二人の決意
ヨハンは腕を組み、レイラの額をそっとなぞる。皮膚の表面がうずくようなかゆみを覚えた後、冷たい感触が触れた。
少しして、マハトとヨハンが戻ってきたのだ。マハトからレイラが人形に何かをされたのを聞いたらしい。
「小賢しいな。レイラの心を抜こうとして失敗したんだろう」
「心を抜く?」
レイラは眉根を寄せた。
「向こうの国に伝わる魔法だ。だが、マティアスの魔力が勝ったんだろう」
「何でお父さんの名前が」
ためらいがちにそうつぶやくレイラ横目に、ヨハンがマハトを見る。
「少しは説明をしておいたほうが良い。今までのこと、そしてこれからのことをな。あと、シルヴィアも気がかりだ。いくら気丈な子と言っても、十歳の娘だ。向こうも丁重にもてなすとは思うが」
「分かっているよ。それはわしから話をする」
「もう、呪いは解いた。わしは帰るよ。けが人の治療が残っている」
「俺も手伝うよ。少しくらいなら」
「お前なんぞ、役に立たん。あと、マハト、その娘に事情を説明してやれ」
ヨハンはレナルトの提案を一蹴すると、その場から姿を消した。
「あいつはレイラの傍にいてやれと言いたかったんだろう」
そう言ったマハトがレイラを見る。
「レナルトも知っておいた方が良いだろう。レイラは子供の時に、マティアスが魔力を封印したんだ。今まで、レイラが回復魔法を使えなかったのはその反動なんだよ。そして、それをさっきミーナが解いた」
ミーナという名前を聞き、レイラの目元が潤む。
「レイラの魔力は生まれながらに大きすぎた。人間の体には大きすぎて、逆に命を縮めると判断したんだ。だから、それをコントロールできる年になるまで、魔力を封印したんだ。その封印を解けるのは、ミーナだけだった。力が戻れば、魔法の種類も、威力も今までとは格段に違うだろう」
レイラは予想外の話にあっけにとられ、マハトを見る。
レナルトは知らなかったのか、唖然とマハトを見つめていた。
レイラは唇を軽く噛む。
「じゃあ、その封印がなければ、お母さんは死なずにすんだの?」
「それは分からないが」
マハトは口を噤む。
「そうだよね。ごめんなさい」
レイラの魔力が強いのは生まれつきなのか、両家の血を惹いたからかなのかは分かっていない。だが、マティアスは十代後半になれば、レイラは使いこなせるともくろんだようだ。だからこそ、封魔石をレイラに託したのだろうか。
その日はマハトの家に泊まることになった。レナルトも家に帰らずに、ここに泊まるらしい。夕食時にシルヴィアがいない食卓に違和感を覚える。ユーリーも落ち着かない様子だったが何も言わなかった。
マハトは何度か家を出て行き、慌ただしい時間を過ごす。だからこそ、彼に気遣わせないように、早めに床に就くことにした。レイラ達がその場にいても出来る事はほとんどない。
レイラとレナルトに割り当てられたのは三階の部屋だ。そこにはシルヴィアとユーリーの部屋もある。ユーリーは食事が終わると、すぐに床に就いた。彼はベッドに横になると、そのまま寝息を立てる。
「疲れたんだろうね」
レイラはユーリーの額に触れる。彼の両親も少し前に亡くなっているのだ。
「そうだな」
レナルトはあの話を聞いてから、ずっと難しそうな顔をしている。ヨハンに言われた事を気にしているのだろうか。
ユーリーの体に布団をかけると、その場を離れた。
レイラとレナルトに充てられたのはその奥の部屋だ。普段は使っておらず、空き部屋になっている。だが、掃除は行き届いている。
「大丈夫だと思うけど、何かあったらすぐに呼べよ」
レイラはレナルトの言葉に頷いた。
あと少し、そうレイラは自分を抑えようとした。
だが、彼はレイラを見ると、出て行こうとした足を止める。
「やっぱりここにいるよ。もう少しだけ」
「出て行ってよ。そうしないとわたし」
その時、レイラの目から涙があふれ出す。
人前では泣かないようにとずっと気持ちを抑えていたのだ。
「 ずっと傍にいるから、泣いていいよ」
自分の心を見透かされたような言葉に心臓が優しく包み込まれる。
