13. 世界が組み替わった、後悔はまた今度にする
トウヤはストス家であてがわれた部屋、そのベッドの上に寝転がっていた。ベッドの傍らには伝説の剣バンブルーシュが抜き身のまま立てかけられていたが、トウヤもリゼも一言も口にする事はない。
奇妙な沈黙だ。
トウヤは考え事をしている。
それは壮大で漠然とした世界の事だったり、矮小で取るに足らない周囲の事だったり、どうしようにも定義できない大義や正義の事だったりした。
要するに、自分の中で自らの失敗を整理しながら、一人の騎士を死なせてしまった事に折り合いをつけるため、トウヤは黙って戦っていた。
自分へ言い訳しようと、保身と合理化に走ろうとする卑小な自分を、必死で押しとどめながら。
一方でリゼも平常運転ではなかった。
それはトウヤのような思想的な問題ではなく、単純な事実としてトウヤが獅子奮迅の戦いを見せたからだった。その雄姿は先代の勇者には劣ると彼自身考えているのだが、今後の伸びしろや追い詰められた際の爆発力を検討し、洒落にもならない状況にあると考えていた。
(これが神威召喚の影響ならばまだよし。万が一、無意識に俺の魔法やバンブルーシュの第三位階の影響を受けているのだとすれば……だが、俺の方はきちんと回路が閉じているし、バンブルーシュは第二位階の自動再生までしかトウヤに対して解放されていないはず)
リゼにもリゼなりに思うところがあるらしく、二人の重苦しい思惑にからめとられたかのように部屋の空気は金属のように硬質で、冷たい。
「トウヤさん、入ってもいいでしょうか?」
そんな状態の部屋の外、扉の向こうから響いた声はまさしく金属が震えるかのような凛とした声で、透き通った響きだった。
「ステラか。少し待ってくれ」
トウヤは起き上がると髪と服の乱れを軽く正してから、扉を開けた。
「すまない、少しうとうとしていてな。待たせてしまったか」
「いいえいいえ! むしろここ数日間断章世界系を探索してそのくらいの疲労で済むなんて、すごいと思います!」
ステラは少しだけ焦って恥ずかしげに答えた。
実際、ステラはずっとトウヤ達と共に探索に参加していたわけではなく。時折早引きしたり中抜けしたり、途中から来たりしていた。これは学園での授業の関係もある事ながら、それ以上に彼女の疲労回復に配慮したためであった。
もっとも、これは真心ある配慮ではなく、彼女の怪我や死亡に対するリスク軽減のための冷静な処置でしかないのだが。
「立たせたままというのも悪い。中に入るか?」
「は、はい」
この時、相変わらず天井裏にスタンバってる誰かさんは今にも飛び出さんばかりだったが、同僚が取り押さえ云々(うんぬん)――というくだりはおそらく前回に近似するので省略する。
端的に言って、今回はたんこぶ三つだった。
それはさながら勲章云々。
「それでどうかしたのか?」
「い、いえ。その……」
ステラが言葉を濁し視線を伏せたのを見て、さすがのトウヤも女騎士の一件についてだと察し、おもむろに窓の外に目を向けた。
「なあ、ステラ。人間の死に意味があると思うか?」
「……分かりません」
トウヤの難解な問いかけにも、ステラは素直に答える。
「では、人間の死に意味を見出そうとする事に、意味はあるか?」
「それは……あります。その意味を探している人は、亡くなった方の遺志をきっと、継ぐ事が出来るでしょうから。その人が見つけた答えが、その人の死んだ意味になりますから……意味はあります」
「では、言葉に力はあるか?」
トウヤは窓の外を眺めている。その背をステラ透き通った青い目で見上げて、沈黙でもって続きを促す。
「言葉に力はない。もしそこに力を感じるとすれば、それを見聞きした誰かが身勝手に、生きる糧にしているだけだ。
それは例えるなら、小説家と読者との距離の本質のようなものだ。自分の中にある記憶、経験、思想や信条と見比べて、自分勝手に納得しているだけなんだ。書き手も、読み手も。
納得するために、死者を弄んでいるんだよ、それは……俺は……」
「そんな、ことは――」
「俺も一度、そういう事をした事があった」
言下、トウヤの遮るような言葉にステラは咄嗟につぶやいていた。
「妹さんの事ですか?」
「ああ、そうだ」
トウヤは振り返らない。ただ、声が少し、震えているようにも聞こえる。
「俺は目の前で死んだ妹の、死んだ意味を俺は見つけようとして、見つけてしまった」
「…………それで、どうなったんですか?」
「どうにもならなくなった、のだろう、な」
トウヤはそれっぽく肩をすくめた。しかし、ステラにはその後ろ姿がどういう訳だか、まるで枯れ木が風で傾いだかのように頼りなく思えた。
「そして今、俺はあの女騎士の死に対してどう償えばいいか、どう向き合えばいいかを考えている。率直に言って、償う方法はない。俺は罪に向き合うと言いつつ自分を罰して欲しいだけに思えてしまって、どうにも結論が出ないんだ。
彼女にとって死は世界の終りに等しいし、彼女の周囲にとっては数字では表せず、損得では計れず、自然というには不自然な、事故で。事件だ」
「し、しかしあれはトウヤさんだけの責任ではありません。彼女は責任感の強い方だと聞いていますし、レオンさんの役に立ちたいと日ごろから明言していたようです。おそらく、彼女はどういう状況であれ最後まで避難などしなかったでしょう。起こるべくして起こった事故です。彼女は少し、背負い過ぎたんでしょう」
「背負い過ぎた、か」
トウヤはようやく振り向くと、一歩、二歩とステラに歩み寄った。
(え、えええ!? わわわっあわわぁ……!!?)
ステラは半歩だけ下がって、固まった。
トウヤとの距離は既に、一歩もない。
トウヤが望み、ステラが拒まなければ、抱き合う事すら出来てしまうような距離だった。
「なあステラ」
「は、は、い。はい! なんでしょうか!!?」
トウヤは真っ赤になったステラの頬に右手を差し伸べた。意外に大きい手のひらが、彼女の髪先に触れた。そのままトウヤは自然に微笑を浮かべると、そのままステラの頭をなでた。
そうしていつの間にか、二人の距離は段々、段々と近づいて行って―
――強烈なデコピンがステラの額を襲った。
「ッ!? !?? ???」
「人の事を言えるほど、ステラも自然体でいるようには見えないが」
「だ、だだだ、だからって今の流れで、本気のデコピンは酷いです!」
涙目でじと目でステラは訴えた。それ以外に上目づかいというアレな属性も付与されていたが、トウヤはすげなく答えた。
「本気ではない」
「本当に痛かったんですよ!?」
「大丈夫だ、『限界突破』を使っていない」
「加減の基準が生死に直結してますっ!?」
このあたりで天井裏のエマが三度目の特攻を敢行した。ただし、直前に同僚に叩き伏せられたので、二人は知る由もなかったが。
相変わらず、ぶれないエマである。
「ところで、話はそれだけなのか?」
「あ、いいえ。もしよろしければ、一緒に少し外に出てみませんか」
「何かあるのか?」
「今日は十の日ですから、もうすぐ断章世界系が組み替わります」
ステラはそう言うとトウヤの手を取ろうかどうか迷った。迷って、結局はトウヤの袖口をつまんで、部屋の外へと引っ張る事にした。
「行きましょう!」
意外に強引なステラの行動にトウヤは反論を封殺されて、よろめきながらも屋上へとついて行く。それは恥ずかしさからくる突発的な勢いにすぎないのだが、トウヤはそんな事には気づかずに引きずられるようにして廊下を走った。
そして階段を上った先、扉を抜けた向こう。
青空でも夜空でもない、いびつな星空が広がっていた。
「おお、いらっしゃいましたか」
その空の下、一人の男性が扉の開いた音を聞きつけて振り向いた。
意外な先客は、目にも鮮やかなオレンジ色の髪をした騎士団隊長、レオンだった。世界の断片の薄明かりに照らされた彼の表情は、いつも通りに朗らかだった。
トウヤはその笑顔に一瞬尻込みした。
悪意ではなく善意に気後れしたのだ。
トウヤはてっきり、レオン達騎士団に責められるのだと思っていた。
トウヤに責任はないとはいえ、自分がいなければ騎士団がフルウルフに遭遇する事はなかったし、逆恨みに近くとも同僚が死ぬ遠因を作ったのだから、割り切れるものではないと思っていた。
だから思わず、トウヤは口を開いていた。
「あの騎士の事は心の底からお悔やみ申し上げる。俺がやって来なければ、死ななかったはずだったのだ。責任は俺にある」
「いいえ、責任は自分にあります」
レオンは頭を下げようとするトウヤへ言下に返答し、機先を制すると、苦々しく笑った。
「自分は配下の兵士を死なせたばかりか護衛対象の心の平静すら護れていない。ここまで無能な騎士が今までにいたでしょうか」
「自分を無能だと言う奴は大体、それなりに有能なものだ」
トウヤはレオンの感情の機微を察し、お茶を濁すようにそう答えた。
今のレオンに漂う溌剌とした雰囲気の空っぽさは、空元気というよりも、喪失感と寂しさ由来する無理やりの論理武装によるものに思える。
その姿は当然のように、悶々と悩んでいたトウヤ自身と二重写しに、あるいは合わせ鏡のように見えたのだ。
「しかし、自分がもっと強ければ……」
「誰もがそう思うよ」
トウヤは遠い目をした。その瞳にいびつな夜空は移らず、確かに青い大空が広がっていた。
「俺がしっかりしていたら、俺があんなことをしなければ、俺が気づいてやれれば。俺が俺が俺が……そう思ってしまうものだ。しかし、彼女は彼女として生きていたんだ。誰の指図も受けずに彼女なりに生きていた。その意味を、俺やレオンが問う事に意味はない、のかもしれない」
「はい」
レオンはこの時初めて、表情と感情が一致したようにトウヤには思われた。真剣で真摯で必死で、泣きそうだ。
「だがな」
トウヤはレオンに歩み寄り、拳を握ると、そっと彼の胸につきつけた。
「少なくともお前のお陰で、今の俺は救われた」
トウヤはそう言うと、ステラとともにその場から離れた。ステラが何を見せたいのかはトウヤには分からなかったが、屋敷と言って相違ない建物の屋上は広く、背後からの音が聞こえない程度には離れる事が出来るだろう。
「それで、ステラはここで何か用があるのか?」
空気を切り替えるために、トウヤはそう尋ねた。二人の足は未だ歩みを進めている。
「はい、断章世界系が組み替わる様子を、見ていただこうと思いまして」
ステラはそう言いながらギルドカードを確認しているようだった。時計機能も搭載しているそれは、もはや日本の電子機器にすら近い。が、仕組みはファンタジー処理されているらしく、トウヤが説明を聞いても理解できなかった。
「わわっ、あと五秒後です! 空を見て下さい空を!!」
ステラの焦った声音を聞いて、トウヤは思わず空を見上げた。
突如、星空が揺れる。
それどころか、トウヤ自身、足元が揺らぎ空気が震えるかのような振動を感じて、思わず膝をついていた。
(なんだ……これ!?)
脳震盪を起こしたように意識が揺れ、体がぐらつき視界が揺らめく。かすみそうな意識の中、脳内にぼんやりと浮かぶのは蜃気楼のような走馬灯。
トウヤがこのアステリカに召喚されてからの記憶が、想起されるというには強烈に彼の脳内を駆け巡った。
(終わったのか……?)
トウヤは頭を二三度振ってから、夜空を見上げた。
確かにここ数日見上げていた空とは幾分か違う気がする。万が一、気がつかないうちに世界が組み替わった時に察知できるよう、トウヤはいくつかの断章世界の視覚的な配置を覚えていたが、そこからも世界が組み替わったのだと判断出来た。
ここまで明らかに体感できる変化だと知っていれば、そのように備えたりはしなかっただろうが。
「だ、大丈夫ですか!?」
「ああ、なんとかな」
トウヤはステラの方を借りて立ち上がると、ゆっくりとため息をついた。
「すごいものだな。慣れるまで時間がかかりそうだ」
「ええと、トウヤさんは断章世界系が組み替わる時に何か感じられるのですか?」
「ああ、すごい立ちくらみというか、めまいがしたが? そういうものではないのか?」
「はい、単純に空に浮かんだ世界が組み替わって見えるだけで、体には何も影響がないはずなのです。 ……人によっては世界が組み替わる際に違和感を感じると聞きますが、倒れるほどの人がいるとは聞いた事がありません」
「ふん……特異体質と言ったところか」
トウヤは未だぼんやりとするのでしばらくステラの肩を借りようかとすら思ったが、どういう訳だか背後から強烈な殺気を感じ振り返った。
既に背筋はピンと張っていて、先程までのふらつきをみじんも感じさせない。
「何を……なさっているんですか?」
現れたのはエマだった。その手には刃渡り一メートル近いバンブルーシュが握られており、仲間であるはずのトウヤの背筋がざわめく程に、様になった挙措だった。
「ちょっ、ちょっと待て! どうしてエマがそれを持っている!?」
「トウヤ様にお届けしようかと」
「ならば正眼に構えるな!!」
トウヤは引き気味に突っ込むと、エマからバンブルーシュを強引に奪いとった。念のためとはいえ、『限界突破』を発動していた事は秘密である。
「冗談はさておきまして、ステラ様、これを」
エマは普段の物静かな挙措に戻ったかと思うと、ステラに何かを渡した。
「ようやく出来たのですね」
ステラはそれを恭しく両手で受け取るとトウヤの方を向いた。
それは、鞘だった。
白っぽい革で作られたそれは、トウヤがバンブルーシュを引き抜いた後、ステラに頼んでいたものだ。
流石に抜き身のまま刃物を携帯しようと思うほど、トウヤは常識外れではなかった。
今宵のバンブルーシュは血に飢えて云々というタイプの病気でもないのであるし。
