燃えさかる街
レナルトはレイラの事を報告するために、学長室に向かうことにした。だが、学長室のある一回のフロアについた時、低い声に呼び止められる。
「レナルト」
聞きなじみのある声に顔をあげると、長身で茶色の髪をした男性が手を上げる。オリビエ=デヒーオ。レナルトの父親だ。彼は目を細めると、レナルトのところまでやってきた。
「元気でやっているか?」
「大丈夫だよ。家はどう? 兄さんからじいちゃんの様子がおかしいと聞いたけど」
「大丈夫だよ。まあ、父さんも年だからな。それより、お前は進路をどうするんだ? いろいろと噂になっているよ」
レナルトはオリビエの冗談めいた言葉に苦笑いを浮かべる。
「レイラと話し合って決めるよ。高等部には行かないと思う」
レイラの名前を出すと、オリビエは目を細めた。
「相変わらず仲がいいな。俺には何も言えないが、出来る限り好きなようにはさせたいと思っているよ」
「デヒーオ」
レナルトとオリビエが同時に顔をあげると、髪の毛を一つに結った赤い髪の女性が咳払いをした。
「オリビエ=デヒーオ先生。さっき、ヨハン様から呼び出しが合って、時間が出来たら中等部の教官室に来てください」
彼がすぐに戻るというと先程の女性は頭を下げ、去っていく。ヨハンの名前が出てきた事に嫌な予感がした。彼女は名前を知らないが、中等部の教官だったはずだ。
「悪いな。また、家に戻ってこいよ」
オリビエはレナルトの頭を軽く叩くと、その女性の後を追う。
レナルトは気持ちを切り替えると、学長室に行くことにした。だが、その扉の前で金髪の少女と鉢合わせする。
「なんでお前がここにいるんだよ」
「オレクに学長が呼んでいると言われたの。大事な話があると」
レイラ達の傍らを小さな子供が走り抜ける。
そんな彼らの前に見たことのある教官が現れた。
「廊下を走るな」
想像できた怒号が響く。だが、少年は逃げることもなく、彼に言葉を告げた。
彼は瞳を見開くと、生徒を咎めることなく教室に入っていく。彼らもその後をついていった。
珍しいタイミングでヨハンの名前を聞いたからか、嫌な予感が全身を駆け巡る。
レナルトが振り返ると、不思議そうな顔をしているレイラと目が合った。
「なんだって?」
学長室から悲鳴のような声が聞こえた。
レナルトは何かを言いかけたレイラを制し、耳を澄まし、中の会話を盗み聞きする。
「そうか。それで誰がそこにいる? ミーナか?」
「ミーナが?」
レイラの顔色が一瞬で青ざめる。
レナルトが何かを言おうと口を開いたときだった。
数秒間、大気の震えを感じた。空気の破られるような音。直感的に、結界が破れたのだと気付く。
レイラも察知したのか、顔を強張らせる。
レナルトは学長室の扉を開ける。電話機を耳に当てた学長がこちらを見ていた。彼の緑の瞳はレナルト達を大きく映し出すためのように見開かれていた。
「分かった。状況が変われば連絡してくれ」
彼が電話を切るのを待ち、レナルトは詰め寄った。
「ミーナはどこに向かったんですか?」
「君達には関係のないことだ」
「お母さんはどこなの? お母さんに何があったの?」
レイラは声を荒げ、彼に問いかける。彼はレイラから目をそらす。
彼女の手のひらに冷気が集まる。彼女はこともあろうか学長に攻撃をしようとしているのだ。結界が得意な彼に害を与えられるとは思わなかったが、破壊力だけであればこの国のトップクラスだ。
「レイラ、ここでは使うな」
レナルトはレイラの手首をつかむ。レイラの手から冷気が消える。
レナルトは彼を見た。彼が答えてくれなければマハトに聞くしかない。
校内放送の合図が流れる。淡々とした声が閑散とした校長室に響き渡る。
「生徒に告ぐ。今から学校の外に出ることを禁ずる。万が一、外に出た場合に命の保証はしかねない。騒がず、担任の指示に従ってくれ」
「学長、教えてください。ミーナを見殺しにするつもりですか?」
彼は右手で手を覆う。長く深いため息を吐いた。
「三十二地区の、ノール家の前だ」
「ノール家?」
一瞬、シルヴィアが思い浮かんだ。
