エピローグ そして宿屋の跡取り息子クレトの日常
「いらっしゃい! 二人かい? カウンターで良ければ空いているぜ。」
俺は客を空いている席に案内すると注文を取る。
カウンターには番号がふられてあって、俺は手元のメモに番号と注文を書き込んだ。
ちなみにウチも昔はメモを取らずに注文を取っていた。これもマリーに言われて始めた事だ。
父さん達も最初は「何でそんなことをするんだ? 面倒なだけだろう。」と渋っていたし、実は俺も内心そう思っていた。
でも、俺はマリーの言う事には何か意味があると知っていたから、取り合えず試してみる事にしたのだ。
ーー父さんは最後までブツブツ言っていたけどな。
でも、実際に注文を取るのは俺だ。それにせっかく覚えた文字を使ってもみたかった。
そんなふうに俺が自主的にやっている事を、「やるな」と口出しするわけにもいかなかったんだろう。
父さんも最後は渋々折れた形となった。
実際に今のように宿屋が繁盛するようになると、宿の客と村の客とで食堂はいつもごった返すようになった。
料理や酒を追加で注文してくる客も大勢いる。
メモを取るようになっていなかったら会計の時に大変な事になっていただろう。
特に行商人は商売が下手くそな相手をなめてかかってくるからな。
行商人の間で「あの宿屋は勘定がザルだ」なんて噂が立っていたら今頃容赦なく足元を見られていたに違いない。
マリーの先見の明には、本当にいつも助けられているよ。
「なあクレト、前々から気になっていたんだが天井から吊られたこのリボンは何なんだい? 所々に粒々模様が付いているのだが、どのリボンも違う模様でなかなか趣があるね。良く見れば粒の大きさも違っているようだし一体何のーーキャアアアア!」
「あ! 馬鹿! 何触ってんだ! 母さん、レオフィーナの手から”ハエ取り紙”を取ってやってくれ。」
「取って! 取って! ひいいいいい!」
手にくっついたリボンーーハエ取り紙にパニックになるレオフィーナ。
コイツ、好奇心旺盛なのはいいが、たまにこういうトラブルを引き起こすのが面倒なんだよな。
手に付いたハエ取り紙を母さんに取ってもらい、半ベソをかくレオフィーナ。
まだべたつくのか、しきりにハンカチで手を拭いている。
「なんておぞましい・・・。あの粒々が全部ハエだったなんて。思い出しても身震いがする。そもそも何でハエの死骸なんて飾っているんだよ。君達の正気を疑うよ。」
「人聞きの悪い事を言うな。ハエを飾る食堂なんてあってたまるか。あれは勝手に引っ付いたヤツなんだよ。ハエ取り紙っていうのはそういうものなんだ。」
ハエ取り紙もマリーのアイデアだ。
今ではウチに食べに来た客から村中に広まっている。
ちなみにハエ取り”紙”と言っているが、紙ではなく実際は動物の腸を干したモノにとりもちを塗って使っている。紙は高価だからな。
手を顔に近付けてクンクンと匂いを嗅ぐレオフィーナ。
イヤな匂いがしたのか可愛い鼻にしわが寄る。
その様子を見たお客達が爆笑した。
「あっ! ハルマー! 見つけたわよ!」
お客に酒を運んでいたマリーだったが、突然叫ぶとジョッキを俺に押し付けて外へと走って行った。
おい、俺に渡されても困るんだが。
幸いお客が「こっちこっち!」と呼んでくれたので事なきを得たが。
「ようやく捕まえたわ! あんた何で逃げ回っていたのよ!」
「ニャーニャニャー(別に逃げ回っていないニャー。追いかけられたからつい本能的に逃げただけニャー。)」
「逃げているじゃないの!」
マリーがいつものように灰色猫のハルマーを抱いて戻ってきた。
色々あったせいか何だか久しぶりにコイツの姿を見た気がするな。
「おい、マリー。動物を食堂に入れるな。後その服は着替えて来いよ。」
「待ってクレト! 僕もその子には聞きたい事があったんだよ!」
さっきまでへこんでいたレオフィーナだったが、急に目の色を変えてハルマーに飛びついた。
「ハルマー! 君にどうしても聞きたい事があったんだよ。”風の剣士カル”の事なんだがね。」
「そうそう、私もその事が聞きたかったのよ。」
むっ、カルメリタの話か?
