在架―22
夢のようだ。今の自分が信じられない。
でも、全感覚がひどく鋭敏になったみたいに何もかもが鮮明だ。
厚いカーテンで部屋にほとんど光が入ってきていないのに、彼女の寝顔がはっきり見える。本当はもっとくっついていたいけど、妙に興奮していてじっと横になっていられそうにない。邯歩さんを起こしてしまいそうで。
邯歩さんの寝顔も邯歩さんの部屋も初めて見る。ここにある一つ一つが邯歩さんの選んだものだと思うと、特別な思いが込み上げてくる。キッチンのコップとか皿の配置にも、邯歩さんの息遣いが感じられて、部屋にあるもの一つ一つが、見ていて飽きない。部屋の半分くらいをベッドが占領しているけど、安眠マニアなのかな。気持ちよい睡眠の為に、部屋に不釣り合いな大きくてふかふかのベッドを購入したのかと思った。邯歩さんは前までアメリカに住んでいたんだから、このベッドはアメリカに住んでいる時の部屋にはぴったりの大きさだったのかも。そうも思う。あるいは……あるいは、二人用ってことだろうか。別にダブルベッドなわけじゃないけど、部屋広くないんだから、ベッド捨てて布団敷いて寝ればいいのにと思う。
まあいいか……
二人用だとしても、今は俺がそこに眠る。
いや、さすがにこんなことは一夜限りのことかもしれない。それは嫌だな。続けたい。この関係を。一度きりでは終らせたくない。
でも、どうして俺を。これから、邯歩さんとの関係はどうなっていくのかな。
起きた。警戒心も何もない笑顔。
急ぐでもなく、いつも通りの日常みたいな感じで、寝ていたときの格好のまま朝食を作ってくれた。キッチンのテーブルで向かいあっての朝食。こんな朝がこれ一度きりになるのは、やっぱり嫌だな。意外なことに質素な和食。邯歩さんはトーストとスープ程度か朝は食べない人だと勝手に思っていたけど。でも、邯歩さんについて新たなことを知っていくのは、想像と当たっていても外れていても嬉しい感じだな。
昨夜のように、積極的に邯歩さんの肌に触れようとするようなことは、なぜか躊躇われる。邯歩さんにそれを拒否するようなオーラがあったわけじゃないけど、今はそのときじゃないという気がする。二人ともベッドに寄りかかり、同じ姿勢で壁を見ている。コルクボード。邯歩さんが写っていたり写っていなかったりする沢山の写真。俺が退屈してると思ったのか、音楽をかけてくれた。
俺のことをどう思ってるんだろう。彼女の表情は、俺の心を映す鏡の役割をしているんじゃないだろうか……。俺は情けない顔になっているかもしれないな。
誰が来たんだ? せっかくのこの時間を……
まあ、もうそろそろ帰らないといけない時間には違いなかったし、いつまでもいるわけにはいかないし。俺が出るか。
いや待て。こんな時間だし、いったい誰が邯歩さんのウチに来るってんだ? 友達? 家族だったらなにかまずいな。彼氏? 邯歩さんに彼氏がいるなんて聞いたことないし、いたとしたら俺と関係持つなんてこと有りえるわけない。でも、一度、俺が出るって立ち上がったのに、いまさら邯歩さんに出てもらうっていうのは、なにか格好悪い。
……なんだ邯子か。
まあ……こいつに知られてもどうということはない、か。
しかし、なんなんだこんな時間から。邯歩さんも知らなかったみたいだな。今から姉妹でどこかへ出かけるようだ。俺は……もう帰ろうかな。いつまでも一緒にいたいけど、邪魔者がいるし、ていうか俺が邯歩さんから邪魔に思われんのも嫌だしな。あんまりベタベタすると嫌われそうな気がする。
はあ? 俺も来いって?
邯歩さんと俺。両方に来いってのは蘇京がらみか。
はあ……今日は邯歩さんとの一夜の思い出に浸っていたかったのになあ……。一夜の思い出って、キモいな。邯歩さんが隣にいるのに。邯歩さんに心の中を見透かされたらどうしようとか思うと顔が赤くなる。
この人達は? 見たことない顔だから、蘇京の人間じゃないな。議員? え? 政治家? この人は政治家? 確かにまあ……他の人達より老けている。二十代後半くらいかな、でも普通の会社員っていった方がそれっぽい。
そういえば。前会ったときに邯子からそういう話しを聞かされていたような。蘇京関係ならいいんだけどさ、あんまり変なことに巻き込んでほしくはないよな。なんで俺まで呼ぶんだ?
さっきは邯子に知られても構わないとか思ったけど、こいつは俺と邯歩さんとのことに気付かないんじゃないかという気がする。邯子は鈍そうだからな。気付いたとしても、興味無いか。まあ反対されるよりはいいけど。
反対も何も、俺と邯歩さんとの関係って、一夜で終わりそうな気もする……。あの日のことは忘れてみたいな。ああ……鬱だ。17年生きてきて一番幸せな一日の翌日なのに、早くも気分は落ち込んでいる。
やっぱり蘇京か。
火事? えー? なんだこれ。こんなのニュースでやってなかったぞ。ボヤか?
昨日一日はまったくニュースに触れていなかった。つまり、火事があったのは昨日の内か。それとも、これくらいのことじゃ、ニュースにならないものなのかな。火事っていっても、最上階の窓ガラスの半分以上が割れていて、屋上近くの壁が煤けているだけだ。屋上で何かあたのかな。でも、ニュースにならない程度のボヤにしては、警察官の人数が多すぎる。部外者を立ち入れないようにしているし。嫌な予感がする。
泰午だ。こんな時にこんな所で何しているんだ。前に何度か蘇京でバイトしないかと誘ったことがあるし、ようやく来てくれることになったのか。よりによってこんな時に――っていうのは偶然かな。
……そう思うことにしよう。今を逃せばまた興味をなくしてしまうかもしれないし。
泰午、こっちだ。せっかく来たんだから、見学していけ。昼まで好きにしていていいよ。社員に怒られない程度に。昼はどっかで一緒に食おう。
政治家か。俺や邯歩さんや邯子が蘇京の関係者だから、警察も中に入れさせてくれたのは良いとして、政治家がついてきているのは何故なんだ。邯子はそういうこと、何も説明しないからな。それと、俺と同年代かちょっと上くらいに見えるこの人達は。スーツは着ているけど、あまり着慣れてない感じ。こんな妙な集団がわざわざ見に来る……やっぱりそうなのかな。この会社は、狙われてもおかしくないだけの資料が倉庫に山積みだと前から思っていたけど。
ここには、もうそれなりに長くいるけど、屋上に上がったのは初めてだ。鑑識らしきジャケットを着た人もいる。警官だらけだ。だいたい屋上には火種なんてないし、普段は鍵がかかっていて、バイトの俺でさえ入ったことがなかった所にあえて入り込んで放火、というのはどう考えても不自然だ。やっぱり単なるボヤとか事故なんかじゃなくて、これも焚書テロなのか。
……泰午? 何処行った?
もう興味なくなったのか。結局、一言も喋らなかったな。
まあ、泰午はこんなことには関わらない方が良いのかもしれないしな。




