穏やかなひととき
ローディスは一番上等な上着の袖に腕を通して自室を出た。
昨日はマチルダ王女に邪魔されたが、アドリアナを誘って若い連中が集まるバラント男爵夫人のサロンにでも行くつもりだった。二人きりでは会話に困って時間を持て余す不安もあるが、人の多いところに行けばその心配はいらない。うまい具合にドジャーは用事で出かけているし、マチルダ王女もそう度々現れないだろう。
アドリアナの部屋のメイドは、ローディスの姿に頬を染めて取り次ぎに行った。女性のその反応には慣れている。何も感じずに窓際で景色を見ていたローディスがすぐ戻って来た気配に振り返ると、現れたのは予想に反してアドリアナ本人だった。
「あ、あの―――昨日はあまり時間がなかったので、よかったら午後を一緒に過ごそうかと思って来たのだが……」
柄にもなくあからさまにどぎまぎしたローディスは、驚いたように目を見開いているアドリアナから視線を逸らす。身分にそぐわぬ彼女の飾り気のない振る舞いに、いつもなら眉をひそめるところだが、今日は何故か生き生きとした表情が目に灼きついていた。
「誰かともう約束が?」
「いいえ。ただ……あなたが今日も来るとは思っていなかったから驚いて―――」
「だったら問題ないだろう。バラント男爵夫人のサロンが人気なので行ってみないか?」
急き立てる口調になってしまったのは、迷う時間を与えないためだ。何故か、考える暇を与えたら彼女に断られるような気がしていた。
アドリアナはローディスの焦燥を読み取ったのか、ちょっとの間口を噤んでから、いいわ、と答えた。
「じゃあ、着替えるから待っていて―――」
「いやっ、それで充分綺麗だし、何も問題ないと思うが」
「え? でもこれじゃ―――」
武骨なローディスの口から珍しく綺麗という褒め言葉が出て、アドリアナは顔を真っ赤にして固まった。その隙をついて、訝しげな彼女をそのまま連れ出す。
バラント男爵夫人のサロンに行くと、遊び好きな紳士淑女がそこかしこで寛いでいた。
もてなし上手なバラント男爵夫人は、ローディスとアドリアナの関係を詮索することなく歓迎した。
「あちらの奥では皆さまが札占いをしているようですわ。手前のお部屋ではお喋りが弾んでいますし、テラスは―――ああ、今はどなたもいらっしゃいませんけれど、よい風が通って気持ちいいと思いますわ」
それとなく選択肢を示した男爵夫人にローディスは感謝を込めて頷き、テラスへ向かった。質の良いホステスのバラント男爵夫人は、こちらから頼まない限り、邪魔が入らないようにしてくれる筈だ。どこか居心地悪そうに腰を下ろしたアドリアナをちらちらと見ながら、会話の糸口を探していると、彼女の方があっと声を上げた。
「ああ、恐いもの見たさや話しのタネに、ああやってあの辺をうろつく連中は多い。なんといっても幽霊話に事欠かない場所だから」
アドリアナの視線の先、北の塔の近くではしゃいでいる若い男女の五人連れを見てそう説明したローディスは、そういえばと思いついて声をあげた。
「よければ一緒に行ってみようか。君の好きそうな場所だ」
だが、アドリアナは喜ぶどころか慌てたように首を振った。
「全然、全く好きじゃありませんっ。本当に本当にちっとも興味ないからっ」
動揺のあまり声を引っくり返したアドリアナは、驚くローディスに滔々と説明した。
「なんか世間では私がそういうおどろおどろしい物が好きって噂になっているみたいだけど、違うの。大きな誤解なの。そりゃあ、怪しい物を集めていたからそんな噂になるのも無理ないかもしれないけど、でもね、それは私が欲しかったわけじゃなくて友達―――そう、親友のためだったのよ。彼女がそういうのに夢中で―――え? いえ、あの、興味を持っていて、私は彼女の代わりに集めていただけなの」
「そう……だったのか。それはまた……」