俺はつい好奇心に負けて、彼女達の会話に耳をそばだてた。
「マリーの話では”風の剣士カル”も”気に・アイ”では男だったというじゃないか。どうしてカルメリタなんていう、その・・・美女になっているんだい?」
「ニャニャニャー(ああ、それニャー。確か小説内の描写では”女と見紛うばかりの美貌”とあったニャー。だから女神様が気を利かせてくれたんだニャー。)」
「どうせそんなオチだろうと思ってたわ! そして今後の展開も読めたわ! クレトの仲間は全員女でハーレムエンドになるんだろ?! 知ってたわ、クソが!」
荒ぶるマリーをジト目で睨むレオフィーナ。
・・・会話の内容は良く分からないが、いつの間にかレオフィーナまでハルマーと会話するようになっていたんだな。
俺は人知れずショックを受けた。
いずれ俺の周りの女は、みんな猫と話すようになってしまうのかもしれない。
「ニャゴニャゴニャー(女神様は「やっぱり男の子同士でキスするとか自然じゃないわ。だから修正しておいたの。」って言ってたニャー。)」
「そういう”誤字報告”は余計なお世話なんじゃー! そこは誤字じゃないから! 断固”報告の適用”を拒否する!」
「ちょ・・・ちょっと待ってくれたまえ! するとクレトはカルメリタとも・・・その・・・キス・・・するのかい?!」
「まあ原作では。」「ニャーゴ(するニャー。)」
ふらりと体が泳ぐレオフィーナ。
「き・・・君は悪魔か。何だってそんな恐ろしい話を書いたんだい。」
「私だってこんなんイヤじゃー! こんな事になると知ってれば最初から妹エンドになるように書いてるわーい!」
「ニャゴニャーゴ(それもどうかと思うニャー。)」
マリーに抱きかかえられたまま、ぶらぶらと体を揺らすハルマー。
「それよりも問題はクレトお兄ちゃんよね。レオの時は、まあ状況的に仕方なくどうしようもないからやむを得ず妹の私に言われたからホントはイヤだけど渋々キスしたけど「それは言い過ぎじゃないかね?」カルはどうなのかな?」
細い顎に拳をあてて考え込むレオフィーナ。
「マリーはあの場にいなかったから聞いていないけど、彼女の弟ーーカルロスが言うにはカルメリタ自身はクレトの事が気に入っているらしいんだよ。」
「なっ・・・! あの金髪高飛車女が?!」
マリーの背後に稲妻フラッシュとガーンという効果音が浮かぶ。
冷や汗を浮かべながらガクガクと震えるマリー。
「マズい・・・マズいわ。あのパイオツにはレオフィーナはともかく「”僕はともかく”とはどういう意味だい?」、私も現時点ではかなわないわ。それに何あの女、ツンデレ? ツンデレなの? 金髪でツンデレでボインって、お前それって狙いすぎじゃね?」
「・・・ツンデレの意味は分からないんだけど、だから何が”僕はともかく”なのさ。」
「ニャーゴ(自分の胸に聞いてみるニャー。)」
「上手いわハルマー。ゲラゲラゲラ。」
「君ね! 前々から思っていたけど、君は下品すぎるよ! ちょっと改めたまえ!」
ギャーギャーと騒ぐマリーとレオフィーナ。
俺は途中から話に付いて行けずに話半分に聞き流しながら家の手伝いに励んでいた。
そろそろマリーも着替えて俺を手伝ってくれないだろうか。
そんな事を考えながら手を動かしていると、いつの間にかマリー達は俺の背後に立っていた。
「おい、マリー。ハルマーを食堂に入れるなとーー」
「クレトお兄ちゃん。お兄ちゃんは私の事が好き?」
急に何を言いだすんだ?
「ああ。好きだがどうしたんだ? お前だって俺の事が好きだろう?」
にぱあっと緩んだ笑みを浮かべるマリー。
「じ・・・じゃじゃじゃあ、ぼぼ僕の事は好・・・どう思っているのかね?」
しどろもどろになりながら尋ねてくるレオフィーナ。
レオフィーナの事か? そりゃまあ・・・
「好きだが?」
真っ赤な顔になってだらしない笑みを浮かべるレオフィーナ。
この流れは何なんだ一体?
「あのね、それじゃ風の剣士カルはどう思っているの?」
今度はカルメリタの事か?
俺はカルメリタの金髪の美貌を思い浮かべる。
「最初はイヤなヤツだと思っていたが、今はどっちかと言えば好きかな。」
「「ええええ~っ!!」」
声を合わせて絶叫するマリーとレオフィーナ。
二人の大声に驚いてこっちを見るお客達。
おいおい本当にどうしたんだよ二人共。
「何でそうなるんだよ! マリーは妹だし、僕は・・・その・・・君とその・・・キス・・・までしたから分かるよ。でもどうしてその僕達とカルメリタが同じ”好き”なんだよ!」
「そうだよそうだよ! クレトお兄ちゃんの浮気者!」
いや、マリーは目に涙を浮かべるまでの事か?
