赤い髪の男
シルヴィアは持っていた本を閉じた。目の前にできた人だかりを見て、曖昧な笑みを浮かべる。
「シルヴィアは飛び級するの?」
そう彼女に尋ねてきたのは赤い髪をしたクラスメイトのタイアだった。
「おじいちゃんに相談してから決めるよ」
今朝は学校についてすぐに飛び級の話題が出てくる。シルヴィアに与えられたのは高等部三学年までの飛び級の許可だ。
シルヴィアの隣に座る銀髪の少年はそんなクラスメートの様子を気にせずにノートに落書きをしていた。彼のようにマイペースに生きられたらどんなにいいだろうと思う。
「ユーリーは?」
ユーリーもシルヴィアと同じ学年だった。彼はマハトの勧めで飛び級をしたのだ。彼に許可されたのは高等部一年までの飛び級だった。
レイラと同じ学年に進める事に、少なからず嬉しそうだった。
「多分進むよ」
彼はそう言うと、笑顔になる。そのあどけない笑みに、彼を囲んでいた女の子達が「かわいい」と口にする。
天才と呼ばれる後継ぎ争いをしている姉弟。それがシルヴィアとユーリーの世間の認識だろう。だが、シルヴィアは後継ぎ問題に興味がなかった。
マハトはユーリーを跡継ぎに望んでいることは明らかで、その理由も見当が付く。彼には派手さはないが、幅広い魔法を人並み以上にこなせた。恐らく年齢とともに、その威力と正確さも上がっていくだろう。だが、何より彼の強みはその生まれながらの、人を惹きつけるところだ。それはマハトが持つ物と同じで、シルヴィアが自分にないものだと実感していた。
ユーリーを許可が下りるたびに最大限の学年まで進級させていた。一方のシルヴィアは本人の意思に任せるとのことで、放任されている。そうしたことから毎年一学年ずつ上がっている。そのことをクラスメイト達がいつも不思議がっていたのだ。
「シルヴィアはレナルト=デヒーオ様以来の天才だって言われているのにもったいない」
タイアは肩をすくめる。
「天才ってたいしたことないよ。お兄ちゃんやお姉ちゃんのほうが強いし」
「お姉ちゃんってアーヴァン家のレイラよね? 彼女は落ちこぼれって言われているのに」
「でも、お姉ちゃんはすごい人だよ。わたしは尊敬しているの」
「ユーリーも好き」
へへっとユーリーは笑顔を浮かべる。タイアはレイラの悪い噂を気にしていないのか、平然とした顔で名前を出す。だが、シルヴィアの周りに集まったうちの何人かはあからさまに顔を引きつらせる。
シルヴィアがアーヴァン家の悪い噂を聞いたのは一年程前だ。レイラと親しいシルヴィアは悪い話を一蹴した。それが真実とは異なる事を知ったし、何よりレイラとミーナ自身に良い感情を持っていたからだ。
ユーリーも変わらないだろうとは思う。だが、人の気持ちは分からない。
その時、教室の前方の扉があく。そして、この学校の副学長と一緒に、赤毛の男性が入ってくる。
クラスの注目が彼らに集まる。彼は二十歳をゆうに過ぎているように思えた。
赤毛の男性が教室内を一蹴し、その視線がシルヴィアのところで止まった気がした。だが、我に返ったときには、彼は副学長と談笑している。
「あれ、誰?」
タイアはシルヴィアの指差した先を見て、頷く。
「多分、先生の言っていたスカウトの人だよ。名前はウルモとか言った気がする」
「そうなんだ」
そういえば、飛び級候補の名前をあげたあとに、何か言っていたのを思い出した。
シルヴィアは自分には関係ないと、彼から目を逸らした。
「でも、レナルト様は今年も進級しないんだろうね。いつか同じ学年になりたいな」
「お前には無理だよ。今年は卒業資格まで与えられたって話だよ」
タイアやクラスメイトの言葉にショックを露わにする。
「どうせ進級はしないわよ。いつもそうだもん。何でか分からないけどね」
タイアに思い出したように理由を知っているか聞かれたが、シルヴィアは曖昧に笑う。彼を動かす理由が一つしかないことは知っている。