「どうしてあなたがわたしの気持ちに気づくのよ。昔、あなたに無視されてどれ程辛い思いをしたかあなたに分かるの?」
「悪かったと思っているよ」
レナルトはレイラの肩を抱いた。
レイラの罵声が嗚咽に変わる。彼女はこれ以上ミーナを失った悲しみを堪えることができなかったのだ。
もう辺りは闇に落ち、家の中もひっそりと静まり返っている。
マハトはもう寝たのか、出かけているのかさえ分からない。
レイラは痛みを感じる目元を拭った。
レナルトはレイラの隣に座り、先ほどから何も言わない。
何でいつも彼といるとこうなのだろう。
自分の弱さに呆れてしまう。だが、もう意地を張り続けてはいられないのだと心の中の何かが告げていた。
レイラは胸元で拳を作り、深呼吸をした。
「ごめんなさい。本当はずっと気付いていたの。レナルトがわたしをたすけてくれていること。でも、昔のことをずっと引きずってひどいことを言ったよね。今も、あなたに八つ当たりをしてしまった」
「別にいいよ。気にしていないから。気にしないでくれれば一番嬉しい」
彼は頬を赤らめ、顔を背けてそう伝えた。
レイラは幼馴染だったころの彼を再び見た気がした。
「ありがとう」
なぜ、今まで意地を張り続けてきたのだろう。もう少し気持ちを伝えることが出来れば、今までとは違う十年を築けたかもしれないのに。
後悔の念は尽きない。
シルヴィアも二人が向き合うことを望んでいたのだろう。
銀髪の少女を思いだし、胸が痛んだ。
「シルヴィアはどうしているのかな」
レナルトは首を横に振る。
「全然分からない。どこにいるのかも。魔力を辿っても、何かに遮断されるんだ」
レイラは唇を結ぶ。
「わたし、出来るなら、シルヴィアを助けに行きたい」
「でも、お前が行っても」
「助けられるか分からない。でも、誰かがいかないといけないなら、わたしが行きたい」
シルヴィアは冷たくあしらわれる存在だったレイラに分け隔てなく接してくれた。それがどれほどレイラの心を満たしてきたか分からない。彼女が辛い思いをしているのではないかと思うと、不安に胸が掻き立てられる。
レナルトはしばらく顎に手を当てていた。
「俺も行くよ。シルヴィアは妹みたいなものだし、放っておけない」
「でも、ヨハンはどうするの?」
「じいちゃんは大丈夫だよ。役立たずだって言っていたしね」
「学校は?」
「一言言えば、卒業できる学校なら知っているよ」
レナルトの言葉に、レイラは納得した。
勝ち誇ったようにそう語る彼を見て、一枚も二枚も上手だと思った。
「分かった。明日の朝、マハトに話をしよう」
二人で約束をすると、レイラは気が抜けたのかあくびをする。レナルトはそんなレイラを見て「ゆっくり休め」と言い残すと、部屋を出て行く。
思い出したらいくらでも涙は出てくる。だが、先程、レナルトの前で本音を見せたレイラは今の自分の状況をわずかに冷静にみられるようになっていた。マティアスが死んだあと、レイラの前で一度も涙を見せなかったミーナを思い出し、今は泣き明かすのではなく、シルヴィアを連れ戻すために体を休めるべきだと言い聞かせた。
翌朝、レナルトとレイラはお互いの起床を待ち、マハトの部屋に行く。
彼は昨日の事情をかいつまんで話をしてくれた。狙われたのはこの国の三十六番地区、二番から五番地区が中心だ。前者はノール家のある場所であり、後者は人口密度が多く、魔法以外の仕事で生計を立てている人が密集している地区だ。だからこそ、狙われ、被害をより拡大したのではないかということだった。マハトとヨハンとヴァルトはそこで魔法を使い、暴れまわる敵を抑えていたようだ。
その敵の数はあまりに多いだけではなく、被害地域が広範囲に渡っていた。そのうえで人の保護も必要不可欠だったため、彼らとこの国を警護する仕事についている人間だけでは抑える事が困難だったそうだ。その結果、多くの命が失われ、家々は焼けたり、粉々に壊されたりと物の被害も少なくない。
