10.尾張伊賀衆の元締め
天文二十一年四月十六日。
沓掛城の近藤-景春が今川方へ寝返った。
昨日、我が城と同様に山口-教継の使者が沓掛城に入った。
景春は今川方へ寝返りを表明した。その条件として今川-義元直筆の領地安堵状やその他の条件を飲ませようと粘っていた。しかし、今川家臣葛山-長嘉 、岡部-元信、三浦-義就、飯尾-乗連、浅井-政敏らが兵五百人を引き連れて向かってきていると聞いて慌てて平伏した。
沓掛城の使用人として紛れ込ませた忍びの報告に書かれていた。
義元は追加の援軍を送る気はないらしい。
但し、状況によって出陣するので準備を怠るなと指示を飛ばしている。
各城は兵糧を買い集め、河原者は矢や鎧用の皮の注文で忙しくなっていると、三河や遠江に入れた尾張甲賀衆から次々と文が届いた。
読み上げた紅葉が呟いた。
「若様が考案の電信が整っていれば、三日前に山口-教継の謀反を知ることができましたね」
「無いものを強請っても仕方ない」
「しかし、あの“鉱石ラジオ”は素晴らしい品でした。これが普及すれば、遠くまで馬を走らせずとも言葉を伝えられます」
「小型の発電方法を確立しないと無理だな」
「磁石とコイルですね」
「設備を大きくすると持ち運びできない。銅線を細くし、もっと強力な磁石が手に入らないと厳しい」
「残念です」
紅葉がしおしおと呟いた。
その後ろで楓が廊下から手を振って俺を呼んでいた。
何か思って席を立ち、「どうした」と問うと別邸に来て欲しいそうだ。
千代女に声を掛けて移動した。
別邸では、お市、お栄、里の三人が縁日で見かけた“かたぬき”に挑戦していた。
型抜きは、砂糖にでんぷんとゼラチンを加えて作る板菓子である。
板に描いた絵を針で見事に彫り抜いたら景品が貰える。
三人が真剣な顔で挑戦していた。
横に白髪の老人が優しい顔で眺めていると……よく見れば、“元締め”の変装だ。
「この忙しい時期に暇なことをしているな」
「暇ではありません。ですが、偶に薬売りとして出掛けます。この姿ならば、どの屋敷に入っても怪しむ者がおりませんからな」
「依頼は増えたか」
「いいえ、あまり。大殿を除くと、大宮司様、熱田商人、津島商人くらいです」
「楓が呼んだということは俺に用事か」
元締めは「はい」と静かに答えた。
端的に言うならば、尾張伊賀衆の幹部らが親父の代わりに俺の指揮下で動きたいと要望している。それでは意味がない。
「楓様に千代女様との面談を申し込みましたが、千代女様の答えは決まっている。相談するならば、魯坊丸様の方がよいと勧められました」
「千代は俺の命令に忠実なだけだ」
「承知しております」
「信光叔父上では駄目か」
「信光様ならば問題ございません。今までも大殿の命で動いていたというより、信光様の命で動いておりました。しかし、その信光様は中継ぎを引き受けないようです」
「信長兄ぃか、信勝兄上になるだろうな。拙いか?」
「拙うございます」
元締めが葬儀の前にあった信光叔父上と信勝兄上の会談を話し始めた。
「信光叔父上。織田弾正忠家をまとめる叔父上の力で次の織田弾正忠家当主に推薦して下さい」
「何の話かと思ったら、そんな下らん話か」
「下らなくございません。今の儘では織田家が二つに割れてしまします」
「お前が信長に臣下の礼を取れば、二つに割れん」
「母上や家臣団が信長兄上では織田家が持たないと申しております。私が家督を継ぐべきだと言っております。信長兄上が“うつけ者”でなければ、このような事は申しません」
「ならば、儂を中継ぎに推薦すればよい。巧くすると、お前に家督が巡ってくるやも知れんぞ」
「もちろん、中継ぎに推薦することを考えておりますが回ってくる……とは?」
