18.No1ホスト魯坊丸とパトロン千秋季忠
久しぶりのあとがきです。
今日のよもやま話は、熱田神宮の大宮司です。
津島神社でもトップの入れ替わりはありました。
同じように熱田神宮でもあります。
伝承上の最初の大宮司は、建稲種命です。
日本武尊の妃であった宮簀媛命の兄です。
氷上姉子神社で育てられた米を奉納米として、熱田神宮に収める行事が残っており、草薙剣が熱田神宮へ移された名残として語られています。
さて、草薙剣が熱田神宮に納められ、大宮司は尾張氏に移ります。
尾張氏は、
・尾張
・草鹿(草香)
・河内
・千秋
・倭
・氷上
・玉照(玉屋)
・善光、三十間戸などを名乗る。
熱田神宮の大宮司は、平安から鎌倉に至るまで草鹿(草香)氏が務め、室町以降も河内家が大宮司を主張しはじめます。
室町後半、個人的には応仁の乱以降に禰宜であった千秋家が台頭します。
熱田神宮の大宮司だった河内親忠も守護の織田達勝を支持したのでしょうか?
対して、禰宜だった千秋季光は織田信秀に逆張りして、勝利した織田信秀から大宮司を授かった。
もう少し正確に切ないすると、草香家と河内親忠が大宮司を巡って争っていたので、どちらも失脚させて千秋季光を大宮司に据えたと思われます。
天文元年に織田弾正忠家と織田達勝と争っています。
草香家と河内親忠の争いは天文13年まで続き、河内親忠が大宮司と定められますが、天文16年になると、千秋家に対して守護代へ訴状が上がっています。
天文13年から天文16年に河内親忠から千秋季光への移行が起こったのでしょう。
そりゃ、日の出の勢いの信秀に従って、千秋季光は援軍を出しております。
千秋季光への信頼も厚かったでしょう。
それが祟って、天文16年(13年説もある)に戦死して、千秋季忠が大宮司を継いだとあります。
河内家は納得しておらす、訴訟を続けます。
天文20年(1551)4月に河内家が勝訴し、永禄3年以降に信長も認めたことで決着し、千秋季光・季忠親子が公式に熱田大宮司であったことが取り消されたようです。
しかし、軍記物に熱田神宮の大宮司を争ったと、河内親忠の名が出てくることはありません。
残念ですね。
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◆「熱田大宮司 河内家」 年代別年表
・1221年(承久3年)承久の乱後の社領安堵文書(写):河内家に大宮司職と社領の一部安堵が確認できる最古級の記録。
・1250年頃(建長期)『吾妻鏡』:熱田大宮司が幕府に出仕する(鎌倉初期)
・1336年(建武3年)建武政権による社領安堵状:熱田大宮司 河内家宛て。(室町初期)
・1349年(貞和5年)観応の擾乱前後の熱田社紛争文書:河内家と社内他家(草香家系)との職掌争い
・1453年(享徳2年)熱田社「神事執行覚書」写(室町後期)
大宮司職:河内家
禰宜職:草香家
・1496年(明応5年)河内家文書:社領年貢配分状(千秋家文書番号:明応5-3)
大宮司 河内某が署名。
・1526年(大永6年)12月 織田弾正忠家による神領保護状
宛所:熱田大宮司 河内家
信秀以前の織田家と河内家の関係を示す
・1542年(天文11年)2月 河内家文書:社領年貢請取状
河内某が「大宮司」として署名。
・1545年(天文13年)頃 大宮司親忠 免許状:熱田神領の年貢・公事の配分に関する文書
大宮司 親忠の名で署名
・1547年(天文16年)熱田大宮司 河内家の屋敷位置が確認できる文書
地名:熱田・白鳥付近
・1549年(天文18年)大宮司親忠 花押状:熱田社の祭祀費用に関する文書
権宮司や検校の訴えに対する裁許状に関与。
(大宮司側 vs 社家側の対立:社内対立の調停者としての役割が見える)
・1550年(天文19年)熱田社神領年貢割付状:熱田社の祭祀費用に関する文書
複数の文書に「親忠」署名。
・1551年(天文20年)大宮司親忠祭祀料関係文書:熱田社の祭祀費用に関する文書
大宮司 親忠の名で署名
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■天文〜永禄期に起きた「熱田大宮司職争論」
天文年間(1532–55)から永禄年間(1558–70)にかけて、熱田大宮司の継承をめぐり「千秋家・河内家・大野家」などが対立し、複数の訴訟(沙汰・奉行所への訴え)が発生した
対立の中心:千秋家 vs 河内家(+大野家)
天文期、熱田大宮司職(最高神官)の継承をめぐって
草香家(本家)
千秋家(季光系)
河内家(禰宜家)
が激しく対立した。
千秋家は「大宮司家本流の分流としての優先権」を主張
河内家は「古来の神事を実際に司ってきた実務家」として職掌を主張
大野家も状況次第でどちらかに与した
・天文12年(1543)頃「天文十二年、大宮司継嗣ノ事ヲ以テ訴論アリ」草香家と河内家が大宮司職をめぐり対立
・天文13年(1544) 両家が訴訟・争論。尾張守護代・奉行衆に沙汰を求める。
・天文14~15年 河内家が大宮司家の実務を掌握
・天文16年(1547)8月 — 河内家側の申状「天文十六年八月日 河内…申ス」
宛先:尾張守護代奉行所(織田氏家中の奉行)
・天文17年(1548)3月15日(推定)— 千秋家の訴状「天文十七年三月十五日 千秋□□申ス」
送り主:千秋家の代表(千秋季光)
宛先:奉行所(守護代奉行)
・天文18年(1549)— 大宮司家内部の系図提出指示「天文十八年、御奉行所ヨリ系譜ヲ示スベシト仰出」
送り主:奉行所(尾張守護代の代官・奉行人)
宛先:千秋家・河内家の双方
・天文20年(1551)4月 — 大宮司補任に関する奉行所の裁決「天文二十年四月 奉行所ヨリ沙汰」
送り主:奉行所(尾張守護代の代官・奉行人)
宛先:熱田社の神官家(千秋家・河内家・大野家)
「大宮司職相続の件、両家より訴え上げられ候…」
「河内家、代々大宮司職相続の由、社中の証文・由緒相違なし」
「千秋家、藤原季範後胤なれど分家筋、一職相続の証文なし」
「大宮司職は河内家相続たるべし」
「千秋家は祭祀奉行・社務補佐・神領支配の一部を従前の如く相勤むべし」
「以後、相違の儀これなきよう、社内堅く申し渡す」
・天文21年頃(1552) 意義も申し立ての訴訟
・弘治元年(1555)〜弘治2年(1556)訴訟
・永禄元年(1558)〜永禄3年(1560)
(信長の台頭で立場が逆転する)
・永禄5年(1562)裁決(棄却)
大宮司職は河内家」
千秋家は副次的な社務(祭祀分担・神領管理の一部)
天文二十一年五月二日。
四月の二日は大安で祝い事だったが、五月は赤口である。
赤は血や火を連想させる縁起の悪い日である。
結婚式のような祝い事が避けられ、厄除け祈祷が殺到する。
人は災いを本能的に避けたい。
身近に不幸が重なる。幽霊や怨霊が出没する。怪我が重なる。
そんな時は悪霊が憑いていると考えて祈祷を頼んでくる。
今日も忙しかった。
どうして幼い俺が祈祷に参加するのか?
葛根湯をはじめとする医薬品を広め、生活改善で幼児や子供の死亡率を下げ、御神酒を生み出し、天に祈れば雨が降る。
熱田明神の生まれ代わりと噂され、俺が祈祷に加われば、無病息災、平穏無事、子孫繁栄するに違いない。
熱田とその周辺で疑う者はいないからだ。
すべて断りたいが、そうもいかない。
なぜなら、俺は金欠だ。
祈祷の寄付の一割、熱田明神の札が売れると配当を貰える。
貴重な収入だった。
えっ、砂糖などをふんだんに使ったお菓子などを作るから金持ちじゃないか?
それは勘違いだ。
金持ちは贅沢をせずに貯蓄する。
投資家は経済を回す。
銭を回すと銭が寄ってくるが、資産を増やしても銭は手元に残らない。
国家も同じであり、銭を回さないと経済が回らない。
そして、資産と借財が増える。
あの大手自動車メーカーの借金も五十六兆円を超えている。
だが、倒産するとか騒ぐ馬鹿はいない。借財より資産が上回っているからだ。
つまり、借金の多さが経営の悪さではない。
資産と借財のバランスなのだ。
俺も数万貫文の資金を持っているが、その十倍の借金を抱えている。
分散して資産〔米、金、木材など〕を売れば黒字になる。
商人らは喜んで俺に銭を貸し、俺の借財が増えてゆく。
ただし、戦国時代の商売は危うい。
保管している資材を横取りされれば借金のみ残るので大変だ。
さらに言えば、琉球交易や酒の販売の利益は造船や武器や生活器具の開発費で消える。
足りない分を米価の為替差益で儲ける三角交易や鉱山開発に当てて利益を増やしたというのに、まだ足りない。
これから造船業と運輸業で儲ける予定だが、今川家との戦費で消えそうな気がする。
予言ではなく、推測からくる予測だ。
話が逸れた。
つまり、何が言いたいかと言えば、俺の手元には現金がない。
砂糖、硝石、野菜などは欲しい。
千代女はグライダーの開発を後回しにすれば、残金が残ると言うが、欲しいものは欲しいのだ。
俺は投資家であると当時に散財家であった。
人生を楽しむこと。幸せになること。それが一番だ。
無理はしないが、我慢もしない。
足りない分は稼ぐしかない。
アルバイトをしないと借金が返せない。
ご利用は計画的だ。
そのアルバイトの稼ぎ頭が熱田神宮の祈祷だった。
指名されると寄付金の一割が貰える。
指名料が入るとか、まるで“ホスト”だ。
熱田神宮で祈祷参加の回数が一番少ないのに一番の稼ぎ頭であった。
しかし、これ以上の上乗せは期待できない。
プレミアム感があるから単価が高く、数を熟せば単価が下がるからだ。
そもそも有力者に恩を売る為に引き受けている。
どうでもよい方の祈祷に参加するくらいならば、城の仕事を手伝ってくださいと言われそうだ。
他で収入を増やす必要がある。
やはり、熱田明神の札を売って収益を増やすのが一番だ。
縁日やイベントを増やし、熱田神宮を親しみ易い空間に変えてゆく。
そんな欲まみれな事を考えながら祈祷前の大麻を振って祓った。
そして、大宮司千秋季忠が祝詞を読み始めた。
厳かに進んだ。
祈祷が済むと、客が礼をして出ていった。
お茶が運ばれてきたので、茶を飲みながら次まで季忠との雑談となった。
「季忠様、お疲れでした」
「このくらいは大した事ではございません」
「しかし、那古野にもたびたび呼ばれ、私以上に忙しい身でしょう」
「そうですが、魯坊丸様が参加する行事を他の者にさせるわけにいかないのです」
「親忠殿ですか」
「まったく、決着がついた家督問題をいまさら守護へ上訴しております」
「本人は取られたと思っていますからね」
河内-親忠は室町時代頃から熱田大宮司を代々継いでいた。
本家だった草香家から奪い取った。
草香家から訴えられたが、紆余曲折の末、天文十三年ごろに守護様に認められて、河内-親忠が大宮司に返り咲いた。
だがしかし、世情に疎い河内-親忠は親父(織田-信秀)に逆らい、大宮司代の千秋家に奪われた。
因果応報としか言えない。
納得できない河内家は守護の奉行所に訴えている。
「千秋家は元々禰宜でした。大殿(織田-信秀)によって大宮司にしていただきました。大殿が病に伏したと聞いて守護様に訴えたのです。しかし、裁定を下す奉行は大殿でした。覆るわけもありません」
「親父が生きている間は安定していたが、今は怪しくなってきたか」
「そうですな。斯波-義統様の気分一つで覆るやもしれません」
「その割に落ち着いていますね」
「魯坊丸様が熱田にいはしますからです。魯坊丸様が私を支持して下さる限り、すべての神官と熱田衆が私を大宮司として見てたてまつります。慌てる意味もございません」
「なるほど、親父の代わりですか」
「はい。ですが、魯坊丸様がいらっしゃたなかったら、同じように対立しますが、私は親忠殿と和睦致します。そして、熱田衆は織田様を支持し、熱田神宮は中立を保つとしていたでしょう」
「中立ですか」
「今川様が迫ってきております。しかし、織田様の家臣が熱田の城主でいる。熱田を戦場にしないためにはそれしかありません」
「負けるかも知れません」
「ご冗談を。熱田衆は魯坊丸様を手伝って、対今川の準備を進めてきたのです。さらに申せば、福の神である魯坊丸様を手放すくらいならば、全財産を魯坊丸様に注ぎ込んでもよいと、熱田や津島の商人共が頑張るでしょう」
「買いかぶり過ぎです」
「そのくらい期待されているのです。ゆえに魯坊丸様が参加される行事はすべて私が取り仕切らねば、足元を掬われては溜まりません」
「親忠殿から私に接触はありません」
「ほんに、世情に疎い方です」
季忠が残念そうに笑った。
親忠は熱田神宮のいくつかの祭事を行っており、河内家の格式の高さを見せてつける。
流石、独力で本家(草香家)から大宮司を奪い取った家だ。
河内家の力は侮れない。
だが、その河内家の大半は世情を読んで季忠を推しており、親忠は孤軍奮闘中だった。
だが、俺がいない世界線ならばどうだ?
信長と信勝が争って織田弾正忠家の権威が失われる。
千秋季忠も後ろ盾もなく、河内家と対抗するすべを失ったのかもしれない。
あの『桶狭間の戦い』で季忠は命を賭け、先陣を切って戦った。
おそらく、熱田大宮司を取り戻す布石だ。
今川義元に信長が勝った。しかし、季忠は戦死してしまう。
もう一人の季忠の人生。
それは苦難の人生、時代に翻弄された人生のように思えた。




