57【閑話】 六角義賢の心労
天文二十一年十一月上旬
観音寺城の本丸の西側に一室があり、そこから淡海の海〔琵琶湖〕と比良山系が一望できた。城の主である六角-義賢は白湯を飲みながら景色を眺めていた。すっと扉が開き、家老平井-定武が入ってくると、静かに前に腰を落とした。
定武は主の義賢がこちらを向くまで静かに待った。
義賢は先代〔六角-定頼〕様との共同統治下で、『石寺新市楽市令』〔天文18年(1549年)5月1日〕を発した先進的な大名である。
長い沈黙の末に義賢が前を向くと、定武は声を発した。
「枝村はまだ文句を言っておるか」
「枝村の商人衆は座を廃したことへの苦情を続けております。先代様に貢献した自分たちを蔑ろにしていると訴えております」
「そうか。まだ、訴えておるか」
「しかし、保内衆が活発となり、六角家の貫高は以前の倍まで上がっております。また、物資も安くなり、蓄えを貯める費用も抑えられております」
近江商人の中心は枝村衆から保内衆へ移りつつあった。
義賢は家臣らが商人から勝手にみかじめ料を取ることを禁じ、また、無理矢理安く買う『押買』を禁じた。
関所を勝手に作ることも先代の定頼が禁じている。
家臣らは安易な臨時収入の手段が断たれた。
馬鹿な領主は領地経営できずに貧困に喘ぎ、商才に長けた領主は勢力を伸ばしていた。
「定武、織田家を真似て、家臣らを観音寺城の付近に住まわせ、貫高で俸禄を払おうかと思うがどう思う」
「織田家の真似ですか」
「実は儂も考えておった。しかも家臣の領地に代官を派遣して領地の世話をさせておる。悪くないと思った」
「どなたからお聞きになりました」
「保内衆が献上品を持ってきたときに聞いてみた」
「なるほど。悪い策ではございません。領地経営が不得手な者も多ございます。そういう家臣は喜びましょう。ですが、当家〔平井〕、進藤家、後藤家、蒲生家、望月家などは代官を喜ぶとは限りません」
「喜ばぬか」
「代官が優秀ならば問題ありませんが、巧くいっている所をかき乱されるのは承服できません」
「難しいか」
そう言うと義賢は淡海の海を眺めた。
「また、山城守〔進藤-貞治〕と但馬守〔後藤-賢豊〕がやり合いましたか」
「儂と重左〔重左衛門尉の略〕は爺に頭が上がらぬ」
「息子の賢盛殿に譲ると言われていたような気がしたしますが、いったいいつになるやら」
「父上〔六角-定頼〕の偉大さとは、亡くなってみぬと分からぬものとしみじみ思っていたところだ」
「先代様もよく喧嘩をしておられました。御屋形様はその先代様ができなかったことをなさいました」
「公方様を京にお戻しになったことか」
「はい」
「義兄の(細川)晴元殿を捨てただけだ。褒められた行為ではない」
「畿内の混乱は元管領様の責任でございます。(三好)長慶殿の手綱を握っておれば、起こらなかった混乱でございます」
「その責任を取っていただいた。過ぎたことだ」
管領代であった六角-定頼が亡くなり、六角家を継いだ義賢は公方足利-義藤と三好-長慶の和睦の仲介に成功し、公方義藤を京に戻すことに成功した。ただし、義兄である(細川)晴元を切り捨て、晴元が嫡子聡明丸を長慶に預け、晴元を出家させるという荒療治をなした。
これによって細川京兆家の家督は氏綱に移り、長慶は義輝の御供衆に任じられた。
細川-氏綱は摂津、丹波、讃岐の守護職に任命されたが、すべての国衆が氏綱に従わず、摂津の国衆は長慶が平定したが、丹波の波多野家は抵抗を続けている。
公方義藤に仕える反三好の奉公衆の動きも激しくなり、三好嫌いの公方義藤の性格と相まって、都の世情も怪しくなってきた。再び、三好家との争乱に六角家が巻き込まれそうになってきた。
「公方様も御自重して頂きたい」
「まったくです。公方様にお味方しても得るものがなければ、御屋形様ができることは多くございません」
「高広〔京極-高延とも〕も今は大人しくしているが、いつ動くやもしれん」
「公方様と三好が割れ、六角家が公方様に付いた瞬間でしょうな」
「国内を固めたいのに厄介なことだ」
「で、但馬守〔後藤-賢豊〕は国内を固める策を持ってきたのですな」