恥じらっているのではなく本気で否定しているのを知ったローディスは、困惑して口元を手で覆った。
勝手な評判を鵜呑みにしてわかったつもりになっていたが、自分は彼女の何も知らないらしい。とりあえず、今知った事実を元に新たな知識を積み重ねていくべきだろうと判断したローディスは、表情を微かに緩めた。
「なんというか、随分大切な友達なんだな」
「ええ、それはそうよ。子供の頃からいつも一緒なんですもの」
「そんなに仲がいいのに今回は長く離れることになって寂しいだろう」
「離れてなんか―――あ、いえ」
口篭もったアドリアナの様子で、彼女の親友は身分の低い人間、おそらく乳姉妹だったメイドとかだろうとローディスは当たりをつけた。彼女らしい話だ。今更隔てのない性格に驚くこともないし、何も気にしなくていいのにと思いながら続ける。
「その友達のために苦手な物を集めてやるとは、君は優しいんだな」
「そんなこと。彼女に出来ないことを私が代わりにしているだけで、たいしたことじゃないわ。だいたい、ごく内輪でひっそりと集めていたつもりだったのに、こんなにも世間で噂になっていたことが驚きよ。まぁ、思い返すと人格を疑われるような酷いシロモノも多かったのだけどね」
「たとえば?」
「そう……ね。これは一例だけど―――」
アドリアナはうんざりしたように肩を竦める。
「伝説のドラゴンの歯と言って持ち込まれたものは、どうみても古い馬の歯か何かに見えたけど。私が疑うとその商人は、草食動物のように平らなのは虫歯のせいだと唾を飛ばして力説していたわ。多くの人間の生き血を吸った恐ろしいドラゴンの牙だからこそ、強い念が籠もっているんですって。胡散臭さ満載だったけど、粘りに粘られて仕方なく引き取ったの。ところがそれが良くなかったのね。次から次へと訳のわからない動物の歯が持ち込まれるようになって、終いには近所の子供が生え代わりで抜けた自分の乳歯を持ってきたので、歯はもう充分ですと大々的に触れを出すはめになったわ」
「……な、なるほど」
「……笑ったわね?」
「いや、笑ってなど―――」
肩を揺らしていては信憑性は薄いだろう。ローディスは誤魔化すのを諦めて破顔した。恨めしげに上目遣いで睨んでいたアドリアナも、つられたように噴き出す。
「改めて人に話すと、確かにばかばかしい話よね」
「いや、とても面白いよ。で、集まった歯はどうしたんだ?」
「一応、親友が満足するまでは処分するわけにもいかないから、暫くは置いておいたわ。子供の乳歯だけは本人の代わりに、古くからの伝統通り葉っぱの小舟にのせて小川に流したけど」
ころころと笑う声が快い。悪戯っぽく輝く薄い褐色の瞳に共犯者めいた笑みを返しながら、ローディスは彼女の独特の空気に気持ちを奪われている自分を感じた。何故か覚えがあるような―――とどこかで何かが疼く。出来ればこのまま楽しく時を過ごしたい。だが、どうしても聞きたい、聞かねばならないことがある。
ローディスは笑いを収めると、口を開いた。
「そろそろ王宮生活にも慣れてきたと思うが、足りないことはないか? 何かあったらいつでも言ってくれ。交友関係も広がっているようだが、戸惑うことも多いだろう。マチルダ王女にはだいぶ懐かれているみたいだが―――?」
「ええ、マティはとても可愛いわ。少しばかりませてるけど、そういう子には慣れてるし。血は争えないわね」
後半はぶつぶつと独り言のように呟いたアドリアナに、ローディスはさりげなさを装って続けた。
「ユージン殿下ともかなり親しくしているんだろう? その……俺としても他ならぬ君のことだ。責任ある立場として心配しているんだ」
「ユージン殿下は妹を可愛がるいいお兄さまなのよ。マティと私がよく一緒にいるから私にも気を遣ってくれているのね」
そんな説明で納得がいくわけがない。だが、思わず身をのり出しかけたローディスに、アドリアナは、ねぇ私も質問があるの、と話を変えてきた。




