邯子―1
かん・し
邯歩。
この名前が姉自身の物になったことは一度もないとあたしは考える。
一応姉は自分の名前を書くことはできる。それが唯一姉に書ける字。他人が姉を認識する為のものであり、本人は読めもしない。字というよりも、見て真似ることで覚えたイラスト。字として頭に入っているわけじゃないから、長年繰返しサインするうちに、魂が抜けていくみたいに、字から意味が失われていくように、字が崩れてきている。サインは誰が書いたかが重要だから崩して書くのが当たり前だとしても、本人は崩れていることに気付いていない。
大勢の失語者を抱えた社会の中では、言葉を身に付けないまま成長した邯歩みたいな人間がいても大して目立たない。
姉が何度か会っているらしいこの医師も、興味深げにサインを見ている。
確かにあたしも興味あるけど、どうして邯歩はこの神経生理学者の研究に付き合っているの。研究結果は自分には理解できないのに。姉みたいな人間は多くない。健常者と比較対照する為の得難い貴重な存在。でも姉自身にとっては価値は無いはず。
姉にとっては、これも福祉の延長上に過ぎないの?
今このPCの画面上に示されているのは、言語面からみた社会的特徴があたしと似ているグループ。言語的にあたしに近い人間。あたしに似た言語使用頻度、学歴、職歴を持つ女性。生活している環境も重要。都市部か否か。共に生活している家族はいるかどうか、など。あたしと似たタイプの女性達は当然、失語年齢にも差は出ないと予想できる。だいたいその年齢になった時にあたしも言葉を失うことになるはず。まだ先だけど。いくらあたしでもまだ先だ。
このPh.Dは邯歩をぞんざいに扱っているわけじゃないけど、あたしがついて来なければ、研究について説明する気が無かったのは間違いない。でも、あたしに説明は必要ない。論文をナマで見せてくれるだけでいい。あと、部外者に見せても構わないような途中経過の資料。
画面は、24inchあるのに、それをこの研究者は指で差して説明しようとするから、手が邪魔で見えない。
過去の統計データを元に、どれだけ言語使用頻度を上げれば失語年齢が下がっていくか、という折れ線グラフ。または、使用する言語によって消費言語量にどれだけ差が出るかを見るグラフ。こっちの方はほとんど差は無い。基本的に英語でも日本語でもそれ以外でも同じだ。今更なデータ。それにこのデータは日本人女性の統計。アメリカで生まれ育ったあたしに、どれくらい参考になるのかははっきりしない。日本の教育制度はアメリカより遅れている。あたしみたいなタイプは日本人にはあまりいない、たぶん。でも、ほぼ似たような結果だろう。
まあ、あたし自身のことは初めからおまけだ。平均的な女性のデータと明確な違いが出るのは邯歩の方だ。あたし自身のことより姉の頭の中の方が遥かに興味深い。
でも、貴重な時間を割いて付き添った分だけの利益があったかどうか微妙だ。こいつらが面白い論文を書いてくれるコトを期待しよう。
――それは別の資料? 何故かあたしにではなく邯歩に見せようとして、間違いに気付いて紙束の先をあたしに向け直した。姉と二人でいるとよくあることだわ。邯歩の感受性や察しの良さは、邯歩が全失語同等であることを感じさせない。邯歩は他人を、邯歩が全てを理解しているかのように錯覚させる。
邯歩はいつも何を見ているのか。
今もそうだ。資料の束の行方を追ったかと思えば、窓の外を見つめている。窓の外に何がある? 空だ。白い雲と。青色の大気があるだけだ。鳥は飛んでいない。見るべきものは無い。視線が通り過ぎることはあっても留めることなど有り得ない。何を見ているんだろう?
もう用は済んだ。済んだらさっさと帰る。そのつもりだけど、邯歩はまだ何かあるみたいだ。こんなところでも、人付き合いを大事にするのかな。
まだ15minくらいなら付き合える。
どういういきさつだったのか、このPh.Dの研究をさらによく見せてもらうコトになったみたい。いつの間にかそういうことになっていた。目の前でそういう成り行きがあったはずなんだけど、あたしにはよくわからなかった。姉みたいに外を見たりしていなかったのに。
さっきの資料は、いわば言語面から見た自分の分身だ。探せばあたしみたいな人間もいるかもしれない。職業によっても言語量の消費は違ってくる。既婚かどうかも言語量消費に影響を与えるパラメータであるらしい。子育てに大量の言葉が必要だからだろう。あたし達の親は例外だったわけだけど。
これから被験者をMRIに入れて脳の活動を調べるようだ。これを見たら先に帰ろう。
被験者はアルバイトのつもりだろう。謝礼金の名目でお金をもらい、病人でもないのにしばらく病院に通う。言語量が消費される脳のメカニズムを調べる為に、言語量を持て余している暇人の若者を利用するのだ。言葉になぜ量があるのか、人の体のどこかで消費されていく言葉を数える機関があるのか、いまだに有力な説は無い。テロメアのような仕組みを利用しているという説もあるし、言語野にカウントする為の機能があるとする説もある。
想像と違って、明るい部屋だわ。もっと薄暗い部屋にモニタの光が浮かび上がっていて、その向こうに巨大な、唸るような大きな音を立てる装置がデンと収まっている姿を想像していた。明るい部屋は落ち着かない。でも、外が見えない室内は昼夜が分らなくて好きだ。部屋は狭い。この操作室から見える横長の窓の向こうの部屋も、大きなMRI本体が部屋の容積の半ば以上を占めていて、居心地の良さを与える。検査着の男の子がMRIのベッドに寝そべっている。
これは、今再生している音声はこの男の子のか。モニタ上に時間軸に沿って血流が変化していくカラフルなCGがオーバーラップされているのは、この子のか。自分に歳が近い男の子のスライス映像というのも、ある種、猟奇的で少し興奮する。再生されている音声は血流の変化とリンクしている。被験者に言語量を消費させ、その間の脳の状態の変化を見ている。似たような研究は各国で行われているけど、結果が楽しみだ。
邯歩の場合はどうなるんだろう。生まれてから一度も言葉を習得しなかった人間は。対照グループとして本当に十分数を揃えられるものなの? 姉の場合は言語量を数える機能そのものが存在しないかもしれない。
男の子が外へ出て行こうとしている。廊下への出入り口はこっちとあっちとで別についているみたいだわ。
男の子の背中を見送る。彼は健常者で、日本語だけを身に付けている平均的な日本人。
もうのんびり見学している時間が無い。後は、後で論文だけ見れば十分だ。
漢字名の登場人物は全て純粋な日本人なのですが、言語量を少なくするために、中国人名みたいになった、という設定です。




