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魯坊丸日記 ~魯坊人外伝 第三章「魯坊丸の日記は母上の楽しみ」~  作者: 牛一・冬星明


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12.赤塚の戦い(2)

 天文二十一年四月十八日。

 やってしまった。

 俺の馬鹿!

 その日は昼過ぎまで寝過ごした。

 全部、信長兄ぃが悪いのだ。


 赤塚の戦いは引き分けで終わった。

 鎌倉街道から赤塚山へ登ってくる敵を待ち構えて地の利を取った。

 しかし、二千人に対して八百人では数が足りない。

 中央と左翼はしばらく拮抗を保ったが、次第に押された。

 熱田勢は右翼を任された。

 こちらからは討って出ず、山口の左翼を引き付けて受け止めた。

 黒鍬衆の大盾が敵を食い止め、遊撃が回り込んで側方を付けば、敵が崩れ出した。

 大宮司の千秋季忠が飛び出して追撃を掛けた。

 中根と八代の兵は後ろから弓を射って援護射撃に徹し、黒鍬衆は中央の信長兄ぃの様子を窺った。

 信長兄ぃの中央が崩れるならば、火焔瓶のような油の壷を放り込む準備を整えていた。

 しかし、山口勢は左翼が崩れると、中央も下がった。

 信長兄ぃは追い討ちを掛けたが、追い詰めるに至らなかった。

 夕方には、人質を交換して引き上げた。



 信長兄ぃは勝ち切れなかった原因を黒鍬衆の怠慢と決めた。

 養父の中根-忠良と黒鍬衆の頭を問い詰めた。

 問い詰められれば、“俺が『命を大事に』、『負けない戦いに徹しろ』と命じた”と答えよと命じた。

 俺も那古野に呼び出される覚悟があった。

 だがしかし、信長兄ぃはその日の内に中根南城に乗り込んできた。

 詰問は厳しい言葉から始まり、信長兄ぃは怒鳴り声を上げて刀を抜いて斬り掛かった。

 だが、殺気のない脅しだ。

 普段から死にそうな訓練をさせられているので動じなかった。

 怯えない俺を見て態度を改めた。

 親父は信長兄ぃに俺が家督を継がせないというようなことを言っていたそうだ。

 冗談と思っていた信長兄ぃは俺の評価をくるりと変えた。

 気性が荒いというか、身の変わり目が激しい。

 変わり過ぎだ。

 

 信長兄ぃは人の話を聞くと理解していたが、納得できないことは納得できるまで聞き返すとは知らなかった。

 質問責めにうんざりだ。

 孫子の兵法の解釈論にはじまり、現代経済理論の説明とか、一日で無理だ。

 千代女らは一年掛けて覚えた理論を一日で説明とか。

 夕食とも夜食とも言えないおにぎりを食べながら休憩なしで説明を続けさせられた。

 体力はともかく気力が続かない。

 就寝時間になると眠気が襲い、俺は眠気と戦った。

 何度、眠り出して信長兄ぃに叩かれたか。

 起床時間まで説明が続き、朦朧とする俺は切れて信長兄ぃを罵倒して、思っていたことをすべてぶちまけていた。

 昼過ぎに起きた俺は、罵倒した内容を千代女に聞いて、ムンクの叫びをした。


“イッツ オーバー”〔もう終わりだ〕


 対今川の対策をバラしてどうする?

