在架―2
あくまで言葉の問題に拘泥し、一人称視点においても、頭の中に浮かぶ言葉だけで極力表現しようとしていました。
そこまで堅くならずに普通に一人称で良かったかなと今は思います。
在架。
自分の名前は在架。ざい・か。『在』が姓、『架』が名。
名乗る度に言語量を消費していくんだから、自分の名前は短い方が良い。いっそのこと、何て読むのか知らない方が良いのかもしれない。文字を絵として捉えれば言語量は消費しないんじゃない? とか思ってしまう。
長い名前もたまにいる。長い名前なんて誰からもウザがられるけど、字面で見た時に絵的に分りやすい。見た目で、ある種の意匠として、失語者でも誰だか判りそうな気がする。名は体を表わすっていうのが今ちょっと流行っているようだ。本来の言葉の意味とは違う使われ方かもしれないけど。自分の名前を知ってもらおうって事かな。名前に拘らない人も多いけど。逆に親から与えられた名に反発する人もいる……泰午はどうだろう。
9時になるな。泰午が他のクラスの人も誘ったらしいけど、結局来たのは俺だけか。いいのか、泰午? たった二人で。
どこかの大学付属の病院。裏手から入ってくってのが、何か後ろめたい事をするみたいな感じがしてしまうな。汚い廊下。いや、汚いというよりは、ここが病院の中かよって感じだ。普通のマンションかビルっぽい。まあ、一般の患者は近づかない区域らしいから。もう何人か集まっている。他のは大学生かフリーターか。暇そうな奴らばっかりだ。ベンチに余裕があるのに、立って待っている人もいる。俺達同様に治験の為に集まった人達。
説明書・日程表・同意書、それとアンケート。色々貰ったけど、基本的に職員の指示に従えば良いだけだな。
一人当り二時間以上検査にかかるのか。しかも、それ一度で終わりじゃないようだ。3ヶ月毎に何度か来ないと駄目? 泰午に誘われた事だからもっといかがわしいものだと思ってたけど、かなり本格的だな。まあ、俺達にしてみれば、ワリの良いバイトでしかないんだけど。
俺だけはこの後か。
泰午はどうする? 先帰っとく?
そうか。
じゃあ行ってくるか……
――脳神経外科外来窓口。の受付。
この登録カードを見せればいいのか。
え? ――あっち? あそこ? 廊下の先の方……ここからじゃ見えない。エレベータを使えって? 壁に案内図が貼ってあるじゃん。検査に使う診断装置が後から建てられた新棟にあるから、新棟までの連絡通路のある階まで降りないといけないんだ。
ありがとう。
裏手と違って清潔で綺麗だ。患者や利用者に不快感を与えないよう、デザインも含めて内装に気を遣っているのが分る。廊下の先まで鈍い光を反射している床も、寝っ転がって頬ずりしても良いくらいだ。
泰午はどこまでついて来る気なんだ? 病院の周囲は遊べそうなところが無さそうだけど、暇潰しにぶらぶらしてきたらどう? 検査、何をやらされるのか気になるの?
