陰謀の欠片
「他に心当たりはないの?」
「……わたくしの部屋以外に? だって他人に見つかる危険を冒すものかしら? 回収出来ないまま、もし兄王陛下の目に留まっていたらどれだけ大ごとになっていたか―――」
確かにエリカの言う通りだ。愛する妹を託した男が、本当は嫌々受け入れたのだと世間に広まれば、王は激怒したに違いない。そんな手紙を誰もが自由に出入りする場所に隠すとは思えない。
考え込んだアディにエリカはいささか恐縮したように、もしかしたらそんな手紙なんて元々なかったのかもね、と呟いた。隅々まで探して見つからなかった以上、その可能性も否めないが、そしてそんな手紙は見つからない方がいいのかもしれないが、エリカが長いこと囚われていて今やっと向き合うつもりになった過去への扉を、閉ざしてしまっていいのかわからない。
アディは廊下を歩くエリカのどこか気抜けした顔をちらりと見遣った。
「……エリカは―――見つからない方がいいと思う?」
「……いいえ。存在しないのなら仕方ないけれど―――どこかにあるのなら、わたくしはそれを読まなければならないのだと思うわ」
「そう……」
噛み締めるように呟いたエリカは真っ直ぐに顔を上げていた。人前で決して俯いた姿を見せないのが彼女の身の持し方だと知っているが、こんな時にもそれを保っているのを見ると痛々しく感じる。エリカを助けたいと決意も新たにしたアディが、何度でも探すのを手伝うから、と請合ったところでそのエリカが、しっと人差し指を口元に当てた。
人が優しい気持ちで喋っているのに静かにしろとは何よ、と一瞬ムッとするが、柱の陰で声をひそめて話をしている人の気配に気付く。立ち聞きする気はなかったが、アディが立ち止まっている間に彼らの話は進んでいた。
「ウェインは信用できるのかね」
「心配はいらん。奴は税をごまかしていてな。娘を無理して宮中によこしたのも、発覚する前に色仕掛けで誰かをたらしこもうという苦肉の策だ」
「成功しそうじゃないのかね。最近ローディス・クライアとよく一緒にいるらしいが」
「今更クライアの若造を捕まえたところで手遅れだ。いや、逆にそれをネタにクライア家もこちらに引き込めるかもしれん。グラウ伯、あんたは余計な心配をしないでどっしり構えていたまえ」
きな臭い会話を終えた二人の足音が遠ざかると、アディは一緒に隠れていたエリカを振り返った。
「今の……何かしら? ウェインって……シビルの家のことよね? ローディスの名前も出てたけど」
「陰謀の臭いがプンプンしていたわね。シビルの父親の弱点を握っていると言っていたけれど、税に関する不正はことによっては死罪にも相当する重罪よ? それを掴まれているなんて、それが本当なら生殺与奪権を握られているも同然だわ」
真剣な顔で考え込みながらエリカが教えてくれる。
「グラウ伯といえば国内で最も貧しい伯爵よ。政治力もないくせに代々領地経営をなおざりにしてきたせいで、当代もかなり苦しいのではないかしら。ただ傍流とはいえ、あらゆる名門の血が入っているから自尊心だけは高い一族だわ。冷遇されている意識が強いから、何かを企んでいるなら要注意だけれど―――」
「企んでいたじゃないのっ。あからさまに怪しいでしょう?」
勢い込んだアディにエリカは首を振った。
「アディの気持ちはわかるけれど、怪しいというだけで悪事を働いていると決めつけるわけにはいかないわ」
冷静な指摘にアディは唇を噛む。確かにエリカの言う通り、コソコソしているから悪人とは言えないだろう。現にさっきエリカの部屋に忍び込んだ時のアディ自身、他人からは怪しく見える筈だ。だがローディスの名まで出た以上、聞き捨てには出来なかった。要は彼らの企みがどんなものか探ればいいのだ。
「ただ―――具体的にどうするか、ね」
「グラウ伯ってどんな外見なの?」
少しでも情報を得ようとアディが聞くと、エリカは、え……? と目を瞬いた。
「ほら、どんな男か私も把握しておかないと。不用意に近付いて怪しまれないようにしつつ、探り出す必要があるでしょう?」
「ああ……」
「で?」
「……知らないわよ。見たことがないもの」
「はっ?」
心なしかエリカの顔が赤い。アディは目を眇めてエリカを見下ろした。
「な、何よ。わたくしが知るわけがないじゃないの。知識はあるわよ? けれどわたくしが知っているグラウ伯爵はとっくに土の下でしょうよ。わたくしが結婚した頃には、すでにヨボヨボの年寄りだったもの」
「だったら今見てくれたらよかったのに。だいたいエリカまで隠れる必要なかったじゃないの」
文句を言われて、エリカは恥じ入ったようにそっぽを向いた。
「仕方ないじゃない。い、いかにも密談中という雰囲気に晒されたら、誰だって身をひそめるものよ。たとえ相手からは見えないとしても」
多分自分が見えないことを忘れていただけだと察したが、意地っ張りのエリカを追及しても無駄だ。
アディは溜め息をついて、とにかくグラウ伯は要注意ね、と呟いた。