ただ、彼がいくら優秀でも進級不可の烙印を押される事だけは難しい。
きっと彼は頭を悩まさせているのではないかと考えていた。
◇◇◇
レナルトがらせん状の階段をあがると、足音が木霊する。出来るだけ、足音を殺しながら、その階段の最上部で足を止める。
教室にいると中等部在学中に初めて卒業までの許可を与えられたレナルトを見に来る人や、クラスメイトもいつも以上に寄ってくる。いつもと違う空気に居心地の悪さを感じ、でてきたのだ。レナルトはその足で校舎の端にある図書館の四階までやってきた。
図書館は四つのフロアから成り立っており、一階には魔法の専門書に限らず、様々な本が置いてある。二階には魔法の基本書が、三階には上級学校向けの専門的な本が置いてある。最上階には、最上階には持ちだし不可の珍しい文献が並んでいる。このフロアにはあらかじめ登録してある生徒しか入れない。許可申請を出せば、基本的には誰でも入ることはできる。
レナルトが入口にある透明な石に触れると、入り口付近にある結界が消える。そこを通り抜けると、再び結界が現れる。
そこでやっと一息吐いた。
その場所は人気がない。勉強熱心な生徒を中心として、このフロアに入る許可を貰っているらしいが、ここで人に鉢合わせることは少ない。
レナルトの足は回復魔法の本が並んであるところで止まる。窓から太陽の光が差し込んでいるが、本を傷めないためか、光は最小限に抑えられている。だが、読むのに支障がある時は、本を傷付けないという制限付きで、炎や光の塊を出すのを許可されている。
レナルトが呪文を呟くと拳大の光体を取り出す。その光を自らの脇に浮かせておく。
その灯りを頼りに、この前読みかけた本を探した。
レナルトはこの学校に入ってから、回復魔法の本を片っ端から読み漁っている。デヒーオ家を継ぎたい気持ちはなくても、自分の家の役割は分かっていたし、何よりレイラの現状を打破する方法見つかるのではないかと考えたのだ。
レナルトが古代の回復魔法という本に触れようとしたとき、背後から肩を叩かれる。
振り返ると、兄の姿があった。彼はレナルトと目が合うと、にっと笑う。
「卒業おめでとう」
ヴァルトの冗談めかした言葉に、レナルトは苦笑いを浮かべる。
「卒業はしないけどな」
「教官たちもそういうのが分かったからか、いい加減弟さんを説得してくださいと言われたよ」
「悪いな」
その状況を想像し、頭が痛くなってくる。
「いいよ。慣れているし。しかし、卒業資格までもらったとしたら、奨学金の扱いは厳しくなるかもしれないな。家に戻るか、何かお金を稼ぐ方法を見つけたほうが良いかもしれない」
「やっぱりそうだよな」
今はマハトの口利きがあるとはいえ、基本は学校に通えない生徒のための制度だ。本来なら、家が豊かな自分が使える制度ではないことは想像出来た。
「まあ、じいちゃんを説得してみるよ」
「悪いな」
「これくらい気にするなよ」
彼はそう笑顔で語る。レナルトはこうしたところは絶対に彼には敵わないと実感していた。彼は面倒事であっても、自分から首を突っ込み、調和させてしまう。彼の言葉には妙な説得力がある。だが、その反面冷静な一面もあり、自分の感情に流されることはほとんどない。
「兄さんは今年で卒業?」
「卒業するよ。じいちゃんもそうすべきだと言っているしな。ただ、どこで働くかは少し迷うな。いくつか候補が合って、この学校で教官として働くのもあるが、今のところ国立図書館での古文書の解読が一番魅力的か」
「古文書か。それは面白そうだな」
その中にレイラと同じ事例があるのだろうか。
そう考えたレナルトの頭をヴァルトがわしづかみにする。
「今、レイラに回復魔法を使わせられるんじゃないかと考えただろう」
心の中を読み解かれ、口を噤む。
「お前は結構顔に出やすいんだよな。こういうところは本当に年相応だよ」
