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光の消失

 ミーナの傍に触れていた細い指が離れた。彼女は目に涙を浮かべながらミーナを見据えていた。

「ありがとう。助かったわ」

 彼女の魔力を媒介にしてレイラに自らの意思を伝えた。相手にダイレクトに自らの意思を伝えることは難しくはないが、傷を負ったミーナには大仕事だった。


「大丈夫?」

 碧の瞳に自らの姿が映っているのを確認する。ミーナはその瞳に頷いた。

「ごめんなさいね。あなたを守れなくて」

「気にしないで。体調がよくないんだよね。わたしが治癒をします」


 シルヴィアの冷たい指先がミーナの頬に触れる。

 彼女の言葉を否定するために首を横に振る。

「あなたの力はまだ安定していないわ。レナルトも来るから無理にあなたが何かをしなくてもいい」

 シルヴィアは不満そうな表情を浮かべながらも、頷いた。

 彼に襲われた後、シルヴィアを連れてこの建物に隠れたのだ。彼は明らかにシルヴィアを狙っていた。その彼がこの建物を焼き尽くそうとしたのは意外だったが、地下室に身を潜めたため、命を奪われることはなかった。


 シルヴィアは時の経過とともに落ち着いていたようだった。彼女は自分の傷を癒すと、誰かが助けに来てくれるまでここで身を潜めることにした。

 だが、この場所には盲点がある。周囲から完全に遮断されており、こちら側から外を伺うことはできても、外側から探ることはできないのだ。

 その中で唯一使えるのがレイラに自らの居場所を伝えることだった。

 この場所に逃げ込んだのは偶然だったが、今の状況を確認すると必然としか思えない。


 マティアスが告げた時が今なら、きっと彼女の力の解放は成功するだろう。ただ、激しく鳴る心臓がそのときまで待ってくれるかが気がかりだった。

 ミーナ達のいる地下室を小突く音が聞こえた。炎のような赤い光を宿した魔力を持った少女と、澄んだ碧と蒼の魔力を宿した少年の気配が扉の向こうから感じ取れる。


「お兄ちゃんと、お姉ちゃん?」

 シルヴィアの瞳に涙が浮かぶ。彼女も不安だったのだろう。こんな状況だと、自らの傍にいてくれる人は一人でも多いほうがいい。

「そうね。開けてくれる?」

 可憐な少女は何度も頷く。軽い足取りで扉のところまで行く。

 金属の擦れる音が聞こえ、僅かな光しかなかった空間に強い光が差し込んできた。


「シルヴィア、お母さん?」

 毎日彼女の声を聞きたくて生きてきた。彼女を守るために全てを捧げてきたといっても過言ではないだろう。

 ミーナの目尻を熱いものが広がっていく。


「話は中に入ってからだ。この中なら外から察知はできないだろうから」

 普段から学ぶことを怠らなかった彼は入り口に張られた結界の存在に気づいたようだった。その扉を閉めることで結界が効力を発揮するのだ。

 レイラは頷くと地下室の中に入った。その後を追うようにレナルトが入ってくる。


 レナルトがシルヴィアに言葉をかけるのが見えた。レイラと一緒に下で待っているようにとでも告げたのだろう。

 シルヴィアは頷く。

 一足先に階段を下り始めたレイラの後を追うようにシルヴィアも階段を下りだす。

 二十段ほどの階段を下りたレイラがミーナの傍まで駆け寄ってきた。彼女の青の瞳には薄っすらと涙が浮かんでいる。

「怪我を治さないと」

「レナルトに治してもらうから無理をしないで」


 レイラはその名前を聞き、口を噤む。

 レナルトとシルヴィアがミーナの傍らまでたどり着く。

 レナルトの指先がミーナの傷口に触れる。

 彼はミーナを軽く睨む。

 思いのほか傷が深いことに気づいたのだろう。彼は言葉を呟くと、ミーナの身体を侵している毒を抜く。傷口も同時に塞がる。

 その様子をレイラは凝視していた。


 シルヴィアは安心したのか目を輝かせ、穏やかな笑みを浮かべている。

「今、解毒と治癒を一緒にしたの?」

「たいしたことじゃないよ」

「話は後からね」

 ミーナはレイラを傍らに呼ぶ。レナルトは後方へ仰け反ると、シルヴィアの傍へ行った。ミーナとレイラの会話を邪魔しまいと思ったのだろう。

「黙って聞いてほしいの。あなたには今まで言えなかったことがある」

「言えなかったこと?」

 反復したレイラの言葉を聞き、頷く。


「あなたの力はあなたが産まれたときに、兄が封印したのよ」

「お父さんが?」

 レイラの目が潤む。

「その力を今、解放するわ」

「どうして? お母さんは怪我をしていたのよ。ゆっくりしてよ」

「約束したからよ」

 レイラはそれ以上何も言えなかったのだろう。言葉を噤む。

 ミーナは目を閉じると、指先に神経を集中する。彼女の身体の内部を探る。彼女の体内に埋め込まれた封印の存在を探し出す。兄に教えられた封印と一致するものを彼女の心臓部で見つけた。その封印は彼女の喉を伝い、眉間を通り、頭の頂点で終わりを告げている。魔法を作り出すことのできる源を半分以上閉じていたのだ。


