提案
レイラは手の甲の上に顎を載せ、窓の外を眺めていた。
彼女の見ているガラス窓にははしゃいでいるクラスメイトの姿があった。今日の午後からの授業はクラスメイトとペアを組んで魔法の訓練という、レイラにとってはある意味拷問のようなものだ。
レイラの身体を黒い影が覆う。窓の外を見ていた視線をその影の主に向ける。いつものように後方で髪の毛を一つのまとめた男性が眉間にしわを寄せて立っていた。
「君は誰かと」
「いません」
彼の表情が暗くなる。面倒だと思っているのか、彼女を気の毒だと思っているのかは定かでない。
彼がペアを探すためにクラス中を見渡すが、クラスの誰もが彼を見ていない。気づいていないわけではない。彼がレイラの相手を探しているのを分かっていて彼と目を合わせようとしないのだ。中には本来二人で組むはずのペアに三人で組んでいる人までいる。
レイラの視線の先にレナルトが映った。彼の傍には男子生徒三人と女子生徒四人が押しかけている。集団でレナルトを誘っているのだろう。彼はたいして興味がなさそうな表情を浮かべていた。
彼もあまり人と関わる方ではないが、彼はクラスで人気者だった。
「誰か、レイラ=アーヴァンと組む人はいませんか?」
教官は教室内を見渡す。騒がしかった教室が静かになる。こういうときいつも彼が手をあげてくれる。さっき不躾な態度を取ってしまった事もあり、期待しないように注意しながら、そのときを待ちわびる。
レイラの考えに沿うように凛とした声が漂う。
「俺が組みますよ」
彼は自分に声をかけてくれた生徒に謝罪の言葉を述べる。
レナルトに丁寧に詫びられ、逆に恐縮したのか、彼に声をかけた生徒は「気にしないで良い」と答えていた。
レナルトを褒める声がレイラに届く。彼と組みたい人は多いのにも関わらず、あえて嫌われ者の彼女と組むことが、彼の人格者としての表れとクラスメイトは捉えているようだ。
再現された映像を見ているように、いつもと同様に教室内がざわつくが、レナルトは表情一つ変えない。
彼はいつもそうやってレイラを庇う。決して一人にしないように。
嬉しさと、いいようのない苦しさが胸中に混在していた。
「でも、君は」
苦々しい顔でいう教官に、レナルトは笑顔で言葉を綴る。
「クラスの人数は偶数なので、ぴったりでしょう。それにある意味適任だと思いますよ」
「分かった。許可しますが、放課後忘れないようにしてくださいね」
教官はレイラから離れると、教卓に戻る。彼の言葉を合図に、ペアを組んだ人達が集まり、部屋の中に無数の集まりができていた。
レナルトを誘っていた男子生徒は結局別の三人組の生徒と合流し、三つのペアを作っていた。
レナルトは優等生としての笑みを浮かべると、腰に手を当てる。
「始めるか」
「怪我しても知らないから」
レイラは表情を緩めることなく、彼にそう告げた。
「俺がお前に負けるわけないから心配無用」
彼は手を差し出し、レイラの持っている課題を記された紙を渡すように促してきた。
皆、同じ課題が与えられるわけではない。それぞれに足りない部分を補うための課題が課せられる。レイラに与えられた課題は怪我を治すことだった。
「やっぱりそれか」
レナルトは分かっていたのか、肩をすくめる。
「あなたはどうなのよ」
レイラはレナルトの持っていた紙を奪うが、何も書かれていなかった。
「なにこれ?」
「もうフリーパスでいつでも卒業していいんだってさ。課題もなし」
毎年先生からしつこく飛び級をせがまれ、それでも交わし続けている優等生らしい返事だ。
さっきのオレクの苦々しい表情の理由を悟る。
「実験台が必要だな」
彼は目を閉じる。彼の白い肌に一本の線が入り、赤い血が彼の指に広がっていく。それをレイラに差し出した。
今、彼は自分で傷をつけたのだろう。呪文を唱えることなく、その傷を最小限に抑えている。
昔は同じように優等生扱いされていた彼との違いを見せ付けられ、心にもない言葉を彼に伝える。
「跡が残ったらどうする気?」
「お前に責任とってもらうから気にしなくていいよ」
レイラは自分の顔が赤くなるのが分かった。そして、レナルトを睨む。幸い、クラスメイトには聞かれた様子はない。
昔は彼が大好きで、結婚したいとよく言っていたのを思い出す。
だが、それは夢物語だとしばらく経ってから知ったのだ。
「女の子みたいなこと言わないでよ。気持ち悪い。だいたい怪我の一つや二つで何よ」
「別に気にしてないよ。傷跡くらい。でも、こうでも言っておけばお前は意地でも治そうとするだろう?」
「というか、自分で治せばいいじゃない」
彼はそんなレイラの嫌味を無視し、手の傷を教官に見せに行く。そんな彼の様子に教官も眉をひそめ、苦笑いを浮かべていた。
「事後報告だけでいいってさ。よろしく」
「分かった」
レイラは目を閉じる。荒げていた心を一瞬で落ち着ける。自らの指先に意識を集中した。指先にぬるま湯程度の温もりが宿る。これをレナルトの身体に当て、一気に彼の傷を修復する。
レイラは目を開けると、指先をレナルトの傷口に近づける。決められた呪文をゆっくりと紡ぐ。彼の指先に光が落ちる。その光はレイラの指先から放たれたものだった。その光が彼の破壊された細胞を一気に修復するはずだったが、彼の指先に宿る光は分散することなく彼の傷口を取り囲んでいるだけだった。
「お前って本当に苦手なんだな」
「だって、言われたとおりにしたのに」
マニュアルどおりにやろうとも、上手くいかない。
「今度は呪文をゆっくり言ってみたら?」
言われたとおりにゆっくり呪文を詠唱する。だが、結果は変わらない。
呪文は魔力の発動を助けるためのもので、その能力が高まれば絶対に必要なものではない。そのため、詠唱をせずにイメージだけで魔力を発動する人も熟練者には多い。さっきのレナルトもそうだ。
「でも、出来ないと留年だな。出来るまでするしかないよ」
レイラは何度も正確に魔法を詠唱する。だが、やはり白い光が移動しなかったり、レナルトの肌に触れるだけで消えたりと状態が安定しない。
「何が悪いんだろうな。魔力も出ているし、呪文も間違ってない。ただ、治癒の光が途中で何かに吸い込まれたように消える」
「分からない」
レイラは肩を落とし、留年が迫っているのをひしひしと感じた。
その時、教官がやってくる。
「できましたか?」
レナルトは首を横に振る。
「残り二週間でどうにかマスターできると良いんですけどね」
「出来ないとやっぱり留年になるんですか?」
彼は短く息を吐いた。彼の指先に白い光がまとわりつき、その光が消えた時には傷が修復されている。
「そうですね。規則ですから」
その言葉にレナルトは深々とため息を吐いていた。
彼は顎に手を当てて、レイラを睨む。
その鋭い表情に思わず後ずさりした。
「とりあえず授業は終わったので、帰って良いですよ」
教室内を見渡すと、もう教室内にクラスメイトは数える程しかいなかった。
「残って練習するか」
そうレナルトがレイラに語りかけた時、教室のドアに歩きかけた担任の足が止まる。彼は肩越しに振り替えるとレナルトを指差した。
「レナルト、君は学長室に行かないといけませんよ」
レナルトは思い出したように、苦々しい顔で返事をした。
学長室と聞き、レイラは驚く。
「そういう事で、俺は今から学長室に行くけど、どうする? 帰ってもいいけど、練習するなら付き合うよ」
「練習する」
レイラは迷った末、そう彼に伝えた。
◇◇◇
レナルトの目の前にひょろりとした黒髪の男が腕を組み、こちらを見ていた。
彼は成績表を見ながら、苦笑いを浮かべる。
彼はこの学校の学長のハイテ=シンベリだった。
彼は右手の人差し指でメガネの位置を整えると、書類に目を走らせた。
実習の課題のメモを貰った時に、オレクから実習の時間は、学長室に行くようにと言われたのだ。
「君の担任が困っていたよ。どうして君は上の学年に行ってくれないのかとね。科目を持っている教官からも苦情が上がっているらしい。高等部の教官までが君の担当にはなりたくないという始末だ。上級学校であれば、君の父親を含め、何人か君を受け入れていいという教官もいる。せめて上級学校まで上がってみるのも悪くないと思うよ」
急に呼びされ、何事かと思えばやはりその話か。
レナルトは聞きなれた内容に苦笑いを浮かべる。
「授業を受けなくても構いませんが、一学年しかあがりません」
「レイラと一緒ならどうだ?」
その言葉にレナルトは眉をひそめる。
彼はレナルトを見て、にっと微笑む。彼は親しいマハトから何か聞いたのだろう。
「レイラが拒むんじゃないでしょうか?」
「彼女は大歓迎だと言っていたよ。彼女自身、回復以外は申し分ない。そこで君に頼みがあるんだ。レイラの回復魔法を使えるようにすること。これを条件にレイラの高等部の免除を出すよ」
「そんなことできたら教官になれますよ」
不可能だと結論付けた。先程、嫌と言う程分かった。彼女には全く回復魔法の適正がないのだ。落ちこぼれと言われるレイラを誰かに押し付けたかったのかもしれない。
「君が望むなら、この学校の教官になっても良いんだぞ。君のお父さんもいるしな」
「でも、無理ですよ。俺にはどうする事も出来ません」
「方法がないこともないんだ。それをできるのは君だけだとミーナも言っていたよ」
彼は手招きをし、その方法をレナルトに伝えた。眉唾ものの方法に眉をひそめる。
「君のクラスは明日も実習があるそうだ。それをためしてやれ」
「でも、そんな方法で使えても、一時的に過ぎないと思います。他の生徒の顰蹙を買うだけでしょう。それで免除を出すなんて、無理すぎます」
「別にいいんだよ。大事なのは周りをいかに納得させるかということだからね。それに、君のクラスメイトの大半は安心するのではないかと思うよ」
冷静に聞くと誤魔化し、レイラを特別扱いしているとしか思えない。それは、レイラに対する周りの視線が冷たくなるだけではないかと思ったのだ。
まやかしでは根本的な解決にはならないと反発を覚えながらも、教室内で疎まれ、昼休みまで孤独に練習している彼女を見放すことはできないし、後半の言葉も納得できた。
高等部とは違い、上級学校は名前が違うとおり別物となる。授業の時間も増え、長期休暇も存在しない。留年する生徒も数えきれない程いる。魔法を仕事に生かしたい生徒が、能力を高めるために通う養成所のようなものだ。そのため、上級学校にはやる気のある生徒しか進学しない。少なくとも、今の環境からはレイラを解放出来るだろう。レナルトのクラスでも、優等生と呼ばれる生徒程、レイラのことを深く気に留めない傾向はあった。
「レイラの件はこちらの都合でもあるんだ。レイラと、君か、君の兄のどちらかに頼みたいことがあるんだ。その時のために、少なくともレイラが高等部以上にあがってくれたほうが、こちらとしても都合が良い」
「それは?」
「まだ確証がないので内容は言えないが、十年前の戦争に関する話だ。ただ、こちらの思い過ごしの可能性もある」
それなら話は分からなくもない。
「それは危険な内容ですか?」
「安全といえば嘘になるね」
曖昧な言い方が嫌な引っ掛かりを覚える。
「分かりました。試してみますよ。ただ、話を受けるかは分かりません」
レナルトの言葉に彼は笑顔で答えていた。
学長室を出ると、教室に戻る。その時、銀髪の少女が廊下からひょっこり顔を覗かせる。
「さっき、お兄ちゃんが入っていくのが見えたの」
彼女は明るい笑顔を浮かべる。
「お姉ちゃんの試験のこと聞いたよ。練習頑張ってね。あと、今日はお姉ちゃんを家まで送ってあげてね」
「何で俺が」
「だって危ないじゃない。それにしっかり練習しないとお姉ちゃん、進級できないよ」
要は、自分は帰るので、しっかりレイラに教えろと言いたいのだろう。
「分かったよ。そういえば、あの石のことどうなった?」
シルヴィアは首をかしげる。
「おじさん、難しい顔をしてたよ。今日はヴァルトお兄ちゃんが家まで送ってくれるんだって。じゃあね、そろそろ帰らないと」
シルヴィアは笑顔で手を振り、去っていく。ヴァルトとシルヴィアは仲がいいが、彼がわざわざ送って帰るのは珍しい。
ただ、レナルトは自分のやるべき事を思いだし、ため息を吐くと、教室に戻る。
レイラは窓辺の席でぼんやりと座っている。幸い人気はない。
彼女はこちらを見ると立ち上がる。
「練習しようか」
一瞬、学長から言われた方法を試そうと思うがやはり躊躇する。学校を卒業した彼女は回復魔法が使えると国民から見なされるだろう。だからこそ、彼女の練習に出来るだけ付き合ったうえで試すべきだと思ったのだ。




