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ローディスの困惑

 メイドが銀細工を施した磁器のティーカップをそれぞれの前に置いて下がると、ローディスは改めて口を開いた。


「昨日はその―――君のお相手を出来ずにすまなかった」

「……いえ、そんな―――」

「コンフォート伯からもくれぐれもよろしくと頼まれていたのに、本当に申し訳ない」

「あの、気にしないで下さい」


 自分がかなりの不義理をした自覚があるだけに、いっそ怒りをぶつけてくれた方が気楽なのだが。これでは言い訳も出来ない。そんな自分本位な考えを抱きつつ、ローディスは目の前の相手をこっそりと見遣る。


 彼女が滞在している部屋を訪問したのは初めてだが、煌びやかな調度品は元々ここに備え付けられていた物だ。適度に散らかっているのは彼女の私物だろう。その中に恐れつつも期待していたオカルト道具は一つもない。評判はあくまで世間が面白おかしく作り上げたものらしい。アドリアナはその中で控え目な、というより地味な飾り気のない格好で伏し目がちに座っていた。


 ローディスはカップをテーブルの上に戻して言葉を探した。彼女の機嫌をあまり損ねるのは立場的にもまずい。


「あー……今日は少し顔色が悪い気がする。疲れが出たのかな」


 不器用に気遣う言葉に、アドリアナはふわりと微笑んで、ありがとう、大丈夫、と返してきたがその微笑もすぐに消える。

 ローディスは眉を寄せた。勝手な話だが彼女の様子に腹が立ってきたのだ。謝罪と機嫌取りに来た自分の立場も忘れて目が険しくなる。いつも物怖じしない天真爛漫な笑顔でこちらへの思慕を全身で表しているようなアドリアナが、どこかおどおどとした態度で目を合わせようとすらしないのが気に障る。


 ローディスはむっつりと口を引き結んだ。話題を提供する人間がいなくなった室内に重い沈黙が満ちる。何か考えに耽っていたアドリアナは暫らくして向かい合うローディスの不機嫌さに気付いたらしく、視線を揺らめかせた。


「あの……」


 言いかけて唇を噛んだ彼女を咎める眼差しで見据えたまま、ローディスは冷たい声音で、俺の訪問は迷惑だったようだ、と言い捨てる。傲慢な感覚だが、自分と一緒にいながら他に心を奪われているアドリアナを見るのは我慢ならなかったのだ。

 何故そんな感情が生まれるのか、その理由を追求しないままローディスは意識して表情を和らげた。


「具合が悪いのなら休んだ方がいいな。そうだ、後で口当たりのいいシャーベットを届けさせよう。それで……午後になって気分が治っていたら、一緒に庭園を散歩してみないか」


 だが、アドリアナを喜ばすつもりで言ったその言葉への反応は薄かった。アドリアナはどこか途方に暮れた表情で全然違うことを口にしたのだ。


「初恋って覚えてる?」


 ぽつりと投げかけられた予想外の問いに、え? と目を見開いたローディスに、アドリアナは懐かしげな声で続けた。


「私ははっきり覚えてる。その子の顔も声も……何度も思い返したわ。たいして話さなかったけど大事な思い出で。その子がどんな大人になっているだろうって……何度も想像した」

「……」

「初恋って特別で……最強なのよね。あなたも……そう?」

「それは―――まあ。というか」


 ローディスは眉をひそめた。


「もしドジャーが何か余計なことを言ったのなら、君が気にする必要はないんだ。彼は多少人の悪いところがあって―――」

「いいえ、そんな。彼は何も悪いことは言わなかったわよ?」


 染み入るような微笑みを向けられて、傾きかけた心をローディスは必死に立て直した。いつもと違うアドリアナの様子は昨日の影響に決まっている。大部分は彼女を放ったらかして他の女性をエスコートしたローディス自身のせいだが、急に初恋の話が出てきたのはアドリアナに気のあるドジャーのせいに違いない。親友を陰で陥れるような男ではないが、彼女への恋情はすでに自分の前で開陳している。しかも内心はどうあれ、こちらもそれを納得して見せた経緯がある以上、二人でどんな会話をしていたにしても文句は言えないだろう。それでも気になるものは気になるのだ。