「気持ち悪いかもしれないけど、我慢してね」

 ミーナは今度は瞳を開けたまま、彼女の心臓部から封印を解してくことにする。順番を間違うと、身体に負担を与えてしまうからだ。

 レイラの心臓を覆うように包み込んでいる青い封印を紐解く。彼女の身体が僅かに震えるのが分かった。彼女の心臓部に白い光が宿る。これは命の源のようなものだった。この光が強いほど、生きる能力が強くなっていく。順次、喉、眉間の封印を解いていく。レイラは喉と眉間に触れることはしたが、違和感を口に出すことはしなかった。


 眉間の封印を解いたとき、彼女の頭部に施された封印も自動的に解けた。

「何か変な感じがする。スースーと風が抜ける感じ」

 レイラは自分の頭に触れる。

「一週間くらいは魔法を使わないようにしてね。学校のほうは休んでいいから」

 レイラは何度もうなずく。

 自分に万が一のことがあったときは全てマハトに一任している。

「外に出ましょうか?」

「危ないよ」

 レイラはミーナを引き止める。


 ミーナはレイラの頬に触れた。

「アーヴァン家の使命を忘れたらだめでしょう?」

「この国を守ること?」

 彼女は唇を噛み締め、心がはちきれんばかりの声を出す。

 彼女の胸裏に過ぎっているものはミーナを心配する心だったのか、この国の人に対するあまりよくない感情だったのか分からなかった。


 ミーナはその意思を確認せずに彼女に意思を伝える。

「嫌でも仕方ないわよ。もう身体も大丈夫だから」

 ミーナはゆっくりと立ち上がる。足を踏み出したときだった。身体を突き抜けるような鈍い痛みが走り抜ける。ミーナは自らの胸に手を当てた。心拍数が想像以上に上がっている。


 ミーナはレナルトの顔を見ずに、地下室の扉を開ける。そのすぐ後をレイラがついてきた。辺りの壁は壊れ、天井の隙間から空を覗くことができる。この家は長くもたないだろう。だが、ノール家のものと言われているこの家に貴重品は何もない。この家はいわばダミーで大事なものはマハトが別の場所に保管している。


 瓦礫を踏まないように気遣いながら歩いていく。だが、彼女に襲い掛かる痛みは弱まることを知らない。ミーナが扉を開けようとしたときだった。

 彼女の動きを制するように大きな手が差し出された。その手の主はレナルトだった。彼はミーナを一瞥すると、首を横に振る。

「俺が先に出るよ」

 ミーナは頷いた。彼が腕を伸ばすと同時に光が家の中に差し込んできた。

 レナルトに支えられながら外に出ることにした。傍らではシルヴィアが心配そうに顔を覗き込んできた。


「大丈夫?」

「大丈夫」

 ミーナが発した心にもない言葉を否定するように、背後で何かが爆発するような音が響いた。

 振り返ると、先ほどまで存在していた家が瓦礫の山と化していた。最後に出たレイラが驚きに満ちた表情で立ちすくんでいた。


「レイラ、逃げろ」

 レイラがレナルトの声に気づき、身を翻そうとしたときだった。彼女の身体を覆うような影が現れたのだ。その影がレイラの首に手を回す。あっという間の出来事で誰も動くことができなかった。


「さて、どうする?」

 レイラの身体をつかんでいるのは身長が二メートル近くはある男だった。その男の口は裂け、そこからナイフのような牙がむき出しになっていた。十年前と同じだという考えが過ぎる。

 その男の視線はシルヴィアに向けられていた。

 シルヴィアは唇を噛んでいる。


「お姉ちゃんを離して」


 彼女は自分を狙っているのが分かったのか、声を震わせながら男をにらむ。


「それには条件がある。シルヴィア様が私と一緒に来てくれることだ」

「こんなやつの言うことなんて聞かないでいいの」

 そう叫んだのはレイラだった。彼女なりにシルヴィアを守ろうとしたのだろう。だが、彼女の悲痛な叫びが呼び寄せたのは手助けをしてくれる人達ではなく、野次馬だった。

 彼らはレイラが正体不明の男に拘束されているのを興味深そうに眺めていた。


 男は満足そうに周辺の野次馬を見渡す。

「観客が集まってきたな。さて、この娘をどうしてほしい?」

 ミーナだけではなく、シルヴィアもレナルトも動けなかった。

「答えがないな。それなら少しいたぶらせてもらうか」


 男の腕を炎が包む。男が炎を纏った腕をレイラに向ける。

 レイラを目掛けて、業火が放たれようとしていた。力を解放するタイミングを間違ったかもしれないと後悔する。今の彼女は魔法を使えないし、使えたとしても自らを守る術を知らない。