「相手は?」
「そんなに魔力が強いわけではないはずだ。しかし、ミーナ=アーヴァンが行く手を遮られたとあれば何か仕掛けているのかもしれない。人質をとられているか、相性の悪い相手か」
強い衝撃音が辺りを襲った。同時に学長室のガラス弾け飛ぶ。レナルトはレイラを抱き寄せ、結界を張る。彼女は対処もできず、なすがままになっていた。
そんなレナルト達を包むように橙色の結界を張った学長が悲しげな表情を浮かべていた。
「さっき一瞬ですが、結界が破られましたよね」
「あれは正確には破られたわけではない。術士が多分、深い怪我を負ったんだ。だから一瞬、結界が弱まっただけだ」
「マハトかヨハンが? それともノール家の人間がですか?」
「違う。おそらくミーナ=アーヴァンがだ」
「どうしてミーナが?」
だが、青ざめた顔のレイラを見ていると、今はその理由を聞いている場合でないと察した。
「ノール家の家に向かいます」
「わたしも行く」
レイラは走り出そうとしたレナルトの腕をつかむ。
「連れて行ってやれ。レイラとはお前が一緒にいるのが一番だ。わしも行きたいが、生徒を守らねばならん。ただ、絶対に死ぬな」
戸惑うレナルトに彼はしっかりと頷いた。
また大気が震えた。廊下のガラスが砕け散る。学長の結界に当たった破片は床に落ちる。
地響きが止んで窓の外を見たとき、視線の先にある家が燃えているのに気づいた。その方角にノール家がある。
「分かりました。ここで失礼します」
学長は頷く。
レナルトはレイラの身体をつかんだまま、ノール家の場所を頭に思い描く。そして、その位置に自分の姿を映すイメージをし、呪文を唱えた。
自らの身体に圧し掛かっていた重力が消失し、耳には空間が弾ける音が聞こえた。
レナルトはノール家から少し離れた場所に体を着地させた。辺りをせわしなく見渡すレイラの腕をつかみ、近くの建物の影に連れていく。
「お母さんが」
「分かっている。でも、俺たちまで捕まったら、助けられるものも助けられなくなる。ミーナの魔力の出所を探す」
レイラは目に涙をためて頷いた。
ノール家はすでに激しい炎で包まれていた。この中に人がいればただではすまないだろうと分かる炎の強さ。既に多くの人が集まってきていた。
数人が消火活動をしているが、彼らの魔法よりも炎のほうが勢いがある。半端な力は魔力を吸収し、火の勢いが増していくだけだった。
ミーナの魔力を探す前に、これを消すのが先決だろう。
「レイラ、この火を消してくれ」
「分かった」
彼女はゆっくりと呪文を唱えだす。彼女が唱えているのは雨を降らせるものだった。
ノール家の上空に雲が集まり、それが灰色へと変化していく。一分も経たないうちに多量の雨粒がノール家に降り注ぎ、灰色の煙を残し鎮火する。
「さすが化け物は能力が桁違いだな。桁違いだから化け物なのか」
その状態に一息吐いたのもつかの間、いつの間にか集まった冷たい視線がレナルト達を突き刺した。
助けてくれた十五歳の少女に投げかける言葉ではなかった。彼らが数人がかりで消すことのできなかった炎を恵まれた血族であろうと、少女が消したことで彼らの自尊心を奪ってしまったのだろうか。
「早く探そう」
レイラはそんな男達を無視し、レナルトに声をかける。
そうさせたのは彼女の今までの経験だろう。
そのことに歯がゆさを感じながらも、ミーナの魔力を探す。だが、突如強い力に関知を妨害される。
「魔力を探れないんだ。足で探すしかない」
「家の中にいるの?」
「燃えていたのを考えると、近くに身を潜めているとは思う。この辺りを探してから、家の中を探そう。今は野次馬がいるから、大丈夫だよ」
レイラは不安そうに頷く。
二人はミーナを探すために走り出した。
◇◇◇
炎はノール家を中心として燃え広がっていた。辺りには煙が立ち込め、木々を焼いていく。
誰かが火を放っているのか、その誰かが一人なのか、複数なのか分からない。二人はまずミーナを探すことを優先した。
だが、廃墟の前におぼろげな目をした人たちがこちらを見ているのに気付き、心臓をわしづかみにされたような気持ちになる。
