあえずホッと息をついた。
「もっと早く助けてあげられなくてごめんね、アディ。こんな酷いケガまで……」
言われて気付いたが、両手の小指側の側面や指先が酷く傷付いている。長持ちの中で必死にもがいたからだ。あんな経験は二度としたくない。
あの狭い空間を思い出して身震いしていると、控え目なノックの音がしてユージン王子が入ってきた。
「兄さま、アディが今目を―――」
「アディ」
妹の言葉を遮るようにアディの名を呼んだ王子は、驚いたように目を見開いていた。驚いたのは彼だけではない。アディも同じだった。部屋に入ってきたユージン王子の無事な姿を見た瞬間に、何故か涙が溢れてきたのだ。
「え、なんでこんな……」
慌てて頬に伸ばした右手を、大股に歩み寄ったユージン王子がそっと握って止めた。
「傷に障ってしまいます」
「でも……」
王子は食い入るようにアディを見つめたまま、気配を消して二人を窺っている妹が準備よく差し出した布を受け取り、アディの濡れた頬を優しく拭う。いつもは穏やかな笑みが覗く眸には、真剣な光が宿り、笑みは欠片もない。
周囲に気配りを絶やさないユージン王子が妹に礼も言わず笑みも見せず、ただひたすらアディを見つめている姿を、そしてアディの方も瞬きもせず見つめ返している姿を、当の妹王女は満足げに見て息をひそめた。