「悪かったな」
ヴァルトは言い過ぎたと思ったのか、唇を尖らせたレナルトの肩を叩く
「それで肝心のレイラは進級できそうなのか?」
レナルトは首を横に振る。
「あいつは回復魔法の実習の点数はゼロだからな。オレクから留年の事を暗に告げられていたよ」
「厄介だな。高等部までは全員卒業しないといけないし、あれだけの魔力を持っていて使えないなんて事例は今までないからな。今日、何人かと話をしたけど、基礎魔法を使えないのは、何か根本的な原因があるんじゃないかと言っていたよ。呪いとか、家系的に拒まれているとか。レイラはそういう意味でも有名だもんな」
呪いという響きにどきりとしたが、早々呪いなど使える人はいない。人を呪うには相応の魔力が必要となる。そして、呪いは遠隔で施せるものではない。呪いたい対象を眼前にして、呪いの刻印を刻む必要がある。そんなことを出来るのは、せいぜいミリーかマハトくらいだろう。だが、二人がそんなことをするとは思えない。
「呪いはともかく、マティアスが治癒を使えたってことはレイラが使えないわけがないと思うんだよな」
「レイラの母親はどうだ?」
「ヴィヴィアか」
ヴィヴィアはレイラを生んですぐに、彼女の両親は十年前の戦争で命を落としている。そのため、レイラは彼女を直接は知らない。彼女の両親はアーヴァン家の人間だったが、回復魔法が使えなかったのであれば、何らかの文献として残っているだろう。
それをヴァルトに告げると、難しい顔で「そうだな」と告げる。
「潜在能力は高いのに、魔力を治癒に変換できていないってことだよな。治癒魔法がどんなものか分かっていないから、変換できないとか」
「それはないよ。昔から、あいつは怪我ばっかりしていたじゃないか。マティアスも、兄さんも父さんも何度も治療していたよな」
「そうだな。幼いながらも、彼女の魔力の強さにはびっくりしたよ。今は落ち着いているが、魔力の塊が歩いているみたいだった」
もっともな表現に、妙に納得する。だが、それは魔力が強い子供にはたまに現れる現象だ。それから魔力をコントロール術を本能的に学んでいくのだ。
その時、ヴァルトが右手の人差し指を立て、口に当てる。彼は足音を殺し、本棚に背を当て、通路に歩いていく。
「ヴァルト」
明るい声とともに、銀髪の少女が本棚の脇から飛び出してきた。彼女は目を輝かせ、息を乱している。
「こっちに来るのが見えたから追ってきちゃった。この前、言っていた鉱石を見せてもらいに行くところだったの」
その少女の目の輝きが、横にそれる。
「レナルトもいたんだね」
「シルヴィアか」
ヴァルトは安心したのか、和やかな表情を浮かべる。
「人の気配?」
「した気がしたが、気のせいみたいだな。感じ慣れない気配だったんだ。妙に現実味のない魔力というか」
レナルトは、その気配を察知する事が出来なかった。
その時、少し離れた場所で何かが落ちる音がした。レナルトはヴァルトを見て頷くと、その場所に駆け寄る。
本棚を覗くと、そこには分厚い本が床に投げ出されていた。
レナルトは本を拾い、シルヴィアととにやってきたヴァルトにそれを見せる。そして、本棚に出来た空白に本を収めた。
「そういえば、これって関係ある? さっき入口で拾ったの」
シルヴィアが入り口部分を指差してから、左の掌を差し出した。
彼女の手には青い宝石が瞬いている。
ヴァルトは眉根を寄せる。
「宝石かと思えば、封魔石か。青ということは、浄化系。誰かがお守りにでもしていたのか」
彼は封魔石から目を離さない。
「何で分かるの? アーペリだと思ったのに」
アーペリとは装飾品として好まれる青い石だ。
シルヴィアが不思議そうに問いかける。
「この石は中心部分が濃くて、周りが薄いだろう。これは中央に魔力の塊が収められているってことなんだ。うまい魔法使いになると、宝石と同じように模倣できるんだ。これもかなりの能力を持った魔法使いが封印したんだろう」