「お母さんは大丈夫だよね」
そう苦々しく口にしたレイラは足を止めた。
少し先を歩いていたレナルトが足を止め、レイラの傍まで戻ってくる。
レイラは詠唱を始める。レイラの額に淡い光が集まり、身体が熱を帯びてくる。
上空に暗い色の雲が出現し、辺りから陽の光が消えた。この辺り一帯にできるだけ強い雨を降らせようとしているのだ。
「お前は本当にバカだよな」
レナルトがレイラの傍らに立ち、肩を上下させながら乱れた息を整えていた。
「俺も手伝うよ。お前ほどじゃないけど、少しは消すことができるだろうからな」
レナルトが息を吐いた。
呪文を唱えるために目を閉じて意識を集中したときだった。
「お姉ちゃん」
怒号と悲鳴の中に聞き覚えのある声が響く。
レイラは詠唱をやめ、辺りを見渡す。頬に透明の液体が触れる。視野を掠めるほどの大雨が辺りに降りしきる。レナルトが降らせた雨だ。
「どうした?」
「ユーリーの声が聞こえた気がしたの」
レイラは辺りを見渡すが、灰色の煙と雨がレイラの視線を妨げていた。
彼女の視線が一周し、レナルトに戻った。彼が深く目を閉じている。その彼の瞳が開き、彼の茶色の瞳が露になった。彼の白い指先がレイラの背後を指す。
「あそこだ」
レイラは肩越しに振り向く。叩き壊されたように木っ端微塵になっているレンガ造りの家があり、その傍には大きな木が聳え立ち、その姿を炭と変えていた。その木の木陰に銀色の髪をした少年の姿を見つける。
レイラはその姿を確認するとすぐに駆け出し、彼の体を抱き寄せる。体が小刻みに触れるのを感じながら、その心境に心を痛めた。
「お姉ちゃんと一緒に学校から帰っていたの。お姉ちゃんが僕にすぐに家に帰れって言って飛び出していって、どこに行ったか分からない。それでここで待っていたの」
その後、目の前の家が破壊される現場を見てしまったのかもしれない。レイラの考えを決定付ける言葉がユーリーの唇からこぼれる。
「シルヴィアならしっかりしているし大丈夫よ。一緒に」
「どこに行った?」
帰ろうと、言おうとしたレイラの言葉を荒々しい声が打ち消す。その声を発したのはレナルトだった。彼の顔は想像以上に青ざめていた。
ユーリーの指先が戸惑いがちにノール家に向けられる。
「レイラ、お前はユーリーをマハトのところに連れて行け」
「どうして?」
「シルヴィアを探さないといけない」
「わたしも探す」
「まずはユーリーをマハトの元につれていけ。三十分後にノール家の前で合流だ」
レナルトの指がレイラの腕に触れ、僅かに温かくなる。
「これで転移魔法が二回分、難なく使えるはずだ。マハトにシルヴィアのことも伝えておいてくれ。事情は後で説明する」
「どういうこと?」
「俺の魔力をお前に移した。文句なら後から聞くから、今はユーリーを守れ」
彼の言葉に理解を示し、マハトの姿をイメージした。彼の魔力を感知し、脳内のイメージが現実の姿と重なり合う。レイラはユーリーを抱き寄せ目を閉じた。
彼女の身体が一瞬で無重力状態になり、目の前のレナルトが消えた。
次の瞬間、彼女の目の前に現れたのは小柄な男性だった。小柄といってもレイラよりは背が高い。
彼はレイラと彼女に抱きついているユーリーを交互に見る。
「ユーリーをお願い。それでシルヴィアが迷子になっているらしいの」
「迷子?」
レイラはユーリーの身体を解く。彼は意味が理解できないのか、レイラとマハトを交互に眺める。マハトがユーリーを呼んだ。彼は自分の居場所を見つけたかのようにマハトに寄り添う。
「レナルトがシルヴィアを探さないといけないって。でも、お母さんも大変なことになっていると学長先生が言っていたの」
彼はその言葉で何かを察したのか、ああとうめく。
「ミーナはこちらも探しているが、気配を消しているのだろう。なかなか見つからない。シルヴィアも同じようにどこにいるのか気配がつかめないんだ。わしもこれから家を開けないといけない。三番地区で多量の遺体が見つかったらしい」
レイラはその言葉に身震いする。