 新しいモノ好きの信長兄ぃに常備兵と今川対策を半ば明かしてしまった。

 覆水盆に返らず。

 もう信長兄ぃを誤魔化せない。

 俺は頭を抱えた。


「若様。どうされました」

「自分の馬鹿さ加減を悔いている」

「時間を稼ぎたいのであれば、信長様が若様の条件を満たすのを遅らせることはできます」

「駄目だ。賽は投げられた」

「では、私はどのように動きましょう」

「信長兄ぃとの関係を修復し、信頼を勝ち取るしかない」

「その割に顔色が悪いように見受けられます」

「悪いわ」


 最長八年は今川家との決戦を先送りにしたかった。

 五年では海軍の設立が間に合わず厳しい。

 だが、信長兄ぃに常備兵を与えれば、すぐに尾張を統一してしまう。

 史実と比べて、四年は短縮されてしまう。

 八年後の永禄三年に起こる『桶狭間の戦い』が消滅する。

 そもそも八年も今川義元を誤魔化せるとは考えていなかったけど……さらに縮まる。


「信長様に策を教えるのを遅らせるのはどうでしょうか」

「もっと拙いと思う」

「駄目ですか」

「信長兄ぃが勝手に常備兵を徴集する。育てた作業員を取られる。一番まずいのは技術者が徴集を避けて逃げ出した場合だ。技術が他国に漏れるのは想定済みだが、技術者が他国に逃げるのが最悪だ。織田家の発展が遅れ、他国の成長が早まる。立場が逆転すれば、構想がすべて崩れる」

「それは拙いですね」

「だろ。ワザと遅延して信頼を失えば、信長兄ぃの暴走がはじまる」

「あっ、すべてが繋がりました」


 千代女が何かを納得した。

 聞きたくない予感が背中を走り、「聞くな」、「知ってはいけない」と叫んでいるような気がした。

 だが、聞かない訳にいかない。


「何が繋がった」

「信光様です」

「信光叔父上?」

「信長様と信勝様の仲介は信光様しかおりません。しかし、信光様は守山へ籠もってしまいました。このままでは織田弾正忠家は崩壊します」

「言いたいことは分かった」


 信光叔父上は信長兄ぃ、信勝兄上、俺の三人で乗り切れと言っている。

 信長兄ぃを成長させろ。信勝兄上に限界を突きつけろ。

 一歩間違えば、信長兄ぃと信勝兄上が血で血を洗う骨肉の争いとなる。

 舵取りは信光叔父上の仕事だろう。


「若様は信光様が仕掛ける前に、自ら舵取り役に名乗りでた訳です」

「だから、判ったと言った。敢えて言うな」

「申し訳ございません」

「信長兄ぃが尾張を統一する兆しを見せれば、今川-義元は八年も待ってくれん。八年は無理でも、五年くらいは騙したかった」

「五年は無理ですか」

「せっかちな信長兄ぃが尾張統一を待ってくれると思うか」

「思いません」

「ならば、甲・相・駿(こうそうすん)の三国同盟が整い、後顧の憂いを排除した三年後にやってくるぞ」

「三年も待ってくれるのでしょうか」

「今までも尾張へ侵攻する機会は何度もあった。背後から襲われて駿河を奪われる覚悟があれば、熱田か、守山を取れた。少なくとも二年前の俺では対抗できる力を何も持っていなかった」

「安祥城を落とされた勢いで尾張に攻め込まれれば、対処できる策は限られておりました」

「竹千代の命など無視して、信広兄上の首を晒す。弔い合戦を挑む親父を下せば、尾張を取れた」

「今川義元にとっても大きな賭けとなります」

「あぁ、博打だ。岡崎松平勢には熱田まで攻め登って取り戻すと鼓舞し、他の三河勢の背中に槍を突いて、織田家と対峙させる。三河勢が寝返れば、今川が負け。寝返らなければ、数に押されて織田の負けだった。四分六で今川が勝っただろうな」

「若様は慌てませんでした」

「理性的な義元がそんな博打を打たないと確信していた」

「なるほど。義元の性格から武田家と北条家が裏切らないと確証を持てない間は全軍で尾張を攻められないのですね」

「俺はそう思っている。判っていても三年は短い」

「三年あれば、若様なら勝てます」

「負ける気はない。だが、兵の数は如何ともし難い。数を揃える為に烏合の衆を使えば、そこが弱点となる。使わねば、兵数が足りない」


 ふふふ、千代女が俺を見て笑った。

 天使のような満面の笑みを零して何が嬉しいのだ。

 俺はちょっと腹を立てた。


「何が可笑しい?」

「三年後を見据えて、悩む方は尾張では若様しかおりません。若様が悩む限り、織田家は安泰だと確信できました」

「笑う暇があるならば、一緒に考えて貰うぞ」

「全身全霊でお手伝いさせて頂きます」


 三年後、俺はまだ十歳(満九歳)。

 戦場に出るのは早過ぎ、皆を戦場に見送るしかできない。

 遠隔操作で今川義元に勝てるのか。

 あと三年で『桶狭間の戦い』を制した武将へと成長させられるのか。

 俺は不安しか募らなかった。

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