「言葉の儘だ。お前が相応しいと思えば、お前を次の当主に据える。他の者が相応しいならば、他の者にする」
「それでは推薦する意味がございません。推薦するからには、次は私と指名して下さい」
「できん。才のない者に織田弾正忠家を任せられん」
「私に才がないと言われるのですか」
「無いとは言っておらん。しかし、あるとも限らん。そう言っておる」
「判りました。この話はなかったことにして下さい。実力で家督を継ぎます」
「そうか励め」
信光叔父上はそう言った。
万松寺の葬儀が終えた日に末森で大召集が掛けられ、桃厳寺で七日供養を執り行うと宣言した。
喪主が信勝であった。
喪主とは遺族の代表であり、責任者である。
信長兄ぃを排除するならば、妻の土田御前が務めるのが最善であった。
忙しい信長兄ぃに代わって取り仕切りましたとなる。
しかし、弟の信勝兄上が喪主を務めるのは、織田弾正忠家の当主となるという宣言に近い。
家臣らがざわついた。
側近の津々木-蔵人が信長兄ぃが継いで織田家は安泰かと吠え、家老佐久間-盛重が同調した。
信光叔父上は「信長が頼りない。そう思うならば、儂に頼むのが筋であろう。信勝、下らんことをするな」と言って席を立った。
以後、信光叔父上は末森への登城を拒否している。
「元締め。信光叔父上は親父の命を……」
「未だに遂行されております」
「清須が釣れるまで、信長兄ぃと信勝兄上の対立を煽るつもりか」
「はい。宗順殿を通じて信光様に従っておりますが、信勝様は魯坊丸様に敵対する気でございます」
「何故?」
「家老の佐久間殿が中根家に奪われた権益を取り戻そうとされております」
「桜山の件か」
その桜山は佐久間家と中根家の境界であり、権利は二分されていた。
しかし、桜山には秘密の工房がたくさんある。
親父は織田弾正忠家の直轄地とし、俺に管理を任せた。
詫び料として年三百貫文が支払われている。
しかし、盛重はそれを根に持っており、“蝮土”の使用も断っていた。
また、山崎川の上流である佐久間領はやや不作が続き、下流の熱田領は豊作が続いている。
百姓の不満も盛重を怒らせているそうだ。
「俺の所為か?」
「逆恨みでございます。魯坊丸様に敵対する者に仕えたくないというのが幹部の総意でございます」
「信長兄ぃは」
「忍びを嫌う方と巧くやってゆける気がしません」
「皆の意見はわかった。だが、方針は変えん」
「何故ですか。皆、魯坊丸様の為に働きたいのです」
「十分に働いて貰っている」
「もっと我らを頼って頂きたいのです」
「十分に頼っておる。よいか、俺はいずれ他国にも“元締め”を置いて大名に売り込みたいと思っておる。他国の情報を堂々と集める。前にも言ったことがあるが、『情報を制する者が天下を制す』と思っておる」
「魯坊丸様が天下を取る為ですか」
「だが、面倒な行事はやりたくない。天下なぞ天下人にくれてやる。見栄も外聞もいらん。実利のみでよい。俺は城でゴロゴロしながら天下人を操ってのんびり暮らしたい。その肝が忍びだ」
「我らですか」
「忍びは誰にも褒められず評されない。だが、情報を制した忍びが天下を牛耳る真の支配者となる。その為には、俺は意見の違う支配者に雇わせることも辞さない。俺に実害を出さぬならば、素直に雇われてくれと説得してくれんか」
「判りました。“魯坊丸様の天下の為に”と説得致します」
とりあえず、元締めが納得してくれた。
因みに、『天下』とは支配地を指す。
尾張国ならば尾張のみ、美濃国なら美濃のみだ。
天下人は畿内の支配という意味だ。
畿内は京に近い、山城、大和、河内、和泉、攝津を差す。
これが『全国』という意味になるのは、豊臣-秀吉以降となる。