「トウヤさん、どうぞ」
トウヤは言われるがままにバンブルーシュを鞘に収めた。金具がついていたので試しにそれを学ランのベルトにつけてみると、上手く固定されて違和感も少なかった。
「やはり体の重心が傾くのが気にかかるが、想像以上の出来だ」
「それはよかったです」
ステラは本当にうれしげに微笑むと、急に真面目腐った顔になった。
それは決意したようにも悲しんでいるようにも見えたが、トウヤはその機微を量れる程に出来た人間ではなかった。
そして、ふわりと、彼女の長い黒髪が動いた。
「トウヤ、貴方に問います。貴方はこの世界で何をなすつもりですか?」
ステラはトウヤにバンブルーシュを突きつけていた。眼前に切っ先が揺れる。全く認識が追いついていなかった。
トウヤが気を抜いていたわけではない。むしろ、ステラの挙措をよく見ていたが故に、動けず認識が出来なかった。
ステラの声が、青い目が、とても冷たく見えたから。
けれどそこに害意や殺意が事はトウヤにも分かった。
何が正解か分らないが、こういう際の主人公思考と、半秒と待たず思っている事を真摯に答えようと決断する
「そんなの、決まっている。可能な限り盛大に、思いつくだけ莫大に、信じられないほど壮大に、」
トウヤはこんな時でも、こんな時だからこそ不敵に笑った。
「この世界で俺がやりたい事をやり通す!!」
それはとても拍子抜けで。
答えとも言えない答えで、トウヤはどこでも朧ヶ埼刀夜であるという表明で、だからこそ信憑性があって、爽快さしか残らなかった。
まるでどこまでも吹きぬけていく、風のような答えだ。
思わずステラはいつものような笑みを浮かべてしまう。
「そうですか、では、トウヤ、オボロガサキ……」
笑みを引き締めてよく分からない行為を続けようとするステラに、トウヤは思わず忠告した。
「あの、ステラ。何をしたいのか分らないが、先にバンブルーシュを下ろした方がいいと思うぞ」
「怖かったり、するんですか?」
「いや、なんというか……」
「何か言いたい、のなら、はっきり、言って、下さい!」
「そこまで言うのならば、端的に答えるが、」
トウヤは言いにくそうに視線をそらすと、
「先ほどからバンブルーシュの切っ先がプルプルしている……」
「…………」
フラグメント引きこもり予備軍持ちのステラはとても非力だった。
「うぅ、こういう事くらいはしっかりやろうと思ったんですけどね」
ステラは一旦バンブルーシュの切っ先を地面につけて、息を整えて、深呼吸をして、肩の力を抜いて、やっぱり一旦地面にバンブルーシュを投げ出して、微妙に腕のストレッチをして――
ようやく再びバンブルーシュを持ち上げた。
色々とアレな工程を踏んでしまったために間抜けさも甚だしいが、ステラがなかった事にしたいようなので、トウヤもエマも空気を読む事にした。
「ちょっとしたおまじないです」
そして、バンブルーシュの切っ先をトウヤの心臓に向け、止めた。
(旧式の騎士任命の儀式ですか……アドラー様にならばともかく、他の貴族に知れればややこしい事になるというのにステラ様は)
心臓の次に右肩、そして左肩に剣先を向けるとステラはいくつかの定型文を呟く。
(仕方のないお方です)
不思議と不機嫌なようではないエマは、しかしほんの少しだけ邪魔をしてやろうと悪戯心が芽生え、笑みを浮かべた。トウヤならば背筋が凍りつきそうになるその表情のまま、彼女は糸を巧みに操り、バンブルーシュの柄を思い切り引き上げた。
必然、剣先は相対的に落ちる訳で。
「えええ、ええ!!?」
「うおっ!!?」
だが咄嗟に『限界突破』を発動したトウヤは事なきを得ていたのだった。
(やはり仕損じましたか)
今までになく焦るトウヤとおどおどするステラを見ながら、エマはどういう訳だか満ち足りた心境でため息をついていた。
ただ、この中で唯一リゼだけは、
(この鞘は美しくないな。いっその事、自動再生を転用して部品ごとにバラバラにしてやろうか……)
不服そうだったという。