シルヴィアは石をじっと見て、納得したのか何度もうなずく。
「そういえば、中庭にあったオブジェに飾られていたものに似ているな。今から思うと、あれは封魔石だったのか?」
「中庭に?」
「奥の木の陰にあるよ。そんなに目立つ物でもないけど。父さんにでも届けてくるか」
彼は丁寧にレナルトにその場所を教えてくれた。
「わたしも行く」
シルヴィアはヴァルトの腕を引っ張った。
「分かった。お前はどうする?」
「教室に戻るよ」
ヴァルトなら事情の説明は完璧にするだろうし、みんなで一緒に行く程のものではないと思ったからだ。
図書館の前でシルヴィアたちと別れると、レナルトは教室に歩みかけた。だが、ヴァルトの言葉が気になり中庭に寄ることにした。
この学校では主に校舎が三つに分かれている。初等部と中等部のある校舎と、高等部のある校舎、そして、上級学校の校舎だ。高等部と中等部のある校舎の間には、森や川があり、生徒たちの憩いの場となっている。
芝生の上に座っていたり、立ち話をしている生徒もいる。レナルトは通りすがりの人に声をかけられ、会釈をして森の中に入った。今まで、その中に興味が湧くことはなく、その中に入ろうとしたことはなかった。
ヴァルトの教えてくれた場所に行くと、レナルトの靴に堅いものが当たる。屈みんで良く見ると、土色の破片だと分かる。顔をあげると、何かが壊された跡がある。破片がそのオブジェを中心として散らばっている。その中を覗き込むと、空洞になっていた。中から壊したように見えるが、生徒の悪戯だろうか。物を内部から破壊するのは、さほど難しくはない。誰かに言うべきだろうか。だが、ヴァルトからオリビエに伝わるなら、自分が動く必要はないかもしれない。
その時、聞き覚えのある囁くような声が聞こえた。レナルトは声に引き寄せられ視線を走らすと、金髪の少女がぶつぶつ言いながらテキストを睨んでいるのを見つけた。そんなレイラを見て、レナルトは目を細める。どうやら回復魔法の練習をしているようだ。
そのレイラの視線がある一点で止まる。目を追うと、木の隅に一瞬黒いものが見えた。
眉間にしわを寄せ、その正体を突き止めようとした。だが、魔力は感じない。その時、その反対方向からひょろりとした男が飛び出してきた。彼は白い布製の足もとまであるシャツを着ている。彼は足元をふらつかせながら、レナルトたちのいる方向とは逆方向に歩き出した。
男を追おうとしたとき、レイラが自分の肩に触れ、眉をしかめているのが目に映る。
「どうかした?」
レナルトはレイラに歩み寄る。
彼女は目を見張ると手元のテキストを隠し、「何でもない」と言い放つと、男とは逆方向に歩き出す。
先ほどの男が立っていた場所を見たが、彼は跡形もなく消え去っていた。
その時、レイラの小さな悲鳴が聞こえる。
レナルトはその声のしたほうに駆けだした。
レイラが赤い髪の男の傍でしりもちをついていた。
「悪いね。大丈夫か?」
男は優しそうな声を出して、レイラに手を差し出した。
レナルトは嫌な予感がし、二人の間に割って入る。
「何か、こいつに用ですか?」
「君がデヒーオ家の次男か。レイラのナイトというよりは子守役だね」
彼は厭らしい笑みを浮かべたが、次にレイラを見た時には優しい笑みに変わっていた。
「僕が悪かったよ。今度は子守がいないときにゆっくり話をしよう」
彼はそれだけを言い残すと、校舎の方に歩いて行った。
その時、土を払う音がする。
「大丈夫か?」
我に返り振り返ると、レイラは自分のローブについた砂を払っている。
「大丈夫」
「あいつ、知り合い?」
「知らないわよ」
彼女はそれだけを言い残すと、校舎のほうに歩いていく。
このタイミングで彼女を一人にするのも気が咎め、レイラの後姿を追う形で校舎に歩を進めた。