 彼女を守るために魔法を使おうとしたが、先ほどと同じ痛みがミーナの身体を撃ちぬき、その場に崩れ去る。だが、視線だけはレイラからそれることはなかった。


 そのミーナの体を支えるようにシルヴィアが駆け寄ってきた。

 レナルトが彼女の体に結界を張る準備をしているのは分かったが、相手の能力が分からないことから一瞬の隙をつかれ彼女を傷つけてしまったという結果にならないよう、躊躇しているようだった。彼も優秀だが、今の彼では力不足だろう。ハイテが最良だが、せめてマハトかヨハンがいてくれれば。


「やめて」

 風を切るような声が辺りに響きわたる。

「わたしが目的なのでしょう? 言うことを聞くからもう誰も傷つけないでください」


 シルヴィアの瞳が目の前の男を捉えていた。同時にレイラの身体に薄い魔法耐性のバリアが張られる。シルヴィアに睨まれている男はレイラなど眼中になくなったのか、小さな少女を見つめていた。


 大男ににらまれてもシルヴィアは臆することなく目の前の男を見据える。その瞳は十歳の少女のものではなかった。彼女が自らの出生に気づいていたということに気づくのに時間は要さなかった。


「シルヴィアを危険な目になんて遭わせられない。逃げて」

「このままここで逃げても、逃げられない」


 シルヴィアははっきりとした口調でレイラに告げる。

 いつもの甘えた彼女の声ではなかった。


 その言葉にレイラは言葉を失ってしまったようだった。唇を噛み締め、シルヴィアを眺めている。

 ミーナの目の前にある碧の瞳が優しく微笑む。

「わたしがいなくてもこの国は大丈夫でよね」

 彼女はノール家の血を継いでいる。本当なら彼女がいなければ、国を守る術を一つ失う。しかし、その血族は彼女だけではなかった。彼女はそのことを知っているのだ。

「この国は、ね」

 シルヴィアはその答えを望んでいたのだろう。目を細める。その瞳は再度、レイラに向けられた。


「お姉ちゃん、もうお兄ちゃんとあんまり喧嘩をしないでね」

 彼女がそう告げた後、辺りを淡いピンクのものが包み込む。彼女は自分とミーナ、そして目の前の男以外の存在の行動を止めたのだ。ミーナに魔法をかけなかったのは彼女の身体をいたわってのことだろうか。

 男はレイラの体をつかんでいた手を離し、レイラの体がその場に崩れ去る。

「さよなら」

 碧の瞳に涙が浮かぶ。そのシルヴィアの肩にすっと大きな手が触れた。

 彼女は男を睨む。


 男は臆した様子もなく彼女の肩を抱くと、その場から姿を消した。

 程なくして、レイラの身体が動く。彼女の腕や膝からは赤いものが再び滴り落ちる。

「シルヴィア?」

 彼女はシルヴィアの消えた場所に歩み寄る。

 ミーナが立ち上がろうとしたとき、再び心臓が暴れた。胃の辺りから湧き出てくる不快感に耐えられずに自らの口を塞ぐ。彼女の唇からは黒い鮮血が漏れ、地面を汚す。

 レイラの悲鳴が辺りに響きわたる。


 同時に先ほどまで動いていた指先の自由がきかなくなる。自らの身体が終わりを告げているのだと気づくのに時間は要さなかった。

「お母さん」

「レイラ、そこを離れてくれ」

 レナルトはミーナに駆け寄ると、手首をつかむ。彼の癒しの力がミーナの身体に送り込まれようとしていた。その光がミーナの体内に入ってくることはなかった。癒しを身体が拒否し始めているのだ。


「もういいのよ。自分の寿命くらいは分かる」


 レナルトの瞳に薄っすらと涙が浮かぶ。その涙を見て、まだ彼が齢十五だったことを思い出す。


「わたしとのもう一つの約束を守ってね」


 レナルトは言葉を飲み込むと、ミーナの手首を離した。レイラに声をかける。


 レイラの手がミーナの手をそっと包む。彼女の手がいつも以上に熱く感じる。それは彼女の手が熱いのではなく、自分の体が冷たいのだと理解した。

 ミーナの細い指先がレイラの頬を這う。


「わたしはあなたのことを本当の娘のように思っていた。あなたはわたしが考えるよりも強くて優しい子よ。だから、何があっても頑張って生きて」


 彼女の心残りはそれだけだった。レナルトがレイラを守ってくれる。そう分かっていても不安は限りない。

 心臓が再び大きく震えた。


 レイラの頬に触れていた指先が次第に重くなっていく。手を持ち上げようとしても指先に突如付属した錘を解き放つことはできなかった。

 ミーナの瞼も同時に重くなってくる。その感覚に抗うことなく彼女は目を閉じた。

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