12. 迷ってしまった、後悔をしていない訳がない
あれから、トウヤはレベル上げに集中しながら自分のスキルについて考察を進めた。
そして分かったのは、戦闘中に一度でも『限界突破』を使うと、その戦闘で得られる経験値がゼロになるという、驚愕の事実であった。
現在繰り返しの戦闘と鍛錬を続けた結果、トウヤのレベルは着実に上昇し、今ではレベル12となった。ステータスも順調に上がっているが、一レベルごとに上がるステータスは各々1か2程度。ただし、体力は5から10上がっており、魔力は1から4だけ増える。
このため、能力値の上昇比率は『体力:魔力:その他=5:2:1』であると推定していいだろう。
これで何が分かるかと言うと、各々の能力ごとの比重を把握出来るのである。
例えば攻撃力や防御力に対して体力がどの程度重要な値になるのか、というのは非常に重要な事だ。
『体力:その他の能力値』が比率1:1の場合体力は砂金の山にも等しいが、10:1なら銀の小山、100:1なら砂鉄の堆積、1000:1にもなれば吹けば飛ぶような塵芥である。
値の重要性を計るには有用だが、ゲームでもやっているようで現実味がない。
また、確認した『限界突破』の効力をトウヤは、『毎秒魔力を2消費して、攻撃・防御・敏捷・器用のステータスを百倍にする』であると判断した。それは言いかえれば、『限定条件下で、攻撃・防御・敏捷・器用のステータスの成長速度が百倍になる』という事でもある。
このため、レベル1の差で元勇者との勝敗が揺らぐ事さえあり得る。そう思ったトウヤはステラとエマ、レオンひきいる騎士団と一緒に毎日断章世界系を渡り歩いた。日によっては三つ隣の世界まで転移する事もあったが、アステリカ以外の世界で夜を過ごす事はなかった。
今日までは。
ステラもエマも、レオン達騎士団も元勇者との会合後トウヤの冒険に同行しない。
ステラは学園に通うため毎回の同行は難しく、必然付き人たるエマもトウヤとは行動を共にせず、レオン達騎士団は通常の業務に戻る。
神威召喚を受けたとはいえ、トウヤの立場は一介の『ストス家付き冒険者』となるからこれは仕方なかった。
この立場は、他の貴族派閥の『楔』も使えるようにする代わり、異世界人を可能な限り自由な立場にするという意味を暗に持っている。また、トウヤの帰還条件が特殊なため、トウヤの神威召喚自体を広くは知らせられないためでもある。
無論、騎士団に異世界人を入れたところで連携が難しく、派閥の専属にしたところで他の『楔』へ入れないデメリットしか生まないという事もある。ただこれは同時に、神威召喚がアステリカ全体のためのもので、貴族のためのものではない――言いかえれば王族が一貴族の権力が突出しないように作ったシステムだった。
要は、神威召喚自体はストス家の功績で、召喚後の功績は全て被召喚者か国に還元されるようになっているのである。
(なあリゼ、不思議だとは思わないか?)
そんな複雑な立場にあるトウヤは、そんな事をカケラも意識せず、今は日も暮れた夜空を眺めていた。星の代わりの世界の欠片が浮かぶ空にも、時折流れ星が翔ける。断章世界系を渡り歩くのは何も、トウヤ達だけではないのだ。
『……何がだ?』
(この断章世界は外とは隔絶されている。星はなく、宇宙もなく、にも関わらず朝と夜がある。人間が都市を築いて住んでいて、空気があって命がある。僕のいた世界と似た構造になっている)
『それゆえに召喚された、と考えるべきじゃないのか?』
(……もっとも、僕の世界にしゃべる剣はいなかったけど)
『ははっ! 俺とて、俺以外にこんな剣を知らんな。そもそも、俺は元はヒトだ。この剣の本来の能力によって封印されているだけだ。今でこそこんな剣の中にいるが、生きていた』
(そう、なのか)
『ちょっとした研究をしていて、気づけばこのざまだ』
(いや待て、何をしたらそういう目に遭う!?)
『使えてはならない魔法を使って、多少馬鹿をやっただけだ』
それっきり、リゼは口を閉ざした。
急に訪れた静寂は、少し気まずい。
(それにしても、アステリカ以外の場所で寝る羽目になるとは思わなかったよ)
『せいぜい気をつけるのだな。今日は九の日だ。明日の零時には、断章世界系は動き出すぞ』
(ああ、それで明日は午前にはアステリカに帰る予定なのか)
トウヤは寝転んでいた地面から立ち上がった。そろそろ休憩時間が終わる。キャンプ設営を手伝わなければならない。
『そうだ。人間は滅多に十の日の午後には断章世界系へ出かけない。どころか、ほとんどが十の日にはイレギュラーを恐れて断章世界での活動は控える。ある意味休日のようなものだ』
(そりゃ世界が組み替わって遭難したら笑えないもんな)
トウヤは言ってから、ぞっとした。
もしもステラ達が自分を裏切ってこの場所に放置したりしたら、トウヤは確実に遭難する自信がある。
それはステラ達を信じていないから起きた疑念ではなく、信じているからこその空想であったが、そうやって遭難した人がいなかったわけではないだろう。
改めてトウヤは自分が異邦人である事を実感した。
しかし、トウヤが異世界人らしい葛藤や困惑に悩まされる事はなかった。
俺は主人公だから、というお得意の主人公思考のため、
ではない。
「魔獣だ!!!!」
という空を裂くような悲鳴のためだった。
(リゼ、行くぞ!)
『ふん、勝手にするがいいさ』
既にリゼの悪態に慣れた刀夜には、任せる、とリゼが言っているように思えた。
(突出するのは得策ではない。奇襲を受けた場合必要なのはまず連絡の徹底だ。この場合はまず隊長たるレオンの元に集まり、情報から敵勢力を見極め、それに対応した陣をしき、逃げる事こそ最善。
奇襲は相手に勝てると踏んで行われるものなのだから。
確かにこの方法では数人の犠牲は免れないが、お前は自分の重要性を理解するべきだ。今回ばかりは判断ミスだぞ、小僧)
リゼはそう、歴戦の猛者につき従った身として酷評を加えた。
膝ほどまでの下生えを踏み抜きながら、トウヤは夕暮れの中を駆ける。
右肩にはバンブルーシュを担ぎ、左右だけでなく地面と木の上の外敵を確認しつつ、迅速に声がした方へと向かっている。
この数日でトウヤは着実にこの断章世界系の探索方法を身につけていた。
十数秒の疾駆の後、トウヤは現場にたどり着く。
数人の騎士が果敢に戦列を維持しながら四頭の巨大な魔獣と相対している。その先頭には先日トウヤが助太刀した女騎士の姿もある。
「うろたえるな!」
混迷する騎士団の中、逆立つオレンジ色の髪をした男が轟、と叫んだ。その大音声は悲鳴も怒号も混乱も、残響すら残さずに制圧した。
「戦列を整えろ! まだ装備を解いていなかった者は俺に続け!! 現状を把握しつつ退却するぞ!!」
レオンはそう言うと、前線に向かって駆ける。
しかし、その手にあるのは両手剣のみで鎧も大半を外している。野営の準備中だったのだから、これは仕方がないと言えた。
だが前線に立っている騎士も半ば以上が似たようなもので、状況は非常にまずい。
一方のトウヤはというと、装備自体が軽装だった事、そして体力的に疲れて装備を解くのも面倒だった事が幸いして、準備は万端だった。
「待って下さい!」
今にも駆けださん様子のトウヤを引きとめたのは、意外にもステラだった。
「いくらトウヤさんでも危険です。下がって下さい!」
背後に控えるエマも、何のためか険しげな表情で眉をひそめている。
トウヤはそこまで言われる相手の事が気になって、漆黒の巨大な狼のような魔獣から情報を引き出す事にした。
フルウルフ
ランク6
体力2855/2881
魔力1142/1093
攻撃522
防御558
魔攻358
魔防591
器用432
敏捷469
幸運324
スキル
・中級闇属性魔法
・影操
フラグメント
・成体
(なんだ……こいつは……!?)
ステータスが全体的にワイバーンをも凌駕するランク6の魔獣、フルウルフにトウヤは戦慄する。
「あれはフルウルフと呼ばれる魔物で、以前遭遇したイヌヌイの成体にあたります。ランクはワイバーンと同様6ですが、人間にとってはワイバーンより厄介な相手です。本来はイヌヌイを連れて群れで狩りをする魔獣ですが、今回は成体だけのようですね。それでも、四頭もの彼らをまともに相手にするのは愚策と言わざるを得ません」
エマの淀みない的確な解説にもトウヤ咄嗟に反論が出来ない。
「だが……ここで助けねば……」
「だから危険です。一対一でレオン隊長とすら互角に渡り合えるような魔獣なんです。貴方を前線に行かせるわけにはまいりません」
「ならどうするというんだ……!?」
「戦闘は騎士団に任せて後退しましょう。幸いフルウルフは『楔』で転移出来る魔獣ではありません。『楔』まで逃げ切る事が出来れば被害は最小で済みます」
「ッ……!」
被害、という表現にトウヤは顔を歪めたが、エマの判断はどこまでも正しい事はトウヤも分かっている。それだけにトウヤは迷う。
トウヤは強くなった。ここ数日で目を見張るほどというほどでもないにしろ、自信がつく程度には剣も振れるようになった。しかし、相手との圧倒的な能力差はぬぐい切れない。
朧ヶ埼刀夜
レベル12(18%)
体力172/194
魔力21/36
攻撃40
防御29
魔攻19
魔防15
器用24
敏捷28
幸運38
魔獣と人間の潜在能力の差は圧倒的だ。それは天性のもので、鍛錬ではどうしようもない。
だが、能力が低いから必ずしも勝てないという訳ではない。それは人間がここまで生き残っている事からも分かる簡単な事実だ。
(ここはレオン達に任せるべきなのか……?)
その疑念がトウヤを揺らした。
自分が死んでしまったら、とは考えない。なぜなら、『主人公は死なない』からだ。
トウヤの迷いは単に、エマの正論に対する論がなかったために生じた些細なものに過ぎない。トウヤの主人公思考は、正論ごときで揺らぎはしない。
だからトウヤは口を開く。
エマへ理屈ではなくトウヤ個人の感情を伝えるために。
「エマ、悪いが俺は――」
体を影の槍が貫いた。
トウヤの、ではなくフルウルフと戦っていた女騎士の体を。
フルウルフの攻撃をまともに受けた彼女は驚愕の表情を浮かべていたのか、それとも悔しげに歯を食いしばっていたのかは、トウヤからは見えない。
だが、崩れ落ちた彼女の体、巻き散らかされた臓腑と血液は、今この瞬間、彼女が絶命した事を疑いなく示していた。
「今、僕が迷わなければ、助けられたのに」
ぞくり、とエマは全身が総毛立つのを感じた。
それは女騎士が絶命したためではない。トウヤの言葉が自分を責めるものに聞こえた訳でも、ない。
一言、ぽつりと漏らしたトウヤの表情を見てしまったからだ。
それは後悔だとか未練だとかによる表情ではなかった。
強烈で鮮烈な、絶望の表情。
エマの思考が停止した一瞬、その間には既にトウヤは駆け出していた。
『限界突破』による超加速で飛び出し、バンブルーシュをフルウルフに振り下ろす。
イヌヌイの成体たるフルウルフが誇る影の装甲を力技、問答無用で叩き斬る。
ズガシャ、と生物を斬ったとは思えない地響きとともに、フルウルフは蹴られた小石のように吹っ飛んで、動かなくなった。
「この俺が相手だ!!!」
『限界突破』に強化された身体能力に任せ、放たれた名乗りは、空気すら打ち払わんばかりに轟いた。