 ローディスは何気なさを装って探りを入れようとした。


「ドジャーは俺の代わりをきちんと務めただろうか? ……その、どんな話をしたんだ?」

「どんなって色々よ。でもそうね、あなたの話もしたわ」


 どんな話だろう。不安に駆られたローディスが小さく身をのり出したところで、隣室にパタパタと響く軽い足音と共になにやら揉めている気配がした。二人の注意がそちらに向く。ちょっとお待ちを、というようなメイドの声がするが、止められない相手らしく気配が近付いてくる。

 ローディスはアディを庇うため瞬時に立ち上がったが、入ってきたのは髪をくしゃくしゃにした少女だった。


「アディっ、あのね? あ、お客さまだったんだ? ……ていうか誰?」


 不躾な視線を真っ直ぐに向けられてローディスは鼻白む。だがすぐにその少女がこの国の王女だと気付いて居住まいを正した。丁重に挨拶するが、王女はローディスの自己紹介を聞くと何故かはっきりと値踏みする目付きになる。


「ふーん……クライア伯爵家の息子。ね、アディとはどういう関係? ご機嫌伺いって、なんでアディの部屋まで来てるの?」

「マティったら、そういうことはね―――」

「ねぇアディ、この人とこの後の約束してるの? この人といたい?」


 絶句したアドリアナに飲み込み顔で頷いたマチルダ王女は、ローディスに向き直った。


「ねえ、あなたアディのことをどう思ってるの? アディのこと好き?」


 ローディスはたじろぎながらも、勿論素敵な女性だと思っています、と無難に返す。だが王女の追及は止まなかった。立て続けに、昨日の舞踏会は楽しかったか、誰と出席したのかなどと質問してくる。その全てにそつのない答えを返していたが、マチルダ王女に、アディの好きな人知ってる? と聞かれて返す言葉を失った。とりあえず、さぁ? と濁す。彼女に想われているのは自分だが、それをこの場で口に出せる程厚顔ではない。


 王女はじっとローディスを見つめていたが、やがて完全に興味を失ったように、顔を真っ赤にしたアディに視線を移した。


「ねぇアディ。あたしアディを誘いに来たんだ。ドジャーが邪魔しに来る前に一緒に来てぇ?」

「え、ちょっと待って」

「いいでしょ? ドジャーはアディを狙ってるんだから絶対ここに来るよ。でもユージン兄さまは、部屋まで行ったら目立つからアディに迷惑がかかっちゃう、って遠慮してるの。そんな綺麗事言ってたら恋の勝者になれないって、あたしがいくら言っても聞かないの。だからね、だったらあたしがアディを連れて来てあげるって言ったんだ」


 ローディスは半ば口を開けたまま二人を見比べた。

 彼女達に面識があったことも驚いたが、それ以上にその親しげなやり取りと、ドジャーとユージン王子がアドリアナをめぐる対立関係になっている衝撃の事実に唖然としていた。

 アドリアナが好きなのは自分なのだ。そして、短い期間の印象ではあるが、彼女はそう簡単に気持ちを変えるタイプではないだろう。いくらドジャーと王子が張り合っても意味はない。

 

だが、そう自分に言い聞かせても気持ちがざわつく。しかもそんなことを自分に言い聞かせる必要があること自体がおかしいとわかっていて、苛立ちが募っていく。


「お邪魔のようなので俺はこれで失礼する」


 ローディスは、無礼は承知でぶっきらぼうに割って入った。先に礼を失したのは向こうの方だ。これで覚えが悪くなったとしても構わない。知ったことか。


 立ち上がると、アドリアナが小さく息を呑むのがわかった。それに溜飲を下ろしてローディスは部屋を後にする。自室に戻ると来客がうるさい。中でもシビルが来る可能性が高いが、今は彼女に会いたいと思えなかった。

 こうなるとこの豪華で広壮な宮殿内に、心安らぐ場所はいつかアドリアナと会った部屋しかない。だが、そう思いながらもローディスの足は何故かそちらには向かおうとはせず、行き先を決めかねたまま、迷子のようにただ動いているだけだった。






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