17.ブートキャンプ
天文二十一年五月一日。
その日、俺は東山丘陵の西端の東山宿営地(後に藤森城が立つ近く)にきていた。
猪高山から香流川までの長城を建設する為に建てられた。
当時は数千人が寝起きし、、広い資材置き場があった。
すっきりと片付けられ、大きな広場となっていた。
今は作業員が兵として一定レベルに達すると、組織戦の集中講義に利用している。
集められた一千人は一度来ている。
今更であるが、本郷城と下社城が植田川の東でなければ、植田川と香流川を結ぶだけ長城が完成した。しかし、本郷城と下社城を守る為に猪高山の尾根を囲う大工事となってしまった。
それでも東山丘陵の高低差は100メートルくらいだ。
難航と呼ぶほどでもない。
東の守りとして長城の他に関所と貯水湖が造られ、街道の東側から攻めにくくなった。
この地を守る柴田家らに喜ばれた。
長城の建設を始めるにあたって手付かずの林を伐採し、この宿営地が生まれた。
選抜された一千人がずらりと立った。
「千代。この一千人の能力はどうなのだ」
「問題ありません」
「大丈夫か。冬に監督七十六人、黒鍬衆見習いに二百人、鍬衆に七百人を抜き、。技術者として残したい六百人を除外した。それほど有能な者が多いとも思わん」
「若様のいう通りです。しかし、見習いは年若い者を選び、鍬衆は指示に素直に従う者を選びました。青年とは呼べぬ者、元武芸者、粗忽者を除外しておりました」
「なるほど」
「あと一千人ほど、ここに呼ぶには早い者が残っております。他にも八百人ほど屈強な者がいますが、変な宗教に嵌っております」
「宗教?」
「帰蝶様・命をかかげる宗教です」
「…………」
「判ります。私も訳が判りません。とにかく、若様が広げたスコップ武闘術を広めております」
「あれは間狂言だ。スコップの凄さを広める為に披露させただけだぞ」
「それをスコップ術と呼んで広めております。帰蝶様以外に仕える気はないという狂信者です」
「何故、帰蝶義姉上が?」
「さぁ、判りません。帰蝶様はよく工事の視察に来られ、若様の次に慕われております」
「知らん。考えたくない。暴動を起こさない限り放置しておこう」
「分かりました」
一千人の前に置かれた壇上にさくらが立った。
この作業員を兵として鍛える為に、俺は初代黒鍬衆十人と指揮者としてさくらを選出した。
最初は楓の予定だったが、千代女が否定した。
楓なら細かい指導ができるとさくらが絶賛した。
義兄上中根-忠貞に負けないくらい、完璧な指導をしてくれる。
そう千代女は言い切った。
しかし、ある程度整うと元黒鍬衆の十人に放り投げてさぼるだろうとも。
俺も同意した。
三ヶ月もあれば、千代女が監視に赴き、楓の尻を叩くから問題ない。
今回は二十日のみだった。
一切の手抜きができないので、さくらを選んだ。
熱血のさくらだ。
俺が考えた工程表にそって寝る間を削っても鍛えてくれる。
「諸君。自らの弱さを実感できましたか。まだ、納得できない者がいるならば一歩前に出て下さい」
一千人は直立したままで立っていた。
三日前に選抜された一千人が宿営地にやってきた。
出迎えたさくらは模擬戦を開始した。
一千人は百人一組の班を作り、武器は槍のような棒と盾のみの対抗戦である。
敵味方を区別するために紅白の襷を巻く。
弓や投擲武器はなし。
互いの大将が背負う紅白の旗を倒した者が勝者という単純な騎馬戦だ。
二日目と三日目は忠貞義兄上が率いた黒鍬衆百人と模擬戦を行った。
百対三百のハンディー戦だ。
もしも勝てたならば、一勝ごとに全員に十貫文のボーナス。
指揮者には十貫文を上乗せする。
加えて、那古野の募集に百人長への推薦状を与える。
午前中に十戦、昼から二十戦と合計三十戦をした。
長期戦になれば、黒鍬衆も体力的にキツいだろう……と思っていた。
結果から言えば、練習にならなかった。
一対一の技量ならば、黒鍬衆を上回る者もいただろう。
しかし、指揮者に従って動ける兵がいなかった。
黒鍬衆の者らは食事を豪快に食べ、風呂に入って、今日は楽だったと喜ぶ。
それを遠目で一千人が眺めた。
自分の体重と同じ荷物を背負って百キロ走で鍛えている黒鍬衆はスタミナお化けだ。
一千人の心を折った。
「誰もいませんね。当然です。其方等は昨日、一昨日と負けました。しかし、私が勝てるようにしてやりましょう。何故なれば、魯坊丸様より知恵を授かったからです。黒鍬衆も魯坊丸様から知恵を授かって強くなりました。私を信じなさい」
さくらの声に一千人が「うおぅ」と答えた。
「判りました。其方等を強くしましょう。ですが、“おう”ではなりません。これからは“いえす・さ~”です。意味は私も知りません。これは天竺の言葉です。強くなる為に呪文です。其方らが答えることができる言葉は“いえす・さ~”のみです。反論は許しません。嫌な者はここを去って下さい。推薦状がなくとも那古野の公募は受け付けてくれます。しかし、信長様が求めるのは黒鍬衆のような兵です。それにボロ負けした者を召し抱えてくれないでしょう。しかし、私に従えば、強くしてあげましょう。やりますか」
「いえ・す・さ」
「違います。“いえす・さ~”です」
「いえ・す・さ」
「違う。もう一度」
掛け声だけで何度もやり直させた。
忠貞義兄上がやる技法であり、忠貞義兄上からさくらもそのレクチャーを受けた。
できるまで繰り返すのが軍隊式だ。
「では、協力者を紹介しよう。こちらは初代黒鍬衆の十人です。其方らを指導して下さります。そして、その後ろに控えているのは、見習いの黒鍬衆予備兵です。若造ですが、一年間を掛けて基礎を学びました。二年掛けて身体を鍛え、技法も学び、次の黒鍬衆になる予定です。まず、この若造を越えねば、先はありません。判りましたか」
「いえす・さ~」
「まず、行進の手本を見せて下さい」
黒鍬衆見習いが一千人の前で行進を披露した。
まず、これを習得する。
歩くだけだ。然れど、百人が一糸乱れず歩くのは難しい。
最初は百人ずつ歩かせた。
どの組もできない。
十組が一列に並び、広場の右端から左端まで行進を繰り返す。
さくらの声で歩き出し、さくらの声で止まった。
黒鍬衆と助手の見習いが横から間違えた箇所を大声で指摘する。
足音だけは鳴り響いた。
そして、一刻が過ぎたところで給水タイムだ。
さくらが壇上から下り、一人一人に罵倒を飛ばした。
最初に心を折るのだ。
しかし、いい年の大人が小娘に罵倒されて気分がよいわけもない。
腹を立てた一人がさくらに襲いかかり、片手でいなされて尻に敷かれた。
考えるのは苦手だが、単純な武力にはめっぽう強い。
剣豪でなければ勝てない。
いつも剣豪に超が付く連中、加藤とその仲間達の相手をしている。
倒されても挑み続けるのは、千代女とさくらだけだ。
さくらを襲ったのは剣豪未満、未満だから作業所で機会を待てと勧められた。
その程度の相手がさくらに敵う訳もなかった。
刀を握ればもう少し長い攻防があったかもしれないが、結果は変わらないだろう。
「何のつもりです。私の椅子になりたかったのですか。休憩は私を襲う時間ではないのです。しかし、私も暇です。行進を終えて力が余っているならば相手をしてやりましょう。ですから、相手は後にしましょう。では、再開です」
そう言って立ち上がると、さくらは大声で言った。
「皆さん、昼までにできないと昼にありつけませんよ。行進ができるまで終わりません。日が暮れてもできなければ、日が昇るまで続けます。全員が終わるまで食事は出ません」
「そんな」
「返事は“いえす・さ~”のみです」
「いえす・さ~」
「さぁ、再開です。歩け」
張り切っているさくらを残し、俺は千代女と熱田神宮へ向かった。
午前はお休みをもらったが、昼から面接が詰まっていた。
夕方から会合もあった。