「二人共落ち着け。何でそんなに怒っているんだ?」
「気が付かない?! 本当に?! 自分で言うのも何だけど僕の気持ちはかなり分かりやすいと思うよ?!」
「ああっ! やっぱり駆け引きを打ってやがったな! 汚ねー女だよ、このカマトトが!」
「そんな訳ないだろう! 君はどっちの味方だよ?!」
「駆け引きって何の事だよ。それよりもう仕事に戻っていいか?」
俺の言葉にポカンとする二人。
「え~と。本当に君、何も気が付いていないの?」
「だから何の事だ?」
そもそも、女の良く分からない言葉をいちいち気にしていたら、とてもじゃないがマリーの兄貴をやっていられない。
そういう意味では、俺は昔からマリーのおかげで女の良く分からない言葉をスルーする術を身に着けていると言えるな。
俺の説明に「信じられない」と言いたげな表情を浮かべたままガクリと膝をつく二人。
マリーの拘束から逃れたハルマーが尻尾を立てて外に去って行った。
「まさか日頃の私の言動がクレトお兄ちゃんを難聴系鈍感主人公に鍛え上げていたなんて・・・ ラノベの主人公を読んで『こんなヤツ現実には絶対にいないわー、プークスクス』って思っていたキャラを、図らずも自らの手で育て上げてしまっていたとは・・・。ぐぬぬっ。こんな化け物相手にどう立ち向かえばいいのだ私は。」
「難聴系鈍感主人公が何を意味するのかは分からないけど・・・君のせいだということだけは凄く良く分かったよ。本当に何て事をしてくれたんだ君は。」
難聴・・・何だって? 流石に悪く言われている事くらいは俺にだって分かるぞ。
「それにしたってファーストキスの相手にくらい特別な感情を抱いてくれたっていいだろうに・・・」
「まだそれを言うか。あんなのはノーカンだノーカン。人命救助の人工呼吸みたいなもんだろうが。人工呼吸はキスにはカウントされませーん。」
「前もレオフィーナはファーストキスって言っていたが、お前の方は知らんが俺はキスしたことくらいあるぞ。」
「「は?」」
目を丸くして驚く二人。
そんなに驚くような事か? 俺ももう16歳だぞ。
「ああっ!! くそっ! あのビッチめやりやがったな!」
「ちょ、マリー、ビッチって・・・ あっ! ひょっとしてまさか?!」
ビッチが誰の事かは分からないが、俺のファーストキスの相手は雑貨屋のベアトリスだ。
一年前に「クレトも私もこれで15歳、大人の男女はキスくらいするものよ。」と言われてキスしたのだ。
「やってくれたなあのビッチ! マジでクレトお兄ちゃんを中古物件にしやがった! 恐れていた事がよもや現実になるとは! こんな事が無いように、いつもいつも目を光らせていたというのにいつの間に・・・ていうか、オリキャラの分際で出しゃばって来るんじゃねえよクソがああああ!!」
その場に跪き悔しそうに床をベシベシと叩くマリー。
何故だ? 理由は分からないが俺にはマリーの目から血の涙が流れているように見える。
「ちょっとクレト! どういうつもりだい! 君がそんなふしだらな男だったなんて知らなかったよ! 僕のファーストキスを返しておくれよ!」
「ちょ、馬鹿お前、大声で何言ってるんだよ!」
レオフィーナの発言にお客の間からどよめきが上がる。
鼻息の荒くなるおばちゃん連中。・・・とウチの母さん。
だが、当のレオフィーナは必死になっているあまり周囲の状況が全く目に入らないみたいだ。
「あの時君が僕の唇を「アーアーアーッ! いいから落ち着けよレオフィーナ! 何がどうして「これが落ち着いていられるかーっ! なんで妹の私だけ除け者なんじゃー! 私ともキスしろーっ!「ききき君は妹ともキスをするのかね?! 見境が無いにも程があるだろう、このケダモノ!「何でそうなるんだよ! そもそも兄妹でキスなんて出来るか! ほら、もう離れろマリー「イヤじゃー! キスするまで離れないんじゃー!」
レオフィーナに胸倉を掴まれ、マリーにしがみ付かれ、俺はすっかり困り果ててしまった。
誰か助けてくれ。
周囲の客達はそんな俺達を無責任にはやし立てる。
食堂の外では大きな灰色猫が、大きな欠伸をした。
ハルマーは俺に「まあ頑張れ」とでも言いたげな一瞥をくれると何処ともなく立ち去るのだった。