本当に彼らが狙っていたのはシルヴィアだったのだろう。シルヴィアを連れ去ってから、彼らをあやつっていた魔力がぷつりと途切れたように動かなくなり、人だったものが人形に姿を変えたそうだ。
そして、加害者側ではないかと思われる人間も、幾人か行方不明になっているらしい。その具体的な名前は教えてくれなかったが、マハト達は把握しているのだろう。
レイラがレナルトを見ると、彼は頷いた。
「マハトはシルヴィアがどこにいると思っている?」
「ヨハンとも話をしたが、恐らく隣国だろう。こんなことなら、向こうの国についてもっと調べておくべきだったよ」
「昨日、レイラと相談したんだ。シルヴィアを助けに行きたい」
マハトは二人を交互に見つめ、目を見張る。
「本気なのか? 無謀すぎる。お前たちの魔力が強いと言っても、上には上がいる。この国の結界を一人で破り、あのマティアスさえ退けた奴らを、お前たちが勝てるとは思えない」
彼はレイラたちをいたわり、そう声をかけてくれたのだろう。
彼の気持ちは痛いほど分かる。
だが、レイラには今の自分よりは、シルヴィアを取り戻すことを優先させたいと思ったのだ。
「それが、強い魔力を持つ、アーヴァン家の役目でしょう」
レイラの言葉に、彼は面食らったような顔をする。
「すぐには良いとは言えん。とりあえず一週間待ちなさい。レイラの魔力が戻ってからだ」
「ここから隣国までは歩いて二ヶ月はかかるわ。だから途中で力が戻るはず」
そこでレナルトが何かに気付いたのか、声を出した。
「ノール家の結界だよ。ミーナの代わりに、恐らくレイラなら体に負担をかけられずにすむ」
レナルトの言葉に、レイラは声を漏らす。前ばかり見過ぎて、周りを見失うところだった。
ノール家の血が流れているならその血が教えてくれるという結界の張り方。ミーナが張っていたならそのことを受け継ぐのも娘としての使命だと思えなくもない。
彼らはもう攻めてこないのかも分からない。
「お母さんが亡くなっても結界は解けないの?」
「しばらくは大丈夫だ。多少の揺らぎはあるが、その程度はカバーできる。だが、一週間後にもう一度張りなおしてくれると助かる。お前には悪いと思っているが」
「いいのよ。わたしはお母さんの娘よ。だから、出来る事はするわ」
レイラは意志を込めた瞳でマハトを見つめる。
「マハト、レイラのことは俺にまかせてくれ。きっと大丈夫だから」
マハトは眉間にしわを寄せ、何かを深く考え込んでいるようだった。
◇◇◇
レイラはマハトの家に暮らすことになった。魔力のない彼女は無防備そのものだ。そのため、出かける時はレナルトがつきそうことが決まった。
ただ、一週間後に出かけるのであれば、旅立つ準備もしないといけない。そのため、マハトの提案で一度家に戻る事が決まったのだ。
森の前に到着をし、レナルトはほっと胸をなでおろす。ぱっと見た感じ、今までとは違う結界が張ってあったのだ。レイラの住む地区はほとんど攻撃を受けておらず、一見変化はない。
レイラは不思議そうに森を見つめる。
「これって誰が」
「ヨハンじゃないかな。恐らくな。とりあえず中に入ろう」
レナルトは結界の外郭に触れる。そして、どういう性質のものか探ろうとした。彼は中まで直接入れるように、結界を貼り直していたのだ。
レイラの腕をつかみ、レナルトはレイラの家の中に意識を移す。すぐに体が軽くなり、レイラの家の中に到着する。
レイラは虚をつかれたように辺りを見渡していた。
「恐らく、中に入れるようにしておいたんだよ。街中を歩くのは人目が気になるからな」
「そんな事が出来るのはマハトくらいだと思っていた」
「意外と簡単だよ。俺の家もそうなっている。ただ、この人数を一気にくみこめるのはさすがだと思うよ」
「何人くらい?」
「俺とレイラ、ユーリー、マハト、ヴァルトだな」
そこにヨハンが入っていないのが彼らしいと感じていた。
「まずは荷造りしないと」
「俺、ちょっと用事があるから、少しして戻ってくるよ」
レイラは驚いたようだが、快くレナルトを送り出してくれた。そして、レナルトは再びマハトの家に戻った。