「よくわかったな」
「御屋形様がお悩みになられるならば、その当たりかと」
後藤-賢豊の領地は近江八幡周辺であり、八風街道を使い伊勢との交易で富を得ていた。
傘下に伊勢の国衆梅戸-高実がいる。また、八風街道と並行して走る千種街道を抑えるために、千種-忠治に圧力を掛け、六角家から養子を送ることに成功し、近江と伊勢の流通を掌握していた。
「尾張の信秀が亡くなり、織田家から船を一艘借りて、一緒に琉球交易へ出る話が宙に浮いておったが、三ヵ月前に出航することとなり、重左も胸を撫で下ろした。熱田の支配権は信秀から信長に移ったと見てよいが、熱田を率いているのは魯坊丸とされている」
「守護代に勝って、信長殿の勢いが増したと聞いておりますが」
「その通りだが、その勢いを支えているのが、熱田と津島の銭だ。その熱田衆と津島衆が盛り立てているのが魯坊丸だ。保内衆の話では、魯坊丸は熱田明神の生まれ代わりと称されるほど、天運に恵まれておる」
「天運でございますか」
「美濃で生まれた作物が育つ土を聞いておるか」
「手に入れようと調べさせております」
「美濃の領主が考えたものが魯坊丸の領地に行き、そこで完成して美濃に返ったそうだ。尾張が不作でも熱田周辺は豊作だったそうだ」
「そのようで」
「熱田酒も似たようなものだった。尾張の御神酒を帝が気に入ったことで熱田が潤ったと聞いた」
「あのときは献上酒を運ぶので手伝って欲しいと、信秀殿が泣き付いてきましたな」
「熱田に息子の魯坊丸を酒の責任者に据えた。これも天運だ」
「土佐の一条家から船を用意してくれと頼まれたという話も天運でございますか」
「一条家と取引をしていた堺商人が織田家に話を持っていた。他にも銅山の資金を織田家に求めた。織田家は堺商人を介して銅山開発にも手を出している。保内衆の商人が自分らも加わりたいと嘆いておった」
「嘆くのですか?」
「同じ近江商人の日野衆は望月家と組んで大儲けしているではないか」
「後藤家を唆し、琉球交易に一枚噛んだのも保内衆の息がかかっておりましたか」
「重左は焦っておる。望月の娘を養女に迎えて、魯坊丸の正室に入れたと申してきよった」
「なるほど、山城守が反対された」
「信長と魯坊丸は絶妙に良い関係を保っておる。魯坊丸は強い貢献人が必要であり、織田家の筆頭家老であった信光の後ろ盾があった。しかし、その信光が信長と不仲になった」
「信光を切ったのは熱田宮司〔千秋季忠〕様の影響でしょうな」
「熱田宮司殿は信長殿を押しておるそうだ」
「となりますと、信長殿の後ろ盾が美濃の斉藤-利政殿。魯坊丸の後ろ盾に但馬守が加わると微妙になるような気がします」
「重左の息子となれば、儂の後ろ盾を得たと同じ。二人が争えば、すべてを失うと爺に諭された」
そこで一度言葉が途切れ、平井-定武は考え込んだ。
その状況で自分が呼ばれた理由を……。
そして、ふっと答えが繋がった。
「では、信長殿へ側室の話でございますか」
「うむ。其方の娘が欲しい。だが、儂から申し込む訳にはゆかん。儂から申し込めば、斉藤の娘を正室から下ろさねばならん」
「なるほど。六角家と斉藤家のどちらかを選べと迫る訳にはゆきません」
「だが、重臣である其方の娘が側室に上がる話が決まった後ならば違う」
「某の娘の箔付けに養女にして頂けると」
「平井家への面目よ」
「ならば、信長の側室でも六角家の面目が立ちます。信長様も否とは言い出しにくい。そういうことでございますな」
「うむ。爺では進まぬ。だが、他の者では交渉を進める器量が足らぬ。儂が信長殿の後ろ盾に入れば、魯坊丸に後藤の養女が入っても問題ない。結納の返しに、様々な技術を分けて貰えると、こちらも助かる」
「御屋形様は但馬守に甘過ぎますな」
「重左に甘いのではない。八風の保内衆を完全に取り込みたい。北伊勢を手に入れる為よ。魯坊丸は伊賀とも親しい。魯坊丸を手中に収めておくのは悪い話ではない」
「織田家を味方にして斉藤家を引き込み、京極を挟み打ちにもできますな」
「それができれば、上の上だな」
平井-定武は六角-義賢から信長を祝う手紙を受け取ると静かに部屋を出ていった。