『脳磁図室(MEG室)』
脳磁図室の奥に仕切られた磁気シールド室には磁気を帯びる金属類は持ち込めない。だから被験者は、入院患者が着るような検査衣に着替えなければならない。衣服や鞄も籠の中に預けないといけない。
なるほど。アンケートに、心臓ペースメーカーや金歯の有無だけでなく、閉所恐怖症のチェック項目まであった訳がここに座らされてよく分った。磁気シールド室自体が狭いうえ、太い円筒形の脳磁計が頭上に覆い被さって、その底面の、ヘルメットの内側のような窪みが頭を捕えている。しかも計測中はあまり動かないよう言われた。狭い所に押し込められている感じ。説明書によれば、脳磁計は脳が働く時に発生する磁場を計測するらしい。文字を見たり口に出して読んだり、言葉を聞いたり、自発的に思いついた事を話したり。言語活動中の被験者の脳の働きを診て、調べるのが目的なんだ。被験者は、自分自身は病気でもなんでもないのに、貴重な言語量を差し出す事になるんだから、それなりのお金をもらうのは当然だ。治験というからには、この研究結果は、純粋な学問上の研究ではなくて、治療に役立たされるんだろうか。説明書には――治験の被験者がこんなこと知る必要あるのか? と思ったけど――本来、患者が脳磁計による診断を受ける時は、医療保険が適用されないので自己負担として10万円ほどかかるなどと書かれていた。被験者は俺だけじゃないし、診断もこれ一度きりじゃない。我々治験への協力者への謝礼もある。あくまでバイト代じゃなくて謝礼金という名目に拘ってるみたいだ。
目の前の液晶モニターに字が表示されるみたい。
最初は、ただ単に表示された文字を読むだけ。できるだけ何も考えずに――
「が……学校。携帯電話。裏側。マンション。サーカス。明日。言葉。夢。希望。枕。笑顔。台風。田んぼ。火。門。埃。仕事。カラオケ。迷子。受験。曇り。景色。電車。倉庫。英語。コーヒー。歴史。大学。菓子。石。平原。丘。数学。舞台。谷。ドラマ。川。社会。峡谷。種。花束。劇場。パソコン。神社。桜。ケーキ。涙。未来。生物。終わり」
終わり?
いや、次。
次は、頭に浮かんだ単語を何でも良いからどんどん言っていく。
「トマト。赤い。親。人間。人形。血。血流。神経。巨人。破壊。再生。神。広葉樹。オレンジ。流れる。涙。失語。言葉。井戸。足跡。喫茶店。運動。声。歌詞。事件。子羊。聖書。無神論。ゲーム。郵便局。仕事。生……え、えっと……夢。街。坂道。お地蔵。三叉路。選択。友達。彼女。失恋。両親。母さん。父さん。写真家。憧れ。子供。大人。朝日。目抜き通り。共鳴。鳴砂。砂。海。青。静脈。心臓」
終わり。
次は、出鱈目?
これも適当に何でも良いの? 段々面倒になっていくな……
「あべれぎばでおけしいうぜありぱいけええげどつりえおあかろちええげどめびすいだえなせがえいがえいふぁじいえいむぶいおせいあえもぁおおうぜだだだだかしありぱいじおえぴうつえもふぁおれたかうげろげぶあぷろげ――あ」
気分悪くなってきた。
毎回こんなに?
これは想像以上にハードだ……死ぬかと思った。
今回は特にこうなの? 後は経過を見るだけ?
『MRI室』
これって二度手間じゃないのとか、なぜ必要なのかとか最初は思ったけど、どうも脳磁計だけでは不十分らしい。寝台に横になって、頭の先からMRIのトンネル状の穴に吸い込まれる。この機械はテレビでも見たことある。閉所恐怖症じゃないから狭い所は平気だけど、MRIの作動音は気に障る。圧迫感さえ感じる。
脳磁計は脳の磁場を計るだけ。MRIは体内をいわば透視して画像化する装置で、そうして得た俺達被験者の脳の立体画像に脳の磁場のデータを重ね合わせるみたい。そのために、脳磁計だけじゃなくMRI撮影も必要なのだ。
ナチスの時代より手法は進歩しているけど、あまり大差ないような気もする。肝心な事がいまだに解ってはいない。喋ったり字を書いたりした時――ひっくるめて「発語」って言うけど――その時に頭のどこかで言語量が消費されているって事は分っている。言語量は、脳の運動野と言語野の連携があって初めて消費される。言葉が頭の中に留まっている限り、言語量は減らない。紙に書いても喋ってもキーボードを打っても、その他のどんな手段を使っても、言葉が頭の外に出れば言語量は減っていく。でも、頭のどこで言語量の消費がカウントされているのか、なぜ言語量を消費し尽くせば人は失語症になるのか、その点はまだ解明されていない。自分がその解明に少しでも協力できるのなら、多少の言語量は惜しくない。むしろこういう時の為に普段は無駄口叩かないようにしているみたいなもんだし。
でも、思ったより大変だったな……
平気で無駄口叩く泰午でも、さすがにこれはキレるんじゃないの? 大丈夫かな。