第1話 小さな命との出逢い
あたしをよく知らない者からは、いつまでも見た目の変わらない『魔女』として。あたしの能力を知る者からは、『大賢者』として重宝されながら、五十年ほど生きてきた。
そんなあたしは一昨年の冬に引退し、弟子を連れて王都から離れた。魔力の高い者は見た目も若いままという特性のせいで、引退したというのに仕事をしろと煩い輩から逃れるためだ。
せっかくだから、現役時代に見つけたお気に入りの場所へ居を移した。岩山の頂近くには大きな洞窟があり、風通しも良い。人里から離れて暮らすにはうってつけの場所だ。
ここを知っているのは、若い頃から面倒を見てやっていた国王や宰相ぐらいだろう。煩わしい生活はごめんだと、身内にすら伝えずに出てきたのだ。
そんなある日、あたしの張った結界に、身内ではない誰かが引っかかった。
「シャラララン」というガラスのように澄んだ音と、点滅する光が侵入者を知らせてくれる。
「ん? 侵入者がいるようだ。ギルバート、お客さんだよ!」
「はい、アレン師匠! 見てきます!」
ギルバートは魔法で浮くボードに乗り、凄い勢いで岩山の麓に向かった。
「「ぎゃ——っ!」」
岩山の麓から、複数人の悲鳴が響いてきた。
「ん? 一人じゃないのかい。面倒だねえ……」
あたしはのんびりと岩山の頂に座り、弟子のギルバートを眺めていた。あたしの弟子が、そこいらの人間に負けるとは思っていないが、兄から預かっている大事な甥っ子でもあるので、最悪を想定して見守るぐらいはしていた。
「……あの男、城にいたような?」
訪ねてきた男を、何となく見た記憶があった。
男の後ろには、数人の護衛と、何かを大切そうに抱いた女が控えている。
国王が、あたしに面倒を押し付けようとしているのだろうか。
「仕方ないねえ……」
あたしはフワリと風を纏い、岩山の頂から飛び降りた。
地面へ勢いよく着地した瞬間、男たちの悲鳴が重なる。
「「ぎゃ——っ!」」
「さっきからギャーギャーうるさいよ。あたしに何か用なんだろう? とっとと用件を言いな。気が変わる前にね」
慌てて衣服を整えた男は、恭しく頭を下げた。
「大賢者アレン=ベルシュタイン様、ご無沙汰しております。私は王宮魔導師のバルタザールと申します。覚えておられますか?」
「見覚えがあったから、わざわざ降りてきてやったんだ。早く用件を言いな」
「ふふっ、相変わらずせっかちでいらっしゃる。本日は、こちらのお手紙を国王陛下からお預かりしております」
「ふうん?」
あたしは装丁された立派な『手紙』に目を通す。
「王妃の娘だと? それも第一王女? それを、あの側妃が狙っているのかい」
「はい。姫様の寝台に毒針が仕込まれ、乳母の食事にも毒が混ぜられました。城内にいては、昼も夜も油断できません。国王陛下は、王女殿下に安全な場所がないと嘆いておられます」
「……まさか、王女を預かれと言うんじゃないだろうね?」
「ははは、その『まさか』でございます」
「はあ——? あたしが子育てできると思っているのかい? あのボンクラは!」
「師匠、さすがに国王陛下に向かって『ボンクラ』は駄目だと思いますよ」
揉めているあたしとギルバートに苦笑いしながら、バルタザールが後ろに控えていた者を自分の元に呼んだ。
「こちらが姫様にございます」
乳母らしき女性に抱かれている姫様は、まだ生まれたばかりなのだろう、とても小さい。すやすやと眠る彼女は、とても可愛らしかった。
「こんなに可愛い生き物を……」
「はい。姫様は夜泣きもほとんどなく、今から女王の器だと陛下は申しておりました。国王陛下たちは、大賢者様に姫様を立派に育ててほしいとのことです」
「なんてこった……」
「え? 師匠……まさか、預かるおつもりですか?」
「今後、預からずにこの子に被害があれば、預からなかったことを後悔するだろうしねえ……」
「……たしかにそうかもしれませんが、僕は師匠が子育てできるとは思いません」
バルタザールが驚いた顔でギルバートを見る。
「で、ですが、ギルバート様は、大賢者様がお育てになったのですよね?」
「……あれを育てたと言って良いのだろうか?」
「よくありません! 森に自生している果物や、食べられる薬草などを集めてきて食べていたのですよ! 言わば、サバイバルです! 五歳から、師匠の元でサバイバルをして過ごしていたのです!」
「大賢者様は何を食べて過ごしていらしたので?」
「森で魔物を狩って、適当に表面を炙って食っていた」
「表面だけですか?」
「ああ。生肉よりはいいだろう? こいつは『そんなものは食べられません!』なんて一丁前に言うからねえ。好きにしろ、と」
「だから僕は、肉にきちんと火を通すために火魔法を覚えたのです! おかげで火魔法の火加減は上手くなりましたよ」
「……な、なんと。ギルバート様は侯爵家のご子息ですよね?」
「……ははは」
乾いた笑いをしたギルバートは、憐れみの視線を向けるバルタザールから視線を逸らした。
「……離乳食が始まるまでは、乳母を近くに置いてもらうことは可能でしょうか」
バルタザールが案を出してきた。あたしたちが乳飲み子から育てるのはさすがに無理だと理解したのだろう。
「ああ、それは助かるが……。ギルバート、岩山の麓に乳母用の家を建ててやってくれ」
「かしこまりました。小川が流れているところがよろしいですよね?」
「そうですね。綺麗な水がある場所だと助かります」
こうして、子育て能力の欠片もない大賢者と、五歳からサバイバルを強いられた苦労人の弟子による、王女育成生活が始まったのだった。