「ユーリーはここに連れてこないほうが良かった?」
「大丈夫だ。ユーリーは学校に連れていくよ。この国ならあいつの傍が一番安全だろう。それにオリビエもいるからな」
「僕もお姉ちゃんを探しに行く」
ユーリーは何かを感じ取ったのか、そう告げる。
「大丈夫。必ずシルヴィアを連れて帰っていくから、ユーリーは待っていて。ね?」
レイラの言葉に彼は唇をそっと噛み、頷いた。
その時、爆音が響き、大気が震える。その方角はノール家のほうだった。
レイラの脳裏にレナルトの姿が浮かぶ。彼の安否も気になる。
彼のもとに戻ろうとしたレイラの思考が声に遮られる。
レイラ。
レイラは声を聞いた瞬間、うっすらと涙が浮かんだ。
「お母さん?」
マハトがレイラの顔を凝視していた。
こっちに来て。シルヴィアも一緒にいるの。
それだけミーナの声が響いた。彼女のいる場所も同時に頭の中に送られる。それはノール家の場所と重なり合う。それ以上言葉が聞こえてこないことを確認し、マハトを見る。
「お母さんの声が聞こえたの。来てって。戻るね。ユーリーをお願い」
「分かった。気をつけなさい」
レイラは頷く。そしてもう一度魔法を使った。
◇◇◇
鼻をつく焦げる匂いや人の叫び声が辺りに響く。だが、その情景は記憶の中の戦争とは明らかに何かが違っていた。
暴行し、略奪しているような人はほとんど見かけない。ただ、町が巻き添えとなり徐々に破壊されているというのが率直な印象だった。少人数でやっているのか、敵らしき相手の正体が全く見つけられない。
敵は内部からとは限らない。誰かが手引きしたという可能性もある。本格的に攻撃をしてくる場合、町をとりまいている結界が破れてからが一気に攻めてくるだろう。
だが、相手が国を攻めてこようとしているわけでなく、混乱に乗じてシルヴィアを誘拐しようとしているのではないか。それがレナルトの率直な推測だった。
彼女は恐らくノール家の人間だ。それを誰かが知り、彼女を狙っている可能性はもある。
十年前の侵略には二つの意図があったことをヴァルトから聞かされた。一つは領地の拡大、そしてもう一つはノール家だ。得意な能力を持つノール家の血を欲し、ケヴァドが侵略してきたのだ。そのことは一般には明かされていない。自ら魔法を作り出せることがこれ以上ない魅力だったのだろう。
そのときだった。
「化け物」
その言葉にレナルトは反応した。レイラがもう戻ってきたのだろうか。
「レイラ? いるのか?」
レナルトは声の聞こえた方向を頼りに歩き出す。雲間からわずかに地上を照らす太陽の光を受け、白っぽく光る髪をした少女の姿を見つけた。彼女の傍にはあざけような笑みを浮かべたハンスがあった。彼はレナルトと目が合うと、その軽蔑の色を覆い隠す。
「レナルト」
レイラはレナルトを見ると唇を噛む。
ハンスがレナルトに話しかけてきたが、彼に構っている余裕はない。
「お母さんの声が聞こえたの」
「探そう」
レナルトはレイラの腕をつかむ。ミーナとシルヴィアが無事だという報告がレナルトの心を安堵させた。
二人はノール家の前に戻る。そこには先ほどまで集まっていた野次馬の姿が無くなっていた。鈍い音が周囲を包み込む。顔を上げ、辺りを見渡す。家の姿が瓦礫へと変化していた。恐らく近くで小さな風を発生させたのだろう。ということは、この中にシルヴィアがいるのかもしれない。
「どこから攻撃を受けているの?」
「この国の中にいる人間だと思うよ。その証拠に結界はまだ破られていない」
廃墟のように半分以上炭と化してしまった建物を見た。その家の天井部は大きく崩れ、原型をとどめていない。
「この中にお母さんがいるの」
レナルトは瞳を見開く。
「俺が見てくるよ。お前はマハトのところか学校に戻っていろ」
「わたしも行く」
そういったレイラが、体を震わせ、辺りを見渡した。
「今、お母さんの声が聞こえたの。お母さんが、レナルトと一緒に来てと言っている。だから行こう」
駈け出そうとしたレイラの腕をつかみ、レナルトはレイラより先に建物の中に入ることにした